第56話 嫉妬

宿に戻った瞬間、ウィルに正面から抱きしめられた。


「ウィル?」

「申し訳ありません。今はこうしていたいです。ダメでしょうか」

「ダメなんかじゃないよ。むしろ嬉しいかな」


俺がそう言うと、ウィルは顔を綻ばせ、抱きしめる力が強くなった。


「どうしたの急に」

「……わかりません。今までの自分にはなかった感情で、非常に困惑しています。先ほどの、リオンさんとあのシスターの方とのやりとりを見ていて、こう、胸がキュッとなりました」


それって……嫉妬? でも以前、エルフ族にそのような感情は無縁だと言っていた気がする。


もしかしたら、人間社会で生きていく内に、ウィルも変わっていっているのかもしれない。エルフの里ではありえなかったことを多く経験することで、考え方や抱く感情も変わっているのだ。


環境は人を変えやすい。俺も、この世界に来てから向こうの常識を忘れつつある。何かを考えるとき、魔法なんて選択肢はありえなかった。


嫉妬を抱くようになったのは……いい変化だと言えるかは分からないが、悪い方へ変わってしまわないよう、互いに見守るしかないだろうな。


「リオンさん。もしかして、これが嫉妬というものなのでしょうか?」

「そうかもしれないね。俺が言うのも恥ずかしいけど」

「そうですか……これが嫉妬。少し嫌な感情ですが、どこか嬉しさも感じます。だって、私はこんなにもリオンさんを想っているのだと自覚できましたので」

「ウィル……!」


目の前の少女を非常に愛おしく思い、俺もウィルを力強く抱きしめる。そして、そのまま唇同士を触れ合わせる。


「リオンさん……私……」


ウィルの顔から離れると、とろんとした目で見つめられる。彼女の言いたいことは分かっている。だけど、


「何?」


ちょっと意地悪をしてみる。


普段ならこのままベッドへ……という流れになるはずなのに、俺がとぼけたために、ウィルはその紅顔を俺の体に押し付ける。


「リオンさん意地悪です……」

「何が意地悪なの?」

「それは……うぅ……」


ウィルの泣きそうな声を聞き、俺は少し慌てて頭を撫でる。


「ごめんごめん。ウィル、ベッド行こ」

「……連れて行ってください」


少しいじけたように言うウィルが珍しく、俺は破顔しつつ彼女の体を抱き上げ、そのままベッドへ向かった。




* * * * *




俺は昨晩学んだことがある。


夜のことでウィルを揶揄ってはいけない。


ウィルをベッドに運んだ後、俺は彼女の真髄を見た。今までのはまだ本気ではなかったのだ。


乾く暇もないなんて表現もあるが、あれは相手がそれだけ複数いるという意味なわけで。それを明方まで一人に対してされるとは思わなかった。


「んぅ……リオンさん……まだ、ダメですよ……」


隣で寝ている彼女の口から漏れる寝言から、彼女はまだ底を見せていないことがわかる。まだ昨晩はウィル一人でよかったかもしれない。ここにカナリアが追加されたら……


やはり、嫁は二人までだな。これ以上は増やせない。昨晩、ピロートークで交わしたウィルとの会話を思い出す。


「リオンさんはあのシスターさんをお嫁さんにされる気なんですか?」

「え、全然。なんで?」

「だって……いえ、私の勘違いだと思います。あ、でも、私は三人目のお仲間ができても大丈夫ですよ」

「嫉妬を覚えたのに?」

「はい。嫉妬を完全に悪い感情だと、私は思えません。それに、リオンさんの魅力を共有できる方が増えるのは喜ばしいことです」

「少し恥ずかしいな。だけど、流石に俺にはこれ以上お嫁さんをいただく甲斐性はないかな」


甲斐性とは経済的な意味合いが強いが、俺たちの場合は夜のことが結構重要そうだ。


ウィルは「そんなことはないと思いますけど」と言っていたが、そもそも二人でも多いと感じている。ここは前世の常識がまだ残っている部分だな。


さて。あまりシルヒとは関わりたくないところだが、俺がここに来た目的はシルヒが属しているエリス教団だ。今日は早速、教会の方へ行ってみることにする。


「んっ……おはようございます、リオンさん」

「あ、おはよう。今日はぐっすりだったね」

「それはだって……リオンさん、やっぱり意地悪です」


最中以外は恥ずかしくなるウィルは可愛いな。俺が反撃に出れるとしたら、最中にもウィルが恥ずかしがるようなことをすることぐらいだろうか。


っと、朝からそんなことを考えている場合じゃない。


「今日は教会に行ってみようと思うんだ」

「教会ですね、分かりました。昨日のシスターさんもいらっしゃるでしょうか」

「正直いないと助かるかな」

「リオンさんは、どうしてあの方を避けているのですか? お知り合い……のような感じでありませんでしたね」

「うーん……ただの勘だよ。何か面倒ごとに巻き込まれそうな感じがするだけ」

「リオンさんは常に厄介ごとに巻き込まれているように思います。私が原因のものが多くて、申し訳なくなるくらいに」

「ウィルは身内だから、それくらいは許容範囲だよ」

「リオンさん……愛してます……!」


ウィルに抱きしめられたので、俺も抱きしめる。そして自然な流れで唇を交わし、そのまま……


「さ、さあ朝ご飯でも食べに行こうか。宿の人に聞いたけど、隣の店が朝限定のメニューを出しているらしいぞ。無くなってもいけないし、少し急ごう」

「限定メニューですか!? それは非常に楽しみです」


ウィルはさっきまでとろんとさせていた目を輝かせ、ベッドから飛び出て準備を始める。俺はそれを見てほっと胸を撫で下ろした。


危なかった。空気に流されるままに、朝からおっ始めるところだった。


うまく回避できたものだと内心で自画自賛をしていると、宿が準備していた寝巻きから着替えているウィルがこちらを振り返り、


「夜も楽しみにしていますね」


と言い、赤くなった顔を隠すように勢いよく顔を背けられた。


回避できたのではなく、後回しにしただけなような気がする。しかし、楽しみにしている自分もいるのだった。




* * * * *




ここ、ハンパルラの中央には街のシンボルとも言える大きな教会が立っている。そこに通う者たちは皆、女神エリスを敬い、信奉している。


そして、その者たちは通称エリス教団と呼ばれている。


女神エリスによる恩恵だが、人によって言うことが違ってくる。災害から身を守ってくれた。日照りが続く大地に雨を降らせてくれた。家族の悩みを解決をしてくれた。彼らから聞かされるその恩恵の規模は小さなものから大きなものまで、種類自体も多種多様だ。


だから、エリス教団の代表である司祭は言う。女神エリス様は全人類にあらゆる恵みを与えてくださる慈悲深きお方だと。


更に言う。だから我々人類は、感謝と共に、恩恵を未来永劫授かることができるようお願いするために、女神エリス様に大金を捧げるべきなのだと。


彼ら曰く、慈悲深きお方はお金次第で恵みを与えなくするらしい。傍から見ればアホらしいが、それでもその恩恵に救われた人たちには真剣な話だろう。


実際、女神エリスに救われたと言う人は少なからずいるのだ。しかし、それら全てが本当に女神エリスのおかげかは分からない。


女神エリス様のためにと捧げられたお金は、全てエリス教団の懐に入っている。だからエリス教団は考えた。自分達で悩みを作り、それを解決すれば信者を簡単に増やせるのではないかと。そして、もっとお金を稼げるのではないかと。


そんな危ない思想を持った奴らの総本山に、俺たちは今、足を踏み入れようとしている。


緊張する……しかし、カナリアの故郷のために、ここは男を見せるところだ。


常に開かれている教会の大きな扉をくぐると、中には煌びやかな聖堂が広がっていた。この内装を作るのにどれだけのお金がかかっているのだろうか。


「うわぁ、綺麗ですね」

「そうだな」


高価な品々によって壮大さを演出されていても、実態を知っている身としては、汚いお金が飾られているようにしか思えなかった。


さて、今日はこの教団の実態を探るために来たのだが。どこから手を付けたら良いものか……


「あ、あんた! どうしてここに!? も、もしかしてアタシに会いに!? でもどうしてここにいるって……探ったのね!? 街中で聞いて回って、アタシの居場所を突き詰めたってことね! そ、そんな情熱的な姿勢を見せられても、アタシは靡いてなんかやらないから! ま、まあでも? せっかく来てくれたわけだし、少しくらい話を聞いてやってもいいわよ? 少しだけよ? でも、少しくらい延長してくれてもいい、かも。えへへ」


早速、厄介なやつに見つかってしまった。


「シスターさんの格好をされていたので、居場所は誰でも一目瞭然だと思うのですが……」


隣でウィルがボソリと呟いたツッコミはなかなか鋭利なものだったので、それは本人には言わないであげてねと言っておくことにした。

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