第73話 決戦前夜

もしかしたら彼が来ているかもしれないなんて淡い期待を抱いてお気に入りの料理店に行ったが、彼らしき姿は見当たらなかった。


そんな巡り合わせが良いなら、教会で今こんな目にあってないだろうと心の中で自嘲する。


心を切り替えて食事に集中することにする。今日はあのタヌキ親父のせいでお昼抜きになったからお腹が悲鳴を上げている。あいつが気絶していたと聞いた時は嬉しかったが、こんな目に遭うんだからやっぱりあいつに関することは悲報でしかない。


「お待たせしました」

「ありがとう……へっ!?」


料理を持ってきてくれた店員さんの方を振り向くと、一瞬、ほんの一瞬だけ彼に見えた。だけどその店員さんは女性だし、顔も似ていない。だからなんで見間違えたんだろうと不思議で仕方がない。彼に会いたすぎて都合のいい幻覚が見えてしまったのなら流石に重症すぎる。


人違いしてしまったことを彼女に謝り、改めて食事に集中しようと思った瞬間、アタシの第六感が彼女に相談するべきだと囁いた。エリス様の御言葉ではなく、自身の第六感に従ってアタシは行動に移した。


結果、彼女はアタシの悩みに対してすぐに回答をくれた。まるでその経験があるかのように。


もしかしたら適当に答えたのかもしれない。そりゃそうだ。全く知らない人からの相談なんて、シスターでもない彼女がプライベートで真面目に対応する必要も道理もない。


だけど彼女の答えは何故かアタシの心にスッと入ってきた。自分に都合の良い回答だったからだろうか。それでも良い気がする。だってそれがアタシの本心だと言うことなのだから。


料理を食べ終えたアタシは、教会の近くに建っている信徒専用の宿舎の自室に戻った。そして厳重に保管しておいた例の本を取り出す。


これを証拠に教団の悪事を世間に公表すれば、司祭たちの暴走を止めることができる。しかし、それをしてしまうと、この教団自体の存続が危ぶまれる。


『シルヒちゃん、ダメよ。そんなことをしたらエリス教団の信頼は地に落ちてしまうわ。そんなことになったら私に対する信仰心が無くなっていて、私の力も無くなっていくわ。そうしたら地上に干渉できなくなる。シルヒちゃん、あなたに信託を授けることもできなくなるの』


エリス様のお声が聞こえる。だけどそれはいつもとは違い、どこか懇願するようだった。まるで、普段アタシたち人間が神様に祈るような感じ。


『もっと良い方法があるはずよ。ほら、ライクくんに頼ってみるとかどう? 彼、私の見立てだと勇者だと思うなー。ううん、ぶっちゃけて言うね。彼は本当に勇者なの。だから、ね? 勇者に任せましょうよ』


エリス様がこれまで嘘を口にされることはなかった。だからライクが勇者であることも真実なのだろう。だけど、あの人に頼ってみようとは思えなかった。そっちの道に行くと、アタシは引き返すことができないような気がした。


『その本だって出どころ不明の怪しい物じゃない。もしかしたらシルヒちゃんは、あのリオンって子がその本をあなたの机の引き出しに置いていったと思っているんだろうけど、それってどうなのかなぁ。もし本当にあの子が置いていったんだとしても、彼を信用しても良いの? もしかしたらあの子はあいつらの味方で、その本は罠かもしれないよ?』


先刻、アタシの相談に応じてくれた少女の言葉を思い出す。「あたしたちは誰かに操作されるキャラじゃないんですから」。その言葉がアタシの脳内でリフレインしており、エリス様の御言葉を妨害する。


信託を授かることができた日から、いや、その前からアタシは敬虔な信徒として、エリス様の教えに従って行動してきた。


もしかしたら、アタシはエリス様の操り人形だったんじゃないだろうか。エリス様にその御意志はなかったとしても、結果としてそうなってしまっていたんだと思う。


「アタシはアタシだ」


自分を生かすも殺すも自分次第。それを今更になって知ることになるとは。彼の雰囲気に似たあの少女に感謝する。


「アタシの人生はアタシのものだ。この権利は誰にも譲りたくない。この気持ちは、誰にも譲りたくない!」


本を小脇に抱えて、宿舎を出ていく。外は真っ暗だ。まるでアタシの未来みたいだ。もしかしたら間違った道を通っているのかもしれない。けど絶対にあるはずなんだ。その先に明かりが。


それを掴み取るのは、アタシ自身の手だ。




* * * * *





想定より遅くなってしまった。お父さんが待っているはずのお店に行ってみると、ちょうど入口からライクが出てきた。


「ミリヤ! なかなか戻ってこないから今から探しに行こうと思ってたところなんだよ。無事みたいで安心したよ」

「ごめんね、ライク兄ちゃん。ちょっと寄り道しちゃって」

「いったいどこに行ってたの? ガルドさんに聞いても知らないの一点張りでさ」

「うーん、内緒っ」


お兄ちゃんのところに行っていたなんて正直に答えるわけには行かないから、適当に返事をする。すると、ライクは頬を高調させた後、はっと我に返って訝しげな様子で聞いてきた。


「ミリヤ、なんかご機嫌じゃない? 良いことでもあったの?」

「うん、そんな感じかな。ライク兄ちゃん。あんまり女性にしつこく聞くのはマナー違反だよ。ケンガさんみたいで嫌だ」

「うっ、師匠みたい……ご、ごめん。分かったよ、もう聞かない」


ケンガさん見たいと言われたのが相当ショックだったのか、ライクは顔色を青くしてそれきり黙り込んだ。


店内に入ると、目が合ったお父さんが苦笑を浮かべながら手を挙げた。あたしはお父さんの隣に座り、お父さんだけが聞こえるくらいの声量で話す。


「遅かったなミリヤ。そろそろ帰ってくれねえかなっていう店員さんの視線を長時間注がれるのはなかなかこたえたぞ」

「ごめんね、お父さん。でもちゃんとお話しできたから」

「……そうか。一緒ではないんだな」

「うん。でも明日会いに来るって。ふふ、今から緊張してたよ」

「ガハハ。まあ、こっちは家出していったバカ息子を優しく受け入れるだけよ」

「優しく受け入れてあげられるの?」

「ん? どういうこと……まさか、お前たち! ……まあ、お前の気持ちには気づいていたからな。それにあいつのこともよく知っているし、どこの馬の骨か知らん奴よりかは何億倍マシだし、二人が良いなら……だけど、はぁ、想定より少し早いなぁ」


大きな体を持つお父さんが、今だけ何故か少しだけ小さく見える。


「今日は背中洗ってあげようか?」

「やめてくれ。本当に悲しくなってくる」

「ふふ」


結婚する前に死んじゃったけど、前世のお父さんもこんな感じになっていたのだろうか。……想像できないや。あたしが誰かと結婚するなんて。……ん? 結婚?


「お父さんお父さん。あたし、まだ結婚しないよ?」

「……へ? だけどお前、今そういう話をしていたんじゃないのか? あいつのことが好きなんだろ?」

「べ、別にそういうんじゃないもん! ただ一緒にいたいって、それだけだもん! だからお父さんが思っているようなものじゃないの!」

「……うーん、これは。お父さん、別の悩みができてしまったみたいだ。だけどこの悩みが解決したら……はぁ。これが父親という立場の苦悩なんだろうなあ」


なんでかお父さんが頭を抱えちゃった。どうしちゃったんだろう。


「ね、ねえミリヤ。さっき、け、『結婚』って言葉が出てこなかった……?」

「気のせいだよ」

「えっ、でも確かにさっきこの耳で」

「気のせいだよ」

「僕は耳には自信があって」

「ライク兄ちゃん、しつこいよ」

「……はい」


乙女(とおじさん)の秘密の会話を盗み聞くなんて最低だ。やっぱりライクはケンガさんの弟子なんだなと再認識する。


そういえばもう一人弟子がいたんだった。だけど、あっちはまともだもん。なんせ大事な妹がずっとそばにいたからね。

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