第56話名前を考える話


 ハクが尻尾をゆらゆらと揺らしながら夕飯の準備をしている。

 そんな様子を眺めて、ふーんと鼻を鳴らすカナは、呆れたような目線をこちらに向ける。


「これに関しては付き合う前からですし」


「そうなのよね。付き合う前から同棲なんだから、そりゃあ距離感が狂うはずだわ」


 カナの意見には同意せざるを得ないだろう。

 出会った時点で若干距離感がおかしかったのも事実だし、妖狐としてのハクを意識するのは時々くらいしかなかった。

 ハク自身も気にしていなかったし、抜けている部分も仕方がないというか、そこが可愛いというか。


「気兼ねがないのはいいことよ。だからといって、必要なことをしないのはだめだわ」


「教えてくれる人……じゃない、妖狐はいなかったんですか?」


「……聞いてるわよね?」


「いろいろと偶然が重なりまして、先日知りました」


 さすがに真面目な話ということで、真剣に答える。

 完全に偶然とはいえ、ハクに常識を教えるべきであろう人がすでに亡くなっていることは、知っている。


「詳しくは聞かないでおくわ。とりあえず、ハクはその後すぐに放浪を始めたのよ」


「自分でも根無し草とは言っていましたね。その間には?」


「あー、そうよね。貴方はあの子の放浪癖のことを知らないのよねぇ……」


 しみじみと、羨ましさと妬ましさをにじませながらも、ほとほと感心したような声音を出すという器用なことをするカナ。

 その様子から、ハクのこれまでの様子がなんとなく察されるというものだが。

 実際にそれを体感していた、一番気にかけていたであろう人からすると思うところはたくさんあるのだろう。


「それはそれで知りたいところですけども。後でハクをいじっておきます」


「それがいいでしょうね。いろいろと、楽しい話が聞けると思うわ」


 それは楽しみだが、逆に言うとそれだけの経験をする人生を送ってきたのだろうか。

 ハクのほうををちらりと見れば、聞こえていたのかうっすらと細められた目がこちらを向いていた。

 ニコッと笑ってごまかそうとしたが、ハクは尻尾をブンと振ってそっぽを向いてしまった。


「いいのかしら?」


「あ、問題ないです。後で俺がからかわれるだけなので」


「聞いて損したわ。本題にいきましょう」


 俺の返答と雰囲気から何が起きるのかを察してしまったのだろうカナは、疑問符から急に興味を失くした素っ気ない口調になってしまった。

 まあ、二人でじゃれ合う分にはカナも安心できるのだろうけども、それはそれとして複雑な心境になってしまうらしい。

 俺としても、この話題を引っ張ってハクにからかわれる時間が延びるのは……複雑な気分なのでさっさと本題に戻ってしまおう。


「それで、妖狐の名前とは違う、人間の名前を考えればいいんでしょうか」


「そういうことね。とは言っても、人間向けというか、戸籍とか婚姻届けとかの公式な書類に必要な名前の話よ」


「実際にそう呼ばれるかどうかは、その妖狐次第って感じですか」


 カナはそうよ、と一つうなずいて少し思案を挟む。


「まず、私たち妖狐にとって名前というのは変化するものなのよ。私も、今の名前になったのは400年くらい前だわ」


「人間に合わせて、ということですか?」


「いいえ、そっちは別に関係ないわ」


 カナとカンナの場合はほとんど違いがないが、全く違う妖狐もいるのだろう。という予想をしてみたら、どうやら違うらしい。

 人間に関係ないとなれば、何が影響して名前が変わるのかがわからない。


「名前って、大事なものだとよく聞きますけど」


「否定はしないわ。その者の本質を表すとされているし、名前が変わるということは性質が変わるということよ。逆に言えば、性質が変わったら名前も変えるものよ」


 言わんとすることは分かる。分かるのだが。


「何百年も性質が変わらない、ということはほとんどあり得ない。あるとしたら、それだけその性質が身にあっているか、固執しているということになるわね」


 カナは淡々と、事実だけを述べようと努力しているが、その目は遠く、その声は心底から湧き上がる悲しみを抑えきれていない。

 カナの名前もかなり長いはずだが、それはおそらくカンナという名前が彼女にとって不本意ながらもよく馴染むからだろう。

 俺はハクのほうを見ようとする首を、考えるふりをした手で押さえつける。

 今ハクと目が合ったら、感情を抑えきれる自信がなかった。


「……となると、ハクの意見を聞いた方がいいでしょうか」


「少なくとも、名前のほうは聞いた方がいいでしょうね。あの子も、頑固なところがあるから」


「そうですね」


 やばい、ついさらりと同意してしまったが、ハクに聞かれてたら怒られそう。

 今度は別の意味でハクのほうを向けなくなってしまった。

 切り替えの早さに少し驚いた様子のカナは、何度か目をパチクリとさせたが、納得したかのように大きく息を吐いた後、何かを振り払うかのように頭を振る。


「あなた達には、常識の授業はしない方がよさそうだわ」


「必要になる場面もあるでしょうし、時々教えていただけると」


 さすがにカナのその評価には反論がある。

 人と違うということは長所になることもあるが、短所になることもある。

 重要なのは、できるけどしないという切り替えをすることである。

 できないからしない、というのはただの怠慢でしかないのだ。


「ふふ、そうね。でも、たぶん大丈夫だわ。私もたくさんの夫婦を見てきたけど、あなた達ほどお似合いなのはなかなか居ないわ」


「まだ夫婦じゃないです」


「そういうところさえなければ、ね」


 ただの事実を言っただけなのに。

 どうしようもないと諦めまじりの呆れをつぶやかれつつ、理由は分かり切っているので目をそらしておく。


「ひとまず、夫婦になるために名前を考えなければならないのですね」


「ええ、名字くらいは決めてしまってもいいかもしれないわね。名前のほうはハクと話し合って決めなさい」


「そうですね、名前のほうはハクと決めましょう。名字のおすすめとかあります?」


「無いわ」


「無いんですね」


 無かった。考えてみればそりゃそうだけども。

 人間の場合は生まれた時から付いているものだし、芸名なりペンネームなりを考えるような機会も特になかったわけで。

 名字を決める機会なんて初めてすぎて、俺も何から手を付けていいのかわからないのだが。


「貴方の名字からもらっても良いかもしれないわね」


「真藤……。新堂? 新堂ハク、はちょっと響きが悪いですね」


「そのまんまねぇ……。とりあえず候補には入れておきましょう」


「うーん。しん……、は思いつかないですね。ふじ……、藤村、高藤、藤崎とか」


「いい感じじゃない。最終的にはハクの名前と会うものを選べばいいから、いっぱい候補を出せばいいのよ」


 確かに、ハクの名前がハクのままではない可能性は無いこともないし、ひとまず選べる候補を増やしておこうという段階なわけか。

 ……あれ、そうなると別に考える必要もない気がしてきた。


「スマホで名字一覧を調べてみましょうか」


「だーめ。名字だって名前の一部よ、貴方が一生懸命考えてあげなさい」


「あ、ハイ」


 子供をたしなめるように大げさなカナの言葉。

 ハクのほうをそれとなくうかがってみれば、耳をパタパタとせわしなく動かしている。

 目線が合わないうちにカナに視線を戻せば、そういうことよ、と言わんばかりの目で見られた。

 ハクの名前を一部でも任されるという責任感が足りなかった、猛省しなくては。


「ほら、他にも考えてみましょ」


「……んー。ハクだから、白……銀鏡」


「珍しいのが出てきたわね」


 つい昔やっていたゲームから出てきてしまった。

 驚いた様子のカナに、その説明をするのは気恥ずかしくなるが、これを採用されるのも恥ずかしいので素直に説明する。


「アニメとか見てると、珍しいもののほうが出てきやすいので……」


「いいじゃない。貴方の好きなものの名前から取ってくるのは、とても良いと思うわ」


「めっちゃ恥ずかしいやつでしょ、それ」


 好きなものに好きな名前を付ける。

 意図としては分からなくはないが、そう簡単に出来たら苦労はしない。

 しかしながら、視線を向けていないのにハクから期待の視線が突き刺さっているのがわかる。


「……残念じゃが、飯の時間じゃ」


「善処させていただきます」


 当の本人からの助け舟によって窮地を脱した情けなさに、俺はばったりと力なく頭を下げるのだった。


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