第6話 オーバーエイト

「オーバーエイト,使うのかな…?」

 「可能性はあるだろ,申請しとくのは妥当だろうな。」

 いよいよ物騒になってきた。

 イザナギの拡張パーツやオプション装備はたくさんあって,現場に応じてあれこれ付け変えられる。ただ,現場判断で付け変え可能なのは1番から7番ロッカーまでに格納されている基本装備だけだ。

 ロッカーはさらに8番から12番まであって,これは普段は開けられないようにロックされている。9番は課長決裁,10番は警視庁本庁決裁が必要だ。さらに,11番と12番については特殊な条件がついているらしく,警視庁だけでなく警察庁まで許可を得る必要があって,風間君に一度聞いたけど,憶えきれなかった。とにかく相当やばいときに,特別な許可が降りて始めて使えるロッカーってことは分かったけど。

 この使いづらい9番以降のロッカーは通称オーバーエイトと呼ばれている。

 9番には装甲具用小型銃が,そして10番には装甲具用の大型ショットガンが入ってる。9番の小型銃は、出動時に移送車に運び込まれるし、何度か持ったことがある。こないだのサイクロンの時も使いそうな雰囲気があった。なのでそんなに珍しい感じはしない。緊急時には撃たなきゃいけないかも,というのはある。

 ただ,10番のショットガンは違う。装備点検の時に一度だけ見たことがあるし,実際に使用した映像も見たことがあるけど,至近距離で撃てば装甲具の胴体ごと吹き飛ばすような威力があって,完全に殺人兵器。あんなの使う現場は想像つかない。第一,市街地なんかで使ったら,想定外の被害を生じかねない。使用許可なんて降りて欲しくないと思う。あれで10番なのに,それ以降に何が入っているのか,正直気味が悪い。一応機密事項らしく,補佐官以上の幹部しか中身は知らないらしい。でも,そんなんで緊急時にいきなり使えと言われても,現場のあたしたちが使えるのかという疑問はある。せめて,研修ぐらいやって欲しい。

 だいたい,本当にそんな装備を使う場面が想定されうるのか。クーデターとか戦争とか,そういったクラスの状況を想定して配備したとしか思えない。

 「あ,そう言えば,あの小判町の件,ガス爆発って報道発表になったって本当?」

 「そりゃ,ドヤ街とは言え,都会のど真ん中で爆弾と装甲具用砲弾はまずいだろ。」

 小松さんはさらっと言う。

 「世の中の安定のためだからな。」

 「世の中の安定のためなら嘘ついていーの?」

 「俺がついた嘘じゃねぇよ。」

 「嘘と知ってて,知らん振りするのに慣れてるなんて,結構たち悪いんじゃない。」

 「何噛みついてんだ。全く…。」

 小松さんはぶつぶつ言いながら,イザナギを整備中のゲンさんの方に向かって立ち去っていった。

 悪かったわよ。ごめん小松さん。

でもなんかむかつくな。別に小松さんにむかついてるわけじゃないんだけどさ。

 今回の事件はほとんどちゃんと報道されていない。そりゃ,確かにいつも,多少脚色されたり,物議を醸しそうな話を少しはしょったりして発表するということはある。でも,今回はいつに増してもひどい。あたしが見た事実が全く報道されていない。

 なんか気持ち悪い。

 ******

 英理のいらいらも分からなくはない。マスコミが流している情報。これが,今回はずいぶんガセが多い。

 「浮かねぇ顔だな。小松っちゃん。」

 ゲンさんが1号機の後ろから顔を出した。

 「そうでもないっすよ。久々のオーバーエイトで気分悪いだけです。」

 「同感だな。飛び道具はいけねぇよ。こいつは兵器じゃねえんだからさ。」

 シゲさんの言葉には愛情と誇りがある。エンジニアとして,この装甲具への愛着がある。

 装甲具は兵器じゃない。もともと,人の可能性を広げるための,人間拡張機械(ヒューマンアンプリフィア)だったはず。

 それが,今はどうだろう。人の力を増幅する夢の技術は,その暴力性や破壊性まで増幅してしまったようだ。増え続ける装甲具犯罪。そうした装甲具犯罪者達を恐れさせる,警視庁特別装甲部装甲機動課。装甲具関連事件において解決率100%を維持できているのは,犯罪者達に対して,より強い力を保有しているからに他ならない。

 犯罪を潰すための圧倒的な力。

 そのシンボルマーク,黒の縞模様を,犯罪者達は最後通牒(デッドリィ ストライプ)と呼ぶ。

 「使いそうか?」

 イザナギの腕のパーツは,9番ロッカーの小銃使用時を想定し,発砲時の衝撃吸収オプションが装備されていた。

 「必要なら。」

****** 

 「風間君,もういいんじゃない?」

 「だめです。内規違反です。」

 「もうちょっと融通利かせた方が良いよ。ほんとに…。」

 「大事故は,日頃の細かい規則違反や気のゆるみの積み重ねで起こるもんです。」

 正論だ。何も言い返すことはない。

 「58,59。0800。」

 風間君があたしに向かって姿勢を正す。あたしも姿勢を正す。

 「当直勤務終了。引継事項特になし。施設設備火気電気系統その他異常なし。風間隊員へ当直勤務を引き継ぐ。」

 「西恩寺隊員より当直勤務を引き継ぐ。」

 びしっと敬礼。風間君の敬礼は角度も研修所の見本通り。ゲンさんがその様子を何度か写真に撮り,整備課の分度器で確認したところ,誤差は0.1度以下だったそうだ。

 …二人ともマニアックだと思う。

 「じゃ,風間君,後よろしくね。」

 あたしはすっと風間君に近づく。少しうろたえる風間君の耳元で「今日,事務当直は夏美ちゃんだから。」と重要事項を伝達する。今日は風間君にとって至福の一日だろう。まぁ,何にも事件がなければだけど。

 ****** 

 当直明けは非番になる。とはいえ夜は仮眠しかとってないので,かなりぐったりだ。太陽がやたらまぶしく見えて,疲労感を倍増させる。帰って寝ちゃっても良いけど,当直明けは神経が尖った状態が続いてるので,すぐ寝てもあまり熟睡できない。歩くなり運動するなり,少し身体と心をほぐした方がいいことを,あたしは経験的に学んでいる。

 拝命1年目のボーナスで買った,愛車の神岡自動車製電気自動車「ミューズ」。レトロな外車っぽい外見だが,中身はれっきとした国産車で,メンテナンスや車検が安く済むところが決め手だった。そういえば,国産車が完全電気自動車化の流れとなる中,このメーカーは一番最後まで化石燃料の車両を作っていたらしい。

 最近の車は,超高効率充電池の小型化と大容量化に伴って,フル充電で3000キロは走る。電気もすごく安くなった。衛生軌道上における太陽光発電の進歩と個体電池の進歩が,電気に関する現代の問題をほとんど解決してしまった。あたしたちの祖父母が子供の頃にはまだ化石燃料や,原子力発電とかが主流だったらしいけど,あまり想像がつかない。

 エンジンをかけて,独身者用官舎の駐車場から,敷地外へのろのろと愛車を走らせる。良い天気。初夏のまだ穏やかな日差しが気持ちいい。車の窓を開け放って,新首都高から第三湾岸線を通り,あたしは鎌倉の行きつけの寺に向かった。

 ****** 

 せっかく,職場を離れて気分転換できる座禅の時間だったのに…。

 まったくもって気持ちが落ち着かない。帰ろっかな。

 ピシャリ。

 左肩に住職の一喝が落とされる。すみません。

 松井第1小隊長は,座禅を組んだ姿勢で微動だにしない。作務衣もやたら似合っている。。

ここで会うのは初めてだけど,かなり経験を積んでいる雰囲気がある。

 もはや修行僧にしか見えない

 ていうか,松井さん,今日は日勤じゃなかったっけ…。

 ピシャリ。

 だめだ。雑念しか浮かばない。

****** 

 「今日は休みなんですか?」

 座禅後,寺でお茶を飲ませてもらう時間がある。寺のよく整えられた庭園を見ながら,お茶と和菓子をいただくのが何よりの幸せ。松井さんもぼんやりと庭を眺めていた。

 「冬見補佐から,休みを取れとの指示だ。昨年一度も取得していなかったので,人事管理上,年休を消化して欲しいとのことだ。あまり,気は休まらんがな。」

 「え,一日も取ってなかったんですか?」

 「小隊長が不在にはできないだろう。ただ,上司が休めと命令するなら,従うさ。」

 「倒れちゃいますよ。そのうち。」

 「小松坂も同じだろ。指示でもなければ,休めん。小隊長っていうのはそういうものだ。それに,小松坂もそうだが、俺も今は独り身だからな。休んだってたいしてやることもない。それにいざとなれば,俺たちの大先輩,最強の冬美補佐が御出陣されるさ。」

 ありゃ,最後のは松井さんなりの冗談?珍しい。

 色々と意外だった。何となく松井さんと小松坂さんには距離があって,仲が悪いというのが部署内の定説だった。少なくとも,小松坂さんは松井さんをかなり意識していて,負けたくないという競争心を持っているし,仲良くしようなんて気持ちは全くないように見える。でも,今の松井さんの口調は,親友とか,下手したら兄弟のことを話すような暖かさがあった。

 「松井隊長は,小松坂さんのこと嫌ってるのかと思ってました。」

 松井さんは一瞬きょとんとした顔をした後,小さく,吹き出すのをこらえるように笑った。

 「なんでそう思った?」

 「え、いえ…なんかいつもやけにつっかかると言うか…厳しいというか…。以前小松さんは松井さんの部下だったと聞いているので,何かあったのかなーとか。」

 松井さんは、穏やかな顔のまま,少しだけ、何かを噛みしめるような、そんな目をしたように見えた。

 「あいつのこと、お前は何か知ってるか?」

 「え?小松さんですか?まぁ、ラーメンが好きとか、細かいところでうるさいとか…。」

 「あいつの昔のことだ。」

 「そうですね…。松井さんと、研修所で同期になった時期があることととか…。」

 あと,まぁ,ほんとはもう少し昔のことも知ってはいるけど…。それはここで話すことじゃないか。

 「その前は知らないか。まぁ、いつか、あいつから話すだろう。西園寺には。」

 「そんな風に言われたら、気になりますよ。なんですか?」

 「いや、いい。今日は口が軽いな。職場を離れると、気が緩んでいかん。そう言えば、お前はよくここに来るのか。」

 うーん、ちょっとはぐらかされたけど。

 「非番の日は大体ここです。帰っても眠れないので。」

 「そうか。それはいいな。たまにこうやって神経を休ませ,研ぎすます方がいい。先月の「装甲具神経学雑誌」に載っていた論文だが,座禅や瞑想が,装甲具との神経接続をなめらかにするという結果が出ていた。読んだか?」

 「…いえ…すみません…。」

 仕事の話になってしまった…。くそ…。あたしの休日が…。

 でもその論文は読んでなかったので,読んでみようかな。

 「座禅は昔から続けてるのか?」

 「実家が寺なんです。それと空手の道場も兼ねていて。小さい頃から座禅してました。」

 ほぅ,と松井さんはつぶやいて,手元の抹茶に視線を落とし,何かを考え始めた。

 松井さんが庭園に視線を戻した。

 「お前や四極がリミッター解除に耐えられるのは,何かそのあたりのことも関係しているのかも知れないな。精神統一とか,そういうこととか、な。」

 「それは考えたことがありませんでした。でも…。あたしは多分,他の要因だと思いますよ。」

 「他の要因?」

 「あたしと四極さんに共通しているのは,きっと,死ぬほど、装甲具を憎んだことがあるってことだと思います。」

 松井さんが、あたしに視線を向けた。

 不思議と、穏やかな顔をしていた。

 「親父さんのことか。」

 「四極さんは、妹さんを。」

 「あいつと、そんな個人的な話をしたことがあるのか?」

 あ,穏やかじゃなくなった。

 いやいや,違いますよ,あの人と,世間話はおろか,そんな深い話する人なんていませんよ。

 …とは言えないので。

 「いえ、ただ、そういう話を噂で聞いたことがあるだけです。」

 松井さんは,噂,ね,とつぶやいた。

 松井さんは抹茶を一口啜った。

 「死ぬほど憎い道具を使って、お前は何故、戦う?」

 松井さんの言葉は、不思議と、今のあたしだけでなく、昔のあたしにまで投げかけられているように聞こえた。

 でも、それは、問い詰めるのではなく、もうすでに知っている答えを、改めて確認しているように聞こえた。

 あたしは,ひょいと立ち上がって,伸びをした。

 「…あたし、もっと身長も伸びて欲しかったし、もっと力が強かったら良いと思ってました。男の子に生まれたら良かったかも,とかも。」

 ほんとは,まだこの間のリミッター解除の失敗を引きずっていた。

「お父さんの事件の前からずっとそう。男子に負けるのとか嫌だったし。お寺を継ぐにしたって、女性だと色々難しいし…。何かあんまり良いことないかなー、なんて。」

 あたしは、空の方を見上げた。

 「イザナギはすごいです。あたしに強い力を貸してくれる。知れば知るほどあたしに応えてくれる。あたしを引き上げてくれる。弱かったあたしを、強くしてくれる。きっと…。」

 鳥が一羽、日光を遮るように飛んでいく。

 「誰かが殺されかけていても、一瞬で助け出してしまえる位に。」

 松井さんも空を見上げていた。

 「西園寺、忘れるな。強い力は、自分を見失わせることがある。お前の本当の気持ちを、決して見失うな。」

 「本当の気持ち?」

 「そうだ、本心だ。」

  松井さんは、それだけ言うと、あたしに背を向けて歩いて行った。

****** 

 「さて。今日は第2小隊の当番日だ。西恩寺,風間,気を引き締めて勤務するように。補佐官からは何かありますか?」

 当番日は,該当小隊が,優先的に事件への対応に当たる。

 やけにやる気のある雰囲気の小松さんが,元気よく朝のミーティングを取り仕切る。

 「特になし。…あぁ,そうだ。こないだ西恩寺に対装甲具砲を撃った奴,あれの身元が分かるかも知れない。バイクの付着物をDNA鑑定していて,まあ盗品だからよく分からないが,犯罪歴のある人間がヒットしてる。容疑が固まり次第,令状を取ってガサ入れするかも知れないから,そのときはよろしく。」

 「それでは朝のミーティングを終わります。」

 朝のミーティングは,その日の当番隊と補佐,整備課のゲンさん,オペレーターの夏美ちゃん,その他何か連絡事項のある職員が参加する。

 「風間さん。この当直日誌,判子をお願いしますね。」

 夏美ちゃんが風間君に当直日誌を渡している。座っていた風間君の隣から,少し腰を屈めた姿勢で,肩まであるふわふわの髪が少し風間君に触れている。こうした何気ない仕草からしてかわいい。風間君は耳が真っ赤になっている。

 病気か。

 そういえば,この間、風間君の机の中に,夏美ちゃんのファンクラブ集会の案内が入っているのを見てしまった。

ファンクラブ…実在していたとは…気持ち悪っ。

 「ガサ入れの準備はしなきゃな。第2小隊メインだな。風間、よろしく頼むよ。篠崎に良いところ見せてやれ。」

 「ちょ、ちょっと補佐…。」

 夏美ちゃんは聞こえたのか聞こえてないのか、一瞬立ち止まったように見えたが、すぐに執務室から出て行った。

 「…勘弁して下さいよ…。」

 「こないだの砲弾の時も、良いとこ見せるチャンスだったのになぁ。」

 小松さんまで,何を能天気な…。

  「小松さんも一度,砲弾撃たれて見ればいいのよ。怪我じゃ済まないかもしんないんだから。」

 「なんだ,英理。お前ビビってるのか。」

 「はぁ?そんなわけないでしょ!」

 「そうだな。そりゃそうか。」

 「どういう意味よ?」

 「うわ,めんどくせぇ。」

 自分からふっかけといて,何なんだまったく。あたしがさらに追撃しようとしたところ,執務室に松井さんが入ってきた。宿直セットを持っているので,今日は当直日のようだ。

 「第2小隊はにぎやかだな。」

 「部下がガキなんで,相手するのに大変でね。」

  何言ってんの,この小隊長は?同じレベルで騒いでたくせに。

 「西恩寺,昨日は悪かったな。あまり気が休まらなかったんじゃないか?」

 「いえ,良いんですよ。松井さんと話せて良かったです。」

 「?!」

 「そうか。まぁ,相手をしてくれてありがとう。」

 じゃあな,と言って松井さんは当直室へ向かっていった。

 小松さんが何故かぶぜんとした顔をしている。

 「…なんすか?」

 「何だ,お前,松井さんと出かけたのか?その、なんだ…相手って何だ?」

 「別に?小松さんには関係ないでしょ。あたしのプライベートですから。」

 「ん…プライベート…うん,まぁ…そうだな。」

 ありゃ。以外とあっさりだったな。ふーん,とか言いながら,そのまま小松さんは自分の机の方に行ってしまった。

 まったく,小松さんにも,松井さんくらいの貫禄が欲しいものだ。

******

 「バイクはちゃんと置いてきたか?」

 「ええ,先日押収されました…。社長,本当に良いんですか?あのバイクからたどれば,うちの倉庫に捜査の手が伸びます。」

 「良いも悪いもない。組の指示だ。やるしかねぇだろう。」

 社長は,半ばやけになってきているように見える。

 「話しがどんどん違って来てるんじゃないですか。組の当初の要求通り,C,B,A級の装甲具を警察にけしかけた。これ以上の要求に応えるのは,危険過ぎます。」

 社長に向かって放った言葉が,社長に届かず,部屋の宙に浮いているのが目に見えるようだった。

 「「ルシフェル」も使え」とのことだ。」

 ルシフェル?あの格闘用装甲具のことか?

 「あれは密輸して組に渡しておしまいのはずでは?契約外でしょう!これ以上はこちらのリスクが大きすぎます!」

 「もう,引き返す場所などないんだ。あの倉庫は焼き払えとのことだ。倉庫内の薬物や密輸品のリストごと全部だ。その焼き払うときに,警察のやつらも誘い込んで巻き込み,あわよくば潰してしまえ,と言っている。」

 あまりのことに,頭痛と耳鳴りがした。とても正気とは思えない。

 「そんなこと,出来るわけがない。あの,警察の装甲具を倒せ,ということですか?無理だ,出来るわけがない。日本警察最強と言われている部隊ですよ?第一、そんなことして何の意味があるんです?」

 社長が,大量のリストバンドを机の上に出す。

 「…どういうことですか…。」

 「倉庫の連中全員に,これを配れ。」

 目の前が真っ暗になりそうだった。

 「社長…。それは,駄目です。これを使った連中はみんな廃人のようになっている。社員たちに死ねと言うんですか?」

 「やらなければ,俺達が終わるだけだ。」

 ******

 風間君の右手が空を切る。

 流れるような動きで小松さんが風間君の後ろを取る。バッテリーを一気に引き抜く。

 「風間,動きが単純過ぎる。」

 訓練用の簡易装甲具は,動きが重く,バッテリーハッチも開閉部分も固く作られている。それでも小松さんの動きはイザナギを着ているときと変わらないように見える。

 「次,西園寺。」

 「よーし。」

 小松さんのバッテリーを抜いたことはない。ていうか,後ろを取ったことも二回くらいしかない。

 やはり目の前にすると,何とも言えないプレッシャーがある。

 様子を見て…。

 不意に小松さんが踏み込んでくる。しまった,後手に回った。左に身体を流して小松さんに対して半身の姿勢から小松さんの右腕を掴みに行く。もちろんこれはかわされる。ふっと小松さんが視界から消える。見えないけど,これは小松さんの得意技。姿勢を低くしたまま一瞬だけローラーを使用して背後に回りこんでいる。あたしは左足を軸に回転して背後に向けて右の下段回し蹴りを放つ。

 あっさりと蹴りが空を切る。後ろにもいない?

 センサーが上から加速して落下してくる熱源を感知する。

 背後でバッテリーが引き抜かれた音がした。

 「安易。予測と勘だけで動くな。隙が出来る動きはなるべく避けろ。そんな派手に回転したら,次が動けないだろ。」

 「う~。もう一回!」

 あたしが回し蹴りをするところまで読んで,上に飛んで回り込んだんだ。

 「調子良さそうだな,小松坂。」

 あれ,珍しい,松井さんが第2小隊の訓練場に来るなんて。

 しかも,訓練用の簡易装甲具を着てるし。

 「やられに来たんすか?」

 小松さんが松井さんを睨みつける。

 「一度くらいやられてみたいもんだと思ってな。」

 隊長同士の組み手は珍しい。

 ただ,小松さんが勝ったことはまだ一度もない。

 小松さんは全国的に見ても4本の指に入る力を持っている。解体技術なら日本一だろう。

 でも松井さんは別格だ。補佐も小松さんも,みんなが最強だと感じている。多分,リミッターを外した四極さんでも,技術的には勝つことは出来ないだろうと。

  「赤鬼」。松井さんの通り名だ。由来は諸説あって,怒ると顔が赤くなるからだとか,現場で破壊した装甲具から飛散した、返り血ならぬ返り油で赤黒く染まったことが由来だとか,などなど。

 あ,最強か…そういえば,松井さん,冬見補佐に「最強」って言ってたな…?

 小松さんが松井さんと向き合う。貴重だから集中して見なきゃ。

先に動いたのは意外にも松井さんだった。真正面から小松さんに掴みかかる。隙だらけにしか見えない。何でそんな動きを?

 小松さんが直線的に飛び込んでくる松井さんを右にかわして,隙だらけに見えた左腕に掴みかかる。あっさり掴んだかに見えたその瞬間,小松さんの伸ばした右手を松井さんの右手が掴んで松井さんの方に引っ張った。バランスを崩した小松さんの背中が松井さんの目の前に引きずり出された。わざと隙を作ってカウンターを狙ったんだ。一瞬で形成が逆転し,松井さんの左手が小松さんのバッテリーに伸びる。

 「このっ…!」

 小松さんが左手で松井さんの左手を払う。その勢いで、松井さんの胴体に右の回し蹴りを放つ。松井さんは左手でガードし、その衝撃で小松さんを掴んでいた右手を離す。

 回し蹴りの勢いでバランスを崩した小松さんに松井さんが襲いかかる。ローラーも使ったのか,まるで瞬間移動のようなスピードだ。すんでのところで小松さんが上半身を逸らして松井さんの右手をかわす。すぐさま右の回し蹴りが飛んできて,小松さんはこれを読んで両手で松井さんの足を掴む。小松さんが優勢になる。そのまま足を掴んで松井さんを後ろに押し込む。片足立ちの松井さんがバランスを崩して倒れる。小松さんがマウントを取るため,体ごと覆いかぶさる。

 これは勝ったんじゃないか?

 この状態ではバッテリーは外せないから,顔や身体のパーツの一部を解除すれば勝ちだ。

 「もらった!」

 小松さんが右手を松井さんに向けて振り下ろす。

 次の瞬間,小松さんが何かに弾き飛ばされたように宙を舞う。

 地面に倒れた小松さんに、松井さんが接近し,一瞬で小松さんをひっくり返し,バッテリーを引き抜いた。

 「……。」

 何だこれ。一体何が起きたのか。全然わからなかった。

 「小松坂、ぎりぎりの見極めが甘い。カウンターを食らいすぎだ。」

 「…あんたの目が良すぎるんだよ…。」

 「目じゃない。覚悟の問題だ。お前はまだ、逃げている。」

 小松さんが何かつぶやき,松井さんを睨みつける。

 「風間君、どうなったか、分かった?」

 「いえ…。」

 風間君も目を丸くして隊長二人を見つめていた。

 隊長格の背中は遠い。

 いつか追いつけるのかな。いや,追いつかないといけないんだ。

 ここに居る資格を守るために。

 ******

 汗を流すためにロッカールームに向かうと、先客がいた。第2小隊の風間だ。

 「あ、松井隊長…。お先に失礼しております。」

 「シャワー室の順番ぐらい、気にするな。ここは研修所じゃないからな。」

 「はい…すみません…。」

 と言いつつ、風間はそそくさと体を洗い流し、シャワー室から出てきた。

 「随分引き締まってるな。何か特別にトレーニングしてるのか?」

 「いえ、まぁ、自宅で多少…。」

 多少、というレベルの筋肉じゃあない。細身で、優男な顔つきとは相当なギャップがある。

 こいつも,妙な奴だ。

 「お前、さっきの俺と小松坂の訓練、どう思った。」

 「レベルが高すぎて…自分には…。」

 「正直に言って良い。お前なら、あの最後の場面、小松坂の振り下ろしに対してどうした?」

 風間が少し黙り込む。

 「…自分なら…。いえ、自分にはまだどうすれば良いか分かりません。」

 「小松坂があの角度から振り下ろした拳に対して、他の方法は思いつくか?何でも良い。言ってみろ。」

 風間は少しだまった後、口を開いた。

 「…例えば…先に小松坂隊長の右腕を抑えてしまい、振り下ろせないようにしたりとか…。ただ、一撃で状況を打開するには、松井隊長の方法が最善かと思います。自分には他には思いつきません…。」

 背筋が少しざわついた。

 俺は右腕とは言っていない。

 こいつは、あの距離から、あの瞬間の出来事が詳細に見えていた。おそらく他の隊員は誰も見えて居なかっただろう。

 底の知れない奴だ。

 「…お前、実技訓練、全力でやっているか?」

 風間はきょとんとした顔をした。だが、一瞬顔が強張ったのを、俺は見逃さなかった。

 もう一言聞き出してやろうとおもったその時。

 「…?風間…に松井さん?何やってんすか?」

 小松坂が入ってきた。

 「…まぁ、良い。理由は知らんが、もし力があるなら、出し惜しみはするなよ。」

 風間と入れ替わりでシャワールームに入る。

 第2小隊か。

 西園寺と言い、こいつと言い、くせ者だらけだ。

こいつは何を隠してるのか。

 まぁどいつもこいつも、隠しているという自覚があるのかどうかも、怪しいものだが。

 小松坂も大変だな。

 いや、 第2小隊に限ったことじゃない。くせ者ぞろいはうちの隊も同じか。 

 「風間、何かされてたのか?あのおっさん、40突入して,今は独身だから、気を付けた方が良いぞ。もう、性別関係ない領域だろうから。」

 「ちょ…小松坂隊長…。聞こえてますよ…。」

 「うるさいぞ!小松坂!馬鹿かお前は!」

 まったく、何を考えてんだあいつは…。

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