七章 本性
劣等感
十二月になった。近藤は、なぜだかすっきりとしなかった。心なしか筋肉も元気がない。冬の午前、冷え込みはするし妙に物悲しい空気になる。しかしそれが原因とも思えなかった。間違いなく苛立っている。近藤は自販機の前に立つ。眠気覚ましに缶珈琲を買ってすぐ、金色の缶に能勢の顔がうかんだ。スチール缶が掌のなかでみしっと音を立てた気がする。
どれだけ自分に言い訳をしようと試みても、苛立ちの原因は明確だった。
能勢が、気に入らない。
何をやらせても有能、見た目もよく、なによりも馬場に気に入られている。そう思うと自分が買った珈琲が微糖で能勢がいつも飲んでいるのが無糖であることにさえ腹が立つ。近藤は自分が能勢より勝っていることを探した。筋肉と、デスクの清潔さと、人脈。それだけでは足りない。が、自分がほかに何で勝るだろうと考えると全く心当たりがない。どうしても馬場を手に入れたいのだが。近藤は、この時間に馬場が刑事部屋の前の廊下を歩いていることを思い出した。こんな時間に彼女がこんなところに用があるとも思えない。きっと能勢が気になっているのだろう。
外から誰かが歩いてくる音がした。近藤に、飛び出していって想いを告げる勇気は、ない。忙しなく辺りを見回した。すると今まさに煙草を吸いに行こうとする石倉を見つけた。
「班長」
近藤は石倉を呼び止めた。
「この署の女性事務員、美人ぞろいですね」
自分でもかなり無理があるとわかった。冷や汗が出る。だいたい美人ぞろい、でもなんでもない。馬場以外に、どこに美人なんていただろう。
「そうだなあ。大いに賛同するよ」
なんと石倉は食いついてくれた。近藤は石倉のストライクゾーンの広さに内心で驚嘆した。「長身で才色兼備の馬場女史、ふっくらボディが魅力の高橋女史、そばかすがチャーミングな」と石倉は喋り続けている。石倉がバツ三の理由がわかった気がしたがここは素直に感謝しておこう。と、ここで石倉が。
「ところで近藤君はだれが好みなんだい」
丁度、馬場らしき人物の足音は部屋の前辺りだった。近藤は内心沸き立つのを必死で押さえ不自然がないよう細心の注意を払い言った。
「俺は、その。馬場さんに好意のようなものをもっているんです。しかし。能勢と仲がいいでしょう。先輩ならば能勢を応援してやろうと思うんですがね、こう、男としては引き下がれんのです」
「へえ、若いねえ。ま、ぼくはどっちも応援するけどね」
どうやってだよ、という言葉は飲み込んだ。
石倉が喫煙所へと去った後、近藤は体中から沸き上がるむずむずとした感覚を楽しんでいた。我ながらに上手くいった。役者になれるかもしれない。今なら恋する乙女が頬に手をやる気持ちも解る気がする。と、同時に。これでは不十分じゃないかと不安になった。今、馬場の中に「近藤」と「能勢」という選択肢があるにしよう。これだけでは確実でない。あとは、馬場の中で「能勢」の評価が下がるように事を運ばなければ。
すると、目の前を同じ班の茂谷が通った。近藤は思わずにんまりとした。自分の中にある黒い策略を止められはしなかった。
「茂谷か」
「ちーす。近藤さんなんか疲れてるっすね。犯人はあのコケシ男っすか」
「ん、ああ。少しな」
近藤はあえて茂谷を注意しなかった。「コケシ男」という言葉が妙に気に入った。目の前の茂谷は能勢の悪口を得意げにばら撒いている。いい調子だ。
「あれもな、もう少し人付き合いというものをすればいい」
「ホントっすよね。挨拶はしないし目は死んだ山羊だし。あ、ほら。廊下とかですれ違うとき露骨に避けてくるでしょ。マジあり得ねえって話っすよね。大人だろって話しっすよ。あーあ馬場さんはアレの何処が気に入っちゃったんだろう」
「俺にもわからん。あの調子だから刺されて離婚するんだ」
近藤は俯き腕を組むふりをして、茂谷の顔を観察した。満面の笑顔の後「マジッすか」と嬉しそうな声を出していた。成功だ。念のため茂谷のような人間の好物もまいてやる。
「ああ、悪い。今聞いたことは忘れてくれ」
「了解っす」
茂谷は今にも踊りだしそうな様子で去っていった。どんな人間にも使い道はある。それに、自分は真実しか言っておらず、また能勢に秘密にするよう頼まれたわけでもないのだから責任は負わない。近藤は、首筋を掻いた。デスクに戻って茶を一息に呷った。
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