第71話 「崩壊の電話」

「すぅ…はぁ…」


自室に入ってから、私は数回深呼吸をする。

誤魔化すためとはいえ、咄嗟に嘘をついてしまったけど、怪しまれていない事を祈るしかない。


スマホの画面に視線を落とすと、画面に映っていたのは


『柊幸次郎』


私の父親の名前だった。


何故今更連絡を取ろうとしてきたのかは分からない。

でもこの電話に出れば全てが分かる。


私はもう一度深呼吸をして応答ボタンを押した。


「…もしもし、渚咲です」


『あぁ』


久しぶりに聞く父の声は、私の記憶の中の声と何も変わっていなかった。

声に何の感情も乗っていないような、冷たい声。


「…お久しぶりですね。元気でしたか?」


本来この質問をするのは私側では無い筈だが、何を話せばいいか分からずそう言ってしまった。


だが、帰ってきた言葉は…


『友人を家に住まわせているらしいな』


その言葉に、私は体を震わせた。


「は、はい」


『親として、娘の家に住んでいる人物は把握しておく必要がある。

どんな奴を住まわせている?』


…親らしい事なんて、何もしてないくせに。


どす黒い感情が出てきてしまうが、その感情は押し殺し、私は思考を巡らせる。


この人に如月くんの事を話す訳にはいかない。

もし私が男性を住まわせていると言ったら、この人は何をするか分からない。

如月くんに迷惑は絶対にかけたくない。


この質問をするという事は、まだ性別までは知られていないという事。

だからここは嘘をつき、明日からはこれまで以上にマンションを出るタイミングを気をつければ隠し通せる筈だ。


「…学校で仲良くなった女の子のお友達です」


『……何故渚咲の家に住む事になった?』


「その子が1人暮らしをしていたアパートが全焼してしまい、住む場所が無くなってしまったので、使っていなかった客室を貸す事にしました」


どうせこれからも客室を使う事は無かったでしょうし。

と、喉まで出かかった言葉はなんとか言わずに耐えた。


自宅が全焼した事は本当だし、性別以外は本当の事を話せば疑われる事はないだろう。


「その子の両親から生活費は十分頂いていますし、家事なども分担しているので、金銭面に関しての問題もありません」


『そうか』


「お父様、心配してくれてありがとうございます。

私は元気にやっているので、お母様にも心配は要らないとお伝えくださ…」


『何故嘘をついた?』


父のその言葉を聞いた瞬間、私は震え上がり、力が入らなくなりベッドに腰を下ろしてしまった。


「…え…?」


『聞こえなかったのか?何故嘘をついたんだと聞いている』


「…う、嘘なんてついてません! 一体何を根拠に…」


『如月陽太』


その名を聞き、私は全身の血の気が引いてしまった。


『夏休み中、キャリーケースを引いたお前達2人は一緒にマンションに入っていった。

更に、頻繁に2人で食料を買いに行っていたな』


「な…え…」


『学校に行く際は別々にマンションを出ていたが、いつも2人は同じマンションから出て同じマンションへ帰って行った。

そして、そのマンションからお前が通っている高校の制服を着た女子が出てきた事は1度も無い』


「…あ…」


『先程のお前の発言、性別の箇所を男に変えれば全ての辻褄が合うだろう。

正直に答えろ渚咲。

どんな奴を住まわせている?』


…予想外だった。

まさかこの人がここまで調べていたなんて…

私の事なんて興味がないだろうから大丈夫だと思い込んでいた。


きっとこの人は最初から私が嘘をつくと分かっていて質問したんだろう。


…もう、正直に話すしかない。


「…申し訳ございません。嘘をつきました。

お父様の予想している通り、私は男性を住まわせています」


電話の奥でため息を吐く音が聞こえた。


『何故嘘をついた?』


「男性を住まわせていると言ったら、反対されると思ったからです」


『反対されたら困るからか?』


「…はい」


『渚咲と如月陽太の関係は?恋仲か何かか?』


やはりこの質問が来た。

誰にも最初は絶対にされる質問だ。


「いいえ、そういう関係ではないです。

純粋にお友達です」


『……お前がそんなに馬鹿だったとはな』


父から帰ってきたのは、そんな言葉だった。


『本来同棲とは、お互いの事をよく知り、将来を誓い合った者達がする物だ。

それを恋仲でもない、ましてや大人でもない高校生の男女がするとは…親として恥ずかしい』


「っ…」


『子供だというのに大人の真似事をするから望まぬ妊娠や性の乱れに繋がるんだ。

望まぬ妊娠の結果がどうなるか、お前ならよく分かっている筈だろう』


「っ!如月くんはそんな人じゃありません! 現に今までだって何も…!」


思わず声を荒げてしまった。

でも、父は態度を変えずに言葉を続けた。


『"今まで"の話ではない。"これから"の話をしているんだ』


「これから…?」


『今はただの友達かもしれない。だが、一緒に住んでいる以上、そこには特別感が生まれる。

どちらかが相手を異性として意識した瞬間に、今の関係は崩れるだろう。

これから先、お前達は互いを異性として見ないと言い切れるのか?』


「っ…」


私は…私達はまだお互いを異性として意識していないはずだ。

如月くんは元々恋愛に興味がないみたいだし、あんなに距離が近くて告白までしてきた風香さんとも浮ついた話はない。


…じゃあ、私は?

私は今、如月くんの事をどう思ってるんだろう。

如月くんは初めて私を肯定してくれた人で、私の面倒臭い性格も受け入れてくれた。

如月くんのおかげで私は今心から学校生活を楽しめているし、如月くんは私の大切な人になった。


私は如月くんの事が友達として好き。

それで合っているはずなのに、最近自分でも分からない事がある。


それは、如月くんが女性と仲良く話している時に何故か嫌な気分になってしまう事だ。


七海さんと如月くんの考え方が一緒で、共通の話題で意気投合しているのが嫌だ。

桃井さんが如月くんにわがままを言って、構ってもらっているのが嫌だ。

風香さんが私が知らない如月くんを知っているのが嫌だ。

白雲さんが如月くんに積極的に話しかけているのが嫌だ。


…私はなんて面倒臭い女なんだろう。

これが恋愛感情なのかは分からない。


如月くんがお友達と仲良くしているのは良い事だし、喜ぶべき事なのに、私は無意識にそれを嫌だと思っている。


『…即答出来ないという事は、それが答えだろう』


「あ…」


父の言葉を聞き、私はハッとした。


何をしているんだろう私は…今の質問は嘘でもすぐに答えなきゃいけない質問だったのに…!


「ち、違います!私は…!」


『もう遅い。 渚咲、今すぐに如月陽太を追い出せ』


「え…」


その言葉は、私を絶望させるには十分すぎる言葉だった。


「ま、待って下さい…!それは…!」


『明日は土曜日だったな。 ならば土日の内に荷物を纏めさせて家を追い出せ』


「待って下さい!勝手に決めないで下さい!」


『勝手だと?お前が今住んでいる家は今は俺の家だ。

俺の家に勝手に他人を住まわせたのはお前だろう』


「っ…!」


『何故そこまであの男に拘る? 調べさせて貰ったが、別に大した男じゃないだろう。

学力は平凡、容姿は並、コミュニケーション能力に秀でているようにも見えなかった。

お前がそんな男に拘る理由が分からない』


「…何も知らないくせに…っ」


『何か言ったか?』


「何も知らないのに、勝手な事を言わないで下さい…! 如月くんは本当に魅力的な人です!

私を変えてくれた人なんです…!あの人と一緒に居れば、私は素を出せるんです…っ」


『……』


私は、無意識に涙を流していた。


「今まで黙っていた事や、先程の言葉遣いは謝ります。

なのでどうか、如月くんとまだ一緒に居させてください…!」


『ダメだ』


私の人生初の親へのお願いは、すぐに断られてしまった。


『なるほど、如月陽太がお前を変えたのか。

確かに、昔のお前は俺達のいう事を聞く良い子だったもんな』


「っ…」


『あの男と一緒に居続けるとお前はどんどん悪い方向へ進むようだ。

やはり全てを断ち切らせる方が良いな』


「え…」


『渚咲、お前が如月陽太を追い出したくないというならば好きにするが良い』


「!じゃあ…!」


『だが、月曜日になってもまだ如月陽太がその家に住んでいた場合、俺は如月陽太を社会的に潰す』


「え…!?」


『学校側に今回の事を報告すれば高校に如月陽太の居場所は無くなるだろう。

恋仲でもない男女が同居しているなんて話はすぐに広まるだろうしな』


「ま…待って…下さい…」


『そしてその後、お前は女子校に転入させる。

その家も売り払い、実家で暮らしてもらう』


「そんな…!」


『落ち着け渚咲。 これはあくまでもお前が月曜日までに如月陽太を追い出さなかった場合だ。

お前が俺の言う事を聞いて如月陽太を追い出し、学校でも今後一切如月陽太と関わらないと誓うなら、俺は何もしない』


「今後…一切…?」


『そうだ。お前が如月陽太と関わり続けるメリットは1つもない。

どうせ高校だけの付き合いなんだ、そんな短期間の付き合いで人生を棒に振りたくは無いだろう』


私は何も言えなくなる。

今は何を言っても更に状況を悪くしてしまう。


でも…何も言わなかったら…


「…せめて…学校でお話をするのだけは…!」


『ダメだ。この条件が飲めないと言うなら、如月陽太を潰す事になる』


「っ…」


ダメだ。

この人はもう何も聞く耳を持ってくれない。


この人は如月くんの事を何も知らないからこんな事ばかり言うんだ。

如月くんと実際に話して彼の事を知ればこんな事は言われないのに…


『まだ分からないようだから教えてやろう。

想像してみろ、如月陽太の人生がお前のせいでめちゃくちゃになる所を』


私は想像してしまった。


私との現在の関係がバレれば、確かに学校に如月くんの居場所は無くなるだろう。

同じクラスになって普通に話すようになっただけで周りはあの反応だったから、一緒に住んでいると知られたら何が起こるか分からない。

最悪の場合陰湿なイジメに繋がる可能性だってある。


せっかく中学時代のトラウマを乗り越えたのに、私のせいでまた如月くんが学校を嫌いになってしまうかもしれない。


そうなれば、どんなに優しい如月くんのご両親だって、私の事を恨む事になるだろう。


「……」


私は、涙が止まらなかった。


この人は、自分で言ったことは絶対にやり遂げる。

たとえいくらお金がかかったとしても、徹底的に如月くんの人生を潰しにかかるだろう。


学校側にお金を渡し、教師に私と如月くんを監視するように命じる事だって可能なはずだ。


「…分かり…ました。如月くんには出て行っていただきます。

今後一切彼とお話もしません。

なので、彼には何もしないで下さい…」


私は涙を流しながら頭を下げた。


如月くんは私を変えてくれた。

私の素を受け入れてくれた。

私のワガママも嫌な顔せずに聞いてくれた。

私に学校が楽しいと思わせてくれた。


私は如月くんに沢山の物を貰った。

だからこれから時間をかけてお礼をしようと思っていた。


でも、ごめんなさい。それは無理そうです。

これ以上貴方に迷惑をかける訳にはいきません。


『…月曜日に家に行く。 言っておくが、嘘はすぐにバレるからな』


「分かっています。 嘘はつきませんよ」


そう言うと、父は通話を切った。


「……あ、白雲さんが出ている番組を見てたんでしたっけ」


通話をする前にしていた事を思い出し、立ちあがろうとする。

でも足に力が入らず、私はそのまま床に座り込んでしまった。


「っ…! 」


涙が止まらない。

リビングに行きたいのに、こんな顔で行ったら如月くんに怪しまれてしまう。


「話し…たいのに…っ」


如月くんとお話し出来る時間はもう少ない。

だから少しでもお話ししたいのに、今の私は立ち上がる事も、涙を止める事も出来ない。


「うっ…如月…くん…っ」


結局その日はリビングに行けず、ずっと声を殺して泣き続けてしまった。

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