第23話海水浴に行く話(その4 終)


「髪、痛んでない? 大丈夫?」


「一応、わしとしては問題ないと思うのじゃが」


 そう言って、薄水色のバレッタでまとめられた白髪を揺らすハク。

 それを注意深く観察して、いつも通りのサラサラツヤツヤの白髪であることを確認し、ほっと一息つく。

 夕方と言うにはまだ早い、昼と言うには十分遅い。そんな時間に海岸から離れていくのは俺たち二人くらいのもので、ただのんびりと歩いている。


「また帰りも歩かないといけないんだよねぇ」


「そうなるのう。辛いのであれば、おぶってやろうかの?」


「あー、妖力って便利だねぇ……。そこまでハクに頼ることはしないよ」


 ニヤニヤと、答えの分かり切った問いをするハクに、当然の答えを返してため息を吐く俺。

 海に入って、外で過ごした分、暑さには鈍感になったが、それでもギラギラと輝く太陽はむしろその耐性を貫通しようと日差しを増している。

 その日差しを和らげるのにも妖力を使ってくれているハクに対して、それ以上の負担をかけるのは俺としてはあってはならないことだ。


「まあ、のんびり帰る分には、問題ないでしょ」


「そうじゃな。明日はゆっくり休むがよい」


 クク、と押さえた笑い声を漏らすハクは俺の体力が限界だと思っているようだ。

 ぶっちゃけ、全くその通りであった。

 水に浸かるのも久しぶりなうえに、炎天下に外で遊んだのも久しぶりである。

 いくら健康に気を使っているといえども、それは一般的かつ適度な範疇であり、子供のころのような無尽蔵の体力があるわけではないのだ。


「そう言うハクはどうなの? 妖力があれば筋肉痛とは無縁なの? あ、これ帰りの切符ね」


「準備が良いのう。別に、妖力とは関係なしに妖狐は筋肉痛にならんのじゃ。原理は分からんが、ケガの治りが早いのと関係があるとは、聞いたことがあるがな」


「何それ便利」


 改札を通りながら、妖狐の新しい生態を知る。

 思い出してみれば、出会った日には死にかけていたのに、翌日にはピンピンしていた。

 人間の形をしていても、妖狐は常識が通じないのだな、などと至極当たり前のことを思いながら、ハクの顔を見る。

 少し緩んだ、無防備な表情。うっすらとした笑みを浮かべた、少し楽しそうな表情。

 こうしていると、耳も尻尾も無い、ただの美少女だ。


「電車が来たぞ? どうしたのじゃ」


 ボケっとしていて、電車がホームに入ってきたのに立ち尽くしていた。

 ハクに促されて電車に乗り込んで、座席につく。

 思ったよりも疲れていたようで、どうも思考のまとまりがない。


「ふむ……」


 電車が動き出したのと同時に、体が揺らぐ。

 ふわり、と雲のような柔らかさに包まれたかと思うと、すとんと意識が落ちた。


 ――夢だな。


 だからと言っては何だが、すぐに確信した。

 女性の怒鳴り声、男性の怒鳴り声、艶のある男女の声。

 色々な場面がするすると現れては消えていく。

 非常にリアリティのある、かつて見たような景色は、ただの夢だ。


 ――悪い、夢だ。


「起きよ。着いたぞ」


「ん、おはよう。……重かった?」


 駅に着いて、ハクに揺り起こされた時には、俺はハクの肩に思いっきりもたれかかっていた。

 少しほっとした気分と、ハクの心配そうな瞳に、少し動揺する。

 誤魔化すように聞いてみると、困ったように眉を下げて、少し思案する様子を見せる。

 電車を降りて、改札を出るまで、一言も発さないまま、唐突にゆっくりと首を振る。


「……よい。疲れておったのじゃろう」


「うーん、さすがに遊び疲れて寝落ちできるほど若くないと思ってたんだけどなぁ」


「まだまだ若いじゃろ。わしも、おぬしも」


「いやさすがに300才以上のハクとは比べられないと思う」


 悩んだうえで出てきたのは、特に変哲のない、無難な言葉。

 慈愛を感じさせる表情に、心の中で納得しつつ、何事もなかったかのように会話を続ける。

 ゆっくりとした、いつも通りの会話と、歩みを続けながら、平静を保つ。

 直ぐに対応できたのは、うっすらと以前から感じていただろう。

 急に気づいたのだったら、俺のことだからすぐに口から出ていたのは間違いない。

 ハクは心を読めるのか。なんて、嬉しそうなハクに聞くことでは無いというのに。


「そうじゃ、今晩は焼きそばにしようかの。少しアレンジしてみたいしのう」


「いいね。ハクの焼きそば好き」


「む、そう言われるとアレンジしにくいのう」


 そうしないうちに、本当にいつも通りの会話になる。

 話したくないというわけでもないが、だからと言って節操なく話すわけでもない。

 機会を待つことは得意ではないが、空気を読むのは苦手ではない。

 隣で歩くハクは、変わらず緩んだ表情を浮かべて、この時を楽しんでいる。


「キャベツが柔らかくても良いかの?」


「なるほど、シャキシャキなのも好きだけど、ああいうのも良いね」


「おぬしはシャキシャキした方が好きじゃからな。良いのであれば一度やってみるか」


 ハクの作る焼きそばはキャベツだけシャキっとしている。

 ニンジンや玉ねぎは下処理をして柔らかいあたり、ハクのこだわりの一つだったのだろうが、今日の焼きそばを食べて試してみたくなったらしい。

 ちなみに、俺が作るときはもやしが入っていて、全部シャキッとしている。

 麺とのコントラストが割と好きなのだ。


「たまにはいいと思う。ハクなら美味しくしてくれるだろうし」


「おだてても何も出んぞ」


「美味しい御飯が出ること、知ってるよ」


 何気ない会話を続けながら、ハクと歩調を合わせる。

 傾きかけた太陽が、影を引き延ばして、夕暮れが近いことを感じさせる。

 長かった1日もこれで終わりだと思うと少し寂しい。

 そう思うのはハクも一緒なのか、ことさらにゆっくりと、帰り道を歩くのだった。

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