第8話 蛇と呪い

蒸し暑さを追い払うような風が吹いた。

 夏の夜の匂いがした。

 俺は宿泊用に与えられた幹部用空き宿舎のテラスに出て、目下に広がる王都の明かりを眺めていた。

 王都に来たのは初めてだった。

 「ヤクモ。」

 振り向いた先に、見慣れない、薄い水色のワンピースを着た少女が立っていた。

 胸元のリボンや、足下に向けてゆったりとしたフリルがあしらわれて、夜の風にふわふわと揺れていて、なんて言うか、かわいらしい…。

 …いや、栗毛に吊り目。

 「何だ、キリンか。」

 「何だとは何よ。」

 「誰かと思った。どうしたんだ、それ?」

 「ちょ、ちょっと、じろじろ見ないでよ…どうせ似合わないわよ…。」

 キリンが俺を睨みつけながら、身を守るような仕草をして、ワンピースの裾がふわりと揺れた。 

「別に似合わねぇなんて言ってねぇだろ。」

 「え?」

 キリンが硬直して、睨んでいる。

 …。

 「な、何だよ、黙るなよ…。」

 「あ、あんたが変なこと言うからよ!どういう意味よ!」

 何だよ一体…何を俺は言い間違えたんだ…こいつは本当にすぐカッとなって赤くなるよな。

 「どういう意味も何も…似合わないとは思ってねぇってことだろ。」

 キリンが再び硬直して、俺を睨んでいる。

 どういう状態なんだ?

 「…に、似合うってこと?」

 赤い顔を更に赤くして、吊り目をさらに吊り上げて俺を睨みつける。

 …ああ、俺は一体どんな悪いことをしたんだ…誰か教えてくれ…。

 とにかく、このままでは空気弾でもぶち込まれかねない。危険だ。さっきまでの、ささやかで穏やかな夏の夜は吹き飛んだ。

 ここはもう警官の現場だ。 

 考えろ、ヤクモ。

 必ず、正解はあるはずだ。

 キリンは、似合うってことかどうかを聞いてきている。

 おそらく、この答え方次第で、趨勢は定まるに違いない。

 流れをよく読め。

 俺は「似合わねぇなんて言ってねぇ」、と言った。

 そうしたら、変なことを言うなと言ってキレられた。

 だから、それは正しくない答えだったんだろう。

 俺の言葉を分解すれば、「似合わねぇ」と「なんて言ってねぇ」だ。

 くっつけて変なことなら、分解したら正解か??

 …いや、「似合わねぇ」はどう考えても間違いだろ。

 さすがにそれは分かる。

 すると、「なんて言ってねぇ」の言い回しの問題じゃないのか?そこが変だったんだ、きっと。 ラティスと戦った時や、管理官の審問の時と同じくらい、すさまじいスピードで思考を巡らせ、キリンの吊り目を見つめ返す。…これだ、行くぜ。

 「似合わねぇ、という意味じゃない。」

 「だからどういう意味よ!!」

 しまった、盛大に外した。

 キリンの赤みが更に増したぞ。

 湯気が出そうな勢いだ、どうすんだこれ…。分かった、戦略を変更するしかない…。

 「いや、その、それはそう言う意味だが…その服どうしたんだ?」

 「警官服以外無かったから、ララ先生が貸してくれたの。私と同じくらいの頃の服だって。だから先生の趣味よ。女の子っぽい、ララ先生っぽい服よね…。」

 キリンはワンピースの裾を掴んで、しげしげと見つめた。

 「ああ、ララ先生っぽいかもな。でも、違和感はないぜ。」

 またキリンが吊り目を丸くして俺を見た後、ぷいと視線を外し、「あっそ。まぁ、良いわ。」とぼそっと言った。

 ど、どうやら、切り抜けたんじゃないだろうか…。

 厳しい戦いだった…。

 「何を見てたの?」

 「ああ、王都に来たの初めてだったから。でかい街だし、夜の明かりが綺麗だったからさ。」

 「本当ね。綺麗な街。」

 「キング・オラトリオもこんな感じか?」

 キリンが驚いたように俺を見て、少し笑った。「あそこは、もっと、なんて言うか閉鎖的で、静か。こっちの方が賑やかさがあるかな。」

 「へぇ、そうなんだ。ま、いずれ行った時が楽しみだな。」

 キリンが俺を見ている。

 「お礼を言いに来たの。」

 「お礼?」

 「ありがとう。」

 「何がだよ。」 

 「管理官に、私、嘘をつくとこだった。」

 「嘘なんかつかなくていい。何も悪いことなんかしてねぇんだから。」

 「ヤクモは、昔からそうだったね。」

 そう言うキリンに、少し胸が痛くなった。

 「開き直ってるだけだけどな。」

 キリンが少し笑った。

 「ハル、捕まえようね。」

 「ああ、頼むぜ。一人じゃ捕まえられねぇよ。あんなの。」

 ぞくり、と悪寒がした。

 「えっ?」

 俺はキリンの左手を掴んで引き寄せた。

 「ど、どど、どうしたの?」

 「後ろを見ろ!」

 キリンの影から、あの黒い蛇のような影が飛び出していく。

 「後ろって…何も…!」

 多分、今まで俺にだけ見えていた、この黒い影。

 俺の見分ける力を通じて、キリンにも見えている。

 「何…これ…。」

 「こいつ、今まで何度もお前の後ろに出てきてたぞ。」

 「な、何で教えてくんないの?!」

 「いや、みんな見えてないみたいだったから、自信なくて…。」

 「何でそんなとこだけ自信なくすのよ!」

 「そりゃ、自分にしか見えないんじゃ、信じてもらえないだろうし…。」

 「うっ、その気持ちは分かるけど…。」

 しかし、何で今こいつは出てきたんだ?

 そもそも何なんだこいつ。

 ただ、キリンにとってよくないもの、それだけは分かる。

 黒い蛇のような影は、じっと俺たちを見つめている。

 「!」

 ゆらゆらと揺れたかと思った刹那、キリンの影から勢いよく飛び出し、テラスを越えて夜の闇に消えていった。

 「何だ…。」

 「消えた…。」

 キリンは俺の腕を強く握りしめるようにして、ひっついていた。

 石鹸と、何かの花のような、良い匂いがする。お風呂に入った後なんだろう。何か落ち着かないけど、キリンが結構な力で俺の腕を掴み続けている…。

 「な、何にせよ、多分、何か良かったんじゃないか?あれ、相当良くないものだった気がするぞ?それが居なくなったんだから…。」

 「そ、そうだね…。でも気持ち悪いから、今度ソラにでも聞いてみようかな…。」

 「あら?ヤクモ君…?と…。」

 背中の方から、ララ先生の声がした。

 振り向くと、赤くなったララ先生が硬直していた。

 「あ、あ、ち、違うの。ごめんなさい、間が悪くて…ちょっと明日の出発時間を伝えようと思って…ま、また来るから!その…試験も終わったし、そういうの、自由だから!むしろ応援してるくらいだから!」

 「ラ…ララ先生!違うの!」

 「ぐえっ!」

 いきなりキリンに突き飛ばされ、テラスから落っこちそうになる。

 「だだだ、大丈夫。私、ヤクモ君しか見てないわ。管理官にも黙っておく…。」

 「ち、違うの!ヤクモが、蛇が居るって、それでぐいっと引っ張って…。」

 「なっ…技術的かつ強引!強引なのは駄目よ!強引さが必要な時もなくはないけど!で、でも、なんかちょっと駄目よ!あっ!しかも私の昔の服を着たキリンさんにそんなこと…な、何か侵襲感…管理官に報告…。」

 「何を黙って、何を報告するんですか?」

 「ひっ!きゃあああ!!」

 ララ先生が振り向いて叫び声をあげた。

 管理審理官とラティス、ハルモニアがそこに立っていた。

★★★

 「ど、どうしてこのようなところに…。」

 「王都の警報が鳴りました。未確認の特殊な能力反応があり、警備隊に追わせていますが、その出現元がこの辺りだったのです。」

 「え…。」

 「そして、一番反応が強いのが…申し訳ないが、キリン、君だ。」

 ハルモニアさんが静かに言った。

 手には、何か水晶玉のような物を持っている。 それを見つめながら、ハルモニアさんが、氷のような視線でキリンを見つめた。

 「何度も申し訳ないが、やはりキリンさんについて、もう少し調べる必要があります。何か心当たりはありますか?」

 ★★★

 私たちは、さっき見た黒い蛇のような影のことを話した。ただ、それが何なのか、全く心当たりはないことも。

 管理官はテラスのベンチに腰掛けて、腕組みをしながら天井の方を見つめた。

 「私はまだ、キリンさんがこの間話してくれた生い立ちの話を信じたわけではありません。あまりにも、キリンさんの本に書かれていることとかけ離れているので、正直、荒唐無稽だと思っています。ヤクモ君の話との整合性が取れないので、判断保留にしているだけです。そこは、これから、キリンさんが証明してくれることを信じています。」

 管理官が天井を見つめたまま言った。

 「なので、ここからは推測です。私は推測は好きではありませんが今は仕方がありません。仮にキリンさんの話が真実と仮定した場合、キリンさんには、何らかの、呪いの類の魔術がかけられていた可能性があります。」

 「「呪い?」」

 ヤクモと私は、同時に声を上げ、顔を見合わせた。

 「そうです。アレステリアの外の国では、魔術が発達した国もあります。ひと一人の生い立ちを塗り替えるなど、考えられませんが、何らかの呪いを用いているならば、多少の可能性があります。」

 「私は、ずっと呪われていたってことですか?」

 でも、確かにそう言われてみれば、これは呪いのようなものだったのかも知れない。ある日を境に、自分の記憶と全く違う環境に放り出されて、誰も自分のことを知らない世界になるなんて。

 「そうですね。ただ、その黒い蛇が消えた、ということは、まとわりついていた呪いの一部が消えた可能性があります。それは良いことかも知れないですね。」

 管理官がふっと笑った。

 「管理官、よろしいのですか?キリンが、他国のスパイの可能性は捨てきれないと思いますが?」

 ラティスさんが、意地悪そうな目で私を見つめてくる。

 何でそんなこと言うのよ!

 食ってかかろうと思った私のワンピースの裾を、後ろからヤクモが引っ張る。振り返ると、首を振って「止めとけ」とぼそっと言う。

 管理官が苦笑した。

 「まぁ、違うでしょうねぇ。」

 「ちょっと、それは無いかもしれないですね~。」

 ララ先生が管理官に同意を示す。

 ハルモニアさんまで、若干笑っているように見える。

 え、何よ…!

 「まぁ、スパイがこんなにギャーギャー騒がないか…。」

 「もっと感情的に冷静よね…スパイって。」 

「先生、管理官、キリンはスパイには向いてないと思います。」

 「ちょっと!ヤクモ!どういう意味?」

 「これはそのまんまの意味だろ!」

 何なのよ、みんなで…。

 まぁ、信用されてるってこと?

 「まぁ、真面目な話、ヤクモ君の力に引っかからないなら、そこは大丈夫でしょう。ヤクモ君の力は、多分、悪意や敵意に反応してるから。」

 え、そうなの?

 ヤクモもキョトンとした顔をしている。

 「とりあえず、ララさんも警備隊とともに、その黒い蛇を追ってください。仮にキリンさんにかけられた呪いが抜けたということであれば、この近くに呪いをかけた本人が居る可能性があります。何らかの理由で、呪いを回収した可能性がありますからね。」

 「回収?」

 「「アルテナ」と同じで、魔術もかけ続けるにはコストがかかります。何らかの理由で、かけ続けるコストが見合わなくなったのかも知れませんね。推測ですが。」

 管理官が私たちに背を向けた。

 「ヤクモ君は、1階のホールで、キリンさんの側に居てください。それから、ソラさん、ドレイク君、スパナ君もそこに集まっているように伝えてください。すみません、警備隊は出払っているので、キリンさんの護衛はとりあえずみなさんで。何かあれば応援を送ります。」

 管理官が顔だけ振り向く。

 「警官の最初の仕事ですね。」

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