第2話 行きし

 にしても暑い。駅まで徒歩10分の道のりがいつもより長く感じる。

 歩きながら、ふと、初めて勤めた会社を思い出す。就職活動を始めて最初に受けた面接で即採用となった。面接当日も今日みたいに夏日よりの6月だった。面接前、急にお腹の調子が悪くなり、自宅のトイレから出られなくなって30分遅刻してしまった。到着後、『申し訳ありません!』と、勢いよく頭を下げて謝罪したけど、当時面接官でもあった社長は露骨に怪訝な顔をしていた。それでも面接は予定通り受けさせてくれて、遅刻したにも関わらずその場で即内定となった。正社員になれることがうれしかったのをおぼえている。高卒だと正社員雇用が全然なくて半ばあきらめかけていた時だった。


 何でも屋みたいな会社で、賃貸アパートの改装工事やごみ屋敷のゴミ回収、夜逃げ跡の残置物回収、事故物件の遺品回収とかもあった。仕事は忙しく休みもあってないようなものだった。残業代はつかず、今で言うブラック企業に当てはまる会社だと思う。『金を生み出せない社員に、何故固定給以外に給与を支払わなければならないのか?』と社長は豪語していた。大柄な図体とスキンヘッドという威圧的な風貌で、人を褒めることなどは一切なく、否定と罵倒、主に暴言を吐いていたと思う。

 『おいノロマ、はよやれや!クビになりたいんか!』が口癖だった。そのたび、大きな声で『すみません!すぐやります!』と言うと、『うっさいねん!はよやれや!』がお約束のやり取りだった。実際、自分はかなりどんくさくミスを量産していた。一番ひどかったのが、夜逃げ跡の残置物回収仕事の時だが、依頼先である借家の隣家の家具家電を半分近く捨ててしまった。発覚したとき社長から、どぎついげんこつをくらった。ただ、今でも謎だが、なぜ鍵が空いていて、且つ住人が留守だったのか。不用心にも程がある。これは逆に高等な罠ではないのか?と疑いながらも訴えかけられた。つまるところ、計画性がなく行き当たりばったりで、根拠のない勘で逆をいく習性だったのだろう。そして大雑把な性格がさらに拍車をかけていたと思う。弁償した分は分割で給料から天引きだった。それからミスをするたび社長からげんこつを食らっていた。下っ端だった自分は社長のことがすごく怖くて社長の言う事は絶対的に聞いていた。


 ある時、業務とは別に社長から怒られた事がある。厳密に言うと理不尽についでに怒られたのだが、ある飲み会の席で社長が急に怒り出したのだ。原因は、自分と同い年位の同僚が実家に帰らずに知り合いの家を転々としていて、しばらく親と連絡を取っていないということを何気なく社長の前でしゃべったらしく、それを聞いた社長が見る見るうちに鬼の形相になったというのだ。

 『おい、おまえ、親がどんな思いでおまえを生んだか考えたことがあるのか?なければまず考えろ!考えようとしてみろ! おい、おまえら、よく聞け!来月から給料の半分は家に入れろ。ええな!』

 たまたま同僚の隣に座っていて、先輩と楽しく話していただけなのに、二人セットで怒られた。

 当時実家暮らしだった自分も家にお金を入れるようになった。両親はこんなにいらないと言っていたけど、社長の指示だと言って半ば無理やりお金を渡した。渋っていたけど、最終的にはうれしそうな顔をして受け取ってくれたのをおぼえている。なんだか照れ臭かった。

 あの時に怒られた同僚は少ししてから会社を辞めた。


 社長に対して信者だった自分は全てをポジティブに受け止め、神様の言うことだから文句などは一切言わなかった。いや、考えたこともない。神様の貴重なお言葉をエネルギーに変換し日々勤めていた。

 勤めて3年目ぐらいから少しずつ仕事を任された。取引先との折衝や、下請けの段取り、パートのシフト等任せてもらえるようになって、5年目にはほぼ全ての仕事を任されていた。次第に取引先にも信頼され、後輩社員やパートスタッフも自分に指示を仰ぐようになった。同時に社長とも会う機会が少なくなり、気付けば暴言を聞かなくなっていった。


 そして、勤めて7年ぐらいで会社を辞めた。いや、倒産した。

社長が給料を払わず夜逃げしたのだ。社長が夜逃げした後の部屋には入れなかった。

 今思えば、社長はお金が好きで、仕事が嫌いだっただけだと思う。

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ウゴモノ @KKTK

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