1話 選択する暗殺
不意に、混濁した意識が覚醒した。
どれほど微睡みのような感覚に身を委ねていたのだろう。
気付けば、知らないベッドの上に寝かされていた。
視線を横にずらすと、思わずどきっと胸が高まるほどに美しい女性がこちらを覗き込んでいた。艶のある美しい黒髪に控えめな赤と青のメッシュが入った女性は、にっこりと笑う。
「気がついた?」
「は、はい……」
「お名前は?」
「ユア。ユア・リナーデル……」
「可愛い名前ね。私のことはミケって呼んで?」
「ミケ、さん?」
口に出すと、ミケは一段と嬉しそうにはにかんだ。
唯でさえ綺麗な人が、余計に綺麗で愛らしく見えた。
視線が吸い寄せられ、段々と彼女に触れて、知ってみたくなっていく――。
「やめろ、馬鹿」
「んにゃ?」
唐突に、細い腕がミケの肩を掴んで彼女とユアを遠ざける。
今までミケに夢中でまったく気付かなかったが、自分と同い年くらいの少年がそこにいた。
少年がうんざりしたような顔でミケを乱雑に押しのけ、彼女は不満げに頬を膨らませた。
「お話してただけじゃーん」
「嘘をつけ、口説こうとしていただろ。お前がやると洒落にならないんだよ」
ユアは一瞬少年に邪魔されてミケとの距離が遠ざかったことを残念に思い、そして少年の言葉の意味に気付いてはっとした。今のファーストインプレッションで、ユアはミケに心を奪われそうになっていたのだと。同性であるにも拘らず、気配、仕草、匂い――五感全てがミケに不思議な魅力を感じていた。
少年はユアを見やるとぶっきらぼうに忠告する。
「間違ってもこの女を好きになるなよ。イカレたサイコだからな」
「じゃーオウルのこと好きになってもイイ……?」
「お呼びじゃない」
「ぶー」
(オウルって言うんだ。ミケもそうだけど、ちょっと変わった名前)
どこかでその声を聞いたことがある気がするが、記憶がはっきりしない。
そもそも、何故自分はこんな場所で知らない人の世話になっているのだろう。
必死で考えると、断片的ながら記憶が戻ってきた。
「あ、あの。なんで私ここで寝て……? 確かセールスの人に声かけられて、断れなくて、路地裏連れて行かれて何か嗅がされて、気付いたら身体縛られてて、殺し屋さんに殺されそうに……あれ? オウルさんと殺し屋さんの声って一緒?」
「お前、独特のマイペースさだな……」
異常な経験の連続の筈なのに、何故かユアはその記憶を他人事のように感じていた。
無意識に手が首筋に伸び、そして思い出す。
「そうだ、お注射打たれた。記憶がちょっとぼんやりする副作用があるとか」
「ああ。当時の恐怖でも思い出されて小便漏らされても面倒なんでな。話が早くていいだろ?」
「……今まさにちょっと怖くなってきましたけど」
「喜べユア・リナーデル。薬のおかげでちょっとで済んでる」
オウルは皮肉げな笑みを浮かべて肩をすくめる。
彼が殺し屋だと言われても実感はないが、力関係くらいは分かる。
彼は自分を攫った男を倒した集団を、恐らくは倒しているのだから。
どのように倒して相手がどうなったかは、考えないようにした。
確かに薬で記憶にもやがかかっていなければ恐怖でパニックになっていたかもしれなが、素直に喜ぶことなど到底できない。
「こ、殺さないの?」
余計な一言だが、ユアは問わずにはいられなかった。
自分の命のことより、殺し屋が何を考えているのか知りたかった。
得体の知れない相手を少しでも理解することで恐怖を埋めたかったのかも知れない。
オウルの返答は淡泊だった。
「あ? そこは覚えてないのか。故あって殺せなくなった。故の部分は俺も知らんが、まぁアジトに案内してベッドを提供する程度には今は友好的だ。これからの関係は話し合い次第だな」
「話し合い……私に決定権はあるのかなぁ」
殺し屋のお願いを突っぱねる勇気はユアにはない。
ミケが不安を和らげるようにユアの背をさすった。
「あるある。むしろ私たちが貴方に合わせることになるかも!」
「はぁ。この女……とりあえず起き上がれるほど元気ならついてこい。飯でも食って一服したら教えなきゃならんことがあるからな。来いミケ」
「にゃーん。忠猫(ちゅーねこ)ミケがまいりまーす」
「猫に忠誠心はない」
オウルが背を向けて歩き出すと、ミケも後ろをついてゆく。
ミケは女性なら誰もが羨むモデル体型で、身長も高くオウルと頭一つは違う。そんな彼女が明らかに年下の筈のオウルに素直に従っている光景がなんだか不思議だった。オウルは彼女よりも殺し屋として立場が上なのだろうか。
◇ ◆
殺し屋のアジトは、思っていた以上に普通だった。
やや簡素ではあるが、生活必需品に少々のインテリアと作業台のようなものがあり、たたみかけの洗濯物など多少の生活感が漂っていた。
「もっとなんか、武器とか一杯あって暗い感じかと思ってた」
「殺し屋だって殺しをやってない間は日常生活送ってるんだ。危ないものは隠すだろ、普通に考えて」
「あ、そっか」
「そっか、だって! ユアちゃんは可愛いなぁ!」
「そいつの可愛いはこんにちは程度の意味に思っとけ」
オウルは面倒臭そうに四つ並べられたイスの一つを引くと座るように促す。
言われるがままに席に着くと、奥のシステムキッチンからエプロンを着た美丈夫が皿を手にやってくる。
彼も殺し屋なのだろうが到底そうとは思えない。
やや軽薄そうにも見える男は、ユアにウィンクした。
「初めましてユアちゃん。ぼくのことはテウメッサと呼んでくれ」
「あ、はい。テウメッサさんですね」
「うん。さて、まずは腹ごしらえだ。ミケ、ドレッシングを。オウルはフォークとスプーンを。ユアちゃんは今日はゲストだから待ってるだけでいいよ」
如何にも陽気な好青年といった笑みを浮かべるテウメッサ。
殺し屋をしていなければ雑誌でモデルでもしていそうな程度には整った顔と身長だ。
彼は皿を並べるとサラダボウルやスープ、トーストにスクランブルエッグなどの皿をテキパキ並べていく。シンプルなメニューだが、それだけにトーストの香りやベーコンが食欲をそそる。
ユアは自分で思っていた以上にお腹が減っていたようだ。
食前の祈りを捧げたのちに口にした食事はどれも美味しく、気がついたら全て食べ尽くしてしまっていた。きっとテウメッサも殺し屋なので料理に毒が入っていたらユアはもう助からない所だが、今のところそのような変化はない。
食べ終わって食後の紅茶を頂く。
茶葉の香りが立っており、渋みもなく美味しかった。
ほっと一息ついたところで、ユアは自分の周りを見渡す。
「三人とも殺し屋さん、なんですよね」
「もう一人いるがな。サーペント、そろそろ顔を出したらどうだ?」
『はいよっとぉ』
突如として、誰も触っていないテレビから中年ほどの男の顔、のみが映し出された。
「わわっ、生首!」
『いい反応! こちら、そこの三人の仲間のサーペントだ。モニター越しに失礼するよ。こちらは三人とは別行動なのでね』
「サーペントさん。はい、よろしくお願いします」
『礼儀正しくてよろしい。どっかのオウルにも見習って欲しい所だね』
「お前に礼を払う必要性も価値も感じないが?」
『ほらね?』
オウルの生意気な返しに苦笑するサーペント。
軽妙なやりとりを繰り広げる殺し屋たちに、ユアはなんと言っていいか分からず愛想笑いするしかなかった。
「もういいだろう。本題に入る。まずユア。お前には最低限俺たちのことを話しておく。まぁ、誰かに吐けと拷問されたときに吐いても問題ない程度の情報だからニード・トゥ・ノウなんて気にしなくていい」
「その言い方が既に気になる! 拷問って何さ!?」
「俺たちは世間では『クアッド』と呼ばれる殺し屋集団で……」
「無視した!?」
曰く、都市伝説扱いの殺し屋集団である『クアッド』――アサシンズ・クアッドは、全員が絶対服従の『命令』を請けて対象を抹殺するだけの存在だという。特定の誰かに金を積まれて依頼を請けることは完全になく、『命令』だけが彼らを動かすそうだ。
「俺たちは命令に従う義務と、命令を全うするのに必要な力を持っている。ここまではいいか?」
「うん……いや、全然よくないけど。伝説の殺し屋に囲まれてるんだもん!」
「心配しなくても私がついてるよ、ユア」
そっと手を握ってくれるミケに励まされる。
彼女が大丈夫と言うと、彼女自身も危険な筈なのに本当にそんな気がしてくる。しかしオウルの『間違っても好きになるな』という一言が楔になって一定のラインを保てている。
(きっとこの人は男女を問わず人を惹きつける魔性を宿しているんだ)
テウメッサは「おいおい」と小声で不安そうな顔をしている辺り、その魔性は彼らにとって共通の認識らしい。ユアが「お気持ちだけで充分です」と一線を引くと、ミケは普通に手を引いてくれた。
一度、深呼吸する。
彼らは伝説の殺し屋なのだから、ユアを殺すならとっくの昔に殺している。
だから、死の恐怖は今は考えても仕方の無いことだ。
「ふぅ……あの、続けてください」
「じゃあ続けるぞ。ユア・リナーデル。お前は今から俺たちと一緒に暮らして貰う。いいな?」
「ちょっと待ってください。え、私の気付いてないところで話飛んだ?」
ユアは即座に前言を撤回した。
一人暮らし中とは言えユアはジュニアハイスクールの生徒である。
言わば青春謳歌中で、昨日まで特に不満のない日常を送っていた。
それが、いきなり殺し屋たちと同居しなければならない意味が分からない。
「な、何の為に!? わたし殺しなんて出来ませんよ!?」
「誰が素人にそんな期待するか。いいか、簡単に言えばお前は俺たちの護衛対象だ。お前が妙なヤツに関わって、その相手がお前を害そうとするヤツなら、俺らはそいつを殺さなきゃならん。そしてそもそもの前提としてお前自身も守らなければならん」
「だからなんで私なんですか!?」
「それが『命令』だからだ。理由なんぞどうでもいい。そうしろと決められたからそうする。アーユーオーケー?」
ユアは混乱で頭がパンクしそうだった。
彼女自身ははこの国家にとって何一つ特殊でも特別でもない存在だ。むしろ、やや恵まれないくらいかもしれない。そんな娘を殺し屋が四人も集まって護衛する意味が分からない。なのに、目の前の殺し屋は意味がなくとも命令があったならばやると言っている。
理由が知りたくて問いかけたのに、これでは話にならない。
思わずオウル以外の殺し屋に視線を移すが、彼らもそのことに何一つ異論はなくオウルに同意していた。
「いいじゃない、ユアちゃん。こーんな贅沢な護衛、要人の娘だって受けられないかもよ?」
「皆で話し合って出た結論だ。そもそも『命令』が出たってことは君の与り知らない危機が迫っている可能性もある」
「そんなこと言われたって……私、護衛なんていりません!」
『きみがいる、いらないに関わらず我々は
「それは……いきなり人の命の責任なんて押しつけられても困ります、そんなの」
自分の責任じゃないのに自分のせいで人が死ぬなんて、狂っている。
モニター越しのサーペントはにっこり笑う。
『じゃあ、最初から護衛という体でいた方が互いにとって穏当じゃないかな? 君は危害から身を守れる。我々が護衛していれば変な輩も近づきづらくなるから殺してまで追い払う必要のある相手は減る。君が拒否すれば殺さないという選択肢も我々はとれる』
「……本当に、殺さないでいてくれますか?」
『我々自身が君に危害を加える存在になる訳にはいかない。可能な限り事情は汲むとも。そうだろう、オウル?』
「あとはお前次第だ。が、いきなりここで決めろとも言わない」
ここまで一方的な物言いだったオウルが、初めて譲歩の姿勢を見せた。
「俺たちの護衛を受け入れるか、それとも俺たちと会ったこと自体を忘れて何事もなかったように生きるか。俺たちは暫く表立ってお前に近づかず裏でこっそり護衛する。それで問題を感じなかったらそのまま間接的な護衛を受け入れれば良い。だがしっくりこなかったら声をかけろ。そのとき俺たちは姿を現す」
「護衛しないという選択肢はないんですね……決定権、やっぱりないんだ」
「それは違うな。決定権がないのは俺たちだ。ったく、護衛は護衛の畑のヤツにやらせればいいのに」
「ちょっとオウル、まだそれ言ってるのかい? 話し合って納得したろ?」
「納得はしたが、不満くらい言わせろ。殺し屋がヒーローの真似事なんぞ」
苛立たしげなオウルをテウメッサがたしなめる。
ウルははっとして、オウルの言葉の意味を理解した。
命令は絶対だと彼らは言っていた。
殺し屋が命令に背いたら、どうなるのだろうか?
ユアの想像力では、答えは一つしか見いだせない。
すなわち、彼ら自身の命がその代償となるのではないか?
だとすれば彼らには確かに決定権がない。
彼らは彼らの命のために、するという選択肢しか最初から存在しないのだ。
とても理解できないが、そこに彼らの絶対の価値観や死生観が垣間見えた。
ユアの中で、一つの思いが生まれた。
余りにも身勝手な考えだったが、それでも今のユアにはそれを試すチャンスがある。
その為に、彼らのことを知りたかった。
「……受けます」
「なんだと?」
「護衛、受けます。知らないでいるよりは、知っていたいから」
勢いに任せた決定ではあったが、後悔はなかった。
オウルはしばし意外そうな顔をしたが、やがてほんの少しだけ微笑んだ。
「いい心がけだ。ジルベスの大多数の愚民に見習ってほしい程度にはな」
ユアはオウルもそんな顔をするのかと意外に思った。
どうやら、彼好みの返事だったようだ。
――結局、詳しいことは翌日からということになり、暫定の護衛としてテウメッサがユアを一旦自宅に送り届けた。二人がいなくなったあと、『ところで』とサーペントが話を振る。
『彼女に『相談があれば殺しはやめる』だなんて言っちゃったけど、よかった? 正直君は止めると思ってたけど』
「相談される前に黙って殺せば良いだろ。知らなきゃ相談もクソもない。ユアが相手が死んだと思わなきゃ、それは殺してないのと同じことだ」
オウルは外道だった。
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