37湯目 化石海水の謎

 そこから先は、国道124号に入った。片側2車線の大きな道路で、比較的走りやすい道ではあったが、ところどころに点在する信号機に停められるため、快適なツーリングコースとまではいかなかった。


 それがいつの間にか、片側1車線になり、国道も51号に変わっていた。


 海に近いところを走っているのは、潮の匂いで何となくわかったが、明確に海が見える部分というのは、少なかった。


 走ること2時間あまり。

 再び2車線になり、ようやく視界の右側に海が見えてきた。


 街の名前がいつの間にか「大洗おおあらい町」に変わっていた。


 その大洗の中心部に向かうかと思いきや、まどか先輩のSR400は、バイパスを降りて海の方に向かい、さらに左折して、奥まった道に入って行った。


 時刻は午後4時半を回っている。冬の弱い陽がもうだいぶ傾いてきており、辺りが薄暗くなり始める頃。


 ようやくそこにたどり着いた。


 大洗温泉。


 そこが彼女の目的地だった。

 私にとっては、これも全くの未知の領域で、全く知識にはなかった。


 その大洗温泉。面白いことに、メニューには「ライダーセット」なるものがあり、要はバイク乗り向けに、温泉と一緒に大洗名物のあんこう鍋がついてくるというものだった。


 私たち4人は、迷わずそれを選択。


 早速、西日が間近に迫る中、温泉に入ることにした。


 広い脱衣所を抜けて、洗い場に入る。

 内湯も広く、高濃度炭酸泉、ジェットバイブラ風呂、水風呂、遠赤外線サウナまで揃っていた。


 早速、各自体を洗い、その後、内湯に入る。


 そこで、いつものように琴葉先輩に聞くと、

「ここは、ナトリウム塩化物強塩泉ね。ph7.3で、殺菌効果も高いらしいわ。ただ、面白いのは、化石海水ってのが入ってるらしいところね」

 いつもとはすこし違う回答が返ってきた。


「化石海水って、何ですか?」

 何だか、科学の授業の時間のような気がする専門用語が出てきた。


「それを説明するためには、外に行った方がいいわね」

 言うなり、彼女はさっさと内湯を出て、外の露天風呂に続くドアを開けて、出て行った。


 私もまどか先輩も、フィオも後を追う。


 外の露天風呂は、想像以上に素晴らしい眺めだった。

 もちろん、前方に転落防止と、覗き防止の柵があるが、その向こうには、遮るものが何もない砂浜と海が広がっており、夕闇の向こうかは潮騒しおさいの音が響いてくる。


 さらに、雨が降っても大丈夫なように、露天風呂には東屋風の屋根までついており、しかも温度的にも暑すぎず、ぬるすぎず。

 特にこういう寒い季節に入るには、ちょうどいい湯温だった。


「寒いヨ!」

 元気なフィオが真っ先に浸かり、次いでまどか先輩、最後に私が続く。


 すでに入っていた琴葉先輩は、全員が揃ったのを見てから、海の方を指差しながら説明を始めた。


「ここは、見てわかるように、海が間近でしょ。海に近い温泉には、太古の地殻変動などで古い海水が地中に閉じ込められている場合があるらしくてね。ここの温泉は、その塩分を大量に含んでいるのが特徴らしいわ」


「塩分を含んでたら、海みたいなものですよね?」


「そうね。ただ、この化石海水に入浴することによって、血行が活発になって、肌に塩分が付着し、保温効果が上がって、湯冷めしなくなるそうよ」


「おお。そいつはいいな。いくらでも入れそうだ」

 まどか先輩は、陽気というか、呑気だが、私は、


「まどか先輩。のんびりしてたら、今日中に帰れなくなりますよ」

 そっちの方が心配だった。


 ところが。

「もう、瑠美はそんなに帰りたいの? 明日の授業なんて、サボっちゃえばいいヨ」

 フィオはまるで不良娘のようなことを平然と言ってきた。もっとも、いつも遅刻する時間にルーズな彼女は、不良みたいなものだが。


「まあ、サボるのはともかく、ここまで来たら、どうせ高速道路が渋滞するから、帰りは必然的に遅くなるわね」

 琴葉先輩は、冷静というか、もう半ば諦めているらしい。


 そして、リーダーは。

「どうせ渋滞するんだ。ここでゆっくりしてから帰ろうぜ」

 まるで帰る気がないような発言をしていた。


「っていうか、ここから山梨まで何時間かかるんですか?」

「3時間くらいだな」


「3時間! それ、もう明日の授業がヤバいんじゃないですか?」

 さすがに、少し引いていた私に対し、先輩たちは、いずれも達観していた。


「どうせ渋滞するんだ。21時頃にここを出ようぜ。そしたら、渋滞に巻き込まれずに0時過ぎに帰れる」

「そうね。それか、渋滞覚悟で20時頃に出るか、ね。多少の渋滞には遭っても、もうだいぶ引けてる頃だわ」

「渋滞はイヤだヨ。でも、下道で帰るのはもっとイヤ!」


(はあ)

 思わず溜め息が漏れていた。


 バイク乗りというのは、みんなこうなのだろうか。

 後先考えない無計画な人が多いというか、行き当たりばったりというか。


 もっとも、私も私で、琴葉先輩ほど真面目ではないし、この無計画さにも慣れてきてはいたが、最悪帰宅は0時過ぎになる。


 さすがに後で親に電話しておこうと思うのだった。


 風呂上り後、すぐに食事を食べに行くかと思いきや、先輩たちは仮眠室で寝ると言ってしまい、大広間のようなところで、3人とも横になってしまった。


 まったくのんびりしているなあ、と思いつつ、私は携帯の地図アプリを開け、ここから山梨県塩山市の自宅までの距離とルートを検索。


 北関東自動車道、常磐道、首都高、中央道経由で、「最速で」3時間と少し。距離は240キロ近かった。


(マジで遠い!)

 しかも、これは渋滞や休憩時間を想定していない、「最速」の数字である。


 それを考えると、下手をしたら、4時間か5時間はかかる。


 逆算しても、今日中に帰るためには、余裕を持って、19時か20時には出たいところだ。


 だが、風呂に1時間近くも入ってから、さらに1時間以上も仮眠を取っていた先輩たちが起きてきた頃には、すでに時刻は午後7時を回っていた。


「先輩たち。早く食べましょう」

 私が促して、ようやく食堂へ向かってくれた先輩たちだった。


 ライダーセットでついてきた、大洗名物の「あんこう鍋」は確かに、美味しかったし、初めて食べたから、不思議な食感で、興味深かったが。


 それ以上に、私はその日のうちに帰れるかの方が内心、心配だった。


 見ると、地図アプリに表示されている、常磐道の上り線は、途中の守谷SA付近を中心に、すでに真っ赤に染まっている。つまりみんな東京方面に帰る観光客だろう。


「まどか先輩。渋滞ヤバいですよ」

 私が切羽詰まったような声を上げるも、彼女は実にのんびりしていた。


「ああ、わかってる。だからこそ急いで帰る必要はない。渋滞が引けるタイミングでのんびり帰るのがコツだ」

「でも、今、冬ですよ。陽が落ちると寒いですし、路面凍結も心配です」

 余程、私が心配しているように見えたのだろう。


 今度は、私の隣で鍋をつついていた琴葉先輩が、優しい声をかけてくれた。

「大丈夫よ、大田さん。確かに寒いけど、この辺りの高速道路で、路面凍結になることは滅多にないから」


「何とかなるヨー」

 そして、フィオはまったくもって、能天気なほどに、何も考えていないように思えるのだった。


 結局、この大洗温泉を出発したのは、午後8時を回っており。


 北関東自動車道、常磐道を抜け、軽い渋滞に遭いながらも首都高を通過。中央道に入った頃には、さすがに深夜になり、道は空いていた。


 もっとも、逆の上り線の東京方面は、まだ混んでいたことに衝撃を覚えたが。


 それに、この中央高速道路は、山道を走るため、街灯が妙に暗くて、よく見えないのが正直怖いと感じるのだった。


 さらに、真冬の、肌を切るような寒気が襲ってくる。


 ようやく自宅に着いた頃には、本当に日付をまたいで、0時を回っており、さすがに私は、母に怒られるのだった。


 こうして、私にとって、初めての「冬」の温泉ツーリングは何とか無事に終わった。正直、この寒さと暗さは、想像以上に堪えるのだった。


 だが、この過酷な環境でのツーリングが、後に経験として生きるとは、この時は思いもしなかったのだ。

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