第7話

「昨日は、風邪ひいただけだよ」

 美麗はそう言って、光輝に目を向けた。

「そう。大丈夫?」

 光輝がそう言うから、美麗は頷いてまた机に目を戻す。早く、自分の席に戻ってくれないかと願うが、それよりも前に彼女がやってきてしまった。

「何してんの〜?」

 光輝に腕を絡めて、美麗を射抜くような目で見る。心臓がキュッと冷えて、止まったような気がした。美麗は首を振って、リュックから教科書を取るフリをして目を背けた。

 彼女は美麗を一瞥して、光輝の腕を引っ張って連れていった。美麗は小さく息をつく。

 午前中の授業を無事に終えて、机の横に掛けたリュックから弁当を取り出した。弁当を包む布をといて、蓋を手に取った瞬間、彼女たちが近寄ってくる。

 冷たい空気と、若干の緊張感。

「ちょっと、来て?」

 外面はにこやかに、美麗に告げる。

 いつもよりも嫌な予感がして、変な音をたてる心臓が痛い。

「……だからさ、光輝くんは、あたしの彼氏なわけ。なんで近づくの? 汚えなぁ」

 クラスで一番美人で、クラスで一番怖い、彼女が言う。体育館の裏側の目立たない場所で美麗を壁際に追い詰める。

 綺麗に整った顔を歪めて、美麗を憎々しげに睨みつけた。

 美麗の制服のシャツを華奢な手で掴んで揺さぶり、体育館の壁際に美麗の身体を打ち付けた。頭の後ろと肩のあたりに強い衝撃を受けて、心臓が跳ねる。

 ズキズキと痛む身体が、なにか警鐘を鳴らした。

 そのまま美麗を壁に縫い付けて、彼女―――花梨はわらった。

「スマホ、持ってるよね?」

 金魚の糞たちにそう言って、美麗の身体は抑えたまま、制服だけをグイグイと引っ張った。セーラー服のリボンが解ける。

 胸元まで引き裂かれそうな勢いで、慌てて止める。

「……止めて……っ」

 細い悲鳴を上げて美麗が手を振り回すと、何か柔らかいものに思いっ切り当たって、胸元の手が緩んだ。そのすきに花梨の肩を押し倒して、必死に走り出した。

 元々得意な走りだが、それでも何人かは美麗の肩を掴む。それも振り払って、走る。

「はっ……はっ……!」

 玄関のドアを引いて、一気に階段を駆け上がる。

「けほっ、…………」

 やっと自分の部屋に辿り着いて、しゃがみ込んだ。

「美麗〜? どうした?」

「なんでもっ、ない……っ」

 今日もサボったらしい兄が、控えめにドアをノックしてくる。息を切らしながら、どうにか兄に答えると、階段を降りていったようだった。

 そのまま、外が暗くなるまで座り込み、母親が帰ってきた。

「ちょっと美麗! どういうこと?」

 部屋のドアを叩いて、母が言う。美麗は見えもしないけれど、首を振った。

「学校で、何かあったの?」

 ドアのノックを止めて、母が伺うように聞いてきた。

「違う。お腹、痛くて、気持ち、悪くて……」

 そこで母がドアを引き開けて、部屋にズカズカと入ってくる。美麗の顔を覗き込んで、また同じことを聞く。

「なんにも、ないってば! 部屋、入って来ないで!」

 美麗も苛立って、声を荒げる。母親を無理矢理部屋から追い出して、また座る。母も諦めたようで、部屋を出ていった。

 ぎゅっと身体を抱え込んで、こみあげてくる気持ち悪さを抑える。さっきの光景、あれからされたであろうこと。

「うっ……、」

 口元を抑えていた手を離して、荒い息を繰り返した。心臓はずっと早鐘を打っていて、捻られたように痛い。

「死ね、死ね、死ね……ぅ」

 ―――こんな私、

 嗚咽を漏らしながら、美麗は自分を傷つけていく。

「死ねば、いいのに」

 ―――でも生きたい。

 その言葉を言う度に、生きていたくなる。生きるのをやめたくなくて。

 多分、着ているセーラー服のリボンで首を吊れば、できる。多分、机に置いてあるハサミで深く首を斬れば、できる。

 それでも、それでも。

 苦しませた彼女たちは何事もなく明日を迎える。自分は夜を明かすこともないまま、全てを終える。

「嫌だ……」

 ドアが、ノックされる。

「美麗、学校から電話で……―――」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る