終章
終章 また、どこかの草原で
「おいおい、緊張感が足らないんじゃないか」
頭上には突き抜けるような蒼穹が広がり、雲が緩やかに空を流れる。
草原には丈の長い茎に黄色い花を咲かせるツワブキや、白い小さな花弁を密集して咲かせるコデマリ、青紫色のアヤメが緑の下地に彩りを与えていた。
草原に立つハルトシが周囲を見渡し、敵がいないことを確かめると背後の三人を振り返った。
キヨラたちは草原に黄色の布を広げ、木の皮を加工して作った籠を囲むように座っている。籠から取り出した飲み物と軽食を摘まむ姿は、散策に来ているようでもあった。
「まあ、よいではないですか。まだ喰禍も現れてはいませんし」
柔らかなそよ風に頬を撫でられ、紅茶色の髪を揺らしながらキヨラが口を開く。
「ところでマリカさんの様子はどうだったのですか?」
同じく腰かけて
「うんー。少し痩せていたけど、落ち着いて過ごしているみたいー。キヨラさんにもよろしくって言っていたわー」
「それはよかったです」
マリカの裁判は早々に行われ、サカキに利用されたこと、罪を悔いていることから寛大な審判が下された。比較的罪の軽い犯罪者が収容されるショーシキ監獄に身柄を移され、一年間の禁固刑となっている。
三人で面会に行くこともあるが、クシズは一人で足繁く通っているのだ。
「マリカちゃんと違って、サカキはそういうわけにはいかないよね」
一連の事件の主犯であるサカキの取り調べは予想以上に長引いている。人類であるサカキに加え、〈禍大喰〉と〈光の民〉が共謀してガルガンチュア再生を企てるという前代未聞の事件は、知性類の間に大きな波紋を生んだ。
今回の事件が引き起こされた原因や防止策を検討するため、近く臨時の全知性類会議が開催されることになっている。
共犯であるカガミ、メネラオス、カンパネルラがいずれも落命しており、事件の全容を知る者はサカキしかおらず、その供述でしか経緯を知ることができない。
サカキは素直に自白しているらしいが、正当な判決が下されるまでには相当な時間がかかるだろう。
「……ということだし、あの事件はまだ終わらないんだね」
「気にしても仕方がありません。私たちは、今できることをするだけです」
「本当にキヨラちゃんはいいこと言うね」
ウタカは自身に降り注ぐ陽光にも似た笑顔を浮かべた。その表情には、マジメなキヨラへと無意識に向けられていた翳りが無くなっている。
「あー、何だか眠くなってきたー」
クシズが日傘を抱いて仰向けに寝転がる。
「みんな、これでも任務中なんだぞ」
ガルガンチュアとの戦いで〈花の戦団〉は甚大な被害を被っている。死者五人、重傷者十八人という、参戦した半数が戦闘不能に陥る大惨事だった。
先に起こった〈プラツァーニ戦役〉と合わせると、戦団の戦力は著しく低下している。それでも喰禍の脅威は治まることが無いため、動ける人物は忙しく立ち回っていた。
三番隊クシズ班は、今日も喰禍討伐の依頼を請けて派遣されていた。だが、余裕というよりも緊張感に欠けているようにハルトシには見受けられる。
喰禍が出没するという報告があった近辺に到着し、その姿を探しているのに間食に興じ、クシズなどは寝そべっているのだ。
これまでなら率先して注意するはずのキヨラも、朱に混じって赤くなったのか二人とお茶を啜っている。
「分かっていますが、敵がいないうちに焦ってもしようがありませんよ」
ハルトシはキヨラを見て嘆息するが、思い直したように頭を振る。
クシズ班に馴染めないでいたキヨラが、クシズとウタカに合わせることができるようになっているのだ。クシズ班にとっては大きな進歩なのだろうと考えることにした。
「それじゃあ、俺も……」
ハルトシも気を抜いて腰を下ろそうとすると、立ち上がったキヨラがやけにマジメな表情で見つめてくる。
「どうした?」
動揺するハルトシへとキヨラが片手を伸ばし、いきなりその身体を抱き寄せた。
顔を赤くしたハルトシが声を上げる。
「な、なんだ。こんな人前で……⁉」
ハルトシの語尾を爆音が掻き消し、閃光が辺りを包む。爆風を全身に浴びてハルトシが驚愕の叫びを上げた。
「うわ! 何がどうなってんだ!」
キヨラの手から離れたハルトシは、その手が小太刀を抜き放っていることに気付く。キヨラの灰色の瞳が見据える先には、数体の甲蟲が出現していた。
どうやら、キヨラが甲蟲の攻撃を防いでくれていたらしい。
「来ましたよ。油断しないでください、ハルトシ」
キヨラがハルトシを背後に庇いながら、振り返りもせずに言う。
ウタカも即座に臨戦態勢をとった。
「クシズちゃん、喰禍だよ」
「すー……、すー……」
「寝たふりするんじゃないの!」
「いやいやー、今日はお休みだと思ったのにー」
クシズが首を横に振って抵抗しながら、ウタカに引きずり起こされる。
甲蟲の群れがハルトシたちを狙って光弾を射出。ウタカに突き飛ばされたクシズが、よろめきつつも日傘を盾にして赤き凶弾を防いだ。
「ひー! ウタカー」
まだ白煙が漂うなか、日傘の横から飛び出したウタカが光弾を放つ。黄色い光撃が甲蟲に直撃し、爆発のなかで数体の甲蟲が黒い塵へと姿を変えた。
その音を聞きつけたのか、草の茂みから続々と甲蟲が姿を現してくる。その数、およそ三十体はおり、簡単に倒せる相手ではなかった。
ハルトシは三人の少女へと緊張に満ちた声をかける。
「三人とも準備はいいか?」
「無論です」
「あんまりよくないですけどー」
「ウタカは万端」
横に並ぶクシズとウタカを見やり、キヨラが笑みを浮かべる。
「斬るなら簡単です。ゆきましょう!」
そう言って、キヨラは地を蹴った。
救世の花守たちへ口づけを 小柄宗 @syukitada
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