第49話本当の話
「さて」
「はい」
「正座じゃ」
「はい」
家に帰って早々、目の笑っていないハクからにこやかに言い渡された刑罰を甘んじて受け入れる俺。
いそいそとフローリングの上で正座を行い、ピンと姿勢を正して立ったままのハクと向き合う。
さすがにこの状態だとハクを見上げることになるが、威圧感というものは感じない。
いつものように、少し呆れていながらもそんな俺に居心地の良さを感じているハクだ。
「今回の件に関しては、あの女の口車のせいもあるのじゃ。仕方のないこととは思うが、二度は言わぬように」
「……心当たりが多すぎます、ハク様!」
「おぬし、それでごまかせると思うとるのか?」
そりゃあもう、キラキラで純粋なお目々をしているはずですから。
そんなことをしていたら、ハクの目線が呆れ100%になり始めたので、慌てて前言を撤回する。
当然ながら、ハクが何を言わんとしているのかはよくわかっている。
しかして、ハクが一番言われたくない言葉を知っていて、一番されたくないことを知っていて、そのうえで見逃してくれているというのは、俺にとって痛恨の極みなのである。
「許していただけるのはありがたいのですが……」
「やめよ。調子が狂うのじゃ」
「あ、はい。許されたほうがいいのは本音だけどね。何かしら罰を受けたいなという気持ちも、そこはかとなく、それなり以上に、あるわけで」
おふざけをハクに取っ払われたので、少ししどろもどろになりながら、してほしいことを言うことになった。
ハクを傷つけておいて、許されたからとのうのうとしていたら、自分で自分を絞めてやりたくなってしまうのだ。
俺のためだと思って、とすがる思いでハクを見上げていたら、一つため息を吐いて背中を向けた。
「ほれ、ちゃんと捕まえておくのじゃぞ」
「わーお。積極的」
ぽすん、と軽い衝撃とともにハクが膝の上に落ちてくる。
とっさにハクのお腹に手をまわし、自分の体を背もたれにする。
つまり、ハクを背後から抱きしめる形になった。
いつかもやった体勢だが、今回はハクから飛び込んできたので根本的な違いがある。
「石抱きならぬ、わし抱きじゃな」
「うまい、座布団1枚……。それは俺自身か」
くだらない冗談を言い合って、くすくすと二人して笑う。
そんな軽い雰囲気だが、ちゃんと辛い。
ハクを抱きしめている快楽によって苦痛と相殺されているが、下はフローリングの正座の上に30キロ前半の重りを乗せているのである。
刑の執行時間次第では、足がまともに動かないかもしれないレベルだ。
「では、ネタばらしの時間といこうかの」
「え、この状態で?」
「であればこそ、罰になるじゃろ」
ハク様、俺が思っていた10倍くらいお怒りでいらっしゃった。
怒りの方向は3割くらいハク自身、5割くらいは望、残りの2割が俺だろうか。
そこで自分に怒ってしまうあたりがハクらしいが、それもハクの魅力だろう。
……などと、いつもならのほほんとしているのだが。
今回はハクの自分への罰が、俺に対しても罰になり、実質5割が俺向きであるので、さすがにちょっと真顔になってしまう。
「俺の考えが正しければ、ネタ晴らしというのは……」
「おぬしの想像通りじゃよ。……わしが、拾われた時の話じゃ」
はっきりとこちらを見て、ハクは穏やかにそう切り出した。
ハクの目の前だというのに、俺は思わず唇を噛んで渋面を作ってしまった。
それは本当に、言わなければならない話なのか、聞いていい話なのか、辛い話ではないのか。
疑問というわけではない、ただ彼女の口を閉ざしたいだけの言葉が脳内で湧き出しては消えていく。
「雨の日、じゃったな。よう覚えておる、梅雨どきの生ぬるい雨じゃ」
儚げに微笑んだハクは、瞳に暗い影を落としながらも、口調だけは朗らかに話を続ける。
それは、止めないでほしいと叫んでいるようにも聞こえて、渋面のまま彼女の声に耳を傾ける。
「誰からも誘いが来ておらなんだゆえ、ふらりと街に出たときに、雨が降り出したのじゃ。じゃから、ちょうど良いと思ったのじゃ」
「ハク」
それ以上は、言わないでほしい。
そんな俺の制止を、ハクはただ首を横に振って拒絶した。
「誰にも必要とされず、誰にもとがめられず、誰にも見つからぬ。……死ぬには、ちょうど良い日じゃった」
ずっと、触れなかった。いや、触れられなかった。
気づいてはいた。分かってはいた。
でも、言葉にすることは、また別の次元だった。
ハクは、そっと俺の頬に手を添えて、指で雫をすくう。
「あの日のわしは、誰にも見つからぬはずじゃった。それを拾うたのが、おぬしじゃな」
「そう、だよ。だ、だから……」
もう、何も言わないでほしい。
強く歯を食いしばって、痛みをこらえるようなハクに、そう懇願する。
終わったことだ。必要のないことだ。関係のないことだ。
これ以上を、その先を、聞きたくない。
「おぬしに見つかったのは、不思議じゃった。じゃから、嘘をついたのじゃ」
それでも、ハクは言葉を続ける。
真っすぐに俺を見つめながら、聞いてほしいと、目をそらないでほしいと語りかける。
「わしは……。死にたかったのじゃ、ずっと」
「やだ!」
ハクが死んでしまう。
その想像は、あまりにも俺の感情を刺激した。
具体的な情景を知っているからだろうか。
それとも、その感情を知っているからだろうか。
ハクがあまりにも軽くその引き金を引いてしまうであろうと、俺は強く感じていた。
それは多分、ハクも同じはずだ。
「のう、カカル」
それなのに、縋りついた俺の頭を優しくなでるハクの手つきには、一切の恐怖が感じられなくて、余計に嫌な想像が膨らんでしまう。
寝て起きてすぐに嘘をつけるのは、慣れているから。
邪魔されることに慣れているのは、いつものことだから。
いつものように繰り返しているのは、彼女にとってそれが簡単なことだから。
「やだ、やだよ。ハク、死なないで……」
俺が死んだ後なら、まだいい。よくはないけど、一人にしてしまった俺が悪く、後ろ暗くとも想われている嬉しさもある。
でも、ハクの亡骸を見てしまったら。絶対に耐えられない。
わがままだとわかっている。ハクにも、同じ思いをさせている。
だとしても、願うことをやめられない。
「愛しておるぞ」
撫でていた手が、首に回されて強く引き寄せられる。
首筋にハクの柔らかい耳がこすりつけられて、少しくすぐったい。
ハクの言葉が、遠く深い場所にあった思考をここに引き寄せて。
「愛しておる、ずっと、ずっとじゃ。おぬしが死んでも、年をとっても、病にかかっても、どんな時でも。おぬしを愛しておる」
淡々と事実を述べているだけかのように恥ずかしげもなく、思いの丈をぶちまけていくハクの様子に、段々と困惑が強くなる。
何よりも、思った以上に恥ずかしい。
想われている自覚は確かにあるし、そうでなければ恋人などやっていない。
それでも、こんなに真っすぐにぶつけられたら、照れてしまう。
「好きじゃ。うむ、好きじゃ。おぬしの眼が好きじゃ。おぬしの声が好きじゃ。おぬしの手が好きじゃ。おぬしのまなざしが好きじゃ。おぬしの言葉が好きじゃ。おぬしの……、すべてではないが、ほとんどが好きじゃ」
そこはちょっとくらい嘘をついてもいいと思う。などと、茶化すこともできないほど顔が熱い。
顔を手で覆いたくなるが、ハクの腕に抑えられているうえ、別にハクは俺の顔を見てい居ないので何の意味もない。
「ちょ、ちょっとあまりにも急すぎるので、少し時間が欲しいかなって!」
「何も急ではないのじゃ」
なんとか抗議の声を上げた俺の顔をつかんで、真正面からハクと向き合わされる。
しまった藪蛇だった。今ハクと見つめあったら顔の温度が天井知らずになる。
視界の片隅でむすっと不機嫌な顔をしているハクと目を合わせないように視線を泳がせる俺に、彼女はまくしたてる。
「前にも言うたじゃろう。今、わしは死にたくないのじゃ。愛するおぬしを置いて先に逝くなぞ、しとうない」
ただただ真っすぐに、俺を説得するわけでもなく、ハクの決意を説明するでもなく、自然体の感情をぶつけられて、気圧されてしまう。
確かに、そういう風には聞いた時は色々とあって、理由までは聞きそびれていたのは間違いない。
だからといって、そんなに熱烈にぶつかってこられるのは想定外というか、想定以上というか。
「じゃから。……じゃから、二度と。分かれる、などと言わないでほしいのじゃ」
心臓が握りつぶされたかのように苦しくなって、数秒呼吸できなくなる。
「…………。ご、めん……なさい」
「うむ。分かってくれたのならば、よいのじゃ」
嬉しそうに笑ったハクは、軽やかに立ち上がってキッチンへと向かう。
……バタリ。
精神的なダメージと、肉体的なダメージの両面によってノックダウンされた俺は、冷たいフローリングの上に転がるのだった。
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