第50話風邪をひいた話


 ぼーっと、ハクが動いているのを見つめる。

 昼前のいまいちなんとも言えない時間に、俺は特に何をするでもなくベッドに横たわっている。

 何かしようかな、と体を起こそうとすれば、即座に耳を跳ねさせたハクがこちらを見る。


「まったく、一日くらいじっとしておれ。病人は寝るのが義務じゃぞ」


「いやぁ……。これくらいなら……」


「38度は、これくらい。では済まないじゃろ」


 ぐうの音も出ないね。

 体温が高めのハクと違い、平均的な平均体温をしている俺としては朝からずっと38度を示し続けている体温計を無視することはできない。

 もちろん、ハクの体温が38度こえたらベッドに押し込んで抱きしめてでも安静にさせるけど。

 実際のところ、頭がぼんやりする感覚と、体のだるさ、じんわりと痛むのど。とはっきり風邪の症状が出てしまっている俺が安静にしないのはあり得ない。


「でも、申し訳ない……」


「それを言うたら、原因はほぼ間違いなくわしじゃろ。おぬしを安静にさせんと、わしの気がすまんわ」


「ごほっ……。気にしなくて、いいのに……」


 ハクが言っているのはフローリングの上で爆睡かました昨日の話である。

 精神と肉体の両面からダメージが限界に達した俺は、そのままダウンしてしまったのである。

 ダウンした、と言ってもその後はハクがベッドに運んでくれたし、添い寝までしてくれたので、精神的には快調である。

 つまり、この貧弱な肉体が悪いだけなので、ハクが気にすることは何もないのである。

 という内容を説明しようと思っても、ぼんやりとした頭でまとめるのが精いっぱいだし、のどの痛みのせいでまともに話すのも難しい。

 詰んだな。


「えぇい。よいから横にならんか。わしを安心させよ」


「うぅ……、ごめん……」


 そんな感情のぐるぐるを読み取ったのか、ハクは少し強めに頭をなでながらベッドに入れようとしている。

 ハクを心配させ続けるのも不本意なので、抵抗せずに布団をかぶって横になる。

 そうするとハクは優し気に微笑んで、慈しみに満ちた手つきで俺の頬を撫でる。


「お母さん……って、呼んじゃいそう……」


「……ほう。光栄じゃな、そんなにも若く見えるか」


 そういう意味じゃないでしょ、と少し笑う。

 ハクも少し困ったように笑いながらも、つぶやくように謝罪をする。

 小さな声で行われた謝罪に疑問を抱きながらも、ぼんやりとした思考にハクの手によってもたらされた眠気が完璧にマッチングしてしまい、何も考えられない。

 ハクがあやまることなんて、なにもないのに……。

 心地よい冷たさを額に感じながら、それだけは伝えられた気がした。


 ***


「んぇ……」


 パチン、と泡がはじけるように起床する。

 いつもよりも寝ぼけた感じがするのは、風邪をひいているから。

 まだまだもやっとした脳みそを抱えながら、体を起こす。


「む、起きたか」


 夕日の差し込んだ部屋に、ハクが一人で座っている。

 くすんだ赤色、えんじ色に近い地色に白色の菊らしき植物が描かれている浴衣を着て、いつもよりもベッドに近い位置にいる。


「おはよう……」


 かすれた声で起きがけのあいさつをする。もう夕方だけど。

 ほれ、と渡されたスポドリでのどを潤し、一息つく。

 ゆっくり寝たおかげでだいぶ楽にはなったが、まだまだ気だるい。

 半分は寝起きのせいだろうと思いつつも、気だるさは消えないもので、ハクが俺のおでこの冷却シートを張り替えるのにされるがままである。


「……いや、冷却シート。あったっけ」


「買ってきたのじゃ。ゼリーと桃缶もあるぞ」


「とてもうれしい……」


 いつの間に、とは聞く必要はないだろう。

 道理で少しおしゃれな格好してると思った。

 家でいるときのハクはほとんど無彩色の無地なため、無意識に目が行ったのだろう。

 ちなみに、無彩色と言っても白に近い場合が多いので、黒に近い服が多い俺とは対照的である。

 そんなどうでもいいことを考えているうちに体温を測り終えて、旧式な電子音が聞こえる。


「38度6分じゃな。下がっておらんのう」


「……楽にはなったんだけども」


「かすれた声で言われても、説得力がないのじゃ」


 ハクは心配そうな声音のまま、じっと俺の様子を見ている。

 どうやら風邪はのどに来たらしく、スポドリを飲んでもイガイガした感覚が抜けない。

 病態そのものは落ち着いていることが分かったのか、ハクは安堵の息を吐いて俺の頭をなでる。

 相変わらずの優しい手つきに、うとうとと眠気がいざなわれるのを感じるが、こんな時間になるとそれよりも強い欲求があるわけで。


「ハク……。おなか、すいた……」


「うむ、かゆを作っておる。しばし待っておれ」


 うとうとしながらも口に出した要求に、ハクは待ってましたと言わんばかりの返答でキッチンに向かう。

 ハクの手が離れたことで眠気が薄れて、ハクの後ろ姿を見つめる。

 強い寂しさを覚えると同時に、早く帰ってきてほしいなという思いがあふれる。

 その思いが通じたわけではないだろうが、ハクはすぐにキッチンから出てきた。


「早い、ね……」


「妖力のちょっとした応用じゃよ。ちょうど良い温度のはずじゃ」


「そっか……。いただきます」


 ずいぶんと便利なことだ、という感想もほどほどに、猫舌の俺に合わせた温度になっているおかゆをぼんやりと口に入れる。

 鶏ガラの卵がゆ、細かく切られた鶏むね肉は空腹にうれしいし、栄養もたっぷりで空っぽに近い胃袋に染み渡る味がする。


「……おいしい」


「よかったのじゃ。たくさん食べるがよい」


 嬉しそうなハクの言葉にこくりとうなずいて、もそもそと食べ続ける。

 病気を治すのには栄養が大事なのは言うまでもないし、何よりうまい。

 優しい味というのは刺激が少ないということなので飽きやすいものだが、いくら食べても飽きないような気さえする。

 ゆっくりとした調子で一杯分食べ終えるまで見守っていたハクに、もう一杯欲しいと伝えれば、とても嬉しそうに微笑んでよそってきてくれた。

 多分、この笑顔のおかげもあるとは思うが、きっちり二杯分のおかゆを完食しきった。

 ハクの作ってくれたものに飽きるわけが無いわな、と栄養の回ってきた頭がやっと当たり前の答えをはじき出してくれたあたり、空腹は悪である。


「ごちそうさま。おいしかったよ」


「お粗末様じゃ。助けになれたようじゃな」


「うん、とっても」


 心も体も栄養が満ち足りたので、かなり元気になった。

 それでも心配そうなハクに、コロンビアポーズで元気をアピールする。

 くすくす、と意外と面白そうに笑うハクに、つい調子をよくして次々とポージングを繰り出していく俺。


「ふふ……。よい、元気なのはわかったのじゃ」


「ハクが笑ってくれたら、もっと元気になるよ」


「調子のいい奴じゃな、まったく」


 安心したのか、落ち着いた様子でいつもの調子に戻るハク。

 ハクを心配させ続けていると精神にスリップダメージが入るからね、仕方ないね。

 とはいえ、やはり体調不良はそのままで、その上に満腹になってしまったわけで。


「ふう……」


「あとは朝まで寝ておれ。後のことはやっておくのじゃ」


「あー、うん。ありがとう、ハク」


 一瞬だけ悩んだが、素直に感謝の気持ちを伝えてハクに片づけを任せることにする。

 ゆっくりとご飯を食べていたので、もう完全に夜と呼べる時間帯になってしまった。

 しかもかなりの眠気がまぶたの上に乗っかっていて、このまま皿洗いをやろうものなら二、三枚は無残な姿に変えてしまうだろう。

 何より、ハクがかなりやる気である。

 なぜかと思えば、頼られるのが嬉しいのだろうが、そんなにやる気を出されると逆に心配である。


「ほれ、おぬしはこっちじゃ」


「うん……」


 しかし、心配は長続きせず、ハクに促されるままベッドに横たわると、すぐに意識がまどろむ。

 ハクが髪の毛をすくように俺の頭をなでれば、魔法にかかったように夢の中にはいるのであった。

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