第7話 王都

あれは、入学試験の時だった。

 実技の最後。

 それぞれ、自分の得意なことを先生に見せる自由課題。

 僕は、空に投げた手錠を、居合い抜きで鎖の部分だけを断ち切った。

 眼が良いのが、僕の何よりの才能だ。

 実技は総合一位だったと聞いている。それはそうだろうと思った。刀を振るった回数は、世界中の8歳を集めて来ても、僕にかなう子供はいないだろう、と当時は思っていた。

 ただ、組手だけ。自分は組手だけ、2位だったそうだ。

 自分の次に自由課題をやった生徒は、ずっと気になっていた。

 丸腰で、少し厚めの木の板を二枚立てて、すっとその前に立ち、構えると、掌底を撃ち込んだ。一見、木の板は何ら変化が無いように見えた。

型を見せただけ?力不足?

 そのどちらでも無かった。程なくして、二枚の木の板の内、叩かれた方ではなく、その後ろの方に、亀裂が入って、倒れた。

 叩きつけた打撃が、奥に突き抜けていったのか。そんな技術があるのかと、驚いた。それがヤクモだったのだと認識したのは、しばらく先の話だ。

 そして、僕はその次の女の子に、目も心も奪われた。

 50メートルくらい離れた場所に、空き缶を3つ並べ、その空き缶に小さな赤い木の実を乗せていた。

 栗色の艶やかな髪の毛が春の日差しに輝き、意志の強そうな赤いルビーの瞳、でもどこか寂しげな色をしたその瞳が、的を真っ直ぐに見つめていた。

 立て続けに放った3本の矢は、全て的の上ぎりぎりをかすめて、空き缶の上の木の実を撃ち抜いた。

 その全ての瞬間が美しく、僕は時間が止まったかのような錯覚に陥った。

 それから、僕はずっと、キリンさんの姿を追うようになった。

 1年生の夏休みに、キリンさんが帰らないのを知って、何とか話すきっかけを掴もうと思っていたのだが。

 ふと寄宿舎を見上げると、ヤクモがキリンさんと話している。しかも、キリンさんは泣いていた。

 何ということだ。早く助けねば。

 その時は、ヤクモがキリンさんに嫌がらせでもしてるのだと、本気で思っていた。

 ただ、結局それは全く違った。むしろ逆だった。

 キリンさんは、お前と居ると良く笑う。

 お前と居ると、よく騒ぐ。寂しそうな顔が和らぐ。

 お前は馬鹿でがさつだから、これっぽっちも気付いていないだろうけど。

全然見抜けていないだろうけど。

 僕は良く知っている。

 僕は眼が良いんだ。

 だが、アルベスタ家の家訓「挑まずして負けを認めるべからず。」だ。

 僕は、お前に勝つ。

 そして、キリンさんにも振り向いてもらう。

 正直、どんな方法があるのかは分からない。

キリンさんがお前に惹かれてることしか、僕には分からない。


 でも、僕は自分にできることをやるだけだ。


 僕はお前には負けない。

 お前には絶対負けてない。

 全力のお前に勝つ。

 他の方法を知らないから。

 だから、ヤクモ。

 お前が僕以外の誰かに負けるなんて、我慢ならない。

 お前が誰よりも強くて、最高になる男じゃなきゃ、困る。そうじゃなきゃ、納得がいかない。

 そんなのは、絶対に納得がいかないんだ。ヤクモ。

 ★★★

 目を開けると、きらきらと輝くガラス細工が、差し込む陽光をあっちこっちに散らかしていた。

死んだ?

 いや、ラティスが俺たちを殺すはずがない。

 「あ、起きた。」

 その声は…。

 「ララ先生?」

 「お疲れさま~。」

 ララ先生が手を振っている。

 「ここは、、。」

 「王都だそうだ。」

 振り向くと、ドレイク、ソラ、スパナが、豪華な装飾が施された、巨大なソファに少し間隔を開けながら座っている。

 「もー、ほとんど勝ってたのにねぇ…ラティスがずるして、フォーチュナムまで使って…まったく。」

 ああ、そうだったのか。

 手応えがあったのに、あの瞬間。

 どうやったか知らないが、食べたんだ。フォーチュナムを。

 あらゆる状況を想定しろ、か。

 ちくしょう。

 負けちまったってことか?

 「ヤクモ君?」

 キリンに会わせる顔がない。

 「身体痛む?ラティスがやりすぎたから…。」

 「キリンが…。俺が負けたせいで…。」 

「へ?あ…そっか、ごめん、、それなんだけど…。」

 その時、ドン、と扉を激しく開ける音が響いた。

 「ヤクモ!」

 「うわっ!」

 栗毛がレディッシュオレンジの光を放ちながら、もの凄い勢いで飛びかかってきた。

 避ける間もなく、ソファにぶっ倒される。

 こいつの動きは全く見分けられん…。

 「受かったの!私も合格!」

 俺に馬乗りになったキリンが、俺の襟首を掴んで叫ぶ。

 「な、本当か?何で…。」

 困惑した俺をのぞき込むように、ララ先生が微笑む。

 「ごめんね~。ヤクモ君。あれ、嘘だったの。」

 「へ?嘘?」

 「そう、本当はね…。」

 「ヤクモ!貴様!キリンさんから離れろ!」

 「ぐえっ!止めろ、ドレイク…。」

 頭を引っ張るんじゃねぇ!

 つーか、飛びかかってきたのはキリンの方だ…。

 「ドレイク君、やめなよ。」

 「うおっ!」

 ソラがドレイクに電撃を流す。

 「あら~、複雑…。」

 ララ先生は両手を顔に添えて、顔を赤くしながら楽しそうにしていた。

★★★

 キリンの下から抜けだし、何やら液体の調合を行っていたスパナのところに避難すると、スパナがコンパクトに、今回の顛末を教えてくれた。

 キリンの能力は王都では、危険視されていた能力の一つで、その力を制御できるかを確認する必要があった。そのために、「追試」が行われたのだと。

 1 何のために警官になりたいのか。

 2 その力を使う動機に歪みはないか。

 3 その気持ちが真実か。

 4 心は強いか。

 5 そして、仲間がいるか。

 ラティスは、それを調べるための質問と、極限まで追いつめられた時の振る舞いを試験していたのだと。

 いずれも合格だったらしい。

 「いずれ、あなたたちも知ることになると思うけど。」

 ララ先生が、珍しく、悲しそうな顔でそう切り出した。

 「昔、キリンさんと同じ力を持った警官がいたわ。天才だった。ハルのように。」

 ララ先生は、ハルのことを口にするとき、切なそうな、寂しそうな顔をする。

 「でも、その人は、その力を制御できなかった。強すぎるその力に取り込まれてしまった。そして、それを止めてあげられるほど、心を許した誰かもいなかった。」

 ララ先生は笑った。

 「でも、キリンさんは、きっと大丈夫。」

 俺はキリンの方を見た。

 「何よ。」

 キリンは、顔をしかめて、吊り目でにらみ返している。

 「別に。」

 「別にって、あんたね…。」

 その時、部屋に澄んだ鈴の音が鳴り響いた。

 キリンが入ってきたのとは反対方向の、ぶ厚い樫の木で出来た、細かな装飾の施された扉がゆっくりと開く。

 真っ白なローブを着た黒髪の男と、同じ服装の金髪の女性。

 あれ、男の方は…ラティスじゃねーか。

 「キリン・アリストリア・ノノ。審理管理官がお呼びだ。」

 部屋の空気が、一気に緊迫したものになる。

 「警官の誓いを直々になさる。来なさい。」 金髪の方の女性が澄んだ声でそう言った。

 「審理管理官?」

 「王都警官管理局第三位の官吏よ。」

 ララ先生がささやく。

 「警官の上から3番目。校長の7倍くらい偉い人。」

 ぴんときてない顔の自分に、ララ先生が補足してくれた。

 …かなり偉い人ですね…。

 「それから、ヤクモ・インバクタス。君にもお会いになるとのことだ。」

 へ、俺?

 ★★★

 俺とキリンは、ただならぬ雰囲気に緊張しながら、ラティスと金髪の女性の後ろについて行った。

 扉の向こうは、巨大な廊下になっていた。

 金の縁取りがされた赤い絨毯が敷かれ、一歩一歩が、包み込まれるような柔らかさで、ひどく心地良い。

 壁から天井まで、細やかな彫刻がなされ、この廊下全体が美術品のようだ。視線の先の突き当たりに、入り口と同じような重厚な樫の木の扉が見える。扉の取手が放つ銀の輝きは、そこが特別な場所だと言うことを示しているようだった。

 その30メートルくらいの廊下には、一定の間隔で自分の身長ほどもある大きさの絵が6つ飾られていた。

 「この絵…。」

 キリンが目を奪われている。

 緻密に塗り尽くされた油絵。

 強く、厳しい筆致で描かれたその絵は、4つがどこかで起きた戦争を描いた絵だった。

 そして、奥の扉の両脇に飾られた絵は、右が髭を生やした、長髪の黒髪の軍服姿の、右手を伸ばした男性、左が同じ服装をした栗毛色のショートヘアの、左手を伸ばした女性だった。

 ふと、右側と左側に、大きな文字が彫り込まれているのに気付いた。

 真実を探す者を信じ。

 真実を見つけた者を疑え。

 アレステリア語で、はっきりと、大きな字で彫り込まれていた。

 扉の前で、先導する二人が立ち止まった。

 「ここは、忘れずの回廊。」

 女性が静かな声で背を向けたまま話し始めた。 

「アレステリアが、世界の警察として戦ってきた4つの戦争。そして、この国のはじまりの王と女王。」

 女性が俺たちの方を振り返った。

 「私は、王都調査官のハルモニア。ララとラティスとは同期だ。」

 金髪の女性が唐突に、澄んだ声でそう言った。 何となく、氷細工みたいな人だな、と思った。 

「ラティスを追いつめたらしいな。傑作だ。」

 「追いつめられてねぇ。どんだけ手加減したと思ってる。」

 「手加減したとか、自分で言うあたり、大分追いつめられたようだね。」

 「てめぇ…。」

 「冗談だ。外れた力が二人も同時に現れて、大変興味深い。後で話はゆっくり聞こう。食事でもしながら。」

 「けっ。貴重な情報だ。飯はおごれよ。」

 「考えておく。」

 仲が良いのか悪いのか。

 よく分からない人たちだ。

 「この中に審理管理官がいらっしゃる。失礼のないように。中に入ったら、一礼をして、キリン、ヤクモの順で自分の名前を言って。後は、審理管理官の質問にお答えすれば良い。」

 俺とキリンは、目を合わせた後、うなずいた。

「一つだけ。この部屋の中では、絶対に嘘をつかないこと。偽り無く真実だけを述べること。もし、嘘をついた場合、その場で警官資格は剥奪になる。」

 一気に場の空気が重くなる。

 「だ、大丈夫ですよ。嘘なんて…。」

 「そうか?存外、言葉の隅々まで、一片の曇りもなく、真実のみを述べるのは、難しいぞ。」

 ドキリとした。

 何だろう、この、心臓を鷲掴みにされるような感覚。

 「準備が出来たら言え。待ってやる。」

 ラティスとハルモニアが俺たちを見つめている。

 俺は深呼吸をした。

 キリンが不安そうな顔をしている。

 何でそんな顔をする?

 「大丈夫だ。いつも通り、話すだけさ。嘘なんてつく必要がないだろ?」

 キリンの顔は曇ったままだ。

 だが、意を決したように前を向いた。

 俺はもう一度キリンの赤交じりのオレンジ色の瞳を見つめた。

 「お願いします。」

★★★

 「キリン・アリストリア・ノノです。」

 「ヤクモ・インバクタスです。」

 俺たちは、名前を言って一礼した。

 赤い絨毯が敷き詰められたその部屋は、全ての壁がつるりとした白い大理石で作られていた。その真っ白な部屋の真ん中に、樫の木の荘厳な机が一つ。その後ろには天井まで無数の本が敷き詰められた本棚が、壁全体に広がっていた。

 座っていたのは、黒縁のメガネをかけた白い髪の男性だった。

 意外だったのは、多分、年齢はララ先生やラティスとそんなに変わんないくらい、下手したら少し若いように見えた。

 「キリンさん。ヤクモ君。ようこそ。」

 穏やかな、優しい声で、しかし身体を押さえつけてくるような重みのある声が、部屋の隅々に響いた。

 「どうぞ、お座りください。」

 審理管理官の前に、2つの椅子が置かれていた。

 俺たちは、目配せすると、右にキリン、左に俺が座った。

 「王都審理管理官の、ツバキです。」

 管理官はにっこりと笑った。

 「私は、この国の警官全員の管理をしています。」 

 簡単に、一言で言ったが、それってとんでもないことだ。警官の管理。実質上の、警官のトップ。

 改めて、とんでもない人の前に突き出されたと感じ、いつの間にか握りしめていた両手にじっとりと汗がにじんでいくのを感じた。

 「二人は、「外れた力」が発現したと聞いています。それは、珍しいことです。そのため、今から、いくつか質問をします。よろしくお願いします。」

 にこにこと、しかし、必要なことを、何の装飾もなく、必要なだけ話す。

 怖いと感じた。

 この人は、怖い。

 「ヤクモ君。出身地と両親、兄弟の名前を教えてください。」

 出身地と両親と兄弟の名前。

 こんな当たり前の質問なのに、ひどく答えにくい。この重圧は何なんだろう。

 「アレステリアの北部、レンシアの出身です。今は、父はマルキナ・インバクタス。母はサシャ・インバクタス。兄は…兄は、ハル・インバクタスです。」

 管理官は、手元にある2冊の本の内の1冊に目を落とした。

 「はい、ありがとうございます。では、ヤクモ君、あなたに発現した「アルテナ」はどのような力ですか?簡単に教えてください。」

 管理官は笑顔を崩さない。

 「俺の…自分の力は、名前を付けるとしたら、「見分ける力」だと言われました。」

 えーと…どう説明すりゃいいんだ…。

 「その…ものにもよるのですが…その、キノコに毒があるかどうか見分けられたり、、あと、相手がどんな攻撃をしようとしてるのか、どこが弱点なのかとか、そういうのが、何となく光って見えるような…。」

 緊張して上手く説明できない。

 俺が話す度、管理官は手元の本に目を落として、指でなぞる。

 俺の一言一言を何かと突き併せているようだ。

 「そのほかに、どんなことが出来ますか?」

 「ええと…その…これは上手く言えないんですけど…なんて言うか…相手が言っていることが、本当かどうか、何となく分かるときがあります。」

 ぴくり、と。

 ほんの一瞬だけど、管理官の手が止まった。

 「本当だっていうのは、どうして分かるの?」

 「そこは、説明ができないんです。でも、本当のことを言っていれば、本当だって、それだけは分かるんです。」

 「それは、どうなんだろうね。何か根拠や証拠もないのに、ただそれが本当だ、と分かるの?」 「はい…。」

 「ちょっと信じがたいね。本当かどうか分かる、と言われても。だって、それって、君がそう思うってだけだよね。」

 口調は変わらない。

 でも、汗が噴き出して止まらない。

 君が、という言葉がひどく重く響いた。

 でも、嘘じゃない。

 「そうです。俺がそう思うだけです。でも、間違いなく、本当のことは本当って分かるんです。」

 管理官が、大きく息をついた。

 「本当に、本当だと、分かるの?」

 「そうです。」

 眉間にしわを寄せて、管理官が俺の目をのぞき込む。

 俺は、汗をかきながら、それでも管理官と目を逸らさなかった。

 管理官がメガネを外した。

 俺は目を逸らさなかった。

 くすっ。

 と、管理官が吹き出した。

 「へ?」

 「似てるね。その目。お兄さんと。」

 「ハルのこと、知ってるんですか?」

 「僕は、警官全員の情報を管理してるからね。」

 あ…。

 警官って言ってくれた。犯罪者じゃなく。

 「この部屋の、僕の後ろにある本は、全て、警官一人一人について書いてある本なんだ。」

 「え、これ全部?」

 キリンが驚きの声を上げる。

 「そうだよ。君たちのも、今作ってるところ。」

 管理官は、右手と左手に二冊の本を持ってニコニコとしている。

 「ああ、そうだ。ヤクモ君。君のお父さんの本もあるよ。」

 「え!親父の?!」

 まじか!

 「そうだ、実はね、君に言わなきゃと思ってたんだけど。」

 え?何ですか?

 「僕、君の叔父に当たるんだよね。」

 「ええええ?!」 

 「うそ?」

 「本当だよ。君が産まれたときに、君の家に遊びに行ったこともあるよ。」

 信じられない…。

 うちって、そんな家系だったのか?

 初めて聞いたけど…。

 「信じられないって顔してるね。」

 管理官はニコニコしている。

 「いや…父親は小さい頃に亡くなったし、母親からもそんな話聞いたこと無かったから…。」

 「だろうね。もし聞いてたらびっくりするよ。」

 ?

 「僕は君の叔父なんかじゃないからね。」

 は?

 「嘘付いたんだけど、分からなかったの?」

 「ちょ…ちょっと…。分かるわけないですよ!そんなの…この部屋では嘘付いちゃだめって聞いてたし…。」

 「あはは。その通り。その席に座っている人は、嘘をついちゃだめだよ。僕は、事実確認の審問のために事実と異なることを話すことが許されているけどね。」

 事実と異なることって…。

 大人って感じ。

 ぼそっとキリンがつぶやいた。

 「さて、ヤクモ君。君の能力は、あらゆる嘘を見抜けるようなものではないようだね。」

 あ、確かに。

 「でも、本当のことだと思うことは、そう感じる、ということなんだね。」

 「…はい…。」

 管理官は、天井に目を向けて、何かをつぶやいた後、目を閉じ、ふむ、と何かに納得したような声を出した。

 「分かりました。少し理解しました。ヤクモ君はこれでおしまい。」

 管理官が、右手側の本を閉じ、左手側の本を手に取った。

 「キリンさん。」

 「は、はい!」

 「出身地と両親、兄妹の名前を教えてください。」

 キリンが硬直した。

 出身地…。

 まさか…。

 「どうしました?」

 管理官が首を傾げる。

 「私は…。」

 キリンは少しうつむき、そして、意を決したように前を向いた。

 「私の出身は、キング・オラトリオの首都アデル。両親は…。」

 「把握している事実と異なります。」

 管理官の澄んだ声が、部屋に、槍のように響いた。

 「もう一度だけ、問います。出身地と両親、兄弟の名前を教えてください。いないならその旨答えてください。なお、それがこちらの把握している事実と異なる場合、あなたの警官免許は剥奪し、収監の上調査を行います。」

 氷の様な目をして、言い放つ管理官。

 なんだってんだよ、そんな一方的に。

 「どうしてそこまで…その本が間違ってるかもしれないだろ!」

 「この本に間違いはありません。」

 「絶対に間違いがないものなんて、あるもんか!」

 「この本は、虚偽を拒否します。もしそれが虚偽であれば書き込めない。ここに書いてあることは、王都の調査官が、あらゆる手段で集めた真実を、私が直接書き込んでいるもの。集めた情報で書き込めなかったものは、再調査をして真偽を確かめているのです。」

 「…!」

 何だよ、それ…反則だろ…。

 キリンは、肩を震わせて、俯いている。

 ?

 何だ?

 キリンの周りに、うっすらと、黒い影が見える。

 「…私は…私の出身地は…。」

 影が少しずつ形を取り始める。

 あれは…黒い蛇?

 「おい!キリン!」

 管理官もキリンも、気にしていない。

 俺にしか見えてない?

 全身に鳥肌が立つ。

 駄目だ。 

 言わせちゃ駄目だ。

 キリンの瞳に陰が落ちる。

 「キリン!止めろ!」

 「!」

 俺はキリンの肩を掴んで、叫んだ。

 キリンの目に光が戻る。

 「嘘を付いちゃ駄目だ!」

 キリンが俺を見つめた。

 「お前の出身地はどこだ?」

 キリンの赤交じりのオレンジ色をした瞳から、一筋涙が流れ、それからキリンははっきりと言った。

 「…キング・オラトリオよ。…決まってるじゃない。」

 俺は管理官の机の前に走り、机に両手を付いた。 

 「管理官!」

 俺が叫んだその時。

 俺の右手をラティスが。

 俺の左手をハルモニアが。

 瞬時に掴み、俺は管理官の机に、両腕を捕まれたまま押しつけられた。

 「大丈夫だよ、ラティス、ハルモニア。この子は、何かを僕に伝えたいみたいだ。」

 ラティスとハルモニアが少しだけ力を緩め、俺はやっと声を出せるようになった。

 「…キリンは…キリンの出身地は、キング・オラトリオだ!」

 「それは、事実と異なるんだ。事実を変えることはできないよ。何故そんな嘘をつく?」

 「キリンは…奪われてるんだ!故郷も!両親も!俺はあいつと、それを奪い返す!」

 「それが、君の能力で見分けたことだとして、事実と異なる。すると、君の能力自体、書き直す必要があるね。」

 管理官は、ペンを手に取った。

 

 考えろ。

 キリンが泣いてる。キリンを泣かせるなよ。この野郎。

 嫌なんだよ、こいつに泣かれるの。

 あらゆる可能性を、考えろ…。考えろ…。

 !

 俺の本が光って見える。…そうだ、俺の言っていることが正しいなら。


 「キリンの出身地は、「キング・オラトリオで間違い無い」って!俺の本に書いてくれ!」


 あ、と言って、管理官が目を見開いた。

 「管理官?まさか…。」

 困惑した顔のハルモニアを尻目に、管理官は、俺の本にさらさらと何かを書き始めた。

 それから、もう一度何かを書き始め、途中で止めた。

 「これは困りました。管理審理官業務を始めて以来、こんなことはなかったのに。」

 管理官は、深々と椅子に体を沈め、天井をあおいだ。

 「ラティス、ハルモニア、下がって良いよ。」

その言葉が響いた瞬間に、二人とも視界から消えた。

 二人とも、早く動く力なのか…。

 「ヤクモ君。君の言っていることは、事実のようだ。しかし、キリンさんの本に書かれた事実と競合する。」

 管理官は深々とため息をついた。

 「分かりました。」

 管理官が、俺たちの本をパタンと閉じて、立ち上がった。 

 「キリンさんを警官に登録します。」

 「「!」」

 俺たちは顔を見合わせた。

 「ただし、条件があります。」

 「条件?」

 「3年後の、資格更新の時までに、出身地を訴明する情報を持ってきてください。出自の情報は、極めて重要なのです。それがなければ、更新はしません。分かりましたね?」

 「3年あれば、もちろんです!」

 キリンが、ようやく明るい声を放った。

 ★★★

 「改めてですが、キリンさん。あなたの能力は、どのようなものですか?」 

 「あ、えーと。空気の塊を作って、それを撃ち出すことができるもの…だと思ってます。」

 管理官が本に目を落とす。

 「今、あなたはそのような使い方をしていますね。」

 「?」

 「その力は、記録があります。」

 「記録?」

 「この部屋では、歴史上発現した、全ての警官の能力が記録されています。」

 管理官が、キリンの本に目を落とす。

 「その力は、おそらく「閉じ込める力」の一つだと思われます。空気の塊を作る、というのは、空気をどんどん閉じこめて、圧縮しているのでしょう。そして、「閉じこめる力」の逆向き使用で閉じこめたものを解放しているのでしょう。理屈はそんなところです。」

 「そうなんですか…!」

 「はい。ただ、これは推察ですから、自分でいろいろ研究してみてください。そして、分かったことはまた教えてくださいね。」

 「あ…はい。研究してみます…。あの…。」

 「はい、何でしょう?」

 「私が、「追試」になった理由って、教えてもらうことはできますか?」

 「ええ、あなたはそれを知る権利があります。ヤクモ君にも聞いてもらった方が良いでしょう。」

 え、俺も?

 「5年前に、懸賞金が掛けられていた元警官がいました。」

 懸賞金…元警官…。

 「ファブル・アックス。彼は、ヤクモ君、君のお兄さん、ハル・インバクタスとチームを組んでいた、「閉じこめる力」の使い手でした。」

 「え?」

 「そして、5年前の事件の時、ハルとともに、あの事件を起こしました。」

 ハルの…仲間…。

 「ですが、彼は逃亡中に、キング・オラトリオとシーリトラビアの国境付近の渓谷に、身を投げました。明確に死亡が確認されているわけではありませんが、ハル・インバクタスがしばしば目撃されている一方、ファブル・アックスはその後一切の出現情報がありません。このため、彼は保留付きの死亡扱いです。」

 「…それが…その人が、あの事件に関与したから…。」

 「それも、一つの理由ではあるのですが、彼の前にもう一人、「閉じこめる力」の使い手がいました。」

 「もう一人…?」

 「はい、彼は今、大監獄の中に居ます。」

 「え、捕まってるんですか?」

 「はい。彼は、警官としてその力を使い、そして、人を殺害しました。」

 管理官の目が、鋭さを増した。

 「ベルベ・グラスライン。」

 管理官が、引き出しから、少し古ぼけた本を一冊取り出した。 

 「彼は、警官としての活動の当初から、チーム行動を好まず、ずっと一人で任務に当たっていました。ただ、それを問題視した王都は、相棒を付けようとしましたが、彼は拒否し続けました。そして、一人で捜査に当たった事件で、彼は、命乞いをする犯人を、その力で殺害しました。」

 パタン、と管理官が本を閉じた。

 「それで、彼は終身刑となり、今も大監獄に収監されています。」

 管理官が、キリンの目を見つめる。

 「その力は、様々な可能性を秘めた力です。使い方次第では、キリンさんは希有な力を持った警官になれることでしょう。」

 管理官の目が鋭さを増す。

 「ですが、強い力は、使い方を誤れば重大な事故につながるばかりか、時に人を狂わせることもあります。力そのものに、人が飲み込まれてしまうのです。」

 管理官は、少し表情を緩め、手元のキリンの本に目を落とした。

 「それで、その力が発現した人には、いくつか追加のテストを行うこととしたのです。その結果は、ご連絡のとおりです。」

 「私は…この力を正しく使います。もっとちゃんと制御できるように、努力します。」

 「そうですね。期待しています。そしてヤクモ君をはじめ、仲間を大切にするように。ヤクモ君。もし、キリンさんが、力に飲み込まれそうになったときは、止めてあげてくださいね。」

 キリンが?

 そういう奴じゃ、ないと思うけどな…。

 「こいつは、乱暴だけど、悪い奴じゃないので大丈夫だと思います…けど、何かあったらぐるぐる巻きにして止めます。」

 「ちょっと!乱暴って何?止めるのも何で最初から実力行使なの?!」

 「言っても聞かねーじゃん。」

 「乱暴、言っても聞かない、と。」

 「か、管理官!私の本に変なこと書かないでください!…あれ?え?書けるんですか?!やっぱりその本変なんじゃないですか?ていうか、乱暴なのはどっちよ!初対面で私は8発以上蹴られたんだから!」

 「そんなに蹴ってねぇって言ってんだろ!ほら、管理官が書いちゃうじゃねーか!管理官、書かないでくださいって…。」

 「ん?何?今のとこ、全部書き込めるけど…どっちか、嘘付いてるの?」

 「「こいつです!」」

 「じゃ、二人とも虚偽報告で免許剥奪ということで。」

 「「!」」

 「冗談です。ようこそ、新しい仲間を歓迎します。」

 ★★★

 「ハルモニア。」

 「はい。」

 「キリンさんのことは、引き続き監視してください。」

 「分かりました。」

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