第39話夏祭りの予定の話


 買い物デート。

 そういっても過言ではないのではなかろうか。

 そう思い至ってから、足元がふわふわするような心地がする。

 日常のことだろうって、日常だからこそ問題なのだ。

 いつものように朝起きて、学校に行って帰って、夜眠る。

 そんな日常の中にハクがいるという幸福にやっと慣れてきた、自然体でいられるようになってきたのだ。

 しかし今は、いつもと違う服を着たハクが隣を歩いている。

 日常と非日常が混ざった感覚が、俺の足元を不確かにさせている。


「考えごと、かの?」


 からかいを含んだ声が耳朶を打つ。

 ……ハクはのんびりとした様子で俺の隣を歩いている。だが、その目線は俺の顔に固定されていて、いくらかの不満がにじんでいる。


「ごめん。ちょっとね」


 上の空な自分が悪かったと、素直に謝る。

 浮ついた気持ちが無くなったわけではないが、せっかく隣にハクがいる時間を無駄に浪費するわけにはいかないだろう。

 直視するとつい顔が赤くなるくらいには今のハクは可愛いが、逆に言えば今くらいしか見れないレアな姿なのだ。


「ふーむ……。ちょいと刺激が強すぎたか」


 ハクは俺の様子をまじまじと見たあと、帽子をかぶりなおしながら小さくつぶやいた。

 もちろんそれを聞き逃す耳は持っていないのだが、それに返す言葉を持っていないのが問題だった。

 完全に図星をつかれてしまい言葉に困った俺を、ハクは不敵な笑みとともに一瞥すると、するりと手を伸ばしてきた。


「少しずつ、慣らしていかんとな」


「慣らすってレベルじゃない気もする……」


 ハクに左手を取られて、しっかりと握りこまれてしまう。

 振り払おうとは微塵も思わないものの、往来で手をつないで歩くというのは非常に気恥ずかしい。

 なにより、すべすべである。ついでにあったかい。あとやわらかい。

 軽く握り返すだけでもなかなかに俺を虜にしてくる掌である。

 スキンシップ自体はそれなりにしているし、ハクの体が俺にとって素晴らしいものであることはよく知っているのだが。

 こうして末端までハクはハクなんだなぁ、と感じられると、つい感動してしまうものである。


「立ち止まることはないじゃろうに……」


「……ごめん」


 思わずハクの手の感触に夢中になってしまい、堪能してしまっていた。

 このままではいつまでたってもスーパーにたどり着かないので、なんとか意識の外に持っていくことにする。


「もうよいのか?」


 少し名残惜しげな声でそういうことを言うのはやめていただきたい。

 一瞬、固まってしまった俺の様子を楽し気に笑って観察するハクに、恨めし気な視線を向けるが、効果はいまひとつのようだ。

 正直なところ、こうしてハクにからかわれるのは別に嫌じゃない。


「行くよ」


 少し強めに彼女の手を握って、もう一度歩き出す。

 何も抵抗せずゆるく手を握り返してくるハクの表情を見なくても、その唇が弧を描いているだろうと分かる。

 心地よい距離感の友人のような、軽口のたたき合いを心の底から楽しんでいることを、俺は良く知っている。


「あれ、夏祭りあるんだ」


 また物思いにふけりすぎてはまたハクにからかわれるだろうと、思考を打ち切って顔を上げると不意に視界に入ってきたポスター。

 8月下旬という少し遅い時期にもなって、夏祭りの文字を見ることになるとは。


「近くもないが、遠くもない距離じゃな」


「行けなくもないけど、やっぱり行きたい?」


 この辺りに神社が一つしかないことは確認済みである。

 ハクを見つけたときに、一番に思いついたことでもあるからだ。

 案の定、ここら一体では有名な稲荷神社であったが、同時にそこまで大きい神社ではないこともわかっている。

 ハクとは関係がないだろうと思っていたのだが、やはり妖狐としては気になるのだろうか。


「そうじゃなあ……。挨拶もしておらんし、これを機に顔を出すくらいはしておきたいものじゃな」


「その言い方だと、ご近所付き合いみたいだね」


「少し感覚は違うじゃろうが、似たようなものじゃな」


 それでいいのなら、と軽くうなずいて夏祭りの日程を確認する。

 夏休みの期間に問題なく入っているし、普通に予定を入れるだけでよさそうだ。

 忘れないようにスマホの予定帳アプリにメモしておく。


「……海以来じゃな」


 ハクがぼそりとつぶやいた声を聞いて視線を向ければ、彼女は遠くを見るような目をして記憶の中にある景色を思い出していた。

 そこまで昔の話ではない。ないのだが。

 俺もそれを思い出そうと思えばそんな顔になってしまうだろう。

 その直後から、色々とあったのだから仕方がない。

 回想が終わったのか、ハクは瞳を一瞬揺らした後、俺の顔をとらえて、ふわりと嬉しそうに細められる。

 彼女が差し出した手を取って、少しの間見つめあう。


「楽しみじゃな。おぬし」


「うん、そうだね。ハク」


 つないだ手のひらから彼女の気持ちが伝わってきそうなほど、言葉をかみしめる。

 こういうところが、不器用な似た者同士だなあ。なんて。

 おかしくなって俺が笑えば、彼女も控えめながらも楽し気な笑い声をあげる。

 ひとしきり笑った後で、やっとここにいる理由を思い出す。


「こんな調子では、いつまでたっても買い物ができんのう?」


「全くだね。早くしないと晩御飯が作れなくなっちゃう」


「それは、それは。急がねばならんな」


 少しわざとらしく確認しあって、それまでよりも急ぎ足で歩き出す。

 そうしなければ、二人して耳を赤くしている理由について触れてしまって、また長い時間を使ってしまいそうだったからである。

 海に行った時のことを思い出せば、外出を楽しむタイプではないと互いをよく知っているのに、それでも何の躊躇もなく夏祭りに行くのが楽しみだと言えてしまう理由。

 あの時と比べた時に、その関係の違いが、俺たちの顔を熱くさせ、その足取りを軽やかにするのだった。

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