第37話報告する話


 あんなこんなと重たい話は今日の昼間の話なのだが、山盛りの夕食が出来上がるころにはすっかりいつも通りの二人に戻っていた。

 二人して過去が過去なので、気持ちの切り替えは板についたものである。

 意外と人生は何とかなる、というのは二人の共通認識なのだ。


「……で、予定よりも早かったのは、どうしたのじゃ?」


 明らかに食べきれる量ではない夕食を前に、ジト目を向ける俺から目をそらすハクは、苦し紛れに話題を切り出す。


「……うん。実のところ、思ったよりもすんなりいっちゃってね」


 確かに、まだその話をしていなかったので、その話題に乗ることにした。

 言いたいことはたくさんあるが今のところは飲み込んでおく、ハクも反省しているようだし。


「すんなり、か。話の分かる人でよかったのう」


「話の分かる……? いや、かなり自分勝手だったけどなぁ」


 二人で手を合わせて食事前の挨拶をして、今日の昼のことを思い出す。

 すんなりいったのは事実だが、別に俺たちのことを考えてくれたわけではないだろう。


「不本意かの?」


「うーん……。それほどでもないかな、望も邪魔はしないだろうし」


「類は友を呼ぶ、というやつじゃな」


 おかしそうに笑いながら言われたハクの言葉に、苦い顔になる俺。

 昼間にも誠也から似たようなことを言われている訳で、そこまで似たもの同士だろうかとつい考えてしまう。

 何より、あの望と似ているとは少しも思えないのである。


「正直、望のことはあんまり理解できてるとは言い難いしなぁ……」


 俺が小声で愚痴ったのをハクの耳は拾ったらしく、とがった耳をピクピクと震わせる。

 ふぅむ、と考え込むような声を漏らしながら、ハクがこちらを見つめる。

 別に見つめているのに意味はないようで、瞳からは何の考えも読み取れない。

 しかし、机を挟んでいるとハクの背中にある尻尾が見えないことが多く、どうしても視線が合ってしまう。

 普段のハクは瞳に感情や考えが乗りづらいのを知っている俺はあまり観察しない。

 こうして見つめあうことは非常に珍しい状況であり、実のところ少し照れる。


「む、すまんな。無遠慮じゃった」


 俺の顔がほんのり熱を持つころ、ハクが気づいたらしく視線をそらして謝罪する。

 こちらとしては役得だし、別に謝らなくてもいいのだが、正直に話すことができない俺はその謝罪を受け取るために首を縦に振るだけで返した。


「それで、理解できぬとはどういうことじゃ?」


「ああ、そのことを。と言っても、言葉通りだよ。望の行動原理や感情について、俺はあんまり理解できないんだ」


「おぬしがか、珍しいのう」


 ハクが感心したような声に、はっきりと首を振って否定する。


「空気を読むのは得意だけど、人を理解するのが得意なわけじゃないよ。ハクは特別」


 もともと人と付き合うのが得意な正確ではないし、そうでなくとも、人との付き合いというのは有限で、いつかは絶対に切れるものだと考える俺は、ハクと出会うまで、他人を理解しようと努力したことは無い。

 そんな考えでの発言だったわけだが、ハクはそれを聞いてうっすらと頬を赤らめた。


「うむ、……まあ。うむ」


 それは理解している、と言いたげに口をもごもごさせながらうなずくハク。

 この程度で照れるなんて珍しいな、と俺が首をかしげると、ごまかすかのように食事を口へ運び目をそらされる。


「……とりあえず、雇用関係は解消して、友人関係として新しくスタートってことらしいけども。何が目的なのやら、まったく」


「友人関係、よいではないか。何が心配なのじゃ?」


「そう言われると説明に困る。何も心配ないことが心配、というか」


 望は、友人を含め身内に対して理不尽な仕打ちや悪意のある行動をしないのは、誠也との会話の中でも触れられていて、その点に関しては心配はないのだ。

 変なことを言っている自覚はあるのに、ほう、と理解を示してくれるハクに、俺は苦笑いを浮かべて続ける。


「望に気に入られている、と自信を持てるわけじゃないから。むしろ、多少なりとも利害関係があったほうが安心できるんだよ」


「結局のところ、理解ができぬ。つまりは、行動の予測がつかないということじゃな」


 そのとおり、と俺がうなずけば、ハクも納得がいったように深くうなずき返す。

 理解できない、分からないというのは、恐怖になりうる。

 自分の状況はそういうことだろう、と自己分析を済ませて目線を上げれば、ハクと目線が合う。


「どしたの?」


 これまで見たことのないような感情をにじませた紅玉の瞳に、少し困惑しながら問いかける。

 すると、彼女はやんわりと目元をゆるませながら口を開く。


「なに、新しい友人ができて不安なんじゃろう。じきに慣れるであろ」


 予想外な一言を理解するのに、俺はそれなりの時間を要した。


「……。まあ、……そうか、も?」


 そんな子供っぽい、と反発する気持ちと、それはそうだろう、とあきれる気持ちとのせめぎあいまで発展してから、なんとか空返事をする。


「ふふ、おぬしでも不安になることはあるんじゃのう」


「いやいや。なんだと思ってるのさ、俺のこと」


 実はそうかもしれないという思考に傾きかけたところに、聞き逃せない発言をハクがしたのでつい反応してしまう。

 俺はとても普通の人間であり、悟りとは無縁の雑念の多い日常を過ごしているはずである。

 何だったら、ハクのことであれやこれやと考えるあまりに空回りをして、ハクに嫌われやしないかと不安になるのはほとんど毎日のことだ。

 もちろん、何も考えずに行動しても不安になるので、毎日二回は不安になっている計算である。

 ゆえに、ハクの評価は正しくない、とはっきりと言っておかなければならない。


「そのうえで、おぬしはそれを踏み越えることができるじゃろう。不安に思い悩むこと自体は、とても少ないはずじゃ。いや、わしが見たことがないだけかもしれんの」


 くすくすと楽しげに笑いながらのハクの追撃に、今度は俺も何も言うことができなかった。

 同時に、やっぱり勘違いをされているのもすぐに分かった。

 ハクの口ぶりからするに、俺のことを勇気のある人間のように受け取っているのだろうが。

「ハクは見たこと無いだろうね」と言えば、ハクのことだからすぐに察してしまうだろう。


 間接的にとはいえ、ハクにもう一度告白する勇気を持ち合わせていない時点で、なんとも情けない男だと自分で評すれば、自然とため息が出てくる。

 そんな俺に首を傾げたハクに、何でもないよと笑えば、ハクも同じように笑みを返してくれた。

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