第2話 ドラッグ/ロンド
装甲具整備課の雑多なオイルと金属の臭いも好き。
午前中に作成した書類を佐藤課長補佐官の決裁箱に放り込み,お昼休みの少し前に整備課の整備場に来ていた。
武田重工製警察用特別装甲具,IZG-111。通称「イザナギ」。白と黒を基調としたカラー。左肩のパトランプ。「日本警察装甲具のシンボル」を目指して,そのデザイン段階から国内の著名なデザイナーを起用して外装がつくられた。イメージ図を見たときから,絶対あたしが着るんだと信じて疑わなかった。
増大・悪質化する装甲具・装着具犯罪の防止と抑制に向けた「装甲具・装着具犯罪抑制施策大綱」の目玉として,国内トップシェアの武田重工と警察庁・警視庁・内閣府・経済産業省・国土交通省が協力して作った肝いりの機体だ。ピッカピカの3体が現場に導入されたのは,あたしが警視庁特別装甲部特別装甲機動課第2小隊に配属された2078年4月1日だった。それ以来約2年,あたしはこの子,イザナギ2号機と一緒に生き抜いてきた。このシンプルで洗練された機能美,高い拡張性,機動性とパワーの共存,国際基準A+級の武田重工最高傑作…。
「気持ち悪いから,恋人の裸をみるような目で見ないでくれっか?涎垂れてるし…。」
イザナギの陰から,小柄だががっしりとした作業着姿の男性が現れる。
あたしの口元は濡れたように光っているが,涎ではなく,さっき塗りすぎたリップである。
「裸っていうか,内臓っていうか…中身もいいのよね…。」
整備課長の山吹源三さん。みんな,ヤマゲンさんか、ゲンさんと呼ぶ。あたしがいくら装甲具への愛情を語っても引かずにいてくれる数少ない人の一人だ。
時間が空くとあたしはここでイザナギが整備される様子を眺めることにしている。それが何よりの息抜きだ。
この「イザナギ」は,第2小隊だけに配備されている。第1小隊には,「イザナギ」の一つ前のモデル「カグラⅡ」が配備されている。「カグラⅡ」も国際基準A+級であり,性能的には「イザナギ」と遜色がないスペック。どちらかというと,「カグラⅡ」の方が若干重量が大きい分パワーがある。一方「イザナギ」の方は素材の見直しによる軽量化が進み,装着者と装甲具の神経伝達スピードが向上している。
「こないだの事件で膝蹴りしただろ。膝のモーターのレスポンスが少し悪くなってたから,念のため部品交換しとくぞ。午後5時過ぎにもう一回来な。装着テストするから。」
「部品はちゃんと武田純正にしてよ!」
「光山システムのも良いのがあるよ。ってか,制御系はさすが,元ソフトウェア会社って感じ。小松坂さんも、光山システム製のパーツ使ってみようかなって言ってたし。武田より安いから,決裁下りやすいし。」
ゲンさんの脇に居た,整備課若手の上高木君がたわけたことを口走る。
「あたしの2号機に不純物混ぜないで!デザインも哲学も,光シス製は嫌いなの!光山の部品なんか入れたら着ない!上高木が壊しましたって上層部に言うから!」
整備課の若手陣が苦笑してるのが目の端に写る。他のみんなにも聞こえるように言っておかないと,コスト重視で光山システム製部品を流入されてはたまらない。
だって武田が良いんだもん。
光山システムの装甲具はなんか変。感覚的だけど,着けると何か気持ち悪い。
「はいはい,仰せのままに。上高木、姫さんに滅多なこと言うもんじゃねえ。お前、博打で負けすぎて金がねぇから、せこくなってんだろ。」ゲンさんが上高木君をどつく。
「予算に関して、上からの圧力もあるだろうけど,あたしと日本の平和の為に頑張って下さい。」
整備場の方から、何人かのくすくす笑いが聞こえた。
******
「いわゆる,脱法ドラッグって奴だな。」
佐藤課長補佐官がネットからプリントアウトした画像入りの文書をくれた。
「LCAD。通称「ラッキー」ってのによく似てるらしい。「ラッキー」自体はインドネシアの方で去年,少しの間流行ったという情報がある。基本的にダウン系の薬物で,とにかくぼんやりするタイプの薬だったとのことだが…。」
「楽しくなさそうなクスリですね。」
「英理には向かない感じだな。」
「小松さん、どういうこと?」
あたしが小松さんに食ってかかろうとしたところだった。
「これがこないだの事件の高森から検出されたんですか?」
風間君が堅い口調で口を挟む。
風間くんのこういう、自分の興味にしか目が向かないところが、夏美ちゃんにもてない理由だと思う。
「まぁ,この薬物が高森以外の奴からも検出された。全員ラリってたってわけだ。」
「じゃあ、薬物できまった状態で、日頃の不満ぶちまけた、みたいな?そういう事件ですか?」
「その線で片づけたいんだが…。」
佐藤補佐官が夏美ちゃんの方に目線を送る。
「これを見ていただきたいんですが…」
会議室のスクリーンに,破損した装甲具移送車両の写真が映し出された。
…あたしがかわしたせいで壊れたやつだ。申し訳ないと思うけど,始末書は午前中に書いたし…。
「悪かったってば…だってやばそうだったんだもん。とっさに盾出す余裕がなくて…。」
「いやいや,野生のカンだろ?」
「?」
佐藤補佐官が含み笑いをしている。
続いてモニターに何やら棒グラフが映し出された。
「あのB級が投げた鉄パイプの速度と破壊力なんですが,初速が小型銃の弾丸並の速度でした。装甲車の外装を貫通後,後ろにあった厚さ35センチのコンクリート壁も貫通してます。」
血の気が引いた。盾なんかで受けてたら…
「文字通り死ぬとこだったってわけだ。しかし,よく避けれたな。銃の引き金引かれてから避けたようなもんだもん。」
「補佐官…。」
軽く言ってくれる…。じろっと恨めしい視線を補佐に向けたが,補佐はあからさまに知らん振りをしていた。
「問題は,あのB級の機体に,こんな速度で物を投げるスペックはないってことだ。」
「リキラクⅡは,重量のある物を持ち上げるため,腕の補助モーターを作動させることで、短時間であればB+級の出力を産むスペックがあります。でも,その機能を活用しても,各種の誤差を含めて,最大限想定し得るのがこちらの左のグラフ程度の威力なんです。しかし,今回の結果から見ると,実際はその2倍以上の出力があったことになります。」
風間君が夏美ちゃんをぼけっと見ている。
ちゃんと話聞いてんのか、こいつ。
「結論から言うと,おまえ等がやりあってるとき,あのB級はリミッター解除状態だったってことだ。」
補佐がやや引き締まった声でそう言った。
なんかやばい話になってきた。小松さんもちょっと表情が引き締まってきている。
装着具・装甲具の制御リミッターは,国際条約と各国の法律で,すべての装着具,装甲具に搭載が義務づけられている。装着具と装甲具は,体の動きをサポートし,通常人間には不可能な動きを可能にしている。その分,人間の体が耐えられない動きをしてしまう可能性がある。筋肉の断裂や,関節の破損,骨折はもとより,装着中の過負荷によって死亡したと見られるケースは,実は少なくない。
装着具や装甲具が実用化された初期である2095年頃,作業中の事故や持病の悪化などという報告で片付けられている死亡事案の中には,実は相当な数の,装着中の過負担による死亡例があると言われている。
装着具・装甲具の先進国だった日仏独米英中露で何度も会議が開かれ,装着した人間の生命を守るため,どの装着具・装甲具にも制御リミッターが搭載されるようになった。
このリミッターの機能の向上によって,逆に,装着者は装着具・装甲具の機能を限界まで引き出せるようになった。リミッターは,装着者の身体の頑健さや柔軟さ,身体の反応速度の速さなどを計測し,身体に問題をきたさない範囲で、限界まで力を発揮できるようにするための、無くてはならない機構になった。
この,リミッターを外す,という行為は,「特別な場合」を除き,犯罪だ。これが横行すると,たとえ家庭用の装着具でも,ごくごく短時間,単発であれば,相当高位の機体と同等の出力を発揮できる。もともとの性能が高い機体でやれば,その結果は推して知るべしだ。
リミッター解除には,現時点では二つの方法しかない。機体の製御系に埋め込まれたリミッターコードを解除するか,リミッターの限界を超えた出力を神経接続系にぶつけるか,どちらかだ。
リミッターコードは,国際装甲具機構で管理されている。製造段階で暗号がかかっているとのこと。そして,解除コードは,各国の警察や軍など,一部の公的機関に限定的に配布されているが,その使用にも色々国際条約で制限が掛けられている。また,万一解除しても,特殊な訓練を受けていない限り,リミッターを解除した状態でまともな動きを実現することはまずできない。脳や身体が自然とブレーキを掛けたり,ちぐはぐな動きをして怪我をするのがオチだ。怪我どころか,リミッター解除が想定されていない機体でリミッターを解除するということは,文字通り,自殺行為だ。骨折や筋肉の断裂、場合によっては死亡事故に発展しうる。
そう,特殊な訓練を受けて,リミッター解除を想定した機体を使わなければ。
「今回の最大のポイントは,リミッターコードが外されていないことなんです。」
夏美ちゃんの顔が曇る。
「今,警察庁本庁の分析班と,科学警察総合研究所とも検討中ですが…おそらく,システムの限界を超えた神経接続系からの命令発出により,リミッターを無理やりダウンさせたものと思われるんです。」
夏美ちゃんがちょっと青ざめてる。夏美ちゃんは,もともと科学警察装甲具研究所,通称「科装研」の技官で,官民共同研究が行なわれていた,「装甲具技研」にも2年間いた経歴がある。装着者レベルの知識しかないあたし達でも,そのリミッター解除の方法は怖いと思う。詳しい知識を持つ彼女が感じる恐ろしさ,おぞましさはもっと強いだろう。
「こんな強引な方法,思いついても実行できません。もしこんなことをしたら…。脳細胞をはじめ、心身に致命的な損害を残すのは間違いありません。」
「でもそもそも,そんなに神経系の出力って上げられんの?素人でしょ?リミッター越えなんて…。」
あ,そうか。
「そこにドラッグが関係してるって話だろ?」
小松さん,むかつく。分かってるわよ…。
「おそらくそうだろう。実験でもしないと分かんないがね。この新種のドラッグが,脳神経系に何らかの作用をして,リミッター越えの出力を可能にした,と。そういう推論が成り立つ。後は本人達に事情を聞くしかないんだが…。」
佐藤補佐官の携帯が鳴った。「ありゃりゃ。やっぱり。」あんまりよくない話っぽい。
「高森茂美は深昏睡状態で意識回復の見込みなし。他の作業員二人も同じ。事情聴取不可能だ。」
*****
「リミッターが解除されていたらしいな。この間の事件。」
あたしたちが第2小隊の執務室に戻ってすぐ,装甲機動課第1小隊の人達が,第1小隊長の松井さんを先頭に,四極さん,海原さんの順で入ってきた。
松井さんは40代のベテランだ。現役警察職員中,装甲具の現場経験数でトップを誇る。多くの難事件を解決してきた,伝説の職員の1人だ。装甲具研修所の授業でも何度か名前が出てきた人だったので,初めて会った時は興奮した。とても厳しい人でもあるので,今でも話すときは背筋が伸びるし,緊張する。
四極さんは,研修所の卒業年で言うと3期先輩に当たるけど,嫌な人。口は悪いし人が嫌がることを平気でする。気分屋でもあり,整備課の若手などによく絡み,整備の仕方が気に入らないと怒鳴り散らす。この人が,あたしと同じでリミッター解除適格者だと言うのが嫌だ。まるでリミッター解除が出来る人間が,情緒的に問題があるみたいな印象を受けるから。。
海原さんは,第1小隊の紅一点。研修所ではあたしの1期後輩に当たる。腰まである長い髪と、やや天然なところがあり,話方がおっとりしたところなどが特別装甲部の男性陣に大うけ。通信指令課の篠崎夏美ちゃんと人気を二分していて,整備課や通信指令課には,それぞれのファンクラブがあるとの噂だ。
「どこで聞いたんすか?その話。」小松さんが顔も上げずに松井さんの言葉に応える。
「どこからでも流れてくるさ。しかし,リミッター解除状態のB級装甲具は簡単な相手じゃなかったろう。」
「第2小隊は優秀なんでね。瞬殺でしたよ。」
松井さんが,ほんの少し笑う。
「第2移送車は,穴が空いて,しばらく使えないらしいな。」
「事前情報もなく,その程度の被害で済ませたんだ。うちら三体は無傷でしたしね。」
「事前情報がないときこそ,細心の注意を払い,被害を限りなくゼロに近づけるのが,隊長の役目だ。」
どんどん険悪になっていく。
「…このケースについては,限りなく,ゼロでしょう。」
小松さんが押し殺したような声で,松井さんの顔も見ずにそう言った。
「万一,輸送車のドライバーに向けてパイプが飛んでいたら?お前ら避けたらしいな。」
小松さんが視線を松井さんに向けた。
けんかになりそう。
四極さんもニヤニヤし始めている。やな感じ。
「…松井さん,避けたのはあたしです。とっさの判断で…。」
松井さんはあたしの方をちらっと見た。
少しつまらなそうな顔をした後,松井さんはくるりとあたしたちに背を向けた。それに続いて,四極さんも同じように背を向けて出て行ったが,海原さんは最後に,「すみません,失礼します。」と言って頭を下げてから出て行った。
海原さんの長い髪から振りまかれた良いシャンプーの匂いが,かえって執務室の居心地の悪さを増していった。
******
「リストバンド?」
「こないだの事件の犯人達の腕に巻きつけてあった物らしいが。」
小松坂さんが職場用携帯の画面を見せてくれる。
「このリストバンドの中に薬物が封入されていて,高森に注入されたらしい。外部からの電波を受信して,任意のタイミングで薬物を注入できるような装置が付いていたそうだ。」
「げ…それって…誰かに打たれたってこと…?てか,どういう状態…?」
「その辺はぜんぜん分からんとさ。」
「怖っ!…なんだか謎だらけね。小松さん好きでしょ。」
「まーな。」
小松さんはもともと事件捜査の部署が志望だったそうな。ただ,実技があんまり良すぎて装甲具の実務系に配属されて、今に至る。
実戦はやっぱり強い。特に装甲具の解体に関しては天才的な感覚を持っていて,装甲具のバッテリー外しに関しては右に出る者はいないとあたしは思っている。あまりに巧いため,「解体屋」と呼ばれているのだが,小松さんの同期の間では,やっかみも含めて「脱がしの小松」とも呼ばれている。
海原さんもあたしも,最初にそれを聞いてからしばらくは,すごいエロい人だと思って近づかなかった。
「何考えてんだ?」
なんか察したか。色々鋭い。
「別に?それより,この辺じゃありません?」
今日は風間君は庁舎待機。緊急対応当番は第1小隊。あたし達は現場の補充調査のため,この間の事件が起きた会社である「太陽工業」に行くよう指示されていた。
太陽工業は海沿いの埋立地の一角にある,小規模の工事会社だ。敷地には倉庫が二つと事務所がある。その他のスペースは,資材置き場になっていて,建築用の様々な材料が乱雑に置かれていた。
官用車を駐車場だか物置だかわからない荒地に停め,事務所に向かう。建築資材を抱えた数体の工事用装甲具とすれ違う。これからどこかの現場に出かけるのだろう。
コンクリート建ての事務所の壁は灰色から少し煤けた茶色になっており,長い年月が経っていることに加え,会社の経営状態の悪さを感じさせた。入り口のガラス張りのドアの脇には,白いペンキで,古ぼけた看板に「太陽工業」と社名が書かれていた。
別の名前を上からペンキで上書きしたように見える。
中に入ると,作業着姿の職員が二階にある社長室まで案内してくれた。
「勤務態度は真面目中の真面目でしたよ。前歴があるのも知っていてうちは雇ってましたし,あいつもそういう負い目があったのかな。他の社員よりも人一倍頑張らないといけないって気持ちがあったんだと思うよ。もちろん前科持ちってのは,幹部しか知らないけど,何となく訳ありな雰囲気ってのは,どこかで周囲の職員に伝わるじゃない。そういう周りの雰囲気を本人も感じてたんじゃないかな。」
対応してくれたのは,社長と副社長だった。社長は,メガネを掛け,七三分けの髪の毛を脂っぽい整髪料でぴっちりとまとめている。張り付いたような笑顔で,聞かれていない事までべらべらと喋る。何か嫌な感じ。差し出された名刺には,「太陽建設 社長 東雲 守」と書いてあった。
一方,椅子に座りもせずに仁王立ちをしている副社長は,身長も高く,がっしりとした体つきをしていた。服装はグレーのスーツを着た営業マンのようなスタイルだった。しかし、その内側は格闘家のように引き締まった、筋肉質な身体が隠されているのが分かった。短く刈り込んだ髪と,日焼けした顔,その隙のない佇まいからは,何かの武術の有段者のように見えた。
「そういう職場の雰囲気に対してストレスがあったとか?」
「いや,そりゃないと思うんだ。本人は負い目があったかもしれないけど,あいつの仕事はみんな評価してたし,よく酒飲みにも連れてったもんさ。うちみたいな小さな工場はさ,そうやってコミュニケーションちゃんと取ってるわけ。第一,うちの会社でも,工事用B級装甲具の免許持ってるのは,5人しかいないからさ。重宝してたんだよ。会社としてはさ。」
「高森茂美はいつ装甲具のB級免許を取ったんです?」
「えーとね…ああ,ちょうど1年前くらいだね。うちで働き始めたのが2年前で,もともと装甲具のC級免許持っててさ。そんで1年働いて,B級の受験資格がとれて,一発で合格したんだ。すごいでしょ?みんなで酒飲んで祝ったんだよ。仲良くやってたんだ…。だから…。」
社長の顔が曇った。
「ショックがでかい事件だよ。何であいつが,と思うんだ。確かに、リストラは行われたよ。うちも公共事業の受注が減ってて、経営が厳しいんだ。本人ともその話はしていて、円満に退社してもらったはずだったんだ…。それが…。」
社長は,テーブルを2度タップして,デスクモニターの画面を切り替えた。
ー前科者という理由での解雇は差別。報復するー
うーん。ずいぶんセンスのない文章だなぁ…。
「これが高森茂美から送られてきたんですか?」
「社長と,自分のところに送られて来たんです。発信元のアドレスは,高森茂美のパソコンだったんで…まぁ,残念ですが,本人が送って来たのは間違いないですね。」
副社長はさらっと言い放った。
そんなもんかなぁ…。という感じだった。とはいえ,今のところこれ以上突っ込むところは何もなかった。
これ以上は,捜査になっちゃう。捜査は,捜査第5課のお仕事。
小松さんが高森のアドレスを控えている間,あたしは出された緑茶をずるずる啜っていた。と,人事部長の後ろの窓越しに,日光を艶やかに照らし返す,新型の装甲具の機影が見えた。
「あぁあぁああれ,サイクロンじゃないですか?!」
あたしはダッシュで窓に張り付いた。
「良くご存知で。来年度、やっと大口の工事が受注できそうで…。そのアピールのために、高かったですが,思い切って一機導入したんですよ。」
どきどきした。始めて実物を見た。
「サイクロン」は光山システム社製の新型の工事用装甲具だ。民間仕様のスペックとしては規格外の馬力とオプションを持つ。
一応A級とのことだが,スペック表を見て,何で検定に通ったのか,整備課のゲンさんと語り合ったばかりだ。結論は,光山システム社が経済産業省を取り込んでごり押しをしたんじゃないか,というところで落ち着いた。メーカー発表数値は,民間の規定限度ぎりぎりだが,オプションの組み方次第では,A+級規格レベルまで性能を引き上げられるんじゃないかと思い,ゲンさんも「出来そうだ。」と言っていた。ただ,純正オプションとしてはそのような拡張性を持ったパーツは用意されないということだった。だから,表向きには検定を通過した。そのように見える機体だった。光山システム社製というのが気に食わないが,一度は触れてみたい機体の1つだった。
「…す,少し見学させてもらっても…。」
「御協力感謝します。帰るぞ。」
小松さんが立ち上がってあたしの襟の辺りをつかんで引っ張る。
「ちょっとセクハラ!何手突っ込んでんの?!触んないで!」
「…うるさい。行くぞ。」
******
「面倒ですね。」
「さっさとパケを回収して,国外に飛んだ方がいいな。潜水艇の用意は済んでるんだろう?」
「はい。港の倉庫の方に用意して頂いてます。ただ,あそこも警察が嗅ぎ回ってます。」
「高森茂美のいたドヤは丸ごと吹き飛ばしておけ。その方が捜査のかく乱ができる。後は,組のオーダーをクリアすればいい。C級,B級,A級それぞれで試験投薬。残りはA級だけだ。」
「ええ,それで終了です。」
自然と深いため息が出た。
海外から薬物の運び込みを続けてきて,警察が絡んだことはこれまで一度も無かった。
組の指示通りやっていれば,危険が及ぶことはなかった。収入も確保できた。
今回はこれまでと全く違う。社長もそれに気付いているはず。組の指示からしておかしい。
装甲具を暴れさせて,警察の装甲具と…あの最新鋭の装甲具とやり合わせろなどという指示が出るなんて。
装甲具を扱うものなら,誰でも知っている。あの警視庁特別装甲機動課のエンブレムである縞模様。装甲具犯罪者への最後通牒(デッドリィ ストライプ)。
あれが出てきたらおしまいだ。事件解決率100%の無敵の部隊。
地方なら自衛隊が派遣される事案も,首都を含めた一都三県はこの部隊が専任で対応する。
なぜなら,自衛隊よりも高スペックの部隊だから。
異常なオーバースペック。異常な配備。「世界一安全な首都圏」のスローガンの下で進められたおかしな施策。
だから新東京や関東近郊で装甲具を使って事件を起そうなんてことは,よっぽどのバカしかやらない。
そして自分達は,ずっと利口に立ち回ってきた側だった。
いや,いい。考えるな。C級とB級は依頼された分の薬物投与を終え,警察と接触させた。後はA級機体をけしかければ,組からの指示は全て終了だ。後処理は,いつも通り組がやってくれるはず。
今回も大丈夫に違いない。
そう信じる他ない。
******
「どう思う?」
「小松さんは本当にけちだと思う。おまけに年下の女性部下の首筋から突然手を突っ込んでくる変態だと思う。」
「そんなこと聞いてねーよ!あんな工事用装甲具の新作,見てもしょうがねぇだろうが!。」
「分かんないじゃん!次の現場は,あいつが暴れるかもよ?ちゃんとバッテリーハッチの場所とか,動きとか見といた方が良かったかも知れないじゃん!」
「導入されたばっかだし,高価な機体で製造数も少ない。信用できるベテランしか着るのは許されないだろ。そんな機体が事件に絡む恐れは小さいね。家に帰ってサイクロンのネット動画でも見るんだな。」
「本当にむかつく…。」
絶対後で反撃してやる…。
ん?
「あれ…でもやっぱりおかしくないですか?サイクロンなんて,買ったら相当高いでしょ?あんな業績の悪そうな会社に,購入するお金あったのかな。」
「そこは引っかかるよな。よっぽど借金でもしたのか…。一応,捜査第五課の矢島さんにも伝えて,購入ルートとかに変なとこがないか,裏を取ってもらうか。」
運転は部下の役目。あたしは運転席、小松さんは助手席。官用車に乗り込みながら,小松さんは首を傾げていた。
「それと,あの社長と副社長の話は怪しく感じなかったか?。」
「嘘をついてるかってこと?確かに何かしっくり来ない感じはあったけど…。」
「前歴をだしにして何か脅していたとか,後ろめたいことでもあったんじゃないか?突然聞きにいったのに,何か,準備してたみたいに流暢に話してたろ。」
「それは勘ぐり過ぎなんじゃないですか?」
「もうちょっとな,お前は装甲具だけじゃなくて,人間にも興味を持てよ。事件を起すのは,装甲具じゃなくて,人間なんだからな。」
理由はそれぞれだったが,もやもやした気分のあたしらが,官用車のシートに座ったその時だった。
非常事態を告げる警報が車内に鳴り響いた。官用車のカーナビモニタに夏美ちゃんが映る。
「非常召集です。地点転送・急行願います。装甲具は現地着用でお願いします。」
「りぃようかい!」
ガコガコッとギアチェンジして,あたしはアクセルを踏み込んだ。小松坂さんが窓に頭をぶつけたっぽい。
「てめー…。」
「早くシートベルトしてよ!小松さん。」
まだ何か言ってきそうだったので,さらにアクセルを踏み込むと,小松さんはシートベルトに食い込んで「ぐえっ」となった。
******
「こりゃ,大迷惑じゃん。」
お昼時の第三湾岸線旧東京方面道路が丸々通行止めになっていた。
「また工事用装甲具かよ…。」あたしと小松さんは,料金所脇に停車してあった「イザナギ」を格納した装甲具移送車両に乗り込んだ。
「被疑者は,町田洋。36歳。日雇い労働者です。路面舗装作業中,傍にいた同僚に向けて突然バーナーを向け,装甲を損壊。被害者は装甲を貫通した熱で,重度の火傷を負ってます。装甲具は光山システム社製工事用C級機体,MYー2897,「ロードレーバーⅡ」です。」
装甲具の装着位置につきながら,夏美ちゃんの情報を聞く。どこにでもあるC級普及型工事用装甲具だ。深夜の道路工事なんかでしょっちゅう使われている。
「うちの補佐と第1小隊の先輩達は?」
「西区の方でもう一件類似の事件が発生して,3名ともそちらに行かれました。西区の方は装甲具A級1体,B級1体が路上で暴れています。冬見補佐が警察庁本省の会議で不在のため,佐藤課長補佐が指揮を執ってます。」
「何それ!A級の民間機体?」かなりやばい話だ。佐藤補佐がうちの指揮を外れるなんて滅多にないし,A級機体が暴れるなんて話も聞いたことがない。第一、A級なんてほとんど民間に導入されてないし…。
お、ということは、まさか…。
「A級,民間機トップグレード,光山システム社製の「サイクロン」です。」
あ~,ほらほらほら~。
「きた!小松さん!ほら言わんこっちゃな…」
ぶちっと小松さんがあたしの回線を切った。
逃げたな…。
「それで第1小隊はみんな出払ったのか。」小松さんが淡々と話を進める。
「佐藤補佐から,こちらの指揮は小松坂小隊長に委任するとのことです。」
「じゃあとっととここを片づけて,A級の方に加勢しようぜ。夏美ちゃん,神経接続頼むわ。」久々に現場の全権委任を受けた小松坂さんは少しピリッとした声色だ。
「神経接続開始。A1から順次解放」
装甲具移送車両のシャッターが開き,あたしと小松さんは高速道路上に飛び降りる。
警視庁機動警備隊の装着具5体と風間君が容疑者を取り囲んでいる。
警察庁の装甲法関連通達では,「相当に緊急な場合」を除いて,暴れている装甲具を取り押さえる場合には,2体以上の警察装甲具着用者で行うことが決められている。
相当に緊急な場合,の解釈はその時期の警察庁の方針や幹部の意向次第で分かれるところだけど,今日の状態は,対象がまだじっとしてるのと,周囲を警察が取り囲んでいるので,どう考えても適合しない。なので,風間君はあたしらが到着するまで待たされていた。
「遅れた。すまない。」
「とっちめちゃっても良かったのに。」
「警備局長通達28号違反は始末書ですよ。」
「通達番号まで覚えてんの?きもちわるっ。」
風間君たちの代の研修所では,「風間ノート」なるものがテスト対策のバイブルとして出回っていたらしい。あまりの出来の良さに,ある教官がこっそりコピーを取って,研修教材の改良時に流用したとの噂がある。もっとも風間君本人は,テストに向けて気合いを入れすぎ,実技試験当日に熱を出すことを二度繰り返して、落第しかけたとのこと。
みんなでやるはずの実技試験を,一人だけ別日で個別に行ったそうな。
まじめが行き過ぎるとあれになるという典型だとあたしは思っている。
「あいつはずっと固まってんのか?」
「何を言っても反応なしです。突然,一緒に作業していた工事用装着具にバーナーを向けた後,ひとしきり工事現場を散らかしたらしいですが,その後,通報があって取り囲まれてからは完全に沈黙してます。」
「固まってるなら,そのままで良いじゃない。第1小隊の方も気になるし,ちゃちゃっと縄をかけちゃいましょ。」
「だな。風間,警告を開始。」
「了解。」
風間君が律儀にスピーカーを口元に持っていき,警告を発する。「今すぐ装甲具の装着を解除して,投降しなさい。この警告に従わない場合は,法律の手続きに則り,実力を用いて装備を解除させ,逮捕します。」。この文言も通達通りに暗記しているらしい。あたしは、「さっさと投降しなさい。じゃないと逮捕するよ。」で終わりにして,佐藤課長に一度補習を受けた記憶がある。装着の解除の機会を与え,警告をしたという前提が,装甲具相手の逮捕の前には特に重要な意味があるとのことだった。
向こうの反応はない。十五秒ほど様子をうかがうが,微動だにしない。警告を無視したと判断するに足りる時間が経過したことを確認した小松坂さんから通信が入る。
「課長補佐官代理の小松坂より。現在日時05171405。これより逮捕手続き執行に入る。風間は左。西園寺は右。制圧後,俺がバッテリーを外す。」
「「了解!」」あたしと風間君は同時に左右に散り,ローラーを加速してB級に迫る。小松さんは真正面から接近する。
その瞬間,うつむいていたロードレーバーⅡが顔を上げた。モニター越しのサーモスタットで右手に持っていた工事用バーナーに着火したのが分かる。
「英理さん!」
「分かってる!」あたしは速度を落とさず,接近しながら上半身を屈める。あたしの頭があったあたりを高温の炎がかすめていった。火炎放射器じゃあるまいし…工事用ってこんなに火力強かったっけ?
あたしは勢いそのままに,ロードレーバーⅡの足下に飛び込み,両足を押さえ込む。
「!?」
力が強い。「イザナギ」のタックルを受けてなお踏みとどまって,足を動かそうとしている。C級の装甲具の力じゃない。
上の方で風間君がバーナーをはたき落としたのが分かる。小松さんはあたしらの上を飛び越えて,もうロードレーバーⅡの後ろに回り込んでいた。
ガコッガコッという音とともに,ロードレーバーⅡは両腕をだらっと下げた。小松さんがバッテリーを引き抜いたのだ。
「はやっ。」
「こんな素朴な機体に時間かけらんねーよ。」
さすがは解体屋。
「よし。装甲具解除!逮捕!」
小松さんの指示の下,風間君とあたしでロッドレーバーⅡをうつ伏せにして,頭部から装甲具の解除をしていく。こうして外部から強制的に解除する際には,頭部と両肩,腰のジョイント部分のロックを解除していく。
「…またかよ…。」
頭部の解除をしたところで,小松さんが気づいた。
この装着者も,白目を剥いて,意識不明の状態だった。
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