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…………もう、何も見えなくなっていた。
背中にあるはずの、墓石の冷たささえ感じなくなっていた。
深淵の向こうは、極彩色に塗りたくられた異空間だった。
無数の瓦礫が宙を舞っていて、瓦礫の平らな面に無数の見知らぬ景色が映し出される。そんな不可思議な空間だった。
無限に広がるそんな世界で、黒く巨大なヒトガタがいた。
魔王。
恐らくは、そう呼ばれる存在だった。
戦った。
どれだけ戦ったかはわからない。
時空の捻れた空間で、魔王が喰らった無数の世界の残滓を映し出す瓦礫を足場に、戦った。
結論だけを言おう。
俺は魔王を倒した。
黒いヒトガタは消滅した。
そして俺は一人、不可思議な世界に取り残された。
深淵への片道切符に出口はなく。
俺は、元の世界へと帰る術を失っていた。
『かえりたい』
そんな一心で、深淵の世界を彷徨い始めた。
極彩色の光景に終わりはなく。
瓦礫に映る様々な世界の断片を目にしながら、ここではないどこかを目指していた。
長い、長い時を、彷徨い続けた。
ただ歩いた。
あてなんてない。
どれだけの時が経ったのだろう。
十年か、二十年か、はたまた百年か。
終わりのない異界の牢獄を彷徨い続けて。
彷徨い続けて。
彷徨い続けて。
『あれ、は…………』
自分の声さえも忘れてしまった頃。
一つの瓦礫が目に入った。
とても懐かしい屋敷が見えた気がしたからだ。
引き寄せられるようにその瓦礫に近づいて。
手を伸ばして、触れた瞬間————気がついたらこの場所にいたのだ。
見覚えのある崖に、見覚えのある景色。
そして、見覚えのない墓。
【——勇者 此処に眠る】
そう刻まれた墓があったのだ。
…………あとはもう、語る必要はないだろう。
これが、ドブネズミだった男の人生だ。
愛する一人のために魔王すら超越した、一途で馬鹿で愚直な男の物語だ。
それも、ここまで。
物語が。
終わる時が、来た。
「あ…………ぁ………………」
大海の底へ、底へ。
俺の意識は落ちていく。
それに逆らうことなく沈んで。
沈んで。
沈んで。
沈んで。
沈んで…………
………………………………、
…………さようなら、ミリ。
「…………ナル?」
俺を呼ぶ声が、聞こえた気がした。
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