第4話 2の試験

キリンちゃんに初めて話かけられた時のことは、よく覚えている。

 ずっと教室にいる間、本を読んでいる子。

授業が終わると、すっと自分の部屋に帰るか、一人でどこかに散歩に行ってしまう子。

ずっと気になっていた。

 でも、話しかける勇気がなくて、ちらちらと盗み見るばかりだった。

 窓際の席のキリンちゃんの、その艶やかな栗色の髪の毛や、赤く滲んだルビーのような瞳、淡い桃色の唇が、教室の窓から差し込む日差しに照らされると、まるで絵のように美しくて、胸が苦しくなった。

 「ソラは、筆記は2位だったけど、実技は断トツのビリだったのよ~。研究職警官を目標にしても良いけど、実技もこれから頑張ってね。」

 1年生の最初に、ララ先生にはっきりとそう言われた。

 まぁ、言われなくても知っていたことでしたけど…。

 警官になれば、七つなぎの国々の高官や警官など、特殊な地位の人しか入れない大図書館「青色の書架」に入る権利が得られる。それが警官を受けた動機だった私は、逮捕術とか、実技には関心がなかった。実際、運動苦手だったし。

 1年生の、最初のころの実技の時間だった。

 その日は、飛び道具の演習で、最後に、二人一組になって、的に矢を当てるゲームの時間になった。中心の、矢一本分の小さい丸が100点、その周りが40点、さらにその周りが35点、それ以外は10点。チーム対抗で、負けたチームは罰ゲームで、校庭をスザク先生と走ること。

 私は、たまたまキリンちゃんと同じチームになって、息が止まりそうになった。

 対抗ペアは茶色い髪と金色の髪の女の子だった。

最初に打った茶色い髪の子は、2本とも当てて、35点と35点、計70点だった。

 ただでさえ緊張するのに。

 足を引っ張ったらどうしよう。嫌われたらどうしよう。

 そんなことを考え、一言も話せないまま、震えながら打った矢は、見事に的を外れた。

 金色の髪の女の子が笑った。

 いつも本ばっかり読んでるからじゃない?

 悔しくて、キリンちゃんを見るのも怖くて、涙ぐみながら打った矢も、的を外してしまった。

 対戦相手の二人から、笑い声が上がった。

 次に打った金色の髪の子も2本とも当てて、その子は上手くて2発とも40点だった。

 150点。もう勝ちは無くなった。

私のせいで、と。消えてしまいたかった。

 でも、キリンちゃんは、1ミリも諦めてなくて。

 それからの30秒を、私は一生忘れない。

 強い風が吹いた後、ぴたりと止んだ、その瞬間。

 キリンちゃんがしなやかに引いた弓矢は、美しい軌道を描いて、春の日差しの中、ピンク色のサクラの花びらが舞いちる校庭で、的の真ん中に吸い込まれていった。

 金髪の女の子の笑みが消えた。

 それから、まるで時間を巻き戻したように、キリンちゃんは同じように弓矢を引いた。

放った矢は、数枚のサクラの花びらを貫いて、一本目の矢に突き刺さった。

 これは、できすぎね。

 それが、初めて見た、キリンちゃんの笑顔だった。

 春風にそよいだ、栗色の髪と、ルビーの瞳を、私はずっと見ていたかった。

 この撃ち方、本で勉強したの。キング・オラトリオの打ち方よ。

 私と、それから金髪の女の子にも聞こえるように、キリンちゃんは言った。

ちょうど、授業終わりの鐘が鳴って、キリンちゃんは弓矢を片付けながら、寄宿舎に帰っていった。

 それから、私はキング・オラトリオについて書かれた本を探しては、読みふけるようになった。

 毎日、人目を避けて、夜中に体を鍛えた。

 キリンちゃんと、どうしてもまた話したくて、話す勇気を手に入れたくて。

 ★★★

 残った生徒は38人。

 全員が講堂に集められていた。

 これまでと雰囲気が全く違うのは、スザク先生も、ララ先生もいないこと。

 会ったことのない、王都から派遣された試験官が、3人。講堂の真ん中に、水晶のドクロを背にして立っていた。

 「今日から始まる2の試験、そして次の3の試験は、我々王都の試験官が管理する。試験官長のラティスだ、よろしく。」

 切れ長の一重、長めの髪を真ん中で分け、後ろ髪を縛っている。細身で、ギョロリとした目つき。

 性格悪そう…。

 あ、そんな偏見を持っちゃだめか。

 「2の試験は、少し特殊な試験だ。全員、2人のペアか、3人のグループを作れ。誰と組むかは自由だ。30分後、作ったペアかグループで、ここに登録をしに来い。」

 え!

 そんな急に?

 えーと、いつものメンバーは…。

 「キリンちゃん。」

 振り向くと、ソラが立っていた。

 「…ペア…私じゃ駄目かな?」

 「え?!もちろん良いに決まってるじゃん!」

 「良かった!頑張ろうね!」

 ソラとなら、色々何とかできそう。

 あ、ヤクモはどうしたかな。

 きょろきょろと見渡すと、ヤクモとスパナが目に入った。

 「ま、休みに家に帰らない同盟、だな。」とヤクモが言った。

 ん、何かどこかから視線を感じるような…。

 あ、ドレイク君だ。

 「ヤクモ、スパナ。別に、良いんだぞ。協力して欲しいなら。」

 「面倒くさいから、早く来いよ、ドレイク。」

 「これに書いて下さい。もう、自分たちは書いてますから。」

 「…。」

 あ、黙って登録用紙受け取った。

 ま、じゃあ、いつものメンバーということで…。

 「キリンさん、よろしいですか?僕がそちらに入って、お手伝いをさせていただくというのも…。」

 なぜか、ヤクモがドレイク君の襟を引っ張る。

 「あ、それも嬉しいんだけど…。」

 私はちらりとヤクモを見た。

 …何考えてんのかな?

 「多分、これチーム同士で連携する場面があるんじゃないかな?だから、取りあえずこれで二手に分かれて、行き詰ったら合流して情報交換しませんか?」

 ソラが、また試験の先を読んだような話をしていた。

 ★★★

 「よし、これで全部だな。」

 生徒達が提出した登録用紙を長めながら、試験官長のラティスが言った。

 「これから、試験会場に移動する。この移動の時点から、試験は開始だ。これから、一言も言葉を発してはいけない。それから、後ろを振り向いてもいけない。絶対にだ。破った者は、即失格だ。では試験開始。全員付いてこい。」

 そう言うと、ラティスは講堂の出口に向けてスタスタと歩き出した。

 発言も、振り向きも禁止?

 「え!何?!」

 誰かの声がした。

 「ちょっと…俺、振り向いてないって…。」

 引きずられていく音が聞こえる。

 連れていかれた。

 まじで?今ので失格?

 講堂が静まりかえる。

 「早く付いてこい。」

 ラティスが鋭い声でそう言った。

 先頭の生徒が歩きだし、全員がぞろぞろと学園の西の森の方へ歩いていく。

 ラティスは一言もしゃべらず黙々と歩き続ける。

 小一時間くらいは歩いたんじゃないだろうか。 森の中で、不意に開けた広場のような場所に出た。

 かなり広いその場所には、いくつもの石の扉のような物がそびえ立っていた。

 こんな場所が学校の付近にあったなんて、知らなかった。

 「今からは、後ろを振り向いたり、周りを見たりしても良い。ただし、しゃべったら失格だ。」 しゃべったら失格。

 とは言え、周りを見れるようになるのは有り難い。

 俺は、右斜め後ろに視線を向けると、キリンと目が合った。

 キリンは首を傾げて、両方の掌を開いて「何なんだろうね?」というような仕草をする。

 俺は首を振って、「分かんねーな。」という仕草をする。

 コミュニケーションは取れそうだが…。

 「ここに、4つの扉がある。どこを選んでも良い。チーム単位で、扉を選んで入れ。中に入ったら、これを探して持ってこい。」

 ラティスは、ゆったりとした王都の試験官のローブの袖口から、緑色の球を取り出す。

 「これを人数分集めて持ってきたペア、もしくはチームは、その時点で合格だ。」

 球探し…か。何か宝探しの遊びみたいな試験だな…。

 「それから、これ。この赤い球は一つで緑の球3つ分だ。だから、赤い球を一つ持ってくれば、そのペアもしくはチームは全員合格だ。どっちでも良い。手段も問わない。会話だけはしないこと。とにかく、球を持ってこい。制限時間は6時間だ。」

 ラティスが円盤のような物を取り出す。

 ぐるりと、12個の宝石のようなものが円形に配置され、埋め込まれている。

 「ペアかチームごとに、これを一つ渡す。30分で1目盛りずつ消える。全部消えたら6時間だ。それから…。」

 ラティスが何やら嫌な笑顔を浮かべる。

 「1目盛り消えるごとに、入手されなかった緑の球は3つずつ、消えていく。つまり、最初は36個あるが、30分後には33個、1時間後には30個、6時間後には0個だ。だから、急げよ。赤い球は最後まで消えないけどな。あと、会話したら、これが全部真っ赤になるから、その時点で失格な。」

 げ、まじかよ。

 生徒が今…37人。

 開始後30分までは全員合格の可能性がある。でも、そっから先は、どんどん減っていくってことか。

 いや、赤い球があるから、必ずしもそうとも限らないが…。

 「じゃ、始め。俺はここで待ってるぜ。」

★★★

 時間がないなら迷ってる暇はない。

 俺はドレイクとスパナに目配せして、一番近い正面の石扉に向かう…が、ドレイクは右の、スパナは左に向かって走ろうとするので、急いで二人の背中をひっぱたく。

 ドレイクは俺を睨みつけ、スパナは不思議そうな目で俺を見ている。

 …これ、相当難しいぞ…。

 俺は正面の扉と、円形の時計を指さす。

 俺達が止まっている間に、他のチームがどたばたと扉を開けて中に入っていく。

 ああもう、とにかく行かなきゃ。

 俺は二人の手を引っ張り、石扉の中に入っていく。

 扉の中は、地下に向かって階段が延びていた。何かの遺跡のようだ。壁がうっすらと光っているようで、地下に向かっているにも関わらず、視界に問題はない。

 しばらく降りると、開けた円形の広間のような場所に出た。壁に金属製の扉が4つある。先に入ったチームは、もうどれかの扉を開けて中に入ったのだろう。

 俺はスパナとドレイクを振り返る。どの扉にするか。俺は迷ったら左派だが、ドレイクは一番右の扉を、スパナは右から二番目の扉を指さす。

 沈黙。

 無言で、俺達は右手を振り出す。こういうときは、当然、三竦みの遊技で決めるもんだ。

 勢いよく振り出した手は、俺とドレイクが鳥、スパナが石。

 スパナの勝ちだ…ドレイクは悔しそうにしているが、とにかく時間が惜しい。急いで右から二番目の扉を開けて飛び込む。

 すると、中はまた広い円形の空間になっていて、その真ん中に何やら俺達と同じ位の大きさのカニのような形の石像がぽつんと置かれている

 ★★★

 いや、カニのような、ていうか、ほとんどカニだが…!

 そのカニの背に台座があり、あの緑色の丸い石がはめ込まれている。

 俺とドレイクは顔を見合わせ、スパナの肩を叩いた。スパナの勘が大当たりだ!

 じゃあ、後はあれをぶん取るだけだ。

 考える間もなく、ドレイクがカニに向かって走り出す。

 いや、お前ちょっと待てよ…。

 ドレイクの手が緑の球に触れそうになった瞬間。

 カニの目が赤く光り、石像が本物のカニのように動き出し、ドレイクから遠ざかる。そして、遠ざかりながらその背中にボコボコと穴が開き、中から槍のような物が何本も飛び出し、ドレイクに襲いかかる。

 「!!」

 ドレイクは身をよじり、床を転がりながら槍の様なものかわし、こっちに戻ってくる。

 俺とスパナの冷たい視線に、気まずそうな顔をするドレイク。

 カニは、部屋の中をしゃかしゃかと動き続けている。近づいて、動きを止めて、あの緑の球を取る必要がある。

 作戦を立てないと。

 だが、どうやって。

 スパナが、俺とドレイクの肩を叩いた。

 スパナが、いつも几帳面に書いている図面と同じ様な詳細さで、何かが書かれた表を広げる。

 これは…ハンドサイン。

 15種類くらいの手の形が、どんな意味かを示したものだ。

 そういや、こんなの授業でやったような気がするな…。ノート取ってたのか、こんな綺麗に。

 だが、改めて見るとこれはシンプルで良い。右へ、左へ、走る、飛ぶ、攻撃を仕掛ける…

 カニはしゃかしゃか動き回ってるが、近づかない限り、向こうから攻めてくることは無いようだった。俺達は、10分ほど、じっくりとハンドサインを見つめながら、それを覚え、そしてカニに襲いかかる作戦を練った。

 そして、視線を送り合い、三人同時にうなずくと、一斉に三方に散り、ドレイクは左、

俺は真ん中、スパナは右から、ジグザグに走りながらカニとの間合いを詰める。

 それに気付いたカニが、俺達めがけて槍を射出するが、これがチャンス。

 これはさっき見た時、穴が向いた方に真っ直ぐ飛んでくるので、避けやすい。おまけに、射出するまで数秒、カニは動かなくなる。

 パラパラと打ち出された槍を三人それぞれにかわすと、スパナがカニの左足の継ぎ目を狙って作業用のハンマーを振り下ろす。それを避けるようにカニが動いた所に、待ちかまえていたドレイクが、勢いよく刀を振り下ろす。

 鈍い音がして、カニの足が二本折れ曲がる。

 体勢が崩れたカニの台座に俺が手を伸ばす。

 その瞬間、カニの顔にいくつもの穴がぱかりと開き、槍が飛び出す。

 それを横に飛んでかわした俺の視界に、緑の球に手を伸ばしたドレイクが映った。

 取ったと思った瞬間。

 台座が緑の球を締め付け、球は急激に砂のように崩れ落ちた。

 同時に、カニも動きを停止した。

 …まさか…。

 俺は時計を取り出す。

 光が一つ消えている。30分経過。

 消えた三つの内の一つ。それがこれだった。

 数秒足りなかった…

 ドレイクが、扉に向かって走り出す。

 ハンドサインは「突撃」だ。

 飛び込むのも早けりゃ、切り替えも早い奴。

 だが、確かに、そうと分かれば迷ってる暇はない。

 早く次の球を見つけなければ。

 俺とスパナは、ドレイクの後を追った。

 ★★★

 3時間、試験時間の半分が過ぎたところだった。 

 私とソラは、二つ目の緑の球を手に入れていた。

 ソラが写しを取っていたスパナ君のノートを見ながら、瞬きとハンドサインを復習し、石像の動きを攪乱しながらの立ち回り。最初のネズミの石像だけは失敗して、しかも後から来た別のチームに横取りされたけど、次とその次の部屋で見つけた鳥と馬の石像の仕掛けは、パズル系の課題だったから、ソラが大活躍し、立て続けに緑の球を入手した。

 二つ目を取ったところで、ソラと抱き合ってひとしきり無言で喜んだ後、入り口に向かおうとした、その時。

 手元の時計の光が半分消えた瞬間。入ってきた扉から、ガチャリと嫌な音がした。

 急いで取手に手をかけると、押しても引いても開かない。鍵が掛かっている。

 一筋縄じゃいかないってことね…。

 ソラが、部屋の奥の扉を指さしている。確かにそっちに進むしかない。でも…。

 その扉は、明らかに今までのものと異質だった。

 赤と黒のストライプ。

 ここに、やばいのが居ますよ。と書いてあるようなものだった。とは言え、進むほか、道はないし…。

 ヤクモ達はどうしてるかな。多分別の扉に入ったけど。

 きっと上手くいってるわ。まずは自分のことをちゃんとやらなきゃ。

 私とソラは目配せして、そのやばそうなドアに手の取手に手をかけ、ゆっくりと開ける。

 何かが飛び出してくる気配はない。中も静かなようだ。警戒しながら、二人で横に並んで中に入る。

 「!」

 部屋の中は、うっすらと赤い光に包まれていた。その真ん中には…翼を持った幻獣。ガーゴイルの石像が3体、そして、それに守られるように、透明な水晶の箱が置かれていた。

 その中で、赤い球が燦然と輝きを放っている。これは、ちょっと取れる気がしない。しかも、挑戦する理由も今はない。

 ソラが肩を叩く。指さした先には、見慣れた灰色の扉がある。近づかなければ、ガーゴイルも動き出さないようだ。

 私たちはそそくさと、部屋の壁沿いを走って灰色の扉を開け、赤い球の部屋を後にした。

 その後は、方向感覚的に入り口の方と思われる灰色のドアを選んで進むと、入り口階段手前の、最初の広間にたどり着いた。

 張りつめていた緊張が、ふっと和らぎ、私とソラは顔を見合わせて笑顔になった。

 時計は後2時間半を残している。

 なかなかの成績なんじゃないかな。

 後は、ヤクモ達が上手くいってれば…終わってなかったら合流して…。

 そんなことを考えながら、広間を歩いていたその時。

 広間の陰に人の気配がして、私とソラは瞬時に身構えた。

 が、そこにいたのは、警官学生服を着た生徒だった。1年生の時に同じクラスだったことがあるアンナと、その取り巻きの男子二人だ。確か、結構成績は優秀な人たちだった気がする。

 多分、私たちと同じで、緑の球を集め終わったのかな…。

 アンナがにっこりと笑顔を見せて、私とソラも釣られて笑顔を返した、その時。

 突然視界の端に現れた男子生徒に、私は直感的に飛び退いた。

 蹴りが空を切る音が響く。

 アンナの舌打ちが聞こえた。

…最悪だ…。

 …緑の球を奪うつもりだ…。こんなことを考えるなんて…

 いくら手段を問わないって言ったって、これはあんまりなんじゃないの?!

 許せない…けど…。

 冷静に。相手の方が多い。こんなの相手にしなくていい。逃げて、試験官のところに…。

 私の目の前の男子生徒がうっすら笑うと、私に向き合うのを止めた。

 しまった。

 ソラが3人に囲まれる。

 突きや蹴りを何とかかわしていたソラを、アンナが背後から羽交い締めにする、そして…。

 男子生徒が、ソラの顔にナイフを突きつけた。 

こいつら…許せない…信じられない…。こんな奴が…こんな奴らが同じ警官を目指してたなんて…。

 男子生徒の一人が、ソラの腕を縛る。アンナが、ソラの体を捜検の要領でパンパンとはたいていき、上着の右ポケットから緑の球を抜き出すと、私に向けて、「お前のもよこせ」というジェスチャーをする。

 悔しい、悔しい、悔しい。

 私は、血がにじみそうな程、歯を食いしばる。 ソラが首を振っている。

 でも。

 こいつらは、本当に危害を加えかねない。

 私は、緑の球を取り出し、床においた。

 男子生徒が近づいてきて、緑の球を素通りし、私に「動くな」というジェスチャーをする。そのまま、私は後ろ手に、紐か何かで縛られた。

 許可の無い、手錠の目的外使用はしない、そこは守るんだ…。そんなことを考えながら、私は、男子生徒が緑の球を拾うのを見ていた。

 アンナが入り口の方へ駆け出す。それを追いかけ始める男子二人。

 私は立ち上がって、その三人を追いかけ、一番後ろの男子生徒の背中に向けて跳び蹴りを放つ。だが、私の足は、閉じられた扉に阻まれた。

 着地して、扉を睨みつける。

 ソラが駆け寄ってきた。

 大粒の涙。

 泣かないで。ソラが悪いんじゃない。

 甘かった。気づけなかった。同じ服を着て、同じことを学んでいても。

 思ってることや願いは、みんなばらばらなんだ。

 いや、それ以上に気の緩みだ。情けない…。

後2時間。もう緑の球はほとんど残ってない。

 この遺跡の中は、もう全部見た。これから他の遺跡に移動して、後二つなんて…。

 

 え?

 ソラが、唇を動かす。

 マタ、ヤクニ、タテ、ナカッタ。

 

 何を言ってるのよ。私は、最初からずっと、ソラに助けられてるわ。

 階段を上って、キング・オラトリオの本を持ってきてくれた、あの日からずっと。

 私は、ぎゅっと、ソラを抱きしめ、それからポンポンと頭を小突いて目配せした。

 

 まだ終わってない。

 まだ何にも終わってない。

 私はソラの方に「行こう」と瞬きした。

 ソラは目を丸くしていたけど、うん、とうなずいた。

 確実に、手に入るのが残っている。

 赤い球。

 あの、ガーゴイルの部屋。

 その時、入り口の方のドアが開いた。

 あいつら?と身構えたその時。

 見慣れた、青い瞳が姿を現した。

 ★★★

 縄を切ってもらいながら、筆談で簡潔に、ひとしきり状況を説明したところ、3人とも…スパナ君まで激怒して、アンナ達を捕まえに行こうとしたけど、止めた。

 どう考えても、もう緑の球は提出されてる。

 ヤクモ達は、残り1個の緑の球を探しに来ていた。

 だから、ここにはもう緑の球はないこと、私たちは赤い球を狙いに行くから、他の遺跡に行った方が良いと言ったんだけど…。

 はやく、そこに行こうぜ。

 ヤクモがそんなジェスチャーをした。

 あ、そうか。

 赤い球は三つ分。

 私とソラの分で、さらにお釣りが来る。

 他の球の場所が不明な以上、ヤクモ達にとっても、あのガーゴイルの赤い球を手に入れることは、十分現実的な選択肢…。

 とは言え、リスクは未知数。

 でも、他の遺跡に一つくらい緑の球、あるかもよ?

 私がそんなジェスチャーをする。


 きょとんとしたヤクモは、「足りないだろ」とジェスチャーした。


 そうだよね、ヤクモはそういう奴。  

 甘いんだから。 

 いつか、悪い奴に騙されるんだから。

 トンっと、ヤクモの胸を小突くと、私はくるりと振り返り、赤い球に向かう扉の方に走った。

 時間無いから、急ごう、とみんなにジェスチャーして。

 ★★★

 こりゃ、やべーな。

 今まで見てきた石像と全然違う。

 ハンドサインを5人で確認する。幸い、キリンとソラも同じことをやっていたみたいで、サインも同じだった。スパナ様々だ。

 部屋をよく見渡すと、三方向の壁に、黒い鍵のような物が掛かっている。

 そして、よく見ると、ガーゴイルの胸の辺りには鍵穴のような穴が開いている。

 どう考えても、そこに刺しこめってことだろう。

 俺と、ドレイクと、キリンが、鍵担当。

 スパナとソラは陽動担当。

 時間は後1時間半。

 作戦開始の合図のために、4人が合わせた手の上に、何でか最後に俺が手を置くことになった。全員に目配せして、俺は手を押し込んだ。

 5人がバラバラに走り出す。

 俺が鍵に手をかけるか否か、その瞬間。

 石が擦れる大きな音がして、ガーゴイルが、生き物のように滑らかに動き出した。

 ソラとスパナが、ガーゴイルの前を横切り、2体の注意を引きつける。残った一体が、俺の方に向かってくる。翼はあるが、さすがに飛んでは来ない。だが、速い。

 壁から黒い鍵を取った俺に、即座に間合いを詰めて、鉤爪を振り下ろして来る。俺は黒い鍵を両手で持って盾の様に使って受け流す。

 甲高い音が響く。

 これ、ただの石像じゃない。何かひどく堅い金属が練りこまれている。

 他の石像みたいに破壊は無理だ。何とか隙を見つけて、鍵を差し込まないと…。

 俺はガーゴイルの右ストレートをかわすと、その腕を黒い鍵で跳ね上げる。

 がら空きになった胸元に鍵を突き刺す…が、ガーゴイルはぴょんぴょんと後ろに跳ねて難なくそれを逃れる。

 こりゃ、厄介だぞ…。

 ドレイクとキリンがソラとスパナが引きつけているガーゴイルに向かうが、同じ様な状態だ。

 動きを止めないと…。

 俺はスパナに目配せをした。

 走りながらスパナが懐から液体の入った瓶を取り出し、俺が最初に対峙したガーゴイルの方に投げる。

 割れた瓶から飛び散った液体がガーゴイルの足下に広がり、ガーゴイルは滑って姿勢を崩す。

 ソラとドレイクが捕縄用の紐を輪っかにしてガーゴイルの羽に掛け、両方から引っ張る。

 今だ!

 俺は身動きがとれなくなったガーゴイルの胸元の鍵穴に鍵を差し込み鍵穴を開けるように右に捻った。

 ガーゴイルが甲高い金属音の叫び声を上げた。その瞬間、部屋の中央の赤い球の周りの水晶の囲いが一枚開いた。三枚重ねの内の一つが無くなった。あと二つ。

 数的有利になったと思った、その時。

 俺が鍵穴を差し込んだガーゴイルの両耳から、勢いよく、何かの液体が飛び出し、羽を縄で引っ張っていたドレイクとソラに直撃した。

 二人は、壁に叩きつけられ…そのネバネバした液体で動けなくなっている。

 接着液か何かか…殺傷力はなさそうだが…。

 スパナがソラに駆け寄る。スパナなら、あの液体をどうにかできるか…。ドレイクは一人で頑張ってもらおう。

 俺は部屋の中央の、赤い球の方に走る。キリンと俺は背中合わせになって、ガーゴイルに対峙する。

 ガーゴイル二匹は、俺達に打撃を加えては、飛び退くことを繰り返す。

 正直、埒が明かない。だが、ここに引きつけないと、ソラやドレイクが襲われてしまう。

 キリンが、肘で俺を突っついた。顔だけちらっと振り向くと、キリンが、「弾き飛ばして。」とサインを送ってくる。

 よく分かんねぇが、何かあるんだろ。

 俺は、再び襲いかかってきた俺側のガーゴイルに向けて、全力で、黒い鍵を大振りした。

 ガーゴイルは、それを両手でガードしたが、弾き飛ばされる。

 次の瞬間、俺の耳の脇辺りを勢いよく、何か硬い物が飛んでいった。

 気が付くと、ガーゴイルの胸に鍵が刺さっている。俺は急いで間合いを詰め、鍵を回した。

 再び、金切り声を上げてガーゴイルが動かなくなった。

 また、耳から液体が出てくることを察知し、俺は距離を取ったが…。

 頭上から液体が降り注ぎ、俺は身動きが取れなくなった。

 くそ…今度は頭から出てきやがった。

 キリンが駆け寄ってきて、俺の右手の黒い鍵を手に取り、最後のガーゴイルとにらみ合う。

 キリンが黒い鍵を振り下ろし、それを受け流したガーゴイルがキリンに鉤爪を振り下ろすが、今度はキリンがそれを鍵で受け流す。

 一進一退の攻防。

 俺は少しずつ、液体を体から引っ剥がしながら、身動きが取れるよう、少しずつ這いずり出る。

 早く加勢を…!

 キリンが振り下ろした黒い鍵が、ガーゴイルを捉えたと思った瞬間。

 ガーゴイルが中空に浮いた。

 やっぱり飛べんのかよ!

 中空から、ガーゴイルがキリンめがけて襲いかかる。すんでのところでキリンはかわすが、攻撃をしようとした時には中空に逃げている。

 圧倒的に不利。こっちの攻撃は届かないのに。

 ガーゴイルが口を開けた。

 その口から、大量のピンク色の花びらが吹きだす。季節外れの春の花。サクラの花。

なんだこりゃと思ったが、視界が遮られ、前が見えづらく、うっとおしい。

 視界の右端で、何かが動いた。

 ソラだ。

 そして、左から、ドレイク。

 二人とも抜け出したんだ。

 両脇から、二人が縄を持ってガーゴイルに接近する。

 ソラに向けてガーゴイルが急降下した。かわしきれなかったソラは、二重三重にした縄をピンと張って打撃を受け止めようとするが、そのまま壁に吹き飛ばされる。

 だが、吹き飛ばされながら、ガーゴイルの首に縄が掛かる。

 反対側から、ドレイクの縄が、同じく首に掛かる。

 両脇から引っ張られ、身動きがとれず、縄を外そうと首に手をかけたガーゴイルの胸元に。

 見とれるほど美しいフォームでキリンが投げた黒い鍵が、矢の様に突き刺さった。 

 さっきもこれをやったのか。

 凄まじいコントロール。そういやこいつ、弓矢がめちゃくちゃ得意だったな…。

 !

 鍵が刺さったまま、ガーゴイルが中空に浮かび上がる。ソラとドレイクが引きずられている。

 駄目だ、鍵を回さないと。

 俺はようやく自由になった上半身の力を振り絞って、下半身を引き抜こうとした。

 その時、キリンが縄を投げてガーゴイルの首に掛けた。

 そして、力強く地面を蹴ると、鍵に向けて飛んだ。

 鍵を掴むと、それを押し込むようにして、キリンはガーゴイルを床に叩きつけた。

 勝った、と思った瞬間。

 ガーゴイルの口から大量の花びらが噴出し、キリンの視界を奪う。

 キリンがひるんだ隙をついて、ガーゴイルが黑い鍵を抜き、ぶん投げた。

 黒い鍵が床をくるくると回転しながら、花びらが敷き詰められた部屋の中を滑っていく。

 黒い鍵に、駆け寄る影が見えた。

 ソラ!

 ★★★

 キリンちゃん。

 100点じゃなくて良い。

 30点で良いから。

 私は、黒い鍵を掴んで、キリンちゃんのフォームをイメージしながら、全力で投げた。

 ガーゴイルにまたがったキリンちゃんが、右手を伸ばした。

★★★

ガコッ。

 鍵が回る音がして、ガーゴイルが悲鳴を上げた。

 最後にガーゴイルから吹き出したのは、液体ではなく、大量のピンクの花びらだった。

 祝福でもするかのように降り注ぐ花吹雪の中、キリンが振り向いた。

 そんで、にっこりと笑って、ソラにピースサインをした。

 ソラがキリンに飛びかかって抱きついた。

 ★★★

 結果を聞くまでも無かったけど。

 そんなわけで、俺たち5人は2の試験も合格となった。

 まぁ、それぞれ頑張ったけど、最後はほとんどキリンとソラのお陰でなんとかなりました、みたいなとこがあった気もする。

 2の試験の前、ソラが走ってきて「私、キリンちゃんとペアで良い?何かあったら、後で合流するから…ヤクモ君、嫌じゃない?」と、何故、何を俺が居やがるのか、謎の質問があったが、二手に分かれて正解だったんだろうと思う。

 まぁ、やっぱあいつらは、すげぇ奴らだな。

 それから、一つだけ。

 アンナと、その取り巻きの男二人は、失格・退学になった。

 ラティス試験官長いわく。

 「警官が、悪いことしちゃ駄目に決まってんだろ。」とのことだった。

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