救世の花守たちへ口づけを

小語

序章

序章 どこかの草原で

「三人とも準備はいいか?」


 緊張を帯びたその声音を浴びた三人の少女のうち一人が応じる。


「もちろん、よいですよ」


 肩口までの紅茶色の頭髪を風になびかせ、灰色の瞳が力強く前方を向いている。

 やや暗い赤である臙脂えんじ色を基調とした襯衣シャツとスカートを着用し、腰に赤紫色をした幅広の帯を巻いているのが特徴的だ。

 腰の後ろにある帯の結び目に二振りの小太刀を差しており、正面から見るとバツ印のようにその鞘が覗いていた。


 どこか気高さを感じさせる双眸は前方を見据え、女性にしては長身の五体は律動的な弾力を秘めるようだ。


「さあ、早く〈喰禍くうま〉を倒しにゆきましょう」


「キヨラ、ちょっと待った。ちゃんと敵の強さを確かめないといけないよ」


 キヨラと呼ばれた少女が不服そうに唇を尖らせる。


 一人の男性と三人の少女がいるのは、緑色の絨毯が敷き詰められたような見渡す限りの草原だった。穏やかな陽光が降り注ぎ、柔らかな風が吹くと波のように草花が揺れる。


 大地を埋め尽くす緑の景色のなかに赤や黄色の花が色彩を豊かにしていた。人の心に安らぎを与える平穏な景観が限りなく広がっている。


 二十代前半ほどの茶髪で茶瞳をした男、ハルトシはキヨラに目を向けた。


「敵の数が多いだろ。少しは慎重にさ」


「あの程度の敵、物の数ではありませんよ」


 二人が言葉を交わす横合いから、おずおずとした声が放たれる。


「そうですよー。もう少し様子を見た方がいいですー」


「ですが、クシズさん」


「何でしたらー、今日は様子見だけで撤退するのもありかな、なんてー」


「そんなわけにはゆきません」


「やっぱしー?」


 間延びした口調に落胆を乗せてクシズが肩を落とす。

 紺色の長髪を有する少女で、紫紺の瞳には怯えの色が浮いている。上衣も下衣も手首から足首までを包む丈の長い衣服を着ており、衣装から覗く素肌は透けるように白い。


 クシズの最たる特徴は白い大きな日傘を差していることだ。その日傘の縁からは、何やらお札や小さな人形が吊り下げられているのである。

 クシズが日傘を揺らして全身から不安を露わにしていた。


「わざわざ、ヒカリヨから乗合馬車で一日かかる場所まで喰禍討伐に来ているのです。このまま帰るわけにはゆきません」


「そ、そうですよねー」


 キヨラたちが本拠とする都市国家(ヒカリヨ)から派遣され、同盟を結ぶ都市国家であるミツルチ近辺の喰禍を討伐する任務を思い出したのか、クシズは諦めたように頷く。


 二人のやり取りを眺めていたハルトシは前方へと視線を戻す。


 ハルトシの瞳が向く先では、和やかなはずの光景を不穏なものにする複数の影が蠢いていた。


 体高は五、六歳の子どもほどの高さで、球状の本体から四本の脚部が虫のように生えている。鋼のように硬く滑らかな体表は黒く、この風景のなかで異質性を際立たせていた。


 本体の中心には紅玉のような眼球があり、それで正面がどちらかを判別することができる。その眼球は休むことなく動いて周囲を見渡していた。


「えっと、あいつらは……」


「ハル君さ、いい加減、喰禍の名前くらい覚えたら?」


 背後から放たれたその声に、ハルトシは頭に手を当てながら振り返る。


「あはは、あいつらの名前って何だっけ」


「突撃型喰禍、甲蟲こうむだよ。喰禍のなかでは珍しくもない種類で、強さも最下級。よく見る敵だから覚えておいた方がいいよ」


「ウタカって物知りー」


 ウタカ、と呼ばれた少女は胸を張って自身の知識を誇った。


 亜麻色の長髪が背中を流れており、形の良い緑がかった水色の瞳を有している。クシズとは対照的に丈の短い着衣から肌を露出させ、利発で活発な印象を他者に与える少女だ。


 頭に青い小鳥の髪飾りを着け、それを頻繁に触っている。


「そりゃあクシズちゃん、ウタカにかかればこんなの常識だもん」


「よし、甲蟲だったら、あれだけの数でも何とかなりそうだな」


 ハルトシは甲蟲の一群に向き直る。


 二十体ほどの甲蟲はハルトシたちに気付くこともなく草原を徘徊していた。大地から幾つもの小さな楕円形の光が舞うように出現し、その光は甲蟲へと吸い込まれていく。


 甲蟲に光が吸い込まれた後の大地は黒ずみ、草花は枯れていった。まさに世界を食い尽くしていく喰禍は、傍若無人に世界を貪る。


 ハルトシが静かに後ろの三人に声をかけた。


「それじゃ、頼む」


 頷いたキヨラが進み出ると同時に小太刀を抜き放ち、凛とした声を甲蟲に浴びせる。


「あなたたちの狼藉もここまでです!」


 澄んだその声音に反応した甲蟲の群れが、赤い眼球を一斉にキヨラに向けた。二十を超える単眼の不気味な光を目にし、クシズが今にも泣きそうな声を上げる。


「わー! キヨラさん、みんなこっちを見ているよー? これからどうするの⁉」


 キヨラは臆することなく前方を見やる。


「無論、斬るだけです」


 そう言った瞬間、キヨラの姿が消失する。


 紅の帯が地を走ったように見えたとき、甲蟲の一体の身体に刃が突き立つ音が響いた。


 いつの間にかその姿を転移させていたキヨラの小太刀が、その甲蟲の本体に突き入れられている。小太刀が刺された個所から瑕疵ひびが広がり、その甲蟲は爆発するように塵となって虚空へ消え去った。


「ゆきますよ」


 キヨラがそう言ったときには再びその肉体が掻き消え、瞬間移動したとしか思えない速さで別の一体を刃で斬り割いている。


 勢いでスカートの裾が翻り、露わになった白い足が陽光に照らされて眩しい。

塵となって爆散する敵を尻目に、キヨラはさらに別の個体へと斬りかかった。


「キヨラさんて強ーい。あれじゃあ一人でみんな倒してしまいそうねー」


 戦うキヨラを遠目に眺めるクシズが感心して言う。


「キヨラちゃんは強いけど、突出し過ぎかな? 多分さ、ウタカが思うにあと数体倒したらこっちに戻ってくると思うよ? クシズちゃんも準備しといた方がいいんじゃない」


 応じたウタカの声音はその内容に比して軽い。そしてウタカの言葉通り、キヨラの戦闘に転調が訪れていた。


 十二体目の敵を倒したキヨラへと甲蟲の反撃が始まった。甲蟲の眼球が発光すると、赤い光弾がキヨラ目がけて発射される。


 四方から迫る光弾をキヨラが回避。それまでキヨラがいた地点に光弾が着弾すると、爆発が土煙を噴き上げた。


 だが、キヨラが高速移動した先にも光弾が殺到し、危うくキヨラが姿を消して逃亡。次にキヨラが現れたのは、日傘を差した少女、クシズの背後だった。


「飛ばし過ぎて少し息切れしました。クシズさん、お願いします」


「ええー⁉ キヨラさん、それはないよー」


 喚きながらクシズが日傘を傾けると、キヨラを追って放たれた光弾がその日傘に直撃。


 爆発が二人の華奢な肉体を押し包んだかに見えたが、爆炎がそよ風に吹き消された後から無傷の二人キヨラとクシズが現れる。


 続けざまに光弾が殺到するも、すべてクシズの日傘に防がれて少女たちの身を害することはなかった。


「ひえー! 攻撃が集中しているんですけどー! ウタカ、何とかしてー」


 攻撃を完璧に防ぎながらもクシズが泣き叫ぶ。


 ウタカが日傘の後ろから顔を出して甲蟲を眺めた。


「はーい。ウタカにお任せ」


 ウタカが日傘から身を乗り出す。ウタカが小鳥を模した髪飾りに手を触れると、髪飾りが淡く発光した。


 ウタカが甲蟲を指差すと、その指先から黄色の光弾が射出される。四発の光弾が甲蟲の一群に炸裂し、黄色い爆光が黒い姿を飲み込んだ。


 立ち上る白煙と甲蟲の末路である黒い塵が混ざった二色の幕を割り、生き残った三体が突き進む。


「まだ残っていますけど、ウタカー?」


「ただいま充填中でーす」


 光が弱まった髪飾りを指差しながらウタカがクシズの背後に隠れる。


「あれだけなら私だけで充分です」


 クシズが弱音を吐く前にキヨラが進み出た。


 その語尾が空へと溶けると同時、キヨラの本体も消失。紅の残像が尾を引いてキヨラの軌道を追い、その実体は甲蟲の一体を擦れ違いざまに斬り捨てていた。


 続いて繰り出された二条の剣閃けんせんが残りの敵を斬り裂き、漆黒の塵がその死を彩る。風に流れる黒き暗幕のなかで佇立するキヨラの紅の頭髪が映えていた。


 甲蟲を全滅させたキヨラへとクシズとウタカが駆け寄る。


「キヨラさん、お疲れさまー」


「今日は簡単だったね」


「ええ。……斬るなら簡単です」


 三人が言葉を交わし合っていると、ハルトシも三人に合流した。


「三人ともごくろうさん」


「ウタカにかかればこれくらい楽勝よ」


「ほとんどキヨラさんが倒してくれたじゃないー」


 背を見せてキヨラが先に歩き出し、ハルトシが慌てて声をかける。


「キヨラ?」


「仕事は終わったのです。とっとと帰りましょう」


 その雑談を拒否するような背中を見やり、ハルトシはこっそり溜息を吐いた。

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