トーナメントで勝利を拒む『魔物』の正体
高校サッカー、夏のインターハイ。全国大会への切符をかけ、各都道府県で戦いが繰り広げられた。負ければ終わりの一発勝負に多くの現場は緊張感で空気を振るわす。
全国への切符を手にした代表校を見れば、常連もいれば初出場校もいる。プレミアリーグやプリンスリーグに名を連ねるチームが見当たらず、下部リーグの高校が勝ち進む、そんなことは決して珍しいことではない。
かつてサッカー界の皇帝はこう語った。
「勝ったものが強い」
真理ではあるが、実際、そう簡単な話ではないのも事実。
チームの実力値を計るには、ホーム&アウェーで多くの試合をこなすリーグ戦の方が適している。プレーの質の面での比較を考えても、J下部チームを含めたリーグ戦での判断が妥当だ。
そんなリーグ戦で上位のチームもトーナメントで負けることはよくある話で、プロの世界でさえ同じである。
そんな時によく聞くのが、
「スタジアムに棲む魔物のせい」
昔からよく耳にする言葉である。
魔物は国立に棲んでいたと聞く。
野球における甲子園もそうだ。
そして、全国あらゆるスタジアムに現れる。
そんな魔物は何時の時代も、強者をも食い散らかす。
それにしても、魔物とは何だろうか。
魔物の正体でよく聞く話は、一発勝負特有の場の雰囲気や圧力である。
普段とは別のプレッシャーが選手にかかり、ベンチからの指示が声援でかき消されたり、その場にいる人もいない人も様々な気持ちをそこに向けることで、いつもと異なる状況が現場に生まれる。そういったものをひっくるめて『魔物』と呼ぶ。そんな話だ。
しかし、選手にフォーカスした話としては、いささか具体性に欠ける。何より試合を通して影響を与え続けるには物足りない。そこで現場の経験から鑑みると、それら以上に選手に影響を及ぼすものがある。
それが、指導者の思考と言動だ。
指導者にも圧はあるだろう。試合に際し様々な判断を要することも承知している。負ければ終わるトーナメントなら尚更だ。しかし、それは指導者の内面の話であり、それらが選手に及ぼす影響は単に指導者の問題である。
そして選手たちは、指導者が示す枠の内でしかプレーできない。選手自身の状況判断といった自主性は、示された枠次第では全て否定される。それだけ指導者は絶対的な存在として君臨する。
故に、指導者が選手に対し、
いつもと異なる表情、
いつもと異なる要求、
いつもと異なる策、
そんな、いつもとは異なるもの、つまりイレギュラーの寄せ集めが、選手のパフォーマンスを時に持ち上げ、時に蝕む。
魔物の正体とは、そんな寄せ集めに内包されるネガティブ要素のキメラだ。
相手との戦いに横から余計な手出しをし、選手のプレーを阻害し続けるやっかいな合成魔獣。
つまり、スタジアムに魔物が棲んでいるのではない。
その場限りの命の魔物を、指導者がその場で意図せず錬成したのだ。当然、その対価をしらぬまま。
では、何故スタジアムに魔物が"棲む"と言われるのか。
それは魔物の怨念あるいは幻想による錯覚のせいだ。
勝者がいる限り、敗者は生まれる。
敗戦の理由は時に魔物として扱われ、その正体が明かされぬまま、存在だけが語り継がれる。
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