第10話 お腹が空いたの

目を開けると、バラやガーベラ、後はよく知らないが、たくさんの綺麗な花が目に入った。

 え、俺、死んだ?

 そう思ったが、右手がなにやら圧迫されている。

 俺はベットに横たわっていた。

 そして、俺の右の手のひらを圧迫してるのは、俺に被さるように寝ている栗毛の左手だった。 キリンじゃねーか。

 どういう状態?

 体がひどくだるい。

 俺は、少し身を起こし、空いている方の左手を何とか伸ばして、キリンの頭をぽんぽんと叩いた。 

 「はい…シチューと…パン…。」

 食事をしていらっしゃる。

 俺はため息をついた。

 まぁ、とりあえず、死なずに済んだみたいだ。確かにお腹が空いてる。

 シチューとパンが食べたいかも。

 …。

 ああ、そうか。

 こいつ、俺のことを心配して。

 ずっとここに居たのか。

 服装も、最後に見たときのまんま。

 ゴーレムの起こした爆風で汚れた後がついたまま。

 いや、何かそれ以上に、土やら砂やらところどこに染み着いている。 

 外はだいぶ明るい。

 もう昼を過ぎている?

 「…ん…。」

 もぞもぞと、体を動かしていたので、気付いたのか。

 キリンがうっすらと目を開けた。

 「おはよう。」

 俺が声をかけると、キリンはびくっとして、レディッシュオレンジの釣り目を、大きく見開いた。

 「ぐえっ!」

 急に体当たりをされて押し倒されたので、変な声が出た。

 「うわぁあああぁぁっぁああああ!」

 「ち、ちょっと…落ち着け!」

 涙やら鼻水やらでぐちゃぐちゃだ…。

 「いきてたぁ…!」

 重い、苦しい、死ぬ…。

 「わ、分かった…分かったから落ち着け…。」

 何とか、この状態を切り抜ければ…。

 「そ、そんなに心配な状態だったのか?」

 泣き腫らした瞳のキリンが目をつり上げる。

 怖い…。

 「そうよ!脈もなくなるし、瞳孔も開いてるし…。本当にぎりぎりだったんだから!」

 げ、まじで?

 そう言うと、その時のことを思い出したのか、またキリンが涙ぐみ始め、俺にまたがったまま、俺の襟首に添えた両手に力を込める。

…ま、まじで、俺、今が一番ピンチ何じゃねぇのか?

 くそ、こんな時は…キリンの力を利用して…。

 あ、なんか光の道が見えた気がする!

 俺は押しつけられているキリンの腕の力を少しずらすと、くるりと体を入れ替えるように身を起こす。

 「わっ!」

 さっきまで俺の寝ていたベッドに突っ伏すキリン。

 よし、形勢が完全に逆転したぞ!

 キリンが仰向けになり、俺はキリンの顔を間に挟む感じで、枕の脇に両手をついた。

 「と、とりあえず、まずは落ち着いて、状況を教えてくれ…。」

 ん、何か、キリンが、さっきまでとはまた違った微妙な顔をして、こっちを見上げている。

 「ち…ちょっと…。」

 何か、顔が一層赤くないか?大丈夫か?

 「ヤクモ君!起き…!きゃあああああ!」

ララ先生の叫び声が響き渡る。

 「だ、駄目よ!ここは王都の看護室…!げ、元気になったからって!昼間から!いきなり!生徒同士で!そ、そんな…。」

 「せ、先生!違うんです!全くもって違うんです!」

 「がっ!」

 キリンが思いっきり俺をけっ飛ばした。

 だから、いつも何なの、これ。

 ★★★

 ララ先生は、とりあえず、俺が起きたことをみんなに報告に行き、薬湯を煎れたポットを運んで戻ってきた。

 ララ先生が煎れてくれた薬湯を飲みながら、ララ先生からようやく落ち着いて話を聞くことができた。

 キリンは何だか分からないが、赤くなったまま拗ね続けている。

 本当に、忙しい奴…。

 あのゴーレムをキリンが打ち抜いた後。

 俺はそのまま床に倒れ込んで、意識を失ったらしい。

 その後、キリンが崩れ落ちたゴーレムの砂の山に飛び込み、必死でかき分け始め、それをみんなが手伝ってくれたこと。

 キリンが試験管を見つけたけど、試験管は割れてしまっていたこと。

 ゴーレムが崩れ落ちたことで、ホールの入り口を塞いでいた迷路が消えたこと。

 管理官がその迷路に穴を開けて、何とかララ先生、ラティス、ハルモニアを順に送り込んでくれたこと。

 駆けつけた管理官と医療班が、砂に染み着いていた成分を分析し、スパナが持っていた薬品と王都の薬草で解毒剤を打ってくれたこと。

 それでも、解毒剤を打った時には、俺は脈もなく、瞳孔も開いていたこと。 

 正直、息を吹き返すかどうかは、俺の体力次第だったそうで。

 その後は、キリンが朝まで、俺の手を掴んでくっついていたってことで、やっと、寝ていた間のことが全部つながった。

 「キリンさんに感謝ね。ほんと、もう少し遅かったら、危なかったかも。数秒とか、そういう単位だったかも。すごい勢いで砂の山をかき分けてくれたから…。」

 ああ、そうか。

 よく見ると、キリンは指先に何カ所も包帯を巻いている。

 その手先をみると、キリンは俺を睨みつけて、ぷいと明後日の方向を向いた。

 何だよ、全く。

 でも、まぁ、お陰で助かったのか。

 助けられちゃったな。

 「ありがとな。」

 キリンは、びっくりしたような顔をする。

 「お互い様だから。」

 キリンはそっぽを向いたまま薬湯をすすった。 ドアをノックする音が響く。

 「ララ先生、管理官がお呼びです!」

 ソラが看護室のドアを開け、俺の顔を見ると「ヤクモ君!良かった~…。キリンちゃん、良かったね!…スパナ君も…そうそう、ドレイク君まで心配してたんだから…。」

 「え、あいつが。」

 「「俺はまだ、あいつと決着を付けてない。だから、死ぬはずない。」とか、ぶつぶつ言いながら、ずっとうろうろしてたよ。うるさいから、途中からみんなで色々作業をさせてたけど。」 あいつが心配するくらい、ほんとに死にそうだったんだな、俺。

 見分ける力も、状態が悪いと、かわせるものもかわせない。反省しなきゃな…。

 「じ、じゃあ、キリンさん、ヤクモ君のこと、お、お願いね。なんかもう元気?みたいだし、食事は取れそうだったら、1階の食堂でもらえるよう、話をしてあるから。」

 ララ先生はそう言ってぎこちなく席を立つと、扉のところで立ち止まり振り返る。

 「あ、あと、、だ、駄目よヤクモ君。本当に、ちゃ、ちゃんと安静にしてないと…。キ、キリンさんも、その辺は気を付けて…何かあったら…あ、いや、その、状況にもよるかも知れないから、呼ばなくても良いけど、困ったら、すぐ呼んでね。」

 「な、何かあったんですか?まさか、まだあの黒い奴が…。」

 ソラが不審そうな顔をする。

 「いえ、黒い奴はいないんだけど…必ずしもキリンさんが安全かというと…。」

 「せ、先生!何か色々誤解ですから!管理官待ってますから行ってください!」

 キリンが真っ赤な顔で先生とソラを追い出す。

 …いや、俺はもちろん安静にしますけど…。実際、体は重くてあちこち痛いし…。

 ララ先生とソラが出て行くと、キリンと目があった。

 「な、何よ!」キリンはそっぽを向いて、薬湯をすする。

 「な…何も言ってねぇ…!」

 そう言うと、俺の腹が鳴った。

 「キリンの寝言で、腹が減った。」

 キリンが薬湯を噴出し、見る見る真っ赤になる。

 「私、何て、言ってた?!」

 な、何を焦ってるんだ?本当に忙しい奴だな…。薬湯もったいない…。

 ま、まぁ寝言は恥ずかしいか。余計なこと言っちまったな…。

 「シチュー、パンって言ってたぞ。ご飯食べてたんだろ?」

 キリンの吊り目が吊り上がる。

 「私が?!違う!違う違う!」

 げ、怒り出した。

 「な、何だよ、じゃあどういう夢を…。」

 「い、言えって言うの?」

 「言いたくなけりゃ、言わなくて良いけど…。」

 キリンは顔を赤くしたまま俯いている。


 静かになってしまった。


 ほんの少しだけ開けてある、看護室の窓から、涼しげな風が入り、カーテンを揺らした。


 「ヤクモが。」


 ぼそっとキリンが話し始める。

 「ヤクモが!動けないヤクモが!シチューとパンを食べたいって言うから、作って食べさせてたの!私が食べてたんじゃないの!」

 むすっとした顔のキリンに。

 ふわりと浮いたカーテンから、昼下がりの、少しオレンジがかった光がこぼれて。

 

 俺は少し見とれてしまった。


 「そ、そんなにじっと見ないでよ!疑ってんの?本当だから!!私が食べてたんじゃないから!」

 「あ、いや…。」

 「で、結局!シチューとパンで良いの?!」

 「あ…うん…。」

 「じゃ!取ってくるから!」

 キリンは、パタパタと足音を立てて看護室を出て行った。 

 ★★★

 本当は、少し違う。

 少し違う夢だったけど。

 何であんな夢見るかな。

 ああもう、まったくもう。

 私は、二人分のシチューとパンを受け取って、ヤクモの待っている看護室に向かった。

 ララ先生も、変なことばっかり言うし…。

 でも、ララ先生の目を見ると、何か懐かしくなってほわっとするから、怒れないなぁ。

 ★★★

 「王都の歴史でも、三本の指に入る大事件ですよ。本部内に進入者を許し、怪我人を出すなどと。次官に相当謝りました。ラティスとハルモニアは王都内で出力抑制中でしたが、「雷神」さんの雷が絶不調だったのは、想定外。最悪でした。」

 にこにこししつつ、内心穏やかじゃないのが丸出し。

だって嘘ついた後だったんだもん。電撃が弱いこと、弱いこと…。

 「あのゴーレムを操っていた者がいます。」

 管理官は、後ろを振り向かずに話し続ける。

 管理官の部屋の奥。

 「警官達の本棚」の一角に触れると、本棚が回転し、地下へと向かう階段が現れた。

 こんなところがあったなんて。

 王都は知らないことばかりだなぁ。

 「あれから、色々なことを調べたのです。あのゴーレムの組成も含めて。」

 階段は、管理官が一歩進むたび、少しずつ両脇の明かりが灯っていく。

 どういう仕組みなのかしら。

 「キリンさんの話からは、彼女が、ある日急に両親が帰ってこず、住んでいた家でも、周りの人から、違う人として扱われはじめたと言っていました。そして、彼女から飛び出した黒い陰は、明らかに呪いの類だった。彼女が、何らかの呪いをかけられていた。彼女の存在を脅かすような。そして、「警官の本」にまで干渉するような。」

 管理官が、足を止めて振り返った。

 「ここが、一番大事なのです。「警官の本」に干渉するなど。それは、この世界の理に干渉していると言っても過言ではない。」

 管理官の目は、ずっと昔から変わらない。

 透き通ったような、遠くを見透かしているような。

 「小さい頃に、読み聞かせをしてもらった、絵本を覚えてますか?」

 「小さい頃?」

 「うそをつくとどろぼうになる話です。」

 管理官は、わざと、私に背を向けた。

 「覚えてますよ。だって…。」

 それは。

 私たちのお母さんが。

 私たちに、繰り返し読み聞かせてくれた話じゃないですか。

 ねぇ、お義兄さん。

 私は、そう口走りそうになるのを、必死でこらえた。

 どうせ、良い顔をしないから。

 「あの話。子育てのために、大人が作った話だと思っていました。」

 管理官は、また、進み始める。

 唐突に、階段は終わりを迎え、急に開けた明るい空間が広がった。

 真っ白な空間。

 壁がうっすらと青白く光っていて、方向感覚や、距離感がなくなる。

 その真ん中に、ぽつんと本棚があった。

 何冊かの本が、そこには納められていた。

 スタスタと、管理官はその本棚に近づくと、一冊の古ぼけた本を手に取った。

 「でも、違ったんです。あれは。」

 管理官は、その本を開いて、その本を読み始めた。

 声に出して。

 そして、それは、私がよく知っている、昔、母さんが、私と、管理官を寝かしつけながら、話してくれた昔話。

 それと、一言一句、同じ。

 「分かりますか?あの人は、この本を、暗記していた。」

 …。

 「…一つだけ。」

 「何ですか?」

 「あの人、って言うのだけは、止めない?」

 「あなたの母親、で良いですか?」

 「私たちの母親、でしょう?」

 義兄は、本をぱたんと閉じた。


 「今、ララと喧嘩をしてる時間はない。」

 

 私はため息をついた。

 お母さんの記憶をなぞりながら。

 「どろぼうは、うそをつきました。たくさんたくさん嘘をつきました。みんながそれを信じるたびに、どろぼうはそれを栄養にして、どんどん大きくなりました。うそがほんとを塗り替えて、みんな、じぶんを忘れてしまいました。」

 「でも。」

 わたしは言った。

 「やっぱりうそはうそ。「あれはうそだよ。」と青い目の子供が言いました。「うそつきはどろぼうのはじまり。あのひと、うそをついてるよ。」

 「はじめは誰もその子のことを信じませんでした。」

 「それでも、その子はほんとうのことを言い続けました。なんどもなんども、繰り返しました。」

 「ついに、あるとき、そのこのおかげで、自分のことを思い出した人がいました。」

 「どうしてわかったの。とその人は言いました・」

 「だってほんとうじゃないんだもの。と、その子は言いました。」

 「そのとき、きらきらとした光が、その人を包み込み、明るく照らし出したので。」

 「どろぼうのうそは、みんなばれてしまい。」 

「「どろぼうは遠くに、逃げていったのでした。」」

 管理官と私は、目を合わせた。

 同じ、薄紫色の瞳を。お母さんと同じ、穏やかな色をした、薄紫色の。

 「なぜ、あの人が、こんな場所にある本の中身を、全て知っていたのか、あるいは、この本とは別に、この話を知ったのか、それはこれから調べてみます。しかし…。」

 多分、私たちは同じことを考えている。

 「奇妙だと思いませんか?あれほど、繰り返し聞かされた話を、私たちは、今日の今日まで、ろくに思い出しもしなかった。こんなにも、この話と似たことが目の前に起きているのに。」

 ヤクモ君とキリンさん。

 「これが、ある種の強力な魔法や呪術によるものだとすれば、説明がつきます。たとえば、超長距離からの、強力なゴーレムの遠隔操作ができる、など。」

 「物語の形に、事実を隠したということ?」 

「おそらく。そして。」

 管理官は、もう一度、その本を手に取った。

 「この本には、あの人が語った話の、続きがかかれているのです。」

 「続き?」

 「逃げていったどろぼうは、もっとたくさんの嘘をつきました。たくさんの、たくさんの嘘を栄養にして、大きくなったどろぼうは、大きな口を開けて、みんなをたべてしまいました。ばくばく、ばくばく、ばくばく。」

 背筋を、冷たい汗が伝った。

 「…それで?」 

 嫌な予感を振り払うように、管理官に尋ねた。

 「これで、この本はおしまいです。」ぱたん、と管理官は本を閉じた。

 「もし、この話に沿ったことが、実際に起きているとしたら、私たちは、知らぬ間に、危機に瀕しているのかも知れません。ゆっくりと、じわじわと。ゆでられた蛙のように。」

 「実際、熱くなったら途中で気付くらしいよ、お義兄ちゃん。」

 あ、間違った。

管理官がどさっと、本を落とす。

 「…王都では…絶対に、その呼び方をするなと。」

 むかっ。

 「だって、そっちが昔の話とかするから。」

 「成り行き上、過去に触れないわけにはいかないでしょう。お互い立場があるのです。いかなる場面でも謹んでいただきたい。」

 「あーあ、昔はララちゃんララちゃんって可愛がってくれてたのになぁ~。変わっちゃったなぁ。お義兄ちゃん。」

 管理官が硬直した。

 あ、後ろ向いた。

 首筋、少し赤くなってんじゃないかしら。

 …イツノハナシダ、ヘンナコト、イウナ…

 あ、今絶対、「変なこと言うな」って言った。勝った気がする。

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