第55話準備する(?)話


 挨拶の準備。

 ハクの言ったことがうまく呑み込めずに微妙な間が流れる。

 カナなら分かるのかと思えば、同じく理解できていないらしく沈黙している。

 俺たちがなんの返答もしないことに気づいたハクは、俺の腕の中から俺を見上げる。


「必要じゃろ?」


「必要……かなぁ? 何か口裏合わせた方がいいかな」


「妖狐なことは隠さない方がいいわよ。変に気を張ってても仕方ないわ」


 さも当然かのように言うハク。

 一体何の準備をするのやらと心当たりを言ってみれば、カナから否定される。

 見た目が変わらないのをごまかすのは難しいし、ハクも嘘を吐く気はないらしい。


「ふむ? 挨拶ともなればいろいろと必要じゃろう?」


「ちょっと気が早い」


「お茶菓子くらいでいいのよ。嫁入り道具じゃないんだから」


 はてなマークを浮かべながらずれたことを言うハクに二人で突っ込みを入れる。

 もしかして、挨拶をしたらそのまま入籍すると思っているのだろうか。

 違うのか? と首をかしげるハクに、違うよ。と優しく否定する。


「しかし、実家に戻った時に式を挙げた方がよいじゃろ」


「ハク、最近は家で結婚式はしないわ」


「なんじゃと。もしや結婚式のための場所でもあるのかの?」


「名前そのままに結婚式場があるねぇ」


 家での結婚式、と聞くと俺からすれば二世代は前の話だが。

 ハクは二世代どころか十世代は生きているのだから、その認識でも不思議はない。

 とはいえ、俗世にうといわけでもなく、新しいものを取り入れることに抵抗もないハクが、結婚についてだけは昔の感覚のままというのは……。

 なでなで、と膝の上で驚いているハクの頭をなでながら、早いめに式を挙げないとなぁ、と考えていたらふと気づいてしまった。


「ブーケのことは知ってるんだよね?」


「西洋の結婚式での風習じゃろ?」


 あ、自分に関係あるとは考えてない表情だ。

 ブーケトスという言葉は聞いたことがあるのだろうが、実物を見たことがないせいで結婚式場とはつながらなかったのだろう。

 もっと言うなら、どんな場所でやるのかは知らなさそうである。


「ハク、教会は知ってるよね」


「協会? 何か関係があるのか?」


「なんか違うな……。チャペルなら分かる?」


「チャペル……。確か、キリスト教の……。ああ、教会のことじゃな」


 そうそう、とハクに結婚式について教えている間、カナはお茶を飲んで黙っていた。

 ……独身なのは知ってますから、別に気配を消さなくてもいいんですけど。

 こっちには話を振らないでちょうだい、と言い始めそうなカナは放っておいて、結婚式場についても説明する。


「ほんとは教会でやるけど、日本には教会が少ないから見た目が似た建物でやってるんだ」


「ふぅむ。なぜそこまでして、西洋式にこだわるのじゃ」


「たぶんだけど、女性はウェディングドレスに憧れるからじゃないかな」


 チラ、と窓の外を見ているカナに視線をやれば、かすかに顎を揺らしている。

 ハクも目にしたようで、納得したような様子で声をもらす。

 そんなことをしていたせいか、カナに気取られたらしく、眉を寄せて不機嫌さをアピールした目線を向けられることになった。


「別に、私だって着ようと思えば、いつだって着れるわよ」


「じゃろうな」「でしょうね」


「素直すぎよ!」


 俺たちが即答したのが気に入らなかったのか、珍しく大きな声を出してぷいっと明後日の方向を向いてしまうカナ。

 思ったよりも根深いものがあるらしい、と矛を収めた俺と違い、ハクは思うところがあるらしく、呆れたような目線で見つめている。


「カンナよ……」


「もう忘れたわ」


「まだ何も言うておらんのじゃが」


「言わなくていいのよ。それに、思い出したわ、必要なもの」


 俺の知らない話を始めようとしたのか、ぴしゃりとさえぎられたハクは少し不満そうにしながらも、黙ってカナの話に耳を傾ける。

 はて、何を思いついたのかと一瞬考えたが、そういえば準備の話だったなと思いだす。

 カナもお茶菓子くらいでいいと言っていたのに、何の心変わりだろうかとハクの耳の間から彼女を見る。


「名前。サトルさんにはいらないかもだけど、後のことを考えれば必要なはずよ」


「むむ……。そうじゃな、もうそろそろ必要じゃな」


 少し不満げながらも、納得した声色のハク。

 はてさて、名前が必要というのはどういうことだろうか。

 ハク、というのは愛称であり、彼女には白狐(ハッコ)という名前がある、はずだ。

 そう名乗られていただけで実際には違ったのだろうか。そう考えてみると、やっつけ感のある名前にも納得できることはできるのだが。


「先にこちらに説明が必要じゃな」


「説明してなかったの。というか、疑問を持たなかったのね」


「ハクはハクだし……」


 はてなマークを浮かべながら静観の構えをとっていたはずなのに、話に巻き込まれてしまった。

 カナの言い分はもっともだが、名乗られた名前にケチをつけるような真似をするのは失礼じゃないかと思うのだ。

 たとえ、見たまんまの名づけで、どう考えても本名じゃないだろという疑問を持ったとしても、ハクに聞くことができないのは理解してほしい。

 つらつらと言い訳を考えたが、ハクが説明してなくて悪かったという顔をしているので全部飲み込んでおく。


「別に偽名などではないぞ? わしは白狐じゃし、生まれてからずっとそう呼ばれておる」


 念を押すかのように言うハクの言葉に嘘はないだろう。

 先日見た夢の中でも、ハクのお父さんはそう呼んでいたことだし。


「ただ、妖狐の中でしか使わんのじゃよ」


「本来は、ね」


「あ、俺に名乗ったのは普通のことじゃないのね」


 すいー、と滑らかに俺から視線をそらしたハクの様子を観察しつつ、カナの補足に相槌を打つ。


「当然ながら、聞いただけで妖狐と分かるような名前は名乗らないわ。……もしかして、私の名前って知らない、わよね。月代(ツキシロ)佳奈(カナ)って言うのだけど」


「最初からカンナって名乗ってましたけど」


「そりゃ、ハクがこの調子だもの。二度手間になると思ったのよ」


 ハクが先に説明していると考えていたわけだ。

 ちょっと呆れた感じではあるが、確認をしていなかったあたり、妖狐の中ではそれが当然のことなのだろう。


「仕方ないじゃろ。人間と接するのは初めてじゃったし……」


「そうね、私もちゃんと確認するべきだったわ」


「で、いつ気づいたんです?」


「サトルさんのところに挨拶に行く前に、戸籍を確認したのよ。ハクがいつ戸籍を取ったのか、気になったから」


「取っておらんが」


「知ってるわよ。だから言ってるの」


 さらっと妖狐トークである。

 さも当たり前のように話しているが、戸籍の偽造ということだろうし、聞いていいものなのだろうか。


「貴方も無関係じゃないのよ?」


 聞いていないフリをしようかと考えている俺に、カナがため息を吐いて釘を刺す。

 一般市民の男には荷が重いのではとも思うが、妖狐と暮らしている時点で一般的では無いなと思い至ってしまったので、神妙にうなずいて返す。


「ひとまずは、名前を決めねばならんな」


「ついでに、妖狐の常識も教えときなさいよ」


「それはそうじゃが……。わしもあまり詳しくないぞ」


 いまいち自信なさげなハクに、それもそうかと困り顔のカナ。

 常識をそれとして認識するためには、別の常識と照らし合わせるほかないわけで、人間の常識の中に入ったことのないハクからすれば、妖狐の常識に詳しくないと言わざるを得ないのだろう。


「……仕方ないわね、今のところは良しとしましょうか。どうせ暮らしている中で覚えていくでしょう」


 必要になれば、自然と覚えるというのは事実だ。まさに今日のように。

 さすがにカナに一から教えてもらうのも申し訳ないし、何よりカナからの信頼にこたえなければならないだろう。

 実際に常識の違いに直面した時に、ちゃんと乗り越えられる自信はあるし、何も問題はない。

 ね、とハクとアイコンタクトをとれば、そうじゃな、と微笑み返してくれる。


「ひとまずは、昼飯にせんか。腹の空いたままではよい案も出んじゃろう。カナも食べていくじゃろ?」


「あら、もうそんな時間なのね。せっかくだし、久しぶりのハクの手料理をいただこうかしら」


 カナの嬉しそうな声を聞いて、ハクも嬉しそうに笑顔を浮かべて席を立つ。

 じゃあ俺も手伝おうか、と席を立とうとしたところに、ハクから待ったがかかった。


「カンナ、名前について説明してやってくれぬか」


「あー、そうね。私からのほうがいいわよねぇ……」


「カナはそういうのにお詳しいので?」


 ハクの口ぶりからするに、カナが特別詳しい風に聞こえる。

 そんな素朴な疑問に、カナは心底苦々しいという表情を浮かべて、小さくうなずく。


「仲人をした経験なら、妖狐の中でも豊富な方でしょうね……」


 それについてハクは何も言わなかったし、俺もそれ以上の追及はしなかった。

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