第53話養父の話
電話の画面に表示された名前を見て、パチパチとまばたきをする。
当然ながら、そうしたところで表示が変わるわけもなく、本当に珍しい相手からの電話に応答することになった。
「もしもし。懸です」
『もしもし。
電話口から聞こえてきたのは、渋みの入ったイケオジといった感じの声。
脳裏にここ一年は会っていない相手、その声の主であり俺の養父でもある叔父さんの姿が浮かぶ。
「そちらも、お変わりないようで」
「そちらは、あー……。なんだ、ずいぶんと変わったらしいな」
俺の半分本音の社交辞令に対して、言いにくそうに、言葉を選ぶ雰囲気をにじませながら、嫌味か皮肉の混じったような声色で叔父が返す。
それに困惑するのは当然だが、同時に心当たりもそれなりにあるせいで困惑してばかりもいられない。
どこから情報が漏れたか、と言えばほぼ間違いなくここ最近友人になったマッドサイエンティストだろうが、そちらに文句を言うのは後回しだ。
「はい。えーと、ご報告が遅れてすみません」
「……いや。そういうことは、言いづらいものだろう。仕方がない部分もある」
理解があって助かるが、それに甘えてもいられない。
まだまだ先の話になるだろうとはいえ、結婚を前提にお付き合いしている仲なのに、親へのあいさつを済ませていないのは、普通に不義理だ。
何より、同棲までしているのだ。
時間を置けば置くほど、責任感を欠いた行動と怒られても仕方がない。
「こちらの配慮が足りませんでした。できうる限り早く、行動を起こすべきでした」
「そうだな。こういったことは早く済ませてしまった方がいい。後がどうなろうとも、だ」
叔父さんは俺のことを引き取ってくれた人だ。
当然、俺の家族のことをよく知っているし、俺のトラウマのことも知っている。
そのうえで、次善ながらも俺のことを考えてくれた人だ。
やはり、関係が複雑になっていることもお見通しなのだろう。
「大丈夫です、心配はいりません。ご挨拶の時にも、良好な関係であることを示せると思います」
「そうか。ならよかった」
叔父さんはそう言って、ふう、と重苦しいながらも安心したような吐息を漏らした。
やはり、ずいぶんと心配をかけてしまったらしい。
正直なところ、挨拶に行かなかったというよりも、タイミングを逃し続けていた、というのが正しいので、余計に反省しきりである。
叔父さんには恩もあるし、尊敬もしている。
そんな人のためでもあるのだから、無理にでもタイミングを作るべきだった。
「しかしだな……」
しばらくの沈黙を破って、叔父さんが重々しく切り出した。
これまでとは違う、呆れたような雰囲気をまとった声に、首をかしげながらも続きを待つ。
叔父さんはその後も何度か逡巡するような声を漏らし、とりあえず言い切ることに決めたらしく、よく聞け、と声を潜める。
「きれいなお姉さんと遊ぶのはほどほどにした方がいい、というのが先達からの助言だ」
「ちょっと待って」
何か深すぎる誤解があるのではないかこれは。
というか、なんか前にも聞いたぞこの忠告。
つい声を上げてしまった俺に、まだ勘違いをしているらしく言葉を募ろうとする叔父さんに、本当にちょっと待ってほしいと思いつつ、誤解を解くために思考をまわす。
「いや、分かる。お前さんの年くらいなら、興味が出るのも仕方のないことだ」
「叔父さんストップ。マジで俺はお水に関係するお店に行ったことないって」
「これまでの状況からするに、ずいぶんと勇気のいることだろうし、むしろ成長を喜んでやるべきだったのかもしれんな……」
「わかった。俺も最初から誤解に気づけなかったのは落ち度だった。まずそのきれいなお姉さんとやらについて教えてくれる?」
勘違いコントやってるんじゃないんだから、と無理やりにでも誤解を解きに行く俺。
叔父さんは質問に答えるためか、ごそごそと何かを探る音を立てて、しばらくして答えた。
「『ホットスター』というお店の、カナという女性だ。ずいぶんと綺麗どころを捕まえたな」
「あの人かぁー……!」
親代わりの行動はしないって言ったじゃないですかァー!
などと恨み言を言うのはまあ仕方ないだろう。
ひとまず、脳内で冤罪をかけてしまった望に対して誠心誠意謝っておく。
逆に、カナには何かしら報復を考えておこうと心に決めて、話を続ける。
「ええとですね。まず、カナという女性はですね、俺とお付き合いしていただいている方の親代わりの人でして」
「ほう、そうなのか。よかった、遊び方は心得ていたか」
心底嬉しそうな叔父さんの声に、今度は別の誤解が起きたことを察する。
まあ確かにね、そういう業界だもんね。でもそれも違うんだ。
「あと、俺の恋人はそういった商売とは、まったく関係無いです」
「ん?」
「本当に、文字通りの、親代わりの人です。俺と同じで」
「そうか。つまり、本当にただの挨拶だったのか」
どうやら誤解はある程度解けたらしい。
カナの性質からして、アポイントを取ってからの訪問とは考えにくいが……、少なからずきちんとした手順は追ったのだろう。
おかげさまで、変な苦労をしょい込む羽目になってしまったが、彼女なりに考えての行動であるとも理解はしている。許すかどうかは別として。
「はい。……なので、俺から話すべきことでした」
最終的には、そういうことになる。
こういった報告は早ければ早いだけ良いと知りながら、ここまで先延ばしにした俺にも席にはあるのだろう。
何度か深呼吸をして、何も聞いていないフリをしているハクを見て、覚悟を決める。
「その、結婚……を前提としてお付き合いしている人が、います」
「……ああ。祝福しよう」
少し言いよどみながらも、きちんと報告ができた。
叔父さんは、複雑ながらも、明るい声でそれを認めてくれた。
「そこでですね……」
「ああ、ちゃんと向かい合って話そう。夏休み中だろう、日程はこちらの都合でいいか」
淡々としているように聞こえるが、こうして話をかぶらせて来るのは叔父さんにしては珍しい。
さらには、夏休みの最中なのをきちんと把握しているのだから、俺の頬も緩んでしまうというもの。
「はい。……ありがとうございます、叔父さん」
「やめておけ。それを素直に受け止められるほど、俺は若くない」
叔父さんはそう言うが、俺の気持ちは本物だ。
心の底から恩のある人だと思っているし、感謝している。
それが次善であったとしても、決して誰にでもできることではないことを知っているから、尊敬しているのだ。
だが、こんこんと説明したところで、叔父さんは受け取ってくれないことを分かっているために、黙り込むしかない俺に、何度か咳払いをした叔父さんが話題を戻す。
「とりあえず、日程はまた送る。……そう遠くはならない予定だ」
「分かりました。また会いましょう」
「ああ。失礼する」
プツリ、とそっけなく切れた通話にらしさを感じながら、視線をハクに向ける。
ハクはのんびりとお茶を飲みながら、尻尾を機嫌よさげにゆらゆらと揺らしている。
「というわけで、ハク」
「うむ。分かっておるのじゃ」
お茶を置いたハクに声をかければ、特に何の説明もなしに彼女は応える。
その目を見れば、二人の気持ちが通じ合っていることがわかる。
一つうなずいて、二人で同時に口を開く。
「まずは、カナに説明を要求しないとね」「まずはカナに説明を求めねばならんな」
息ぴったりだった。
ここは少しぐらい勘違いコントがあってもよかったと思うのだが……。
そう思う時点で、突っ込みどころのあるコントになっている気がしないでもない。
「……どうしたのじゃ?」
「こっちの話だけどさ。安心できるなって」
耳も体も尻尾も傾けて、全身で疑問を表現するハクに、くだらないことを考えていたと自白しつつ、素直に答える。
より疑問の色を強くしたハクの様子をお供にお茶を飲んで、一つ吐息にも似た笑い声をこぼすのだった。
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