39湯目 先生からのアドバイス
不思議な先生、分杭先生と知り合いになってから、しばらくして。
「温泉行きたいけど、真冬だと選択肢が限られるな」
2月のある日、まどか先輩が部室で溜め息混じりに呟いていた。
「そうね。山梨県内は路面凍結する恐れがあるし。かと言って、この間みたいに大洗は遠いし」
「どこか、いい温泉ないかなー」
琴葉先輩もフィオも、冬の温泉の行き先について、悩んでいる様子だった。
もっとも、私自身にも、大して意見や提案があるわけではないのだが。
そんなことを考えていると。
ふと頭に浮かんだのが、あの分杭先生だった。
元ヤンキーという噂があるとはいえ、人当たりがいい優しい先生として人気があるらしい。彼女に聞けば教えてくれるかもしれない。
もっとも、そうは言っても、1年生の私は、彼女の授業を受けていないから、まるで接点がない。
どうしたものか、と思いつつも、わざわざ職員室まで彼女を訪ねる気もなかった私は、それから数日後の部活動が終わった放課後。
たまたま帰り際に職員玄関横の、縦型の灰皿の前で、紫煙を燻らせている彼女を見かけた。彼女は喫煙者だったのだ。
白衣を着て、喫煙をしている彼女が、何だか妙に様になっているように見える。
今時、喫煙者、それも紙タバコというのは珍しいのだが。
「分杭先生」
声をかけると、彼女はすぐに気づいて、目頭を緩めるように、微笑を浮かべた。
「おう、大田か。どうした?」
彼女は確かに口は悪いが、優しいというのは本当かもしれない。むしろ、少し乱暴に思えるこの口調も、照れ隠しなのかもしれない。
そう思うと、少しだけ彼女に親近感を持った。
そこで、私は、部活動において、「真冬」の温泉ツーリングに行くために、迷っている。解決のアドバイスをもらえないか、と相談をしてみることにした。
そのことを一通り話す。分杭先生は、じっと黙って話を聞いていてくれたが、やがて、私が話し終えると。
「何だ。そんなことか。あるぞ、いい温泉が」
「本当ですか? どこですか?」
「
「川根温泉? 聞いたことないですね」
「まあ、そりゃそうか。静岡県だからな」
「静岡県ですか? 遠くないですか?」
「遠いっちゃ遠いが、高速で2時間半、下道だと4時間ってところか。浜松よりは近いぞ」
それは嬉しい情報を聞けた、と思うのだが、先生が何故そこを知っていたのか、そして何故薦めてくれたのか、が気になった。
その理由とは。
「ああ。私はこう見えて、お茶が好きでな。よく静岡にお茶を買いに行くんだ。その時、川根茶と共にたまたま見つけて入ったら、良かったんだ」
意外だった。
見た目は、少し怖そうに見えて、元ヤンキーだという分杭先生。喫煙者でもあるのに、お茶が好きだという。妙に健康的な理由で、不健康の代名詞のタバコとは、正反対すぎて笑えてくるくらいだった。
それ以前に、私は「川根茶」というものがあること自体を知らなかったが。
そんな、薄っすらと笑みを浮かべた私に対し、先生は怒るどころか、
「私がお茶好きって、そんなにおかしいか?」
照れ臭そうに困惑したような表情を浮かべていた。
ああ、この人。きっと不器用なだけなんだろうな、と思うとますます先生のことが気に入ってしまうのだった。
特に最近、教師は生徒と一線を引いている人が多い中、この人は友達のように接してくれる。
おまけに、細かいところにこだわらない、サバサバしたところがある。心に余裕があると言い換えてもいい。生徒に人気がある理由が、何となくわかった気がした。
若いのに、人間的に「出来て」いる人なのだろう。
慇懃無礼な人より、口が悪くても、親しみやすいこの人のような人の方が、私は好きだ。
「すみません。ちょっと意外だっただけです」
「よく言われるよ」
そう言って、微笑んだ後、彼女はタバコをもみ消して、
「行くのはいいが、路面凍結には気をつけろよ。暖かい静岡県とはいえ、朝晩は凍る可能性もあるから、行くなら日中に行け」
そのまま手を上げて、職員室の方に戻って行くのだった。
その背に、私は、
「ありがとうございます」
軽く頭を下げていた。
早速、この情報を持って。翌日の放課後に、先輩たちに提案をしてみた。
すると、
「川根温泉? 待て、ちょっと調べるから」
まどか先輩は、早速、携帯で検索を始め、
「島田市にあるわね。大井川沿いにある温泉ね」
琴葉先輩は、同じく携帯で調べ、早速情報を得ていた。
「どんな温泉なんだろ? 楽しみネ。もちろん、静岡なら高速使うよネ?」
フィオの興味は、温泉そのものよりも、高速道路を走れるか否かに向いている気がする。
先生から教えてもらった距離と、路面凍結のことを伝えると、
「ああ。それなら必要なくね? 下道でも日帰りできるだろ?」
まどか先輩は早速了承の意を示していたが、
「ええー。また下道?」
予想通り、フィオは悲鳴のような声を上げていた。
「まあまあ、フィオ。国1はバイパスだから、結構流れはいいわよ」
「国1?」
フィオのきょとんとした顔に、琴葉先輩が説明を加える。
「国道1号のこと。国1は、長距離輸送のトラックも使うからね。バイパス化されて、全体的に流れが速いから、準高速道路みたいなものよ」
「そっかー。ならいいヨ」
相変わらず、スピードに関しては、妙に現金なところがあるフィオだった。
「じゃあ、皆さん。次は、その川根温泉でいいですか?」
私が念を押すように、確認すると、三人は一様に頷いた。
こうして、次の温泉ツーリング先が決まった。そして、これが、「今年度」の最後の温泉ツーリングになるのだった。
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