第16話 きっとそれは愛なんだ

「もう安心してください」


どこか安らぐ声。しかし、この世のものとは思えない、畏怖を感じてしまうような声が突如耳に飛び込んできた。


声の方にバッと振り向くと、そこには先ほどまで戦っていた狼がいた。しかし、あの禍々しいオーラは消え、神々しさだけが残っている。


気づけば、蔓から敵意は感じず、森の奥へと消えていっている。


「正気に戻られたのですね」


ウィルがそう聞くと、狼はゆっくりと頷いた。


「はい。あなたたちのおかげで、私にかけられていたあの魔物の洗脳が解けました」

「やはり洗脳されていたのですね」


悪しき心の正体は、グェルによる洗脳だったのだ。森が腐り始め、森の神様が弱っていたからこそ、洗脳が有効的だったのだろう。そして、だからグェルの制御下にあったわけだ。しかし、それによってグェルがこちらに意識を集中させている時、森の神様たちを制御することができなかったのが救いだった。


「エルフの民には迷惑をかけました。私は生まれた時から君たちを守る存在だった。絶え間なく君たちに加護を与える、それが私の生まれた意味。……だが、ここ最近の森の衰退により、私の力も衰えてきた。しかし、エルフの民に加護を与えることをやめられない。そのように生まれたのだ。私は止める術を知らない」


森の神様の存在意義とは、結局この世界を作った人、つまり俺の前世において『エルドラクエスト』を作った人たちの思惑でしかない。


「私の力は衰えていく一方だった。そんな時です、奴が来たのは。『エルフから力を奪い返せばいい』、奴はそう言いました。私は当然拒絶したのですが、気づけば奴の言いなりとなっていました。抗う力もなかったのか、私にはよくわかりません」


そこもシナリオ通りに事が運ばれたということだろう。


「ですが、あなた方が奴を御してくださったおかげで、洗脳から解放されました。そして、リオン殿。あなたが行ってくださいました間伐のおかげで、この森は今後回復傾向に入るでしょう。すぐに回復するとは言えませんが、もう大丈夫です。……ただ、今後またこのような事態になる可能性があります。エルフの民が私を攻撃できないという制約も、私が設けたものではありません。そのため、制約を失くすこともできず……」

「それについては、私に考えがあります」

「本当ですか、リオン殿。あなたには感謝してもしきれませんね」

「いいえ。……ただ、ウィルの今後はどうすればいいのでしょうか。彼女は、俺のために、いや俺のせいであなたの加護を貰えなくなってしまいました。このままでは……」

「リオンさん、気に病まないください。私は後悔しておりません」

「ウィル……」


笑顔を見せてくれるウィルだが、やはりどこか元気はない。それもそのはず、彼女は今後、生きるための力を与えられないのだ。つまり、近い内に彼女は……死ぬ。


悲壮感を漂わせる俺とウィルに対し、森の神様は落ち着いた口調で言う。


「リオン殿。あなたはウィルのために、その身を捧げる事ができますか」

「はい、もちろんです。ウィルは俺の命を二度も助けてくれました。この命を一度捧げても返しきれない恩があります」

「……そうですか。でしたら、大丈夫です」

「へ?」


森の神様の言葉の意図がわからず、ウィルと顔を合わせて首を傾げる。


森の神様が深く頭を下げ始めた。


「改めて、この度は私たちを助けていただきありがとうございました。この後のことは、里の長である彼女に任せることにします。また、お会いできる時を楽しみにしています、リオン殿、ウィル」


礼を言われたと思いきや、森の神様はその狼の姿を飛散させるように消えていった。


俺たちは困惑しながらも、森の神様の言う通り、この後のことを委ねるために里の長、つまり女王のもとへ向かうことにした。




* * * * *




女王の間に到着した俺たちを見て顔を一瞬綻ばせた女王だったが、俺の体に気がついて焦っていた。


それは一旦置いといて、俺たちは先ほど起こったことを全て話した。


間伐の作業がほとんど終わっていること。


再び蔓に襲われたこと。また、森の神様の化身である狼に襲われたこと。


黒幕である魔物グェルが現れたこと。そいつを倒したことで、洗脳下にあった森の神様が解放されたこと。


……今後ウィルが森の神様の加護を授かる事ができないこと。


一通りの報告の中で、女王の表情はコロコロと変わっていた。そして今はうーんと何かを考え込んでいる。情報を整理しているのだろうか。


しばらくの沈黙の後、女王が口を開く。


「リオンさん、ウィル、本当にお疲れ様でした。これで里に再び平和が訪れるでしょう。やはり、リオンさんには何か他人とは違うものを感じていました」

「私は勇者ではありませんよ」

「承知していますよ。ふふっ。そこではないのですよ。何が違うのかは分かりませんが。女王の勘ですかね」


もしかして、俺が転生者だと直感で見抜いているのか? 明確にはわかっていないみたいだが。


「しかし、魔物のせいだったんですね。侵入に気づくことができなかったとは、情けなくありますね」

「奴は戦闘力こそありませんでしたが、狡猾な奴でした。おそらくその辺のことに長けていたのでしょう」

「あら、私をフォローしてくれるの? 優しいのね、リオンさん」

「い、いえ」


女王のほんわかとした感じに調子を崩されてしまう。そんなことより、俺は早くあの話がしたいのだ。


それを察しているのか、女王は柔らかな微笑みを見せる。


「安心してください、リオンさん。それにウィル。ウィルはこの先も生き延びる事ができます」

「えっ!」

「女王様。それは本当なのでしょうか」


隣でウィルが驚きの声を上げる。俺も声を上げるところだったが、冷静に確認を取る。


「はい。このような冗談は言いませんよ。……時に、ウィル。あなたはリオンさんと一緒にいて、気持ち良いと感じたことはありませんか?」


女王の問いを受け、少し考え込んだウィルの顔は次第に赤みを増していく。そして恥ずかしそうに俯きながら「はい」と答え、言葉を続ける。


「リオンさんに、その、頭を撫でていただいたり、抱擁させていただいた時に……で、でも、一緒にお話しさせていただいている時にリオンさんの笑顔を見た時も……その、心地よかったです……うぅ」


言い終えた頃には、ウィルの耳の先まで赤く染まっていた。俺も顔が熱くなるのを感じる。


そんな俺たちを見て、女王はクスクスと笑っている。周りの近衛兵もあらあらといった表情を浮かべている。


しかし、これはどういった質問なのだろうか。話の流れに合っていないように思える。疑問を口にしようとした瞬間、女王が口を開いた。


「やはりそうでしたか。ウィル。エルフ族の中には、この森の外で暮らしている者もいると話した事がありましたね」

「は、はい。以前、そのようにお聞きしました」

「我々は森の外に出ると、森の神様の御加護をいただく事ができません。ではなぜ、彼女らは森の外で暮らしていけるのか。それをお話ししたいと思います。——御加護の代わりに、人間からの愛をいただいているからです」


愛!? 何故そこで愛っ!?


呆然とする俺たちを置いて、女王は話を続ける。


「森の神様の御加護も、言い換えれば森の神様の愛なのです。ウィルがリオンさんと一緒にいて気持ち良いと感じたのも、リオンさんから愛を受け取ったからです。森の神様の御加護をいただいている間は、人間からの愛は活力そのものにはなりませんが、快楽のようなものは感じるのです」


女王の話を受け、少し納得のいっている自分がいた。


どうしてエルフ族はあんなにも性に積極的だったのか。


もちろん子を残したいという本能からくるものもあるかもしれない。近くに男がいないのだ、少ない機会を活かそうと積極的になるのも頷ける。だが、搾り取るほど自制が効かないのか? と疑問に思っていた。


セックスをする相手に愛を感じるという話を聞いたことがある。ましてや、エルフ族の容姿は非常に優れている。彼女らを抱いている間、ほとんどの男たちは彼女らに愛を抱くだろう。そして先ほどの女王の話。つまりは、エルフ族がセックスの際に受け取る快楽は桁違いなのだろう。


あれ? マジでエロフじゃね? と思ったが、流石に口には出せない。


しかし、疑問に思うことが一つあった。俺はそれを投げかける。


「女王様。エルフが人間の愛を活力にして生きることができることは分かりました。それで、その愛を捧げる人間というものは誰でもよろしいのでしょうか」

「いいえ。エルフ自体もその者を愛していないといけません。受け取る快楽自体も、エルフがその者に抱く好意によると言われています」


ふーん、そうなのね。……あれ? ならウィルは俺のことを……。


横目でウィルの顔を覗くと、彼女の顔はこれ以上ないほどに紅潮しており、その目には涙を浮かべていた。思わず視線を逸らし、話を続けることにする。


「であれば、そのエルフの寿命は愛の供給元となる人間の寿命に依存するのではないでしょうか」

「……はい、その通りです」


女王が纏っていた空気が、柔らかいものだったのが重いものに変わるのを感じた。


「私たちエルフ族は、人間の平均寿命の約5倍生き長らえると言われています。そのため、人間からの愛に依存した方法は、あまり推奨されるものではないのです。もちろん、新しく愛し合える人間を見つけることを繰り返すことができれば、本来の寿命くらい生きることができるかもしれません。ですが、このような生き方に変えた者で、新しいパートナーに出会えた方はかつて一人もおりません。皆、最初のパートナーの方と共に最期を迎えています」


ここで女王が一呼吸置き、ウィルをまっすぐ見据えて問う。


「ウィル。あなたには苦労をかけて申し訳ないと思っています。ですが、決めていただかなくてはなりません。この先、リオンさんと苦楽を共にすることができますか?」


顔から赤みが引き、真面目な表情を浮かべるウィルは答える。


「私は……まだ愛というものがよく分かっておりません。ですが、リオンさんと一緒にいて嬉しい気持ちになることが多くありました。ご支援させていただきいと思うことも。……この先、どのようなことが起きようとも、リオンさんのお側にいられることができればと思っています」

「……ありがとうございます。あなたから、そのような言葉を聞けて安心しました。ウィル。あなたは前から外の世界に興味があるように思いました。なので、リオンさんのお世話という体で行動を共にさせることが、何か良い作用になるのではと思いましたが。ふふっ。そう。あなたは愛を知ったのですね」


再び顔を紅潮させるウィルと、そんな彼女を慈愛に満ちた表情で見つめる女王は、まるで親子のようだと俺は思った。


女王は次に俺の方を向き、真面目な顔で問う。


「そして、リオンさん。あなたからもお聞かせください。この先、ウィルに無償の愛を提供することはできますか」


俺は一度深呼吸をし、自分の心に問うてみた。すると、自然と口が開いて言葉が出てくる。


「ウィルには二度も命を救われました。この命を彼女に捧げることに何の躊躇いもありません。……それに、彼女を好ましく思っています。ウィルは優しい心の持ち主で、常に私のことを気遣ってくれました。責任感も強く、自分の身が危険に晒されようと、最後まで私と一緒に問題の解決に付き合ってくれました。そして、何より可愛らしいその姿、心に魅了されていました。……私にできることがあるならば、この先のウィルを支えさせていただきたいと思っています」


「……うん。良い返事が聞けました。皆! ここに、互いに支え合い、光り輝く未来へと歩み出した一組の男女が生まれました。盛大に祝いましょう!」


女王の拍手を皮切りに、その場にいる者全員から祝福の拍手をいただく。


その対象である俺たち二人は顔を見合わせ、照れ笑いを浮かべる。


拝啓 前世の父さん、母さん、そして妹

俺、エルフと結婚することになったみたいです

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