第7話 イザナギ/ドランク

「吉兆」は,特別装甲課の行きつけの居酒屋だ。

 少し破けた赤い提灯と煤けた暖簾が,この店が長年愛されてきた歴史を物語っている。

 小松坂と俺と篠崎夏美は固定メンバー。後はシフト次第で西園寺が入ったり風間が入ったりする。以前に間違えて松井を入れてしまい,小松坂と松井が装甲具論争で最後は大喧嘩になったが,それ以外の組合せは大体面白い。四極は誘っても来ないので未知数。

 今日は固定メンバーに加えて第1小隊の海島が入ってきた。珍しいパターンだが,冬見ちゃん以外から、第1小隊の話が聞けるのは貴重だ。

 「第1小隊は最近どうなんだ?」

 「どうって…普通ですが…。」

 「いいんだぞ,海島。松井隊長への不満をぶちまけて。内緒にしておいてやる。何だったら,第2小隊に来てしまえ。」

 小松坂は酒が弱いので,もうだいぶ出来上がっている。西園寺はこれに輪をかけて弱く,しかも泣き上戸の絡み酒のため,あんまり飲ませると厄介なことになる。対照的に,篠崎夏美は酒が強い。というか,酔ったところを見たことがない。多少頬が赤くなったように見える程度で,話し方も変わらない。

 「ふ,不満なんてないです…。いつもお世話になってますし…。」

 「いや,あるだろう。細かいし,やたら上から目線で偉そうだし,後はほら,40過ぎの男特有の脂っぽさとか,臭さとか…。」

 「な,ないですってば…。素敵な上司ですから…。」

 「そりゃ,自分の隊長の悪口は言いづらいだろ。まぁ,どこぞの第2小隊2号機装着者は言いたい放題だがなぁ。」

 俺はちらりと小松坂を見た。

 「西園寺は上を敬う気持ちがまっっっったく無いんです。海島,ああなっちゃいかん。」

 「でもまぁ,いいですよね。裏表がないって言うか…。私は,西園寺先輩のこと好きですし,憧れますけど。」

 「憧れ?あんな奴に?」

 小松坂があからさまなしかめ面をする。

 「あら,西園寺さん,結構人気があるんですよ。研修所の方などでも有名人でしたし。」

 篠崎が日本酒をすいすい飲みながら,そう言った。

 「まぁ確かに,装甲具オタクだし,ガサツだし,男みたいな奴だからな。女性研修員とかには人気が出るかもな。バレンタインにチョコもらうタイプだろ。」

 「結構男子にも人気があったみたいですよ?」

 篠崎が続ける。悪い奴だ。若干からかうつもりだ。

 「ん?そうなのか?いや,あいつが人気でるこたぁないだろう。…本当か?」

 「あら,気になりますか?」

 若干,篠崎の笑顔が増したように見える。

 「ば…何で俺が気にする必要があるんだ。物好きもいるもんだと思っただけだ。」

 ここに,一番の物好きがいるな,と言わない理性が残っていた。まだほろ酔いだ。

 ちゃんと酔うのは家に帰ってから。

******

 「研究は進んでるのか?」

 「何のですか?」

 篠崎とは官舎が一緒の方向のため,飲み会の帰りも一緒になる。海島は小松坂と風間が送っていった。小松坂に関しては,どっちが送る方でどっちが送られる方か分からないような状態だったが。

 「リミッター解除についての研究は,続けてるんだろう?」

 「もうそれは科学警察研究所の後任者に引継ぎましたから。今は現場のオペレーションシステムに興味が集中してますよ。」

 「連絡は取り合ってるんだろ?いずれは研究所に戻るんだろうし。」

 「さぁ,どうでしょう。最近は研究所採用でも,外部に出た後は警察庁本庁に回ったり,他省庁に回る人もいますから。」

 「そうなのか。人事も変わっていってるんだな。」

 うまいことはぐらかされる。

 「専門家よりも,ジェネラリストが求められる風潮が強くなってますから。」

 「ジェネラリストね…。視野の広さが求められる時代か。中途半端な知識,中途半端な経験しかない奴が増えそうな気もするけどな。」

 「そういう面もあるかも知れませんね。でも,色んな経験が,ある日突然化学反応をすることもあると思いますしね。」

 「例えば,過去のトラウマが,リミッター解除を可能にしたり,とかか。」

 ちょっと強引か。

 篠崎の表情は変わらないが,黙ってしまった。

 「あの文書は,篠崎が書いたやつだろ。いい論文だと思うけど,研究所の紀要には載せなかったんだな。」

 「どの文書ですか?」

 篠崎がとぼけたような顔をする。

 「リミッター解除の機序に関する研究。」

 一瞬,篠崎が固まったように見えたが,すぐにいつものような笑顔に戻る。

 「…不確定な推測が多すぎるので,科学警察研究所の紀要のように,ある程度オープンなものに掲載するのは,適切じゃない,という判断だと思います。計算だらけですし。」

 そう言えばそんな文書をまとめたこともありましたっけね,とつぶやく。

 「西園寺と四極は,どちらも家族の死に直面している。共通しているのは、二人とも、目の前で装甲具に家族を殺されていることだ。二人が被害にあった年齢は全然違うがね。」

 「人の過去をあれこれ探るのは、あまり良い趣味とは思えませんが。」

 「人事管理上、見たくないものも、見ないといけないこともあるのさ。」

 少し生温い風が吹いた。

 篠崎は黙っている。

 「西園寺は、装甲具を憎む気持ちを持っている。だが、同時に、自分に力をくれる物としてすがってもいる。あいつの心を利用するようなことだけは、しないでくれ。」

 篠崎の肩が少しだけ震えたように見えた。

 官舎が近づいてきた。

 「いつも送っていただいてありがとうございます。もうここら辺で大丈夫ですよ。」

 「うん,お疲れさん。」

 自分の官舎へ,しなやかな足取りで,篠崎夏美は歩いていった。

 日本酒,一升近く飲んだんじゃないだろうか。人間じゃないな。本当に飲んでたんだろうか。

 酒くらいじゃぼろを出さないか。

 ******

 どこから入手したのかしら。あれは,許可を得た本省幹部級用に保管されていたはず。

 四国さんと西園寺さんの部分も,読み込まないと分からないのに。

 面倒な人ね。

 まぁ,あれ自体は秘密文書でもないし,たいしたことは分からないわ…。

他の情報のセキュリティを上げるよう,上に伝えておく必要があるようね。

 あんまり邪魔になるなら、消してやる。

 心を利用するな?

 ふざけるな。

 私たちのこと,何にも知らないくせに。

 ******

 イザナギのクーラーをガンガンに効かせて,それでも少し暑いくらいだった。

 「小松さん…もう限界…もう帰る…。」

 「何言ってんだ。しゃきっとしろ。あと二時間。」

 「もーやだー・・・こういう仕事,性に合わないのよ…ずっとじっとしてるだけなんて…」

 「大臣の護衛だぞ?ありがたく思え。それに、風間を見ろ。微動だにしない…。あいつめ…。」

 「あれ、寝てんじゃないすか?」

 「寝てません。」

 うわ、通信傍受された。全く、可愛くない…。

 「SPがいるでしょうに。なんであたしらがこんな張り付き護衛しなきゃいけないの?あたしらの留守中に何か事件があったら,どうする気よ」

 「第1小隊がやるに決まってるだろ。気が散るから、もう、お前、少し黙れ。」

 うー。むかつく…。

 滅多にない仕事だが,装甲具国際学会のテロ警備の名目でなぜかイザナギが借り出された。何でも日米の大臣クラスも出席するから,有事の際のために…とのことだった。

 でも,普段大臣の警護なんていう仕事は,警備部警備課のSPの仕事だ。あそこはあそこで,自前の装甲具を持っているし,ちゃんと研修所を卒業した警察官が揃っている。

 それなのに,今回はSPに加えてあたしたちも警護に回るように話が回ってきた。いくつか理由があるが,経済産業省の大臣や,有名企業のお偉いさんが多数来ていることが最大の要因のようだ。

 つまり,イザナギを見せ物にしたいってこと。各企業や経済産業省に見せて,予算話などにつなげたい思惑が,広報部の方で働いているみたい。

 それもあって,どうもこの仕事は気乗りしなかった。

 パンダじゃないぞって感じ。

 「?」

 あれ。何か,見たことがある人…。

 「こ…こまつさん…あれって…。」

 「あ。あれは。北島博士じゃないか。」

 や,やっぱりか…!!写真では見たことがあったけど…。

 まずい。まさか,こんな形で初対面になるとは…。

 現武田重工専属装甲具アドバイザーにして,某有名私立大学の工学部教授。世界中で数々の装甲具の開発に携わってきた装甲具開発界の神様,世界の北島。もちろんイザナギの設計に関わった人だ。そして,まだ40代独身でこれがまたすらっとした長身の美形!

 国際会議場入り口に向けて,数名の助手か生徒と思われる人を引き連れて,グレーのさらっとしたスーツを涼しげに着こなして歩いてくる。イザナギのカメラでズームして見る。

 「本物!。」

 「英理,あれだ。顔だけでもイザナギの装甲外して挨拶するか。滅多に会えないだろ。」

 「え。いや,ちょっとまって小松さん。あたし今日ほとんどすっぴんだし,スーツも汗くさいし…。」

 「は?何言ってんだお前?そんなのいつものことだろうに。」

 「ど、どういう意味よ!何?小松さんいつも人の汗の匂い嗅いでるわけ?!き,気持ち悪い…。」

 「あー、もう本当にうるさい。俺は行くからな。」

 うわ,本当に顔出すの?

 それに気づいた北島博士がこちらに向かってくる。

 「おや,これは…イザナギじゃないか。」

 「初めまして,北島博士。警視庁特殊装甲部装甲機動課第2小隊隊長,小松坂と申します。」

 「ああ,あなたが小松坂さん。イザナギの装着者ですね。噂はかねがね聞いてますよ。一度あなたの解体技術を見たかったんだ。今度是非,研究室に来て欲しい。」

 あー!名刺を差し出してる!しかも研究室ですって?

 思わず足が一歩前に出る。

 「おや,あちらは,イザナギの2号機…。」

 「2号機装着者の,西恩寺です!」

 あー,顔出してしまった。よくよく考えたら,こういう可能性もあったんだから,少し身なりを整えてくれば良かった…。気にしだしたら,なんだかすごく汗くさい気がしてきた…。

 しかも博士が近づいて来るし…。でも名刺は欲しい。

 「あなたが西恩寺さんか。話はいろいろと聞いてはいたが…。こんな美人だったとは。」

 「へ?」

何て言った?

 ちょっと思考回路が止まってしまい,目の前にさしだされた名刺を,反射的にイザナギの手で受けとった。

 「あなたにもとても興味がある。是非,一度研究室でお話を。メールアドレスはそこに載っているから。」

 「博士,口頭発表の時間が…。」

 「分かってる。急ごう」

 すっと身を翻して会場の入り口に向かう博士。ふっと一瞬振り返り,笑顔で「待ってるよ。」と。

 それを見ていたあたしに,小松さんがあろうことか蹴りを入れてきた。

 「イッタ!ちょっと!何すんですか?!装甲法違反なんじゃないですか?訴えますよ!」

 「いつまでもぼけっとしてんな!警護に戻るぞ!ったく。お世辞言われて浮かれてんなよ!オヤジ好きかっての。」

 まったく,何だっていうんだか,かりかりして…。

 ******

 「なんだ,ずいぶんこぎれいな格好して。お前、スカートなんか持ってたのか。つうか少し短いんじゃないか。膝出てるぞ?」

 「は?何なの一体?研究室にお邪魔するんだから,身なりぐらい整えるでしょ?つうか,このぐらいで短いとか…変な目で見るの止めてもらえます?変態ですか?」

 全く本当にうるさい。だから一人で来たかったんだ。とは言え、佐藤補佐官からも,「せっかくだから新しい装甲具の知識でも仕入れて来なよ。」との指示が降りてしまった。その結果,半ば業務命令になったので,小松さんと報告書の分担ができるのはラッキーと言えばラッキーだった。

 「いやー,しかし…今の私立大学ってのはきれいなもんだな。」

 新東京の都心の一角とは思えない,広大な敷地に豊かな緑。赤煉瓦を多用した講義棟が立ち並び,行き交う学生達もみな小ぎれいな格好をしている。サークルの勧誘をしている女子に声をかけられ,慌てて断った。

 「ふふぅ。まだ学生に見られちゃうかぁ。」

 「雰囲気がガキだってことだな。」

 いちいちうるさいので,軽く蹴りを入れておく。

 「小松さん,あんまりキョロキョロ女の子見てると,わいせつ罪で逮捕されますよ。」

 「見てねーよ。全く…。」

 どーだかね。全く…。

 北島教授の居る工学部棟は,敷地の東端にあった。

 「!」

 見たことのないタイプの装甲具が工学部棟の方からローラー走行で移動して来る。白を基調とした流線型のデザイン。所々スケルトン素材が使われていて,内部の配線が見える。かなり体にフィットした形状で装甲は薄い。とにかくデザインにこだわっているのだけは伝わってきた。  

 「お待ちしてましたよ。」

 目の前に停止した装甲具の顔の部分が開く。

 北島教授だ。

 「珍しい装甲具ですねー。初めて見ました。」

 「うちの研究室で開発中の,シティ用装甲具ですよ。綺麗でしょう。」

 「…シティ用?」

 なんじゃそりゃ?

 「これからは,装甲具も洋服の用に,お洒落に着こなす時代が来るんです。その先駆けとして作成中の物です。立ち話も何ですから,研究室に行きましょう。付いてきて下さい。」

 そういって,北島教授は颯爽と身を翻し,工学部棟の方へ向かっていった。

 「…お洒落な装甲具…ね…。」

 小松さんが訝しげな顔をしている。

 「…ま,まぁ,あれじゃない?イザナギも結構デザイン良いし,機能美とか,そういう話なんじゃ…。」

 と言いつつ,あたしも少し,というかかなりの違和感を抱いていた。

 武田重工の装甲具のコンセプトは,「質実剛健」だ。これは町工場だったころから変わらない。だから武田重工の装甲具は基本的に無骨で精密で,そして高い。

 そんな会社のアドバイザーの言葉にしては,ちょっと不思議だった。

******

 うーん,何か違う。

 工学部の実験棟施設を一通り見せてもらった。のだが…。

 装甲具の実験室というよりは,どこかの美術大学の造形コースみたいな感じだった。学生達はみな,CGでデッサンを描いたり,やたら華奢な装甲具の型の作成などに執心していた。

 「このカラーリングなんて,最高でしょう。」

 「え,ええ…まぁ…。」

 頑張って相づちを打つあたしの後ろで小松さんが大あくびをしているのが見え,肘で小突く。

 ぐるりと工学部棟を見て回った後,研究室にて質問の時間となった。研究室も,そういう名前が付いていなければどこかのカフェにでも入ったような雰囲気の部屋で,やたら高そうなスツールやテーブル,オーディオ機器などが目を惹いた。

 「最近,都市部では高出力のB級機体も増えてますが,今後も工事用装甲具の高出力化は進むと思われますか?」

 「工事用ねぇ…。馬力を出せば良いってもんでもないだろうしね。今後は出力よりもより繊細な動きができるような方向に進化していくんじゃないかな。」

 「そうすると,犯罪の性質ももっと複雑になるかも知れないですね。」

 「どうかな。犯罪を起こすような人間なんて,そもそも単純な奴らだから,最先端の装甲具の機能を使いこなす頭なんてないだろうさ。」

 小松さんは何かを言いかけて,そのまま口を閉じたようだった。

 「より,繊細な動き,ということは,今よりももっと神経系との接続効率を上げたりする,ということですか。」

 「それも一つの方向性だろうね。例えば…。」

 わっ。

 突然北島教授があたしの手をつかむ。

 「こうした触感や,人間の五感なんかも研究対象にしていてね,これを装甲具を通して増幅したりする,というのも,新しい装甲具の可能性として考えているんだ。」

 …。ちょっと,きもい。

 言い終えた後,少し経ってから北島教授があたしの手を離す。

 「今日はいろいろ勉強になりました。英理,そろそろ帰るぞ。明日の勤務もあるからな。どうもありがとうございました。」

 「え?あ,はい…」

 すっと席を立った小松さんの後を追って,あたしは研究室を出た。

 ******

 「ちょっと急過ぎません?もう少し話を聞いても…。」

 「無駄無駄。ろくな話し聞けねーよ。あちこち触られるだけだぞ。」

 「あ,何それ。別にそういうやらしい話じゃないでしょ?例えとして…。」

 「知るか。とにかく,研究関係も見て分かったろ。うちらの実務には関係ない。お洒落な装甲具なんて,何の役にも立たん。俺は報告書,書くことねぇからな。補佐官には口頭でそう言っとく。お前は何か書きたきゃ、適当に書いておけ。」

 「小松さん,なに怒ってんの?超不機嫌。」

 「怒ってねぇよ。俺はお前と違って,オヤジ好きじゃねぇだけだ。良かったな,憧れの教授の話が聞けて,手も繋げて。」

 「何その言い方!ちょっと…。」

 あたしの携帯が鳴る。北島教授だ。

 「はい。あ,すみません。先ほどは急にお暇して…。」

 小松さんをにらみつける。

 「いやいや,忙しいところ来て頂いてありがとう。ところで,今日ご紹介した他に,是非見せたい最新の装甲具のデータがあるんだけど…。今度見に来ない?」

 最新の装甲具かぁ。興味はあるなぁ。

 とはいえ,一人で行くのはなぁ。

 小松さんも連れてくか。

 「小松さん,北島教授から,最新の装甲具のデータを見ないかってお誘いだけど…。」

 「一人で行け。俺は良い。」

 機嫌わるっ。何なの?まったく…。

 「わかりましたよ,一人で行きますからね!」

 ******

 「へぇ,そうなんですか,北島教授,ね。」

 「何だ,篠崎,なんか知ってるのか。」

 「ええ,研究所では有名な人でしたから。」

 「科学総合研究所でも有名人なのか。ナイスミドルの天才ってか。」

 篠崎がうっすら笑う。

 「逆ですよ。あの人,若いころいくつか派手な論文書いて,それが企業広告に使われてもてはやされたせいで,すっかり調子に乗っちゃって。その後はテレビやネットメディア等で稼ぐタレントみたいな感じですから。中身のある論文も書けてないし,いい加減な話しかしないから,業界の本流は相手にしてないですよ。それに…。」

 篠崎が近づいてきて,耳打ちをしてくる。

 「女癖がすごく悪いんですって。大学でも研究所でも,結構な数の被害者がいるみたいですよ。お金とか圧力とかでかなりもみ消してるみたいだけど…。」

 ちらりと俺の目をのぞき込む。

 「西園寺さん大丈夫かしら。そういうの慣れてなそうだし…。」

 ******

 「あれ,小松坂はどこ行った?」

 「佐藤補佐官。今日は小松坂さん,早めに帰られたみたいですよ。」

 「ん…そうか。珍しいな。西園寺も時間休だったしな…。ん?もしかして?」

 「さぁ,どうなんでしょう。」


******

 この薬は良く効くからな。

 それに,後から検出されることもない。便利な世の中になったもんだ。

 さて…。今日は楽しませてもらうとしよう。

  ******

 「へー,これは珍しい!こんなモデルの開発も進んでるんですか。」

 北島教授の行きつけだという,ビルの高層階にあるバーに来ていた。こういうとこは来たことないから,ちょっと服装がカジュアル過ぎたかも知れない。

 ただ,話の中身は装甲具だし,お酒を飲むうちにそんなことは忘れていった。

 携帯端末で,北島教授が,研究室で開発中という装甲具のプロトタイプを見せてくれた。

 ただ,確かにデザインは綺麗だけど…。少し実用性に乏しいようにも見えた。バッテリーの持続時間も短いし…。

 「美しいだろう?装甲具も,これからはこうした外見のデザインの質を高めていかないとね。これは有名デザイナーとのコラボなんだ。」

 「これ,用途としては,どんなところを考えておられるんですか?」

 「?用途?」

 北島教授が笑う。

 「そういった,実用性偏重の考えが,装甲具の可能性を制限してきたんだよ。人間が身に付ける物なんだから,まず,着て嬉しい,楽しい,美しい,こうした価値に目を向けていく時代だと思うんだ。これも,装甲具,何て名前を使わず,もっと洗練された名前を使おうと思ってるんだ。アンプリファイア・スーツみたいな。」

 え,何それ。

 「そんな…。装甲具は,やっぱり実用的な機械です。イザナギは,もちろんデザインもシンプルで綺麗ですが,それも実用性を考えての機能美だと思います。教授もイザナギの設計のときにはそういうコンセプトだったのでは?」

 教授が小さく笑う。

 「いや,ここだけの話だが…。僕は名前は貸したけどさ,イザナギの設計にはほとんど関わってないよ。広告関係は少しアドヴァイスしたけど。ちょっと無骨すぎるんだよね、あの機体のコンセプト。」

 え,嘘。

 「だって,教授…イザナギの設計に関わったってテレビとかで良く言ってたじゃないですか…。じゃあ…イザナギの設計は一体だれが…。」

 「武田の社員じゃないのかな。僕のデザインを採用してれば、今頃もっと世界的に注目されてたろうに。ビジネスセンスが乏しいよね。ま…それはさておき、さ…。」

 教授が少し顔を近づけてくる。

 「君とはもう少し親密な仲になりたいと思うんだ。どうだろう。」

 何それ,なんかむかつく。

 「あたし,装甲具について,自分と意見の合う人じゃないと,仲良くはなれないと思います。教授は,装甲具とその装着者について,どう思ってるんです?」

 「装甲具は,道具さ。スコップやハンマーと一緒。泥臭い。そのうち装甲具の時代は終わって,新しい華やかなアンプリファイア・スーツの時代が来るよ。海外じゃ,格闘用の他に,ダンス用の装甲具も生まれ始めてるんだから。それに比べて,今の日本の装甲具の装着者なんて,本当に泥臭い。土方の肉体労働者ばっかりだろ。それって昔から底辺の仕事だよ。西園寺さんみたいな綺麗な人が働く世界じゃない。君もこっち側に来ないかい?いい夢見せてあげるよ。」

 な、なんて奴…。こんな男が装甲具の第一人者と言われてたなんて…。

 「…現場も知らないあんたに…装甲具を設計する資格なんてない!みんなが,どんな思いで装甲具を着てるか分かる?工事のおっさん達が何かを作るためにどんだけ頑張ってるか分かる?あたしたち警察が何かを守るために,どれだけ必死に装甲具を使ってるか,あんたに分かる?!あたしが…」

 ふっと頭をよぎる。

 お父さんの顔。

 「あたしがどんな気持ちで…あんたなん…て…」。

 う,まずい,酒が回ったの?何か変。視界が揺らぐ。

 むかつく教授が笑みを浮かべて近づいてくる。

 ぶん殴ってやりたいのに…。

 ******

 「悪いな,こいつ,酒弱いんすよ。もう連れて帰りますんで。」

 なんだこいつ,店先で突然出てきて,サングラスと帽子で顔は見えないが…。どこかで聞いたことがある声のような。

 「何だね,君は。彼女は私と飲んでるんだ。彼女を放してくれないか。」

 「飲んでる?寝てるでしょ。それに,最後は怒ってたみたいですし。」

 良く分からんが,私の楽しみの邪魔をしようとしている。

 どうせチンピラだろう。やっちまえばいい。

 護身用のスタンガンはいつも持ってる。

 懐からスタンガンを取り出して,男に突き出す。

 ?

 男を見失う。

 みぞおちの辺りに鈍い衝撃がある。男の右拳がめり込んでいる。食事が全て逆流しそうだ。

 「…き,きさま…。警察呼ぶぞ…。私がだれだか分かってるのか…。」

 男が耳元で何かのスイッチを入れる。さっきの私の会話が流れてくる。

 「あんた,イザナギの設計をしたってことで飯食ってる面もあるんだろ。こういう話,マスコミに流れたら,まずいんじゃねぇか。」

 こいつ…。

 「…何が望みだ…。どっかの週刊誌の記者か?金が欲しいのか?」

 「金輪際こいつに近づくな。今日のことも全部忘れろ。てか,スタンガン人に向けたら犯罪だぞ。以上だ。」

******

 なんだかとても懐かしい匂いがした。

 小さい頃,かいだことのあるような。

 ゆらゆらと揺られて,でもすごく安心感があった。

 「…ん。」

 「?気がついたか?」

 へ!あれ?!

 「こ…小松さん…。どうして?」

 「お前の庁用携帯から着信があって,行ってみたら,お前が酔いつぶれてた。」

 「え…嘘でしょ…?。あ,北島博士は?」

 「どうも,何か,酔っぱらって喧嘩に巻き込まれたみたいだぞ?まぁそっちの方も警察が処理してるみたいだけど。うちらが警察だってばれたら面倒だから,さっさと逃げてきたぞ。」

 「え,ほんと?」

 「知るか。つうか,お前,酒弱いんだから,うかつに飲むんじゃねーぞ。当番日じゃなくても,緊急事態は起こるんだ。しばらく酒禁止だ。いいな。」

 う…何も言い返せない。確かにその通りだ。

 しばらくお酒やめよっと…。

 「ごめんなさい。」

 「そんなにしょげるなよ。調子が狂う。教授の話は何か役に立ったのか?」

 「ひどかったんだから。装着具を着てる人間なんて,みんな底辺の労働者だ,だってさ。ぶん殴ってやろうと思って。その途中から記憶が…。」

 小松さんがくすくす笑う。

 「殴れなくて残念だったな。その元気なら歩けるか?重てぇしなぁ。」

 歩けなくもないけど…。

 何かまだ降りたくないな。

 「もう少し…。」

 「は?」

 「足くじいたみたい。歩けないからもう少し。」

 「いつくじいたんだよ。何なんだ…まったく…酔っぱらいが…。」

 ぶつぶつ言いながら小松さんは歩き続ける。

 「小松さん,おやじ臭い。」

 「おぶってもらって,どういう言いぐさだ!。お前が重てぇから汗かいてるだけだ!」

 なんだか分からないけど,少し涙が出てきた。こまつさんが,げっ,とか言い出す。

 「何泣いてんだ…。」

 「何でもない。」

 「支離滅裂だぞ…ほんっとにめんどくせぇなぁ…。まさか、教授に何かされたのか?」

 「されるわけないでしょ。さわってきたらぶっ飛ばしてたから。」

 「そ,そうか…。」

 てか,一緒に行こうって言ったのに,来てくれなかったじゃん。

 いや,まぁ来てくれたけど。後から。

 少しずつ,見慣れた,官舎に続く通りにさしかかってきた。

 何だか,今日はもう少し,官舎が遠くても良いのにと思った。

 官舎に続く道は街灯も少ない。人通りもなく静かだった。

 「英理,お前は何でうちの部隊を志願したんだ?他にも良い部署はいっぱいあったろ?」

 「何でそんなこと?」

 「はっきり聞いたことはなかったからな。」 

「…強いから。」

 「?」

 「あたし、強くなりたいんです。何があっても、どんな犯罪者が現れても、絶対負けない。被害に遭ってる人を守れるように。…ここなら,ここに入れれば、どんな事件があっても,どんな強い奴が現れても,負けないって思ったから。」

 「そうか。」

 小松さんは、穏やかに、でもはっきりと口を開いた。

 「俺たちは負けない。負けないって,大変なことだ。覚悟して付いてこい。」

 「…はい。」

 もっと強くなる。

 もっと強くなって,この部隊に居続けなくちゃ。

 「なぁ,英理…。」

 突然小松さんが立ち止まった。

 え,え,何?

 「前から思っていたことを,言っても良いか?」

 え,ちょっと,何?いきなり改まって、 緊張するじゃない…。

 小松さんがゆっくりと口を開く。

 「お前…ほんっとうに洗濯板だな。」

 「!っこの…変態!」

 背中から飛び降りて,蹴り飛ばしてやった。

 「足くじいてんじゃねーのか!」

 「うるさい!最っ低!」

 ******

  やはり,イザナギの設計者は不明か。この情報も,全く手に入らない。

 誰が、イザナギの中枢システムを作ったのか。 何故こうも得体が知れない?

 補佐官級にさえ、手に入らない情報が多すぎる。

 口から、煙を輪っかの形にして吐き出す。これをやると、頭がくらくらする。昔、親戚のおっさんが見せてくれてたっけな。

 天使の輪っか。

酔いどれ親父。

 矢島ちゃんが気配もなく喫煙室に入ってくる。

 「一本いる?」

 「いや、禁煙がどうにか続いてるんでね。」

 「じゃあ、喫煙室に来ちゃだめじゃない。」

 「佐藤さんと世間話するには、ここがいいでしょ。もう他にタバコ吸う人いないし。」

 「整備課のゲンさんがたまに来るくらいかな。」

 矢島ちゃんが缶コーヒーのふたを開ける。

 「どうもね、気持ち悪いんだ。」

 「副流煙の方が体に悪いみたいだしね。」

 「タバコじゃなくて,今回の事件だよ。」

 「分からないことが多い?」

 「そのくせ、やけにぽろぽろ情報が落ちてる。クスリ、バイク、指紋、その他もろもろ。」

 「良かったじゃない。捜査が進んで。」

 「佐藤さん、人を騙すのに、一番良い方法って知ってる?」

 「知らない。僕、善人だから。ほら、天使。」

 煙の輪っかを見て、矢島ちゃんが、少し口の端を上げて、コーヒーを一口飲む。

 本気なのになぁ。

 「嘘を付くと、人は警戒する。この出来事はこうなんですよって説得しようとすると、人は反論する。じゃあどうするか。」

 「自分で考えてもらうんでしょ。」

 「やっぱり、悪い人だね、徳さん。」

 吐き出した輪っかがゆっくりと上りながら消えていく。

 「情報を小出しにする。こういう可能性もある、こういう可能性もある。うまい具合に、情報を並べていく。推論させる。情報をつなぎ合わせて、はっと気づくような結論が自分の頭に浮かぶ。そうすると、どうか。人はその、結論を、自分で作ったものと錯覚する。」

 「本当は、そう考えるように、誰かが導いているにも関わらず。」

 「人を疑うのは簡単だ。でも自分を疑うのは難しいよ。」

 矢島ちゃんが自分の脳を指さして、ため息をつく。

 「今回の件はそんな感じ?」

 「検討中だね。」

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