第2話 学校

「それで、ヤクモ。あんたはその装備で、本当に試験に挑むつもりなの?」

 両手を腰に当てたキリンがあきれたような顔で見下ろしてくる。

 明るい栗色のショートヘアを耳にかけ、少し吊り目気味のくっきりとした二重瞼の下に輝く赤(レ)交じり(ディッシュ)のオレンジ色の瞳が、静まり返った夏休みの、教室の窓から差し込む日差しを照り返している。

 「装備の選択は、生徒に任されてる。俺は、とにかく身軽さを優先する。ていうか、キリンは装備を持ちすぎだろ。旅行にでも行く気か?」

 キリンは、「商人と船の国」トリスタン製の強化繊維で作られた大型のリュックサックに、小型ランプ、乾パン、水筒、けがの応急処置セット、二日分位の着替え、その他諸々を、リュックの容量限界まで詰め込んでいた。

 「それ、途中で襲われたら、邪魔にしかなんねーだろ。」

 「1の試験は良いの。やることが告知されてるからね。でも、それ以降の試験は何をするか、どのくらいの期間なのか、まったく明かされてない。「あらゆる可能性を想定したか?」。警官(アレスター)の審理第3条!」

 「飛ぶときは潔く。警官(アレスター)の心、第3条。」

 「考えてないバカほど、それをすぐ持ち出すのよ!それは準備をし尽くした者に対して、最後に背中を押す心構え!」

 「まったく、本当、お前とは気が合わないよ。」

 昔から、そう、初めて会った5年前から。

 お前が落としたイヤリングを拾ってやったら、いきなり噛みつかれたあの日から。

 右手にうっすらと残る、キリンの歯形に目を落とした

 俺はため息をついて、合金製のくすんだ銅色の手錠の鍵の具合や、捕縄に解れがないかの点検を始めた。

 明け放った教室の窓から、強い風が吹いて、「学校」の庭の楠の木のよく生い茂った葉と向日葵の匂いを運んできた。俺とキリンは、一転して黙々と、自分の作業に集中し、蝉の鳴く声だけが、二人だけの教室に静かに響いていた。

 もうすぐ、試験が始まる。

 警官(アレスター)になるための試験。

 俺たちの全部をかけた試験が。

★★★

 初めて会った時のヤクモの印象は、「落ち着きのないがさつな奴」だった。

 悪い奴じゃないんだろう、と思うまでは、しばらくかかった。

 5年前、警官学校の寄宿舎にひとりぼっちで入った時、玄関の段差でつまずき、左手で掴んでいたお母さんのイヤリングを落っことした瞬間。 

私よ少し先に寄宿舎に入り、その日は玄関の掃除をしていたヤクモが、玄関の石畳の上に落ちる前に、イヤリングをつかんだ。

 今思えば、とにかく、あの犬みたいな反射神経で、本能的に、キラキラした落っこちる物を掴んだだけなんだろうけど。

 8歳で、いきなり両親が居なくなり、ひとりぼっちだった少女から見たら…。

なんかもう泥棒にしか見えなかったのよね。

 お母さんの物だって信じてる、赤いルビーのイヤリング。

それだけは無くしたくなかったから。

「返してよ!」と叫ぶやいなや、ヤクモの右手をつかんで、噛みついた。

 かなりがぶっといった。

 そっから先はよく覚えてないけど、「何すんだ!この野郎!」と叫んだヤクモと、散々殴り合ってるうちに、ララ先生が止めに来て、先生の「痺れさせる力」で、バッチバチに電撃を流され、二人して玄関に突っ伏した。


 とにかく、最悪な出会いだった。


 今でも、あのときどっちが何発蹴りを入れたかで、言い合いになるけど、私は6発で、ヤクモは8発で間違いない、と私は思っている。

ヤクモは逆だって言うけどね。

 なんだかおかしくなってきた。

 急に思い出し笑いをした私を、ヤクモが不審な目で見ている。

 「…不気味な奴だな…。」

 「あんたが原因よ。」

 「どういう意味だよ。」

 「五年経ったわ。この学校に入ってから。」

 「今更なんだよ。」 

 「私たち、強くなったわよね。「アルテナ」を授かるくらい。」

 ヤクモの少し灰色がかった青い瞳が、私をじっと見つめ返した。

 「お前から自信満々な態度を取ったら、何にも残んねーよ。」

 なにー?

 「どういう意味よ!」

 「そういう意味だよ。不安なんて似合わねーよ。いざとなったら、急に思い切るじゃねーか。俺よりずっと大胆だ。お前は大丈夫だろ。」

 む。

お前は。

 「俺はぎりぎりだ。お前はララ先生経由で「痺れさせる力」が使えたろ?俺は、6人の先生の力は、どれも使えなかった。 

 1 縛る力

 2 速く動く力

 3 硬くする力

 4 調合する力

 5 痺れさせる力

 6 重くする力

 全部使えなかった。使えなかった「生徒」が、特技…「アルテナ」に目覚めた例は、学校の歴史上数人しかいなかったはず。」

 ヤクモの、青いくらい真っ黒な黒髪が、教室の窓から差し込む光を照り返す。

 「「重くする力」は、兄貴の「アルテナ」だから期待してたんだけどな。」

 ヤクモの兄。

 ハル・インバクタス

 同時期に5人にしか与えられない、「最上位警官」の称号を、16歳で得た天才中の天才。

 アレステリア人の一部にだけ発現する、特殊能力、「アルテナ」。その中でも僅かな者だけが使える、「重くする力」を極限まで引き出し、数々の高額賞金首を逮捕し、世界7政府連合直下の「作戦」をいくつもこなした。

 そして、最後の「キング・オラトリオの雨」作戦で、世界7政府連合を裏切って、警護中の超巨大ダイヤモンド「キング・オラトリオの雫」を強奪した上、「警官」の最悪の禁忌、「警官殺し」を犯して逃走。

 現在、世界7政府連合最高額の賞金首。

 ヤクモの7歳上の兄。

 兄の犯した罪で、ヤクモとヤクモのお母さんは世界7政府連合から直接取り調べを受け、逮捕され、ハルの起こした事件との関連は無し、として釈放された後も、住んでいた街で散々嫌がらせを受け、母親と一緒にアレステリアの端っこの港町まで夜逃げ。

 それが、ヤクモに聞いた話。

 警官学校の1年生の時の、ヤクモの自己紹介は、今でも良く覚えている

 私が、当たり障りのない自己紹介をした、次の順番がヤクモだった。

 教室にいた、50人の新一年生の間には、この中に最悪の賞金首の弟がいる、と噂する声があった。 

教壇に立ったヤクモは、教室を見渡すようにして、息を吸った後。

 「俺は、重罪人のハル・インバクタスの弟、ヤクモ・インバクタスです!兄は俺が逮捕します!!」と、教室中に響きわたる声で、叫ぶように言った。

 鳥肌が立った。

 それから、ハルとヤクモのことを噂する声はなくなった。

 それどころか、次の授業の合間に、ヤクモを励ます生徒もいた。

 うまく言えないけど、そう、うらやましいと思ったのを覚えている。

 自分は、こういう人間だって、胸を張ってはっきりと叫べるのが。

 誰になんと言われようと。

 「どうせ大丈夫よ。」

 「なんだよ、それ。」

 「あんたこそ似合わないわ。飛べるか飛べないか、迷うタイプじゃないでしょ。」

 そう、いつも、こうと決めたらくよくよしない。

 でもその思い切りは、結局、良い方に転んでると思う。

 私は常に不安で、自分なりに万全の準備をして、成功する確率を上げてるだけ。

 それが、自信があるように見えるだけ。

 「どうなるか、じゃない。なんとかする、でしょ?私には信じらんないけどね。無計画過ぎ。」 「計画ばっかしてたら、チャンスを逃すからな。確かに、俺たちは散々訓練した。後はなんとかするだけだ。」

 ヤクモは笑ってそう言った。


2:試験の準備

 6人の「先生」のうち、俺たちの学年の担任であるララ先生とスザク先生が教壇に立っていた。

 ララ先生はいつもどおり、白いフワフワのワンピースに身を包み、うっすらと笑顔を浮かべながら、右手で、ウェーブのかかった明るい茶色の長い髪をいじくっているし、スザク先生はいつもどおり、細身の黒いスーツに身を包み、切れ長の一重の目で生徒たちをじろじろと見渡しながら、両腕を組んで立っている。

 「そういうことで~。」

 「来週、ついにお前等の試験だ。」

 あらかじめ役割分担してたのか、二人は順番に口を開いた。

 「痺れさせる力」の研究者にしてアレステリア「教師級(マスタ ー)警官(ズ)」8警部の一人、ララ先生。

 5年前から全然変わらない、街で会ったらおしゃれな美人のお姉さんって感じの人、だが、もちろん「生徒」達でそんな風に思ってる奴は一人もいない。みんな、何かしらの理由で、一度はララ先生の「痺れさせる力」の電撃をくらってのたうち回ってるはず。

ほんと、ずっと笑顔のまま電流を流し続けるからね。まじで、ドS。

 「速く動く力」の研究者にして8警部の一人、スザク先生。

 5年前と比べて、一層目つきが鋭くなった気がする。ひょろりと長い手足、音もなく走り、気が付いたら背中を取られている。怖そうな雰囲気だが、1年生の最初の授業の時、「資料を配る」と言った次の瞬間、全員の机に資料が置かれていたり、学校で飼っている馬が逃げ出した時に瞬時に捕まえてなだめながら戻ってきたりと、なんか能力の使い方が日常的というか、ほのぼのしているというか。結構相談も乗ってくれて、女子生徒からの人気が特に高いんだよね。

 「教師級(マスタ ー)警官(ズ)」達は、アレステリアの「高度戦力」に当たり、たった1人で数百人の訓練された兵士と渡り合えるとかなんとか。二人とも普段はそんな雰囲気を出さないけど。

 他国で紛争やテロが起きたときには、条約に基づいて「教師級(マスタ ー)警官(ズ)」達や更に上位の警官が派遣されることもある。

 この世界にとって、特別な戦力。

 「世界の警官」こと、アレスター。

 それを目指すのが、俺たち、アレステリア人の「生徒」。

 同期生は50人。

 この中から、「警官」になれるのは、約半数の20人くらいと言われている。だが、年によって、合格者は変動するので、はっきりとしたことは分からない。少ない年だと5、6人だったこともあれば、30人以上受かった年もあるらしい。 

「お前等は、今日まで多くのことを学んできた。改めて、お前等に、「警官」とは何であるのか、5年前に話したことをもう一度話す。」

 スザク先生が腕組みをしたまま、そう言った。

 「「警官」は、アレステリアのみならず、この「七つなぎの国々」に蔓延る犯罪者達を捕らえ、平和の維持を図る存在だ。」

 「すっごく、だいじなお仕事ってことよ~。」

 そうだ、このまんまのトーンで、5年前、俺たちはこの教室で、この話を聞いた。

 それから、ララ先生とスザク先生は、本当に、5年前に俺たちが入学式で聞かされた話から話し始めた。

 それを聞きながら、俺は警官学校の入学試験を受けたころを思い出していた。

 警官は、この七つなぎの国々全てに配置されていて、犯罪者を逮捕し、大監獄「大いなる壁」に連行する役割を担っている。

 警官学校は、9歳になるアレステリア人の血筋の子供しか受験できない。

 9歳で入校し、14歳で試験を受ける。なぜなら、「アルテナ」は14歳になる年にしか発現しないから。14歳で発現させなかったアレステリア人は、一生「アルテナ」を発現させることはない。逆に、14歳で発現させることができれば、「警官」としてこの国に採用される。

 「警官」になれば、引退後も含めて一生の収入が約束される上、その両親や兄弟も含めて、家族の生活まで保障される。俺の家みたいに、「警官犯罪者」を出さなければ。だから、アレステリア中の子供たちが、いろんな動機で入学試験を受けに来る。ある者は、世界中で活躍する警官に憧れて、ある者は貧困から抜け出すため、ある者は、家族の名誉のため…。

 受験の条件はシンプル。9歳のアレステリア人の血を引く者であること。アレステリア人の血を引いているかどうかは、入校試験の最初の採血で、アレステリア人の血にだけ反応する試薬を使って、文字通り血を調べられる。

 それから、筆記と実技を1週間かけて受ける。筆記は自信なかったけど、実技の組手だけは結構良い線行ってたと思う。犯罪者になる前の兄貴が、護身のためと言って組手をしょっちゅうやってくれていたけど、それが予行練習になっていた。

 入学試験の最後の面接は、今、目の前にいるララ先生とスザク先生だった。もっと兄貴のことを聞かれるかと思ったけど、全然そんなことはなくて、どうして警官になりたいのか、という質問のとき、絶対に兄貴を捕まえたいから、だから俺を警官学校に入れてください、といった俺を、二人が穏やかな顔で見つめていたのを覚えている。

 そういえば、後日ララ先生から「入学試験の結果の開示を求めますか?」と聞かれたけど、どうせ大したことないだろうから、聞かなかった。入れただけで満足だったし。

★★★

 ララ先生とスザク先生の話を聞きながら、ちらりと、二つ隣の席のヤクモを見た。

 5年前、初めて会った頃と比べて、少し男の子っぽくなった。声変わりもして、背中もがっしりしてきた。でも、灰色がかった青い瞳は変わらない。

 すっと、まっすぐ、見つめるべきものを見つめている。

 その瞳に、どれほど救われたかは、はっきり言ったことはない。

この先も言うかどうかは分からない。

 でも、あの日。

 両親が居なくなって、そして、私が一人ぼっちになったあの日から、ヤクモが私の話を疑わずに聞いてくれた日まで。 

 私はほとんど死の淵に追いやられていて、ヤクモがそこから救ってくれた。

 私はあの日、ただただ、両親の帰りを待っていた。

 待ち合わせの時間に、栗毛色の二頭の馬が引く馬車に乗ってやってくるはずだった、優しい母親と、威厳のある父親を。

 1時間、2時間と過ぎても、私は待ち続けた。

 やがて、空が暗くなりはじめ、夏の夕暮れに、急に降り始めた大雨が、屋敷の軒先にたたずむ私の白いワンピースの裾を濡らしても。

 私はただただ、待ち続けた。

 それ以外の方法を知らなかったから。

 私の生まれた国だと信じている、キング・オラトリオの市街巡回警護官がやってきて、両親が戻らないことを聞かされた頃には、日がすっかり暮れて、大雨が去った夏の夜空に光る星が、足下の水たまりに、きらきらと揺れていた。

 きらきらと揺れていたのを、ぼうっと眺めていたのを覚えている。

 そして、次の瞬間、私の世界は全て崩れ去った。

 君はなぜここに居るんだい?

 このお屋敷は、君の家じゃないだろう?さあ、おうちに連れて行ってあげよう。

 何を言っているのか、全く分からなかった。

 私は急いで、屋敷に走り、ドアを叩いて執事のカークを読んだ。

 そして、ゆっくりとドアを開けたカークは、その慣れ親しんだ口ひげを触りながら言った。

 どちら様ですか?

 その後のことはよく覚えていないけど、茫然としながら屋敷のドアにしがみつく私を、巡回警護官が引っ張り、馬車に乗せて詰め所に連れて行った。

 私は、キング・オラトリオの第三皇女、キリン・アリストリア・ノノよ。

 調べればすぐ分るでしょう、早く調べて!

 何度も叫ぶ私に、巡回警護官の一人が書類を持ってきて言った。

 アリストリア家に、ご子息はいません。

 憐れむような眼で、その場にいた数人の巡回警護官達が私を見た。

 何が起きているのか、全く分からなかった。

 その次の日、巡回警護官の詰め所に、中年の女性がやってきて「キリン、探したわよ。」と言った。会ったことも見たこともない女性。

 うちの使用人です。孤児を引き取った子で、時々、おかしなことを言うんですよ。ごめんなさいね。

 その女性が私の目の前でそう言ったことを、今でもまざまざと覚えている。

 嘘よ!嘘よ!全部、全部嘘!

 半狂乱で叫ぶ私を、巡回警護官が押さえつけて、何か鎮静剤のようなものを打たれた。

 ぼんやりと、覚えているのは、どこかの家のベッドで、誰かが話している声。

 もう、うちではもうちょっと面倒見切れないから、そう、ちょっと遠いけど、あのアレステリアの家、給仕を探していたでしょ。あそこに送ることにするから…。

 それから、私は、東端の国、キング・オラトリオから西端の国、アレステリアに連れていかれ、片田舎のお屋敷のメイド見習いになった。

 8歳になった年の冬だった。

 そのお屋敷の高齢の女主人は、優しかった。とてもとても優しかった。ほかに何人か居たお手伝いさんたちと比べても、かわいがってもらっていた。

 少し、頭がおかしくなってしまった、かわいそうな子として。

 夜、お屋敷の掃除をしながら、廊下の窓から星空を眺めながら。

 涙が頬を伝った。

 私は思った。

 盗まれた。

 私の、全てを。

 どうしてそう思ったかは、覚えてない。でも、そうとしか思えない自分がいた。

 警官のことを知ったのは、それからほどなくしてだった。

 お屋敷では、女主人としか話さなかったから、友達もいなかった。話したくもなかった。だからずっと、居心地が悪かった。

 お屋敷の倉庫で、古い弓矢を見つけて、それをおもちゃにしていた。倉庫にあった缶詰の空き缶を的にして、並べて打つ。思い通りに当たった時は、その時だけはうれしかった。

 筋が良いんじゃない?この本、読んでみる?珍しい、キング・オラトリオの弓術の本よ。

 一人遊びをしていた私に、女主人が、弓術の本をくれた。

 警官の狙撃手になれるかもね、がんばったら。

 女主人の、薄紫色の瞳が、穏やかに輝いていた。

 そこで、私は初めて、警官のことや、警官学校のことを知った。

入学すれば卒業まで、生活は国が面倒を見てくれる。警官になれば、一人でも生きていける。

 母親は、アレステリアの血筋だったはず。

 これが最後の方法、と、8歳の私が思ったのを覚えている。

 警官になれば、父と母も探せるかも知れない。

 自分は狂ってないと、証明できるかもしれない。

 入学試験を受けると言う私の希望を、女主人は快く認めてくれた。

 どうせ1回しか受けられない入学試験。1年間、やってみると良い、と。家事のほとんどを免除してもらった。

 それは、私に残された、最後の希望だった。

 それから、狂ったように、筆記試験の勉強と実技試験の練習をした。

 弓矢の練習も、毎日欠かさなかった。

 後で、ララ先生から、「ちなみに、3位だったわよ。入学試験の筆記も実技も。」と教えてもらった。

 あれだけやっても、上がいるんだな、と思ったのを覚えている。

★★★

 「私は、キング・オラトリオの第三皇女、キリン・アリストリア・ノノよ!」

 それは、入学して最初の夏休みの後のことだった。

 真昼の教室に、キリンの凛とした声が響きわたった。

 その日は、スザク先生が王都に呼ばれ、「速く動く力」の実習が中止になり、ララ先生は休暇で、他の先生達もそれぞれ別の学年の授業があり、結局「文献研究」という名の実習時間となった。

 スザク先生は、自分が所有している大量の本を教室に荷台で運び「好きなのを読んで」と言い残すと、窓から飛び降り、ほんの数秒で学校の周囲の森の中に消えていった。

 自習中は黙々と本を読むキリンなど、数名の生徒を除けば、その難解なアレステリアの歴史や技術に関する本に没頭できる生徒はおらず、珍しく、どの先生も配置に付かない自習時間に、次第に私語が広がっていった。

 キリンの席の近くで、誰かが、夏休みの間に帰っていた出身地の話を始めた。

 それが、発端だった。

 ★★★

 「生徒」は、年に1回だけ、寄宿舎を離れて家に帰ることが許されている。時期は、夏の中盤の「月が近い日」の前後数日間。親族が集まり、ご先祖様を供養する時期。

 大抵の「生徒」はその日を心待ちにしている。特にその時は、みんな家を離れて1年目だったから、俺たちの学年のほとんどの「生徒」が、最初の夏休みに、自分の家に帰った。 

帰らなかったのは、俺と、超読書家で、家に帰る時間が惜しいと言っていたソラと、怪しげな機械作りに没頭していたスパナ、理由はよく分からないが帰らなかったドレイク、そしてキリンの5人だけだった。

 ソラは、度の強いメガネを入念に磨いた上、大量の図書館の本を積んだ荷車を引いて、自分の部屋に引きこもり、スパナも同様に、他人にはがらくたにしか見えない謎の金属片や謎の液体を大量に部屋に持ち込み、引きこもっていた。

 ドレイクは、よく分からないが、学校の庭で延々と剣の素振りや筋トレをしていた。

 俺は、素振りをしているドレイクを見下ろしながら、がらんとした寄宿舎の二階の広間で、貸与されたばかりの手錠の鍵穴のチェックや、金具の滑りをチェックしていた。

 そこに、すたすたと、何か飲み物を入れた白いコップを片手に、キリンが歩いてきたのを覚えている。

 普段、休日はいつもだぼっとしたズボンと無地のシャツを着ているキリンが、その日は、黄色のシンプルなワンピースを着ていた。

 見慣れないので、一瞬誰だか分からなかったが、栗色の髪と赤交じりのオレンジの吊り目のセットで、噛みつかれた時の記憶がはっきり蘇り、キリンじゃん、と思った。

 キリンは、広間の窓際の椅子に座り、俺と同じようにドレイクを見下ろした。

 「あんたは、家に帰んないの?」

 「そういうお前はどうなんだよ。」

 1年生の時の俺は、キリンが苦手だった。

 最初に会った時に、ピアスを拾ってやったにも関わらずいきなり噛まれ、殴られ蹴られ、散々な印象だった上、その後も、クラスの誰とも積極的に馴染もうとせず、いつも一人で本を読んでいる。

 「私のことはいいでしょ。あんたのことを聞いてんの。」

 何て物言いだ、どことなく、高飛車なんだよな、こいつ。

 育ちがいいのかもな。

 「俺は、卒業して「警官」になるまで帰らない。母親に宣言してきたから、帰らん。どうせ、帰っても、街に出りゃ、石投げられるだけだし。」

 そう言って、さすがに何だか寂しい気持ちになった。

 そんな俺とは対照的に、キリンは、吊り目をやや見開いて…何か嬉しそう?

 「へ、へー。そう。あんた、帰んないのね。この先、5年間ずっと。5年間。」

 「なんだよ。悪いかよ。」

 「とか言って、来年あたり寂しくなって帰るんでしょ?」

 な、何なんだ、こいつ…。

 「帰らねぇって言ってんだろ!」

 若干強めに言ったにも関わらず、より一層嬉しそうに見える。

 どうなってんだこいつ。

 「そう、なるほどね。実は私も家が遠いから、ちょっと学校の規則上、帰れないのよね。ほら、移動日入れて5日間じゃない?それじゃ無理なのよ。だから、この先5年間帰らないつもりだったわけ。奇遇ね。この5日間、誰もいなくて静かだから、す、少しぐらい、話し相手になってあげてもいいわよ。」

 …なるほど。

 こいつ、寂しかったんだな。

 1年生達は、先月くらいから、この5日間の話を始めていて、久しぶりに家に帰ったら誰に会うだの、何をするだの、何を食べるだの、みな楽しそうにしていた。

 いつも一人でいたキリンは、一層孤独だったんだろう。

 しかも、この先5年間、毎年同じ時期に、同じ思いをするのか、と。

 なるほど。

 「話し相手が欲しいのか?」

 「どういう意味よ!私が寂しがり屋みたいじゃない!」

 完全にそうだと思うが、面倒な奴だな。

 まぁ、でも俺も寂しくなかったわけじゃないし、正直、気が紛れたのは嘘じゃなかった。

 それくらい、がらんとした夏の寄宿舎は、どこまでも静かだった。

 「お前に噛みつかれた右手の歯形、まだ残ってるぞ。」 

 「何よ、急に。それはあんたが、ものすごい勢いで私のイヤリングをかすめ取ったからでしょ。ってか、お前ってやめてくれる?私はキリン…ミドルネームはいいわ。キリンってちゃんと呼んでくれるかしら。」

 腕を組んで、若干偉そうに言う。

 「それを言うなら、お前…キリン、そっちも俺の名前を覚えろよ。ヤクモ・インバクタスだ。」

 「知ってるわよ。それで呼べってことね。」

 まぁ、そりゃ知ってるか。4月くらい経つしな。

 何となく、窓の下を見ると、素振りをしていたはずのドレイクが…こっちをじっと見ている。

 …なんだ?

 怖いから見なかったことにしよう。

 俺はキリンに視線を移すと、そもそもの疑問をぶつけた。

 「そんな遠いって、お前の家、どこなんだよ?アレステリアじゃないってこと?」

 確かに、アレステリア人じゃない「生徒」もいなくはない。親がアレステリア人で、他の国に移住したり、他の国の人と結婚したりで。とはいえ、なかなか珍しい。1年生の中では、いなかったような。

 「…私は…」。

 急に、何か思い詰めたような、苦しそうな顔になって、キリンは言いよどんだ。

 「な、なんだよ…言いたくないなら、別に言わなくてもいいぜ。」

 キリンは、そんな風に言った俺を、レディッシュオレンジの吊り目で、じっとみつめてきた。

 「絶対…多分…その、、信じてもらえないと思うんだけど…」。」

 「へ?な、何だよ、出身地だろ?」

★★★

 その時の俺は、キリンがどれほど迷っていたか、それでも、周りに誰もいない学校で、一人だけなら、他の生徒に聞かれないなら、駄目もとで言ってみようと。

 あきらめと、不安と、かすかな祈りを込めて、俺に話してみようと想ったことを、少しも知らなかった。

★★★

 「私は、東端の「壁の国」、キング・オラトリオ出身の、キリン…キリン・アリストリア・ノノ。」

 「キング・オラトリオ?!まじで?!すげぇ!」

 俺はびっくりして、少し興奮気味にそういった。

 そんな俺を、キリンは、なぜか、びっくりしたような顔で見つめていた。

 「…え…?その…信じてくれるの?」

 おそるおそる、といった様子で、キリンが俺に尋ねる。何かを確認するように。

 何かを怖がるように。 

「?へ?どういうこと?いや、すげぇよ。地図の一番東端の国じゃん。そりゃ、5日じゃいけないよな。ってか、行くだけで何日かかんのさ?珍しいなぁ…。しかし、「アリストリア」って、ミドルネーム、アレステリアみたいな…。」

 「…うん…、お母さん…が、アレステリアの血筋…だから…。」

 見開いた吊り目から、ぽろり、と涙がこぼれ落ちて、俺はひどく動揺した。

 「な、なんだよ…?どうした?」

 「何でも…ない…。」

 キリンが両手で顔を覆って、首を振る。

 いよいよ、どうしたらいいか分からなくなった俺が、口を開こうとした、その瞬間。

 「ヤクモ・インバクタス!貴様、何をしてる?キリンさんに何をした?!」

 いつの間にか、木刀の素振りを止めて寄宿舎の中に入ってきたドレイクが立っていた。

 「は?な、何もしてねーよ…。

 ほんとに何もしてないのだが…。

 てか、何なんだよこいつ。

 すげー、俺のこと睨んでるし…。

 目を赤くしたキリンも、顔を上げ、きょとんとした顔でドレイクを見ている。

 「あ…えっと…ドンベル君?」

 ドと文字数しか合ってないな。

 名前、自信ないなら、言わなきゃいーのに。

 だが、話しかけられたドレイクは、何故か嬉しそうだ。

 「ドンベル、それも良い響き。キリンさん、この大罪人の弟が、何をしたのかは知りませんが、僕が来たからにはもう大丈夫。」

 ドレイクが俺に向かって木刀を構える。

 「ヤクモ・インバクタス。お前を成敗する。」 

…何なんだこいつは!

 頭おかしいのか?!

 しかし、本気で切りかかってくる気配がしたので、俺も構えをとろうとした、その時。

 「ドレイク!ドレイク・アルベスタぁ!!探したぞ!」

 階段の方から、スザク先生が顔を出した。

 この5日間は、6人の先生たちが交代で当直をしていた。

 5日間なので、一人だけ丸々休めるそうで、今年はララ先生がそれに当たって、嬉しそうにしていたっけ。

 「実家の方から至急の連絡だ。早く帰って来いって言ってるぞ。とっとと荷物をまとめな。途中まで俺が送ってってやるから。」

 スザク先生は、「速く走る力」を極めている

 多分それを使って、送ってくれるつもりなんだろう。

 「いや…しかし…今大切な…。」  

「帰ってこないと、退学させるって言ってたぞ。早くしなよ。あと、夏休み明けは、何日か休めってよ。家で何かあったんだろ、早く行きな。それに、俺も用事あんだよ。」

 スザク先生は、能力もそうだが、色々せっかちだ。

 ドレイクの右手に瞬時に手錠をかけると、そのままドレイクを引っ張って1階に降りていく。

 「いたたたたっ!せ、先生…くそ…ヤクモ!覚えてろ!」

 な…何なんだ…訳分からん…。てか、先生、あれ、手錠の目的外使用じゃね?

 俺とキリンは、呆然と、スザク先生に連れ去れたドレイクを見送った。

 再び静かになった寄宿舎。

 だが、キリンも落ち着いたみたいだった。

 「キング・オラトリオのこと、聞きたい?」

 急にそんなことを言ってきた。

 だが、興味はあった。

 地図の東端に位置する、「壁の国」キング・オラトリオ。

 七つなぎの国々の中でも、一番閉鎖的で、観光などの話もあまり聞かない。ただ、石造りの荘厳で美しい建築物が立ち並び、その建築技術は七つなぎの国々の中でも随一だと聞いたことがある。

 手錠をただ磨くだけよりはよっぽど楽しそうだ。

 「ああ、聞かせてくれよ。ほんとに壁ばっかなのか?どんな国なんだ?」

 「そんなに興味があるなら、教えてあげよう。その代わり、ヤクモの故郷のことも教えて。興味あるわ。」

 それから、その日はけっこう長々とキング・オラトリオの話をキリンから聞いた。

 キリンは、とにかくよくしゃべった。

てか、こんなに話す奴だったんだ、と思ったのを覚えている。

 キング・オラトリオがいくつもの壁に囲まれていること、その一つ一つが珍しい鉱物や石を組み合わせて作られた堅牢なものであること、特産のイチゴの美味しさ、城下町「アデル」の市場のにぎわい、冬が長い北国である寒さ、街外れのキリンの白い家、庭には温室があり、一年中、母親の育てた花が咲き誇っていて、そこで母親と飲む紅茶が好きだったこと…。

 ってか、かなりお嬢様なんじゃないか、と聴きながら思ったが、親のことはそれくらいしか、キリンが話さなかったので、その時はあんまり聞けなかった。

 それから、キリンにせがまれて、アレステリアの街のことをあれこれ話した。

 やたらと嬉しそうに聞いていたキリンの姿を覚えている。

 そんな夏休み明け直後に、事件は起こった。

 スザク先生が授業を休みにしたその日。

 キリンの近くの席で、アンナという金髪のリーダー格の女子を中心に、何人かの生徒が夏休みの話をしていた。

 黙々と本を読んでいたキリンに、アンナが話しかけた。「あなた、帰らなかったんでしょ?どうして帰らなかったの?」と。やけに突っかかるような聞き方だったのを覚えている。

 なんか嫌な感じだな、と思ったところに、畳みかけるように、アンナとその取り巻きが話を重ねた。「いつも本ばっかり読んでて、疲れない?」、「そりゃ、そんなに勉強してたら、入試の順位も良いわよね。」など、気分の悪いトーンで話が続いた。さすがに不快だった俺が止めさせようと席を立った時。

 「「何?帰るお金なかったの?」、「いつも、休日は同じ服だもんね。」、「帰る家、無かったりして。」と、気分の悪い悪口が続き、むかついた俺がアンナの肩を掴んだその時。

 「私は、キング・オラトリオの第三皇女、キリン・アリストリア・ノノよ!」

 教室中に響くような、凛とした声で、キリンが叫んで立ちあがった。

 アンナを睨みつける。レディッシュオレンジの瞳で。

 一瞬の静寂の後、誰かが、ぷっと噴出した。

 そこから笑いの輪が広がる。

 「キング・オラトリオは、昔から皇位第二位までしか居ないよ。この間、授業でやったばっかじゃん。」

 「てか、そんな他国の貴族が何でこんなとこにいるのさ。」

 「嘘つくなら、もっとましな嘘をつきなよ。頭おかしいんじゃないの?」

 若干興ざめしたような顔で、アンナがキリンの頭に手を置いた。

 俺はアンナの手を掴んで、睨みつけた。

 「止めろよ。」

 「何よ。この嘘つきを庇うの?さすが、犯罪者の弟ね。」

 人を逆なでするのが板に付いた奴だな。

 そう思ったとき、キリンが教室の外へ駆け出した。

 後ろで笑い声がする中、俺はキリンを追いかけた。

 何度呼んでも、振り向かないキリンを追いかけ、屋上に向かう階段でキリンの腕を掴むと、ようやく止まったが、いきなり腕を振り払われた。

 「…あんなの、気にすんなよ。言わせとけ。あいつ、自分より成績の良い女子に嫌がらせばっかしてんだ。ま、皇女様ってのは、はったりにしちゃ…。」

 「…嘘よ。」

 「?」

 「こないだの、全部嘘!馬鹿じゃないの。あんたも騙されて。私、キング・オラトリオなんて行ったことないし!全部本で読んだ話よ!信じちゃって、馬鹿みたい!もっと人を疑った方がいいわよ!」

 そう怒鳴り続けるキリンを、なぜだか、絶対に放っておいちゃいけないと思ったのを覚えている。


 その怒鳴り声は、悲鳴にしか聞こえなかった。


 それに、あんなに生き生きとした話が、全部嘘だとは、どうしても思えなかった。

 「俺は…俺には、全部嘘だとは思えねぇよ!」

 絞り出すように、でも、体の中から出てくるように、思いのほか大きな声が出て。

 その時近づいてきてた、ソラ、スパナ、ドレイクにも聞こえてたんじゃないかと思う。

 何故か、一瞬、辺りが明るくなったように見えた。

 それで、キリンが振り向いた。

 「本当に?」

 「ああ、嘘じゃない。」

 その後、突然、キリンがわんわん泣き出し、俺はどうしようもなく立ち尽くしていたところに、ソラとスパナがやってきたのを覚えている。

 「これ、スパナ君が、見つけてくれたものだけど。」

何やら分厚い本のページを開く。

「キング・オラトリオには、皇位第三位まであった時代があるようです。ただ、あの国は、文献が少なくて…。」

後で知ったのは、この変わり者二人が、入学の筆記試験1位、2位だったらしい。

それから、キリンの泣き声を聞きつけたドレイクが、何故か俺に襲い掛かってきて、撃退し損ねて、二人で階段から転がり落ちた。

ドタバタと転がり落ちる間に、ドレイクの指先が俺のズボンとパンツに、俺の指先がドレイクのズボンとパンツに引っ掛かり、階段の下で俺たちは尻丸出しで突っ伏した。唖然としていたキリンが、最後は何やら笑っていた。

★★★

 それから、毎年、夏休みと冬休みは、この5人だけが寄宿舎に残っていることが通例になった。

 正確には、最初の冬休みの手前。

 くそ寒い中、5人一班、必ず男女混合の班を作って、学校の東にある「遠吠え山」の頂上付近で、雪の降る少し前の時期にだけ実を付ける珍味、「カシュウの木の実」を取ってきて、料理して食べろ、という謎の実習が企画された。ララ先生いわく「チームを作り、一緒に目的を達成するのは、警官にとって超重要なスキルよ。」とのことだったが、ララ先生がその木の実を入れたシチューが死ぬほど好きだというのを、後でスザク先生から聞いた。

 班づくりを生徒に任せるとか、友達を作らないタイプの俺には胃が痛くなる指示で、はて、どうするかと思ったところ、キリンに後ろから首根っこを掴まれ、「私と行くでしょ?」との申し出だった。ふと、キリンの後ろを見ると、ソラも俯きながらくっついていた。

 まぁ、これで男女っていう条件もクリアだし、良いか。と思った。

 キリンが居ると、ドレイクも出没したので、とりあえず班に組み込むことにした。

 そうすると、後一人はもう決まりだった。

 決まりだったのだが、どこを探してもスパナがいない。

 4人でさんざん探し回り、俺は寄宿舎の2階の隅の倉庫でスパナを見つけた。天窓から漏れてくる光を頼りに、時計をいじくっていた。もう、班は決まっちまったのかな、と思った。

 「スパナ。」と声をかけると、俺に気付かなかったようで、びっくりして時計を落としてしまった。

 「悪ぃ。その…、お前、もう班決まった?」

 首を振るスパナ。やった、間に合った。

 「じゃあ、俺と同じ班になってくれ!」

 沈黙の後。

 「お誘いはありがたいですが、嫌です。」と断られた。

 理由を聞くと、もう、こんな風に班を作らされたりするのが、嫌で嫌でしょうがないから、学校を辞めるんだという。

 お前、辞めるのもったいないぞ。それだけの理由なら、この先、必ず俺がお前と班を組んでやるから、辞めるな、と言ったのを覚えている。

 「必ず?絶対に?」と聞かれたので、「当然。他に友達もいねーし。」と答えた。

 ああ、ただ、友達はいないが、キリンがいて、そこにソラとドレイクが付いてくることがあるから、そこはあまり気にしないでくれとも付け足した。

 それで、何かに納得したのか、スパナは俺たちの班に入った。というか、正確には、俺とスパナの班にキリンとその他二人がくっついたと俺は認識している。

 山頂からカシュウの実を取って戻ると、ララ先生が待ち構えていて、「子供が食べすぎると、発育に悪いのよ。」などと怪しげなことを言いつつ、税金の取り立てのように、各班の収穫したカシュウの実を半分ずつくらい回収していて、みんな引いた。

 結局、くじ引きで負けた俺がシチューを作ることになったが、そこにスパナが手伝いに来た。

 その時に、「なぁスパナ。お前、冬休みも寄宿舎に残る?」と聞くと、「夏も冬も、この先帰る予定はないです。」と言った。

 それから、俺たち5人は夏休みと冬休みに、家に帰らないグループとして、その時期を一緒に過ごし続けた。 

 最初の年の冬休みは、大量の芋をシチューにして食べ続けた記憶がある。というのも、スパナがどこかから採取してきた大量のタネをララ先生と一緒に寄宿舎の裏庭に植え、なにやら怪しげな栄養剤を大量に定期的に振りかけ、その結果、おびただしい量の、様々な種類の芋やら人参やらが秋に収穫されていた。

 しばらく、寄宿舎の調理室にも提供されていたものの、それでも余ったので、二週間の冬休みの間に適当に料理して食べるように、決して腐らせないように、とのスザク先生と調理室からのお達しだった。ララ先生は、知らんぷりをして逃げた。

 しょうがないので、ソラ、スパナ、キリン、ドレイク、俺の順番で、毎日三食作ることになった。

 ソラとスパナは、本を読んで見つけてきた実験的なレシピを試そうとするので、当たり外れが大きかったが、案外キリンとドレイクは安定して旨いものを作っていた。

 「案外って、どういう意味?」

 2年目の冬は、ぶすっとしたキリンににらまれながら、キリンの作ったジャガイモのポタージュをすすっていた記憶がある。

 「…いや、ソラとスパナが、知識があるから、そっちの方が旨いもの作るのかと思ってたっんで…。」

 「心外だなぁ、不味いって言うんですかぁ?」

 「…実験と試行錯誤が、世の中を進めるのです。」

 「お前はまずキリンさんに謝れ!」

 大抵は、敵だらけになりがちだったが、案外楽しく過ごしていたような気もする。

★★★

 敵だらけというか、本当に敵対したこともあったな。ドレイクと。

 きっかけはよく覚えてないけど、4年生の時、あいつが「いい加減、貴様とは決着を付けねばならぬ。勝負しろ!」とか言い出して、結局スザク先生立ち合いの下で、生徒間の組手名目で、決闘をすることになった。「キリンさんに相応しいのはこの僕だ。」とか言っていたが、何でキリンが出てくるのか、全く意味が分からなかった。

 ただ、まぁ、強かった。

 警官は、自分の得意な武器や格闘技を極めることが推奨されている。

俺が得意にしていたのは、兄貴に習った、アレステリア北部に伝わる無名の掌法だ。

 正直、筆記や逮捕術の実技などで先生達にほめられたことはなかったが、この徒手武術だけは、小さい頃から体に染み付いていただけあって、誉められた。

 特に、懐に潜り込み、鳩尾か胸部を狙って、足下からため込んだ力を掌に伝え、最短距離で打ち込む掌底は受けが良かった。

「お前、それ良いぞ。見たことない型だが、体の使い方が完璧だ。まれに見る右手の速度だ。もっと極めろ。上手く当たりゃ、教師級警官でも失神するぞ。まぁ、そう上手くはいかねぇだろうが。」

 と、スザク先生にしては最大級の表現で誉めてくれた。

 単純なので、その日から、掌底打ちの練習だけは毎朝欠かさなかった。

 同じように、ドレイクは剣術の腕だけは、スザク先生に誉められていた。

南部に伝わる、人を行動不能にし、逮捕することに特化した、警官剣術。剣も独特で、南部の一部の地域にしか生息しない「鉄の木」を加工したもので、文字通り、特殊な加工を施すことで、金属の様に堅くなるが、軽さは木のままという。ドレイクはそれを「刀(かたな)」と呼んでいた。

 ことあるごとに、ドレイクが突っかかってくるし、よく、朝の誰もいない校庭の端で練習中に鉢合わせしていたから、こいつの剣の腕前が凄まじいことは分かっていた。

 特に、初太刀の居合い抜きが、見えない。左利きということも影響してか、とにかく軌道が読めない。

 あれを腹にでも食らったら、一撃で意識を失うか、少なくともしばらく身動きは取れないだろう。

 逆に、それをかわして、懐に潜り込めれば俺の勝ち。

 だから勝負は一瞬。

 鞘に手をかけると、ドレイクの集中力が極限まで高まっていくのが分かる。

 間合いに入った瞬間、切り捨てられる。

 だが、間合いが分からない。

 じり、じりと、すり足で間合いを詰めるドレイク。

 切られる。

 そう思ったあの瞬間が、脳裏に焼きついている。

 あいつがあんなことを言って、挑発してくるから、頭に血が上って。

 そしたら、急に視界が暗くなり、ドレイクの左手から鞘にかけて、うっすらと光っている様に見えた。

 そこから伸びた光の線が、俺の脇腹あたりに寸分違わず伸びるのも。

 そしてドレイクが刀を抜くのも。

 次の瞬間の光景に、一番驚いたのは、俺だった。

 俺の放った掌底は、すさまじい衝撃音とともに、斜め上から、ドレイクの刀を叩き、砕けた刀の破片が四散した。

 同時に、右手から、砕けたんじゃないかというような激痛が走った。

 ドレイクは、折れた刀を持って茫然としている。

 「お前…。」

 ドレイクは、折れた刀を投げ捨て、ファイティングポーズをとる。

 殴り合いか。なら、俺に分がある。左手でも掌底は打てんだ。

 俺が間合いを詰めようとした、その時。

 「あんたたち!何やってんの!!」

 栗毛の釣り目のギャンギャンした声が響いた。

 「キ、キリンさん、これは…。」

「いや、これはスザク先生立ち合いの組手で…。」

 「どこにスザク先生がいんのよ!怪我するからけんかすんなって言ってんでしょ!」

 先生、もういねーし。

早く動く力。その恐ろしさを改めて実感しつつ、二人ともキリンに蹴っ飛ばされた。

 ドレイクは少し嬉しそうだった。まじで、変な奴だよな。

 てか、俺はキリンのせいで、怪我をしてると思うんだが、昔から。

 ★★★

 「また思い出し笑いしてる。」

 キリンの声と、セミの鳴き声に、現実に引き戻された。

 最後の夏休みの教室。

 そう思うと、どうしてもいろんなことを思い出してしまうな。

 「いや、大変だったけど、まぁ楽しいこともあったよな、キリンや、あいつらのせいで、飽きなかったよ。」

 「そんな感傷に浸っている暇はないわよ。」

 そうだな、その通りだ。

 明日、試験が始まる。俺たちの5年間の全てをかけた試験が。

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