第3話 サイクロン

「すまないが,すぐに西区に向かってくれ。座標は転送する。A級機体のサイクロンが逃走中だ。」

 佐藤課長補佐官からの通信を,夏美ちゃんが3人の通信ラインに流してくれる。

「どんな状態なんですか?」

「最悪だ。大熊森林公園は分かるか?」

「?」

「新東京都心にも関わらずキノコが採れて狸も出る,国立の大公園だ。」

 小松さんはキノコにも詳しい。以前佐藤課長補佐官が取ってきたタマゴタケで炒め物をしようとしたところ,混ざっていたタマゴタケモドキに気づき,第2小隊と整備課の危機を救った歴史がある。

「小松さん,キノコ採りに行ったの?」

「去年な。」

「キノコの話はいいから,サイクロンを気にしてくれ。」

 補佐は小松さんのアウトドア仲間であり,キノコの話は嫌いじゃないが,今は立場上乗りずらいようだ。 

「どの辺が最悪なんですか?」

「工事現場で暴れていたんだが,通報を受けて駆けつけるまでの間に,サイクロンだけが大熊公園の森の中に逃げ込んだ。上空のヘリからでは所在が確認できない。現在,大熊公園を閉鎖し,公園内にいた市民を避難誘導中。市民を守りつつ,サイクロンを追い込んでるとこ。熱源探知で大体当たりはついたけど,人手が足りない,マスコミは騒動を嗅ぎつけて来てるし,公園に逃げ込ました俺は始末書の可能性大。冬見ちゃんがいない時に限ってこれだよ。三人とも早く来てちょうだい。」

 「ちゃんづけ,またセクハラって言われますよ?最悪なのは分かりました。急行します。」

 確かに,第1小隊担当の冬見課長補佐官がいない時にこんな事件を引き当てるなんて,佐藤補佐官は相変わらず運が悪い。

 いや,逆に良いのか。手薄な中で、現場の統率力を示す絶好の機会なのかも。

 「現場まで後15分程度です。現在,上空ヘリからの熱源及び電磁波感知カメラで対象の居場所を特定中。発見次第,データを全装甲具に送信します。」

 「公園の中央入口に臨時対策拠点を設けている。俺もそこにいるから,とりあえず来てちょうだい。」

 「了解。二人とも,行くぞ。」

 「はーい。…風間君緊張してんの?」

 「してません…。」

 緊張した声で風間君が答える。

 まぁ,何のことはない,あたしも緊張してるんだけど。

 何せ,A級機体相手の捕物は,第2小隊初の経験なんだから。

 ******

 「夏美ちゃんが送ってくれたデータから,このランニングコースと野球場の間の林の中にいることが確認できた。」

 移送車を降りて,私たち三人は,装甲具を着用したまま佐藤補佐の周りに待機する。補佐が装甲具移送車側面に,携帯用プロジェクターで公園の地図を映し、概況説明を始めた。

 「十五分ほど前から,ずっとここにいる様子だ。動きがない。整備課からの情報だと,サイクロンのバッテリーは96時間フル稼働ができる長時間タイプで,省エネモードにすると,実に240時間の稼働ができるんだと。」

 「240…10日間?!何ですかそれ?」そんなに長時間動けるバッテリーは聞いたことがない。イザナギでも,省エネモードで5日と半日が限界だ。ていうか,ここまで来ると逆に,そんな長時間のバッテリーって,日本で工事用に使うのにどんなメリットがあるのか…。

 「まるで,戦争の長期陸戦を想定したかのようなバッテリーだろ?どうも,最新式らしく,バッテリー以外に,本体内部にも予備電池があって,バッテリーを抜いてもしばらく動くんだとさ。バッテリーの不意のショートなどを想定しているらしいが…。すごく厄介だ。このまま兵糧責めするにはちと時間がかかりすぎる。うちの課長さんが言うには,10日間も公園封鎖した日にゃ、また国会でお偉いさんが突き上げられちまうだと。裏話だが、来週この公園で何かの式典があるそうで、大臣とか議員さんも参加予定らしい。それもあって、本日中には片をつけたいところだと。」

 佐藤補佐の顔が皮肉っぽくゆがむ。

 補佐は課長のことが嫌いだ。うちの課長の八代さんは,いわゆるキャリア組の官僚で、長年,警察庁本庁にいて,警備局や情報通信局辺りで仕事をしてたらしい。そんな人がうちのような警視庁の最前線部署の課長として出向して来るのは珍しい。あたしがここに配属される前までは,警視庁特別装甲部装甲機動課の課長ポストは,地方警察の装甲機動課の隊長が,一度,警察庁特別装甲具研修所の教官を経てから昇進するのが慣例だったらしい。どちらかといえば現場のたたき上げの職員が,特別装甲具研修所幹部になる前に就くポストなので,今の課長は警察庁の出世コースから左遷されたんじゃないか,という噂がまことしやかに流れてる。

 でもここ数年の警視庁装甲機動課は,世間からの注目度が急上昇している。第1小隊には4年前に,武田重工社製の「カグラⅡ」が,そしてその二年後,第2小隊には武田重工社製最新鋭機の「イザナギ」が配備された。日本の最新鋭装甲具の配備ということで,東京都だけでなく,一都三県で起こる一定の要件を満たした装甲具事案には,管轄を超えて派遣されるようにもなった。

世界的に見ても最新鋭の技術が搭載された装甲具ということで,テレビなどもしばしば取材に来る。世の中的にも知名度の高い部署なので,そこの課長というのは世間への露出も多い。特に「イザナギ」が配備されてから,うちの課長ポストは議員さんに呼ばれたり,国会に呼ばれたりすることも出てきた。なので案外,八代課長に関しては出世コースに乗ってるんじゃないかと見る向きもある。

 何にせよ,課長は対外的な話をすごく気にするし,課長の判断基準は警察組織の上層部に対してどのように見えるか,ということに尽きている感じがする。

 つまり,現場受けは最悪ってこと。

 「佐藤補佐。第1小隊は準備整いました。」

 第1小隊長の松井さんから通信が入った。

 「了解した。これからうちの隊に作戦説明をする。10分後,1650に作戦開始予定だ。また連絡する。」

 「了解。」

 「第1小隊はもうスタンバってるんですか?」

 少しだけ,小松坂さんの声に力が入る。第1小隊の松井さんと小松坂さんの関係は少し複雑だ。もともと松井さんは装甲具が警察に配備された最初の時代から第一線で着用してきた人で,日本警察の装甲具の歴史そのもののような人だ。経験に裏付けられた冷静な判断と圧倒的な力と技術は,現在の日本の装甲具着用者の中で最強の呼び声が高い。数々の事件で逸話の残っている人であり,怒った時に顔が真っ赤になることもあって,「赤鬼」と呼ばれている。

 特別装甲具研究所の設立とともに特別装甲具研修所が設立されたのが2100年で,採用は5年差があり,装甲具の経験年数は全く違うが,小松さんと松井さんは研修所の装甲具特別過程研修の同期として出会うことになった。

 小松さんも若い頃からその器用さや能力を買われて,若くして特別過程研修の1期生として抜擢されることになった。だから,年齢は松井さんの方が5歳上の40歳だ。研修所を卒業後,松井さんはすぐに小隊長になり,しばらくの間小松さんはその部下として働いていた。今は同じ小隊長という立場だけど,第1小隊と第2小隊の間の微妙な上下関係同様,,松井さんの小松坂さんに対する態度は,どことなく上司風の雰囲気が漂う。もちろん,小松坂さんはそれをおもしろく思ってはいないと、あたしは感じていた。現場で共同作戦を行ったことはまだ数えるほどしかないが、そういうとき小松坂さんはいつも少し力んだ感じになる。

 「先に追ってもらってたからな。基本的には第1小隊に捕まえてもらう。第2小隊には、今回はサポートに回って欲しい。」

 補佐の口調の最後の方には、小松坂さんへの「わりぃな」という言葉が重なっているように聞こえた。

 「了解です。どう動きます?」

 「この地点にサイクロンがいる。松井が北,四極が東、海原が西をそれぞれ押さえて取り囲んでいる。そして、ここは林の中の広場になっている。」

 補佐が広場の図をタッチして拡大する。

「ここに行くには北・西・東のランニングコースを通るしかなく、こいつの図体だと、コース外の林の中に逃げても、木をなぎ倒しながらじゃないと進めないから、実質無理。今三方向のランニングコースから第1小隊の三人で接近してる。これで逃げ場はないし、この広場の中で一気に取り押さえる予定だ。」。

 なんだ、じゃあもう大丈夫そうじゃん?そんな雰囲気を察してか、補佐が続けた。

 「ただ、この南側、ここがネックだ。ここだけ林が薄い。もし木を何本かなぎ倒すことができると、この先は、高さ3メートルほどの急な傾斜になっていて、その先にはグラウンドが広がってる。可能性としては、サイクロンがここを強行突破した結果、下に落ちてくることが考えられる。」

 落ちてくる?なんか変だな。

 「では我々はこのグラウンドで待機ですかね?」小松さんが平坦な口調で聞いた。

 「うん。基本的には上でけりをつけたいが、万一,下に逃げるようなことがあれば、そこで捕獲して欲しい。」

 「了解しました。」

 「補佐。そろそろよろしいですか?対象が沈黙している今を逃したくないのですが。」

 松井第1小隊長が再度割り込んできた。

 「了解だ。第2小隊が5分後に配置に付く。その直後に作戦決行とする。予定時刻は変更なく,1650だ。」

 「では,第2小隊、配置に向かいます。英理、風間、行くぞ。」

 「了解。」

 あたしは、妙な緊張感を感じながら小松さんの後を追った。

 ******

 冬見補佐官の不在は痛手だ。

 第1小隊が独立して行動しづらい。佐藤補佐官は,第2小隊を使うことにこだわってる。おそらく,今回の件を上に報告することを念頭に置いているのだろう。第1小隊だけでA級機体を押さえ込むのと,形だけでも第2小隊と共同作戦で押さえ込んだというのでは、課長以上の幹部の印象は変わってくる。特に今回は課長も冬見補佐官も不在。実質佐藤補佐官がトップだ。報告書も嘘のない範囲で、佐藤補佐官の主観を色濃く反映したものにできる。

 組織の長としては妥当な判断か。

 冬見補佐官は裏表がない。知性と技能とカリスマ性で現場を牽引する。

 佐藤補佐官は違う。底が読めない。少なくとも、普段の飄々とした態度は、自分からすれば演技にしか見えない。

 「隊長。もう突っ込んじまおーぜ。」

 「駄目だ四極。補佐官の合図を待つ。」

 「突入して、一気に終わらせた方がいいじゃねーか!何考えてんだ!あの補佐官は!」

 「四極さん…落ち着いて…。」

 「うるせーぞ,海島は黙ってろよ。」

「…すみません…。」

 四極の気持ちは,正直言えば同感だった。だが、組織として、今はこうせざるを得ない。

 小松坂,早くしろよ。

 「松井。第2小隊が配置についた。作戦開始。三方向から同時に接近し、取り押さえてくれ。」

 「了解。四極,海原,作戦開始だ。1650,同時発進だ。」

 「「了解」」

 さて,A級機体を相手にするのは久々だ。呼吸を整え,時計が16時50分00秒になるのを待つ。

 厄介なのは,こいつがリミッターを外せる可能性があることだ。いかにA級とは言え,A+級機体のカグラ3体にかなう理屈はない。しかし,リミッターを外せるとなると話は別だ。もし危険な状態になれば,四極のリミッター解除申請も念頭に置く必要があるか。

 時計に目を向ける。

 時間だ。

 「作戦開始!」

 足部ローラーを起動し,一気にサイクロンとの距離を縮める。

 サイクロンの右方から海原が近づいた。海原をなぎ払うようにサイクロンが右腕を振り回す。海原が姿勢を下げてそれを避ける。

 「!!」 

 自分の現場の勘が,全力で警報を鳴らしていた。

 サイクロンが振り抜いた右手は,サイクロンの背後の杉の木を2本なぎ倒し,サイクロン自身がその勢いでほぼ一回転し,やや姿勢を崩した。

 考えられない。

 直径30センチほどの太さがある木を,腕の一振りでなぎ倒すなんて。

 「海原!四極!距離を取れ!」

 「何すか!隊長!やっちまいましょうよぉ!」

 「駄目だ!こいつ,リミッター解除状態だ!」

 こいつとの白兵戦は危険すぎる。

 長年の勘が激しく警報を鳴らす。

 「佐藤補佐!発砲許可を!」

 「駄目だ、松井。装甲具用銃器使用の代理決裁権は預かっていない。民間人は全て退避しているはずだが,広大な公園で万一のこともある。3対1の通常状況である以上、白兵戦で抑えてくれ。お前なら可能だろう。」

 「接近戦は危険すぎます。相手のデータが少なすぎる。無傷ではすまないおそれがある。」

 どうする,佐藤補佐官。

 数秒間の沈黙が流れた。

 「…四極のリミッター解除を使う。」

 「隊長!こっちはいつでもいいぜ。」

 それしかないか。

 はっきり言えば、好きな機能ではない。

 西園寺のリミッター解除ほどではないが、四極の方も制御のできている機能とはいいがたい。第一,リミッター解除後2週間は,四極は検査のために休養することになる。

 距離を取った状態で、対象は微動だにせず、我々を睨みつけるように仁王立ちになっている。

 現場では,味方の損害可能性を限りなくゼロにしなくてはいけない。そのためには戦力増強が必要だ。

 銃器が使えないならば、いたしかたない。

 「…補佐、お願いします。」

 「第1小隊「カグラ」2号機のリミッター解除を,補佐官権限において、課長代理許可。篠崎,解除コード起動。」

 篠崎夏美か。あの女も,若いが,底が見えん。

 リミッター解除機能と同様,気味が悪い。

 「「カグラ」2号機のリミッター,解除します。」

 四極の装着するカグラの各関節モーターの音が一段高くなる。

 「四極、無茶するなよ。そいつの動きを止めるだけで良い。海原と俺でハッチを開ける。」

 「りぃぃよぉうかぁぁぁい!!」

 そう叫ぶやいなや,四極のカグラはもうサイクロンの目の前にいた。つかみかかろうとした四極の両手に呼応するように,サイクロンは四極の両手をつかみ,膠着状態に陥った。しかし,徐々に四極の力が勝り,サイクロンを後ろに押しだしていく。

それでも、信じられない光景だ。リミッターを解除したA+級の「カグラ」の力にA級のサイクロンが対応している。今の四極は、軽トラック程度の重量であれば,片手で持ち上げるほどの力を出しているはずなのに。

 海原と自分がサイクロンの後ろに回り込み、海原がサイクロンの足を押さえようとした。

 その瞬間、サイクロンが四極の力を受け流すように右に回転し、我々に背を向け、走りだした。肩すかしをくらった状態の四極はバランスを崩してよろけた。

 サイクロンはそのまま背後の林に向かって走る。その先には薄い林になっている。木々の隙間から下に広がるグラウンドが見える。逃げる背中を海原とともに追った。足をつかめばそのまま前のめりに倒せる。林に突っ込んだところで,身動きがとれなくなるだけだ。

 そう思った矢先だった。林に飛び込むところまでは予想の範囲だった。しかし,数本の細い木をなぎ倒した直後,サイクロンの姿が視界から消えた。

 「?!」

 激しく地面をこするような音が聞こえた後,鉄の塊が地面に落下したことを示す鈍い音が響いた。

 サイクロンが消えた辺りに急ぐ。すると,足下のセンサーから重量オーバーの警報が響く。それは、地盤がカグラの重量を支えきれない恐れがあることを示していた。

 カメラをズームインすると,サイクロンが消えた辺りの地面が,細い木ごと崩れている。足下に雨上がりの湿った土が付着している。

 「…補佐。対象が林に入って,下に落下した模様だ。落下した付近は地盤が緩く,同じ経路で追うことは危険でできない。」

 「了解した。念のためだったが,その落下箇所付近に配置させていた第2小隊に対応させる。第1小隊は東西のランニングコースを通って下のグラウンドまで至急応援願う。」

 その落下箇所付近?

 念のため?

 ランニングコース?

 再度公園のマップを見る。下のグラウンドへ続く道は,東西1・5キロほどに延びた長いランニングコースを迂回しなくてはいけない。足下は置き石などででこぼこしており,ローラー走行をするのも難しい。

 「…四極,海原,第2小隊の援護に向かうぞ。」

 これは,はめられたのかもな。

 ふとそんな考えが頭をよぎった。

 佐藤補佐官は,こうなることを知っていたのではないか。初めから第2小隊にやらせるつもりだったか…。

 いや,こちらがサイクロンを取り押さえる可能性もあったはず。だが…。

 まぁ,地形を利用した作戦とも言えるか。

 何にせよ,やはり,冬見補佐の不在は痛手だったな。

 ******

 びっくりした。

 崖から装甲具が落っこちてくる所なんか見たことない。あたしらが配置した目の前に、第1小隊がとっちめるはずだった「サイクロン」がうつ伏せに倒れていた。

 「第2小隊へ。サイクロンが第1小隊から逃げる途中,崖から転落した。以後は第2小隊主体で制圧することとする。第1小隊は援護まで十五分ほどかかるので,よろしく。」

 佐藤補佐官の指示が飛ぶ。

 そのとき、サイクロンからかん高いモーター音が上がった。

 うつ伏せになって倒れた状態から、両腕を抜かるんだ地面につけて、ゆっくりと起きあがろうとしている。装甲のあちこちに土がついて、まるで西洋の昔話に出てくる土巨人(ゴーレム)のようだ。

 「抵抗をやめて,装甲を解除しろ。」

 小松坂さんが声を張り上げて警告する。

 サイクロンは地面に膝をつき、その場に立ち上がった。次の瞬間,いきなりあたしに向けて突進を始めた。

 その図体のでかさからは想像できないほど速い。6、7メートルほどの距離が瞬時に詰まる。あたしは左足を軸に体を横にさばき、サイクロンの突進をかわす。

 かわしたはずだった。

 激しい衝撃に,一瞬意識が遠くなった。モニター越しに公園の木と夕焼けに染まる空が見える。自分の視線の角度で自分が転倒しているのが分かった。

 ありえない。あたしの横を通り過ぎる瞬間に方向を変えて体当たりしてきたんだ。

 そんなことをしたら,足がちぎれてもおかしくないのに。

 「英理!早く立て!聞こえてんのか!?」

 「英理さん!!」

 小松坂さんと風間君の悲鳴が聞こえる。と同時にあたしのイザナギを覆う影に気づく。

 サイクロンが右腕を振り上げる。

 かわさないと。あたしの脳内で全力で警報が鳴る。

 イヤだ。怖い。

 死ぬ。

 でも脳が、体が、しびれて動かない。

 本当にやばいと思った瞬間。振りおろされたはずのサイクロンの右腕は,あたしの目前で消滅した。

 「英理さん早く!」

 風間君があたしの背中に手を添えて起こしてくれた。やっと頭がはっきりしてきた。

 目の前には,うつ伏せに転倒したサイクロンとその上に覆い被さる小松坂さんのイザナギが居た。すんでのところで小松さんが体当たりしたのだ。

 「っ、ごめん!小松さん!風間君!」

 「英理!風間!このまま押さえ込…!?」

 うつ伏せに倒れ,上から小松さんに押さえつけられた圧倒的に不利な状態から、サイクロンが起き上がろうとしていた。信じられない光景だった。A+級機体がA級機体を上から押さえ込んで、力負けしている。

 あたしと風間君が加勢するために近づく間に,サイクロンが小松さんを払いのけて立ち上がる。小松さんはよろけながら、どうにか持ちこたえてあたしたちの前に立った。

 「補佐!信じられないが、やはりリミッター解除状態が長時間続いてる!」

 「…西恩寺。リミッター解除を課長代理許可する。」

 ぞくっとした。

 さっき四極さんが解除したと聞いたから、ちょっと覚悟していたけど。

 やだな。しばらく休養じゃん。

 「補佐!小隊長としてそれはやらせたくない!武器の使用は?!」

 「許可がない。用件も満たさない。だが相手が悪い。西恩寺、すまないが、頼む。」

 「…いつでもいけますよ。」

 あたしは全身の力を抜いて、待った。

 「篠崎,イザナギ2号機のリミッター解除を、課長補佐官権限で代理許可!」

 「イザナギ2号機のリミッター、解除します!」

 リミッター解除コードが夏美ちゃんの手で打ち込まれた。

 モニター越しの世界の輝度が、二段階ほど上がる。

 地面の細かな粒子や、空気の振動まで見えるような気がしてくる。

 イザナギを装着している感覚が無くなっていく。イザナギに吸い込まれていくようだ。装甲具はあくまで道具で、体とは違う。普段は操作しているという感覚がある。でもそれが無くなっていく。むしろ、自分の体以上に体が軽くなっていく。自分がどんどん拡張されていく。

 あたしは,いつもこの瞬間に自分の中に湧き上がる感情を否定しようとしている。

 職務中に抱いてはいけない感覚。

 恐怖と歓喜だ。

 これは,車に乗り,高速道路でスピードを上げた途端,ブレーキが効かなくなるような,そんな感じ。

 ああ,もう止められないんだっていうような。

 そして,その感覚に駆り立てられ、喜んでいる自分。

 全身が,脳の裏まで,鳥肌立つような。

 「リミッター解除完了しました!解除限界時間,1分30秒です!」

 「了解。」

 あたしのモニターの右上に,赤文字で「限界時間」と浮かび,その下に1分30秒のカウントダウンが始まった。

 あたしは2歩でサイクロンとの間合いを詰めた。サイクロンがあたしを払いのけようと右手を振ろうとし始めたのが,スローモーションで見える。

 時間の感覚もリミッター解除中は変わる。一瞬で普段の数十倍の情報を処理しているように感じる。

 あたしは,サイクロンの振った腕を上に飛んでかわす。そのまま,サイクロンの頭部に向かって右の回し蹴りを加える。サイクロンが横に吹っ飛ぶ。吹っ飛んだサイクロンにあたしは飛び掛り,あたしを見失ったサイクロンの両肩をつかんで地面に押し倒した。

 サイクロンに馬乗りになったあたしは、右腕をサイクロンに振り降ろす。サイクロンの顔にひびが入る。

 もう一発叩き込む。

 もう一発叩き込む。

 どこかで小松さんの声が聞こえた気がした。

あたしはもう一度右腕を振りあげ、振り降ろす。サイクロンがあたしの拳を左腕でつかんで抑える。あたしは構わず力を込め続ける。少しずつあたしの力が勝り始める。

 小松さんの声が聞こえた気がした。

 あたしは力を込め続け,モニターが赤くなり,「限界時間」の文字が点滅し,けいほうがなっているのが聞こえる。

 つぶしてやる。

 あたしはさらにちからを込める。なつみちゃんとかざまくんの声も聞こえた。

 つぶしてやる。

 なにかがきしむ音がした。

みぎてが、なにか、ぬるっと、したものに、つつまれた。

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