第11話 風間の場合

装甲具装着後の、かすかに臭う,重機用オイルの臭いが嫌いだ。

 吐き気がする。

 今日みたいに、仮眠を取るとき、眠りが浅いと、夢の中にこの臭いが入ってくることがある。

 だから、睡眠導入剤は手放せない。

 一番最初にこの臭いを嗅いだのは、物心ついてすぐの頃。

 でも、これを着て、指示通り動けて、誉めてもらえるのは嬉しかった。

 施設の人たちは、自分が上手くやれたときは、いつも誉めてくれた。

 そのために、頑張った。

 怖かった。

 上手くやれない自分には価値がない。

 価値がなくなったら、ここから追い出される。

 捨てられる。

 僕らは何よりそれを恐れた。

 装甲具を着ると、いつも鼻をつまみたくなる。

 この鉛の中は、孤独の臭いがする。

 「私も嫌いなの。同じね。」

 物心がついた頃には隣にいた。同じ歳の女の子。いつもクマのぬいぐるみを持っていた。

 ナっちゃん。

 篠崎夏美。

 「ちゃんと帰ってくる?一人にしない?」

 小さい頃、僕が装甲具を着るときは、いつも不安そうな顔をして、そう尋ねてきた。

 「一人にしないよ。約束する。」

 ずっと一緒に生きてきた。

 彼女は僕とは違うルートの英才教育を受けていた。

 測定不能のIQを持つ彼女。

 天才的なプログラミング技術、装甲具制御システムの開発。

 それが彼女に背負わされた運命だった。

 僕が大きくなるにつれて、装甲具のサイズも大きくなっていった。中学生の年齢になる頃には、組み手で、僕にかなう大人はいなくなった。

 ナっちゃんも同じだった。中学生の年齢になる頃には、海外の大学の装甲具を研究する教授と同等の知識を身につけていた。

 そして、ゴーストライターとしていくつかの論文を世の中に出すようになった。

 施設の人たちが、彼女にやらせようとしていた研究があった。

 それが、リミッター解除の研究だった。

 そして、その被検体は、僕だった。

 幼少期から、装甲具の着用に特化した教育を受けてきた子供。それが、リミッター解除状態を使いこなすための鍵となるという仮説を検証するための道具。

 でも、上手くいかなかった。

 過去のリミッター解除研究を越えるような、劇的な数値の上昇は見られなかった。

 むしろ、身体に染み着いた装甲具の知識や機能が、リミッターの枠内で動こうとする自然のブレーキとして働いているようだった。

 施設の人たちの落胆が、手に取るように感じられた。

 僕たちへの興味が薄れていくのも。

 16歳になった時、僕とナッちゃんは、同じ気持ちを抱いていた。

 疲れた、と。

 「終わりにしましょ。」

 ナッちゃんがそう言ったのを、今でもよく覚えている。

 僕たちは、破滅させてやろうと思った。

 ナッちゃんがウイルスをばらまき、僕が装甲具で暴れれば、施設を壊滅に近いところまで追いつめることができる、そう思った。

 連中が死ぬほど大事にしていたデータは,全部ナッちゃんが握っていた。

 僕たちの様子に気づいた、施設の人たちは交換条件を出してきた。

 親のことを知りたくないか。

 この話に、ナッちゃんは揺さぶられた。

 連中は知っていた。篠崎夏美が、ずっと持ち続けているぬいぐるみに、「ママ」と名前を付けているのを。

 ナッちゃんはずっと昔から、何度も、ハッキングを試みていた。

 政府の総合情報処理システム、「アマテラス」の奥,「アマテラスの内側」に。

 そこにはあらゆる機密情報が保存されている。

僕らの出生に関する情報も。

 でも、その試みは全て失敗していた。もちろん、そのことは政府の側も把握していた。

 これ以上繰り返したら、殺す。

 ナッちゃんが脅しを受けていたのも知っている。

 交換条件は、ある研究計画の実施協力だった。

 カグツチ計画。

 警視庁に配備される、最新のリミッター制御装置を搭載した装甲具、「イザナギ」を使用した、リミッター解除の限界試験研究。

 政府による人体実験。

 リミッター解除に関する、新しい仮説の検証。

 過去に、何らかのトラウマを持った者が、「適格者」として選定されていた。

 実験協力者として、実験現場を補佐するのが、僕の役目になった。

 この研究が終わったら、「アマテラス」のマスターキーの使用許可をあげよう。

 連中は、僕らにそう言った。 

  ******

 「小松坂隊長を、殺す?」

 「別にあなたに手を下せと言ってるわけじゃないわ。ただ、余計な手を出さないで。」

 「何も殺す必要はないよ。英理さんを追いつめれば良いだけなんだろ?」

 「命令通り、粛々とやるだけよ。分かってるでしょう。」

 ナっちゃんは、口をつぐんだ。

 「ここまで来たのよ。もう一歩で、「アマテラス」の鍵が手にはいるの。私たちのずっと求めていたものよ。そうでしょう?」

 「ナっちゃん、でも…。」

 「その呼び方、止めて。もう私たちは、施設の飼い犬じゃない。あの頃を思い出させないで。」

 「小松坂さんの命を奪ってまで…そこまでして…。」

 「いまさら一人や二人,何だってのよ!今までの全てを無駄にするの?!」

 ナっちゃんが叫ぶ。

 「ずっとずっと、探していた答えよ。私たちが何なのか。どこで産まれたのか。誰が産んだのか。どうして施設に預けられたのか。私たちは知らないといけない。それを知ることで、やっと私は全てを始められるの。あなたも、そうでしょう。私は…。」

 ナッちゃんが下を向く。

 「私は嫌よ。自分が何なのかも分からずに、このまま政府の犬として生きるなんて。あいつらが持っているあたしたちの情報を手に入れる。取り返す。絶対に。」

 突然、ナッちゃんが僕の襟元を両手で掴んだ。

 「取り返して,そして,めちゃくちゃにしてやる。そうでしょ?!」

 ナっちゃんの指が僕の首に食い込む。

 「私を一人にする気?あたしより、小松坂さんを選ぶの?約束したじゃない。一人にしないって…。」

 「ナッちゃん、僕は…。」

 ナッちゃんは、僕の胸元を両手で突き飛ばし、僕に背中を向けた。

 「組み手も現場も、気をつけなさい。松井さん、あなたの本当の力に気づきかけてるわよ。それから、あの変なファンクラブのチラシ、止めてくれる?定期集会の連絡、別の暗号にして。気持ち悪い。」

 ******

 「どうした、風間。体調でも悪いのか?俺の栄養ドリンク飲むか?」

 あなたはいつもそうだ。

 自分だって疲れてるくせに。最初に部下のことを気遣う。

 何も知らないで。

 「大丈夫です。少し緊張が続いてるので、顔色に出てるんです。小松坂隊長こそ、大丈夫ですか?」

 「隊長だからな。」

 「答えになってませんよ。」

 「やっぱり何かあったのか。篠崎に冷たくされたか?ああいう美人は、難しいからな。今回の件が終わったら、飲みに行くか。」

 「隊長…。」

 小松坂隊長の目の下には、うっすらクマができていた。

 「隊長は怖くないですか。現場で戦うこと。装甲具と渡り合うこと。」

 「怖いさ、死ぬかも知れない。でも、誰かがやらなきゃいけないことだ。戦える力を持ってる誰かが,さ。」

 体調が僕の肩を叩いた。

 「ま,お互い,残念ながら向いてるみたいだし,やるしかないさ。それに,お前らのことは俺が守る。」

 隊長が笑う。

 「前も言ったろ。部隊は、家族みたいなもんだからな。」

 家族。

 心臓を鷲掴みにされたように苦しくなる。

 一人になるのは、怖いことだ。

 幼いころの自分が少し顔を出す。

 装甲具を来たときの、鉛の臭いがしたような気がした。

 小松坂隊長。

 僕は…。あなたを殺す手伝いをするんです。

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