第38話出かける時の服装の話
「買い物にいかねばならんのう」
一日かけてハクの作りすぎた食事を食べきり、翌日の昼ご飯。
その後片付け中に不意にハクが言った言葉に、俺は微妙な顔をせざるをえなかった。
俺の顔を見たうえで、見なかったふりをすることに決めたようで露骨に視線をそらしたままでハクは皿を拭いている。
もとはと言えばあれだけ詰め込んであった冷蔵庫の中身を使いつくしたハクのせいなので、彼女からすればバツが悪いのだろう。
「……まあ、せっかくだし一緒に行こうか」
とはいえ、冷蔵庫の中身がほとんど空なのも事実。
一日程度なら持つだろうが、またハクが急に張り切りださないとも限らないので、もう少し余裕は持っておきたい。
いい感じにスーパーも空いている時間帯だし、ハクとお出かけとしゃれこむのも悪くない。
「ふむ……。では、少し待っておれ」
カチャリ、と最後の皿を片づけると、ハクは少し考えた様子でリビングに戻っていった。
タオルで手をふきながら、その行動に首をかしげる。
待っていろと言われたからには、ここから動くわけにはいかないのだが、それ自体には問題がない。
もともと外に出ることに特別な準備があるわけでもないし、財布とスマホを持ってそのまま出かけてしまえる。
それはハクも同じで、わざわざ俺に一言つけてまでするような準備はないはずなのだが。
首をかしげながらそんなことを考えていたら、リビングのドアが開いた。
「待たせたの、では行くのじゃ」
「カッ……!」
心臓が止まるかと思った。
リビングから戻ってきたハクはいつかにプレゼントした服をまとっていた。
それだけでも致死量を超える可愛さと嬉しさを摂取できてしまうのだが、さらにはハクはシンプルな野球帽を用意したようで。
外行きの一つまとめの白髪と合わせてボーイッシュな雰囲気を醸し出しながらも、しなやかな撫子を失ったわけではない新しい扉を開いていた。
完全に言葉を失ってしまった俺に、ふふんと不敵な笑みを浮かべる姿までヤバみ。
もうそろそろ語彙力が消えそうなので、その前にハクを褒めておこうと無理やり口を開く。
「すっごい、可愛い……っ! かっこ、いや、やっぱ可愛い。最高」
残念ながら手遅れだったらしい。
ワンパターンな褒め言葉だけをリピートする機械となった俺だったが、幸いなことに十分に満足していただけたようで、口元を抑えて控えめに笑うハク。
今は尻尾を隠しているが、ゆっくりと機嫌よさそうに振られている姿が見えるくらいには嬉しそうである。
「おぬしはちゃんと着けてくれておるし、わしもたまには着るべきじゃろ」
「俺もすっごく嬉しい。ありがとう、ハク」
頬を赤らめて嬉しそうにしているハクに俺も少し照れくさくなる。
ハクの送ってくれた腕時計はほぼ常に身に着けている。
それをきちんと見てくれていたのだと思うと、顔が熱くなってしまう。
無言になって、二人で向かい合ったまま視線を床に向ける。
「ほ、ほれ。出かけるんじゃろ?」
「あ、うん。準備するね」
しばらくして、先に正気に戻ったハクにうながされ、俺は急いでスマホと財布をポケットに突っ込む。
ハクがおしゃれしているのに俺はそのままというのも気が引けるが、すぐにおしゃれできるような用意は俺にはない。
ちゃんと服を用意しておこうと心に決めて、玄関に向かえば、足元を気にしているハクの姿。
「どうしたの?」
「この格好じゃと、あまり草履が似合わんじゃろ。スニーカーの方が良いと思うのじゃが、うまく想像できぬのじゃ」
そう言いながら、クロックスのような草履と靴を合わせたような履き物を見せるハク。
かなり真面目に悩んでいる様子のハクに、思わずクスリと笑い声が漏らしてしまう。
さすがにハクからの視線が鋭くなったので、すかさず手を合わせて謝罪をする。
「ごめん。だって、俺も悩んでたからさ。今度一緒に買いに行こっか」
「……何をじゃ?」
「ハクが可愛い恰好してるのに、俺はそんなでもないなあって。ハクの隣に立っても恥ずかしくない恰好しようと思って、ね」
つい笑みが浮かんでしまうのは、嬉しいからだ。
そう伝えれば、ハクは渋々とした顔でうなずいてくれた。
前までは何か買いに行こうと言っても、いい返事が得られなかったものだが、随分とおしゃれに興味を持ち始めてくれたわけだ。
そういう意味合いでも、嬉しさに頬が緩んでしまうのは仕方がないだろう。
「えらく、だらしのない顔をしておるが」
「だって、嬉しいから」
「主語を言わんか、主語を」
おっと、つい素直に返してしまった。
ハクがちょっとトゲを含んだ声音で問い詰めてくれたので、浮かれていた脳みそが少し落ち着いた。
落ち着いたついでに、ハクの問いかけにこたえようと考えを巡らせてみるが、特にこれと言えるようなものは思い浮かばない。
「んー……、色々? 多分ね」
「何も情報が増えとらんではないか。仕方のないやつじゃな……」
結局、何も考えがまとまらないままで答えれば、あきれ果てたようにハクはため息をつきながら玄関のほうを向いて草履を履きなおした。
確かに、デニムパンツに草履はあまり似合わないし、何かしらの靴を買う必要があるだろうと俺も感じる。
「また、買いに行くんじゃろ」
「……うん、また行こっか」
くるりと首だけをこちらに向けて、ハクは言う。
腕時計の位置を右手で直しながら、その言葉をかみしめる。
ハクとまたデートに行ける日が来ると考えれば、ここまでの人生も無駄じゃなかったような気がしてくるから、安いものである。
……あれ、今からもデートじゃない?
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