第52話泣き顔の話
「ずるいのじゃ」
「何がでしょう、お嬢様」
急に言いがかりをつけられても、冷静に対応する。
もしかしたら、そんな良い男なところだろうかと淡い期待を抱きつつ、ハクから向けられる冷たい視線から目をそらす。
どうやらこの対応は不正解だったらしいと、一つ学びを得たところで、一つ咳払いをして話を仕切りなおす。
「ごめん。で、何の話だっけ」
「いや、急なことを言ったのはこっちじゃ。少々、その……驚いただけじゃ」
ハクの気遣いが心に染み渡るなぁ……。
自分でも似合わな過ぎて二度とやらないと決意を固めたので、何度も心に傷を負う可能性がないところだけは評価できる。
二人で、いつも通りのぬるめのお茶を飲んで心を落ち着ける。
「で、何の話だっけ」
「続けるんじゃな。忘れていてもよいのじゃが」
「さすがにそういう訳にも。俺がずるいといわれて、心当たりがないわけじゃないし」
それはもう、浅いところから深いところまで。
ばつの悪そうなハクの様子からするに、深い理由どころかだいぶ浅い話題みたいだが、それはそれで俺得なのでぜひ話してもらいたい。
そんな欲望に満ちた俺を恨めし気な視線で見た後、くるくると長い髪をいじりはじめる。
絹糸のような髪の毛が白い指に巻き付いている様子は、どことなく背徳的だが、ちょっとすねた様子のハクは幼げがあってかわいらしい。
「……言わねばならんか?」
「いや、その姿を見せ続けてくれるならそれでもいいけど」
「それはそれでずるいのじゃ」
「ずるいんだ、これ。なるほど」
すねた女性の開いては難しいと聞いていたが、ここまでとは。
ちょっと言いがかりに近いハクの文句に、そういうものかと納得する、
お天道様もお高く見下ろしていることだし、これくらいのわがままは許してくれるだろう。
全肯定BOTと化した俺を見て、すねているのが馬鹿らしくなったのか大きなため息をついて、気を持ち直したハクが遠くを見つめながらしばらく思案する。
「……ほれ、あれじゃ。おぬし、泣くことはあるか?」
「そりゃあ、もちろん。ハクにそっけなくされたらすぐに泣くけど」
「そういうのではなくてじゃなあ……」
もどかしそうに口をもごもごさせるハクを見て、つい笑い声が漏れる。
当然ながら、言いたいことが察せない男じゃなかったな、と言わんばかりのとがめる視線を向けられるが、これは許してほしい。
ハクが恥ずかしがって分かりづらい言い方をしたのだし、俺も察していない風にして、ワンクッション置こうと思ったのだ。
ハクが可愛すぎて失敗しただけで。
「ハクを見てれば、毎日ニコニコ笑顔だからね」
「やかましいわ。まったく、普段どおりに戻ればこれじゃから……」
「嫌い?」
「大好きじゃぞ」
「ゴッフ」
カウンターが鋭すぎる。
好意をあらわにしても俺の体調に問題がないことを確認したせいか、軽々しくそういうことを口にするようになったらしい。
もともと、あふれんばかりに想われていたのは知っているが、実際にただ漏れにされると俺の心臓の耐用年数が減ってしまう恐れがある。
「愛しておるぞー」
「に゛ゃー! からかい交じりでもその甘い声はよく効くので許していただきたいと存じます!」
誰だって趣味と実益を兼ねた行動は好きなもので、くすくすと笑うハクは良い武器を見つけたとご満悦の様子。
実際、普通ならば出ない声が出てしまった恥ずかしさに、俺の頭はオーバーヒート目前。
顔を抑えて机に突っ伏して、それでも耳はふさげない自分の欲深さが恨めしい。
「……しかし、これではおぬしの泣き顔は拝めんのう」
「んごご……。一応、悲しんでボロボロ泣いているのを見るのは、かなり辛いのでオススメしませんことよ」
確かに、俺はハクの泣き顔を二度見ているのに対して、逆に俺の泣き顔をハクに見せたことは無いのだが。
うれし涙を流すのはやぶさかではないが、悲しみの涙を流しているのを見せるのはできればしたくないのである。
「ううむ……。確かに、想像するも許せんのじゃ」
「何で泣くか、って話もあるしね。もともと、あんまり泣くほうじゃないし」
耳を後ろに倒して、強い怒りを浮かべているハクに、そもそもの性質が向いていないことを打ち明ける。
少なくともここ数年は泣いた覚えがないし、そういった状況を避けてきた面もある。
ぶっちゃけ、ハクの前なら何の問題もなく大泣きするだろうが、そこは伏せておく。
「わしの前でなら泣くじゃろ、おぬし」
「心を読むのは禁止スよね」
「顔に出ておる」
呆れた様子のハクの言葉に、そんな馬鹿な、と顎を撫でるが、ハクなりの照れ隠しなのはちゃんとわかっているのでノーダメージだ。
いまだに耳が起き上がってこないあたり、かなり深く怒っているみたいだが、それで冷静さを失くすハクじゃないし、自分ならどうかと考えたのだろう。
大体、いつも落ち着いているハクが感情を乱すことに慣れているはずもなく、どちらかと言えば俺と同じようにのらりくらりと受け流すはずなのだ。
「感情を出せる相手だからねぇ。仕方ないでしょ」
「じゃったら、おぬしも泣くがよい」
「耳を立ててから言ってね」
むう、と痛いところを突かれたハクはピクピクとぎこちなく耳を戻そうとする。
しかし、途中で眉を寄せたかと思うと、また威嚇するかのように耳が後ろに倒れる。
牙をむいてはいないので、どちらかと言えば不快感に近いのだろう。
「無理じゃな」
きっぱりと、眉を寄せて唇を曲げた不機嫌そのものの表情で断言するハク。
想像だけでこれなので、実際の場面に出くわしたら俺でも触れにくいかもしれない。
「それじゃあ、笑顔が一番ってことで」
「それはそうじゃがな。やはりずるいのじゃ」
「わがまま放題のお嬢様だ」
感情というものが簡単に制御できないのは、400年ほど生きている妖狐でも同じらしい。
気持ちはわかるだけに、俺も強く否定できない部分はある。
俺だって一方的に愛をぶつけられて、ちょっとずるいと思う気持ちがあるのだ。
ただ、俺の体調はともかく、ハクは平然と受け止めるのが分かり切っているので無駄なあがきはしないことにする。
「しかし、泣かせるのは論外じゃし……。いっそ、記憶を消した方が早いかのう?」
おっと、急に物騒な流れになったぞ。
しかも結構真面目に考えていそうな雰囲気を醸し出しているハクに、すがるような目線を向ける。
じっと見つめた俺に向けて、優し気に微笑みながら瞳を細める。
「ふふ、大丈夫じゃよ。……痛くはないのじゃ」
「妖狐的には一般的なサムシングなのかナ?」
いつもはかわいいニッコリ笑顔も怖く見えて、つい心の中の知りたがりおじさんが出てしまった。
多分それも妖力のちょっとした応用なのだろうけども、人間的には得体のしれないスーパーナチュラルパワーでしてよ。
錯乱して情緒が不安定になりだしたせいで、百面相を始めた俺がたいそう面白かったのか、声をあげて笑うハク。
ああよかった、やっぱりただのからかい目的……。
「半分は冗談なのじゃ。くふふ」
「ヒエ」
安堵の息を漏らそうとしたところに、じっとりとした目線を向けられて呼吸が止まる。
女心は複雑怪奇とは言うものの、初めてハクのことが怖く感じてしまった。
いや、どちらかと言えば妖狐との価値観の違いなのだろうか……。
おかしそうに笑いながらも、瞳から湿度が消えないハクと、ぷるぷる震える俺の構図。
そんな中で、珍しく音を立てて着信を知らせた電話を、これ幸いと手に取る。
すん、とそれまでの湿度が嘘のようにいつも通りに戻ったハクを見て、もしかして泣かせたかったのかな、なんて思うのだった。
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