第九章


9:「緊迫の日」


 デートの翌週は中間考査の準備期間である。部活動も1週間、禁止になり、全ての生徒は放課後の居残りを許されることなく、一斉下校と相成るのであった。まぁ、図書室や自習室など、教員の監督の下に時間限定で開放されている場所もあるのだが。

 とはいえ、普段から成績優秀な胡花と彩乃である。もはや週の半ばを過ぎて、本番まで幾ばくかの時間しかない現時点においても焦ることなく、余裕を持って下校風景に溶け込んでいるのだ。

 この後は、近くの文具屋で必要なものを買い足して、ファストフードでシェイク片手にお喋りに興じる予定である。2人とも普段は部活で余裕の少ない放課後を送っているだけに、まだ日の明るい内から帰路につくという貴重な時間を、それはもう満喫するつもりであった。

 そんな訳で、ちょっとテンション高めの女子高生2人は、きゃいきゃいしながら学校の傍の住宅街を歩いていた。

 だが、そんな開放感に満ちた気分も、道先の角の塀に背を預けている人物を見つけた瞬間、急落してしまう。

 光沢のある黒のジャケット、やたら目立つデザインのベルト、シャツの胸元は盛大に開かれ、シルバーアクセサリーを見せびらかすかのようだ。こちらを見つけて体を起こし、サングラスを取って胸元に引っ掛ける。こちらに向けて上げられた左手には、指輪や高級腕時計が陽光を跳ね返していた。

 胡花の遠縁であり、早乙女の家からは縁切りをされている、吉羽 大貴である。

「やあやあ胡花さん、待っていたよ」 

 そんな風に声をかけながら近づいてくる大貴を見て、彩乃が訝しげな視線を投げてきた。誰このイケスカナイ奴、という表情である。

 胡花はがんばって笑顔を作る。先程まで露骨に嫌な顔をしていたのを自覚して、自分もまだまだ修行が足りないな、と反省した。

「こんにちは、吉羽さん。こんな所をウロウロしていたら、不審者と間違えられて通報されてしまうわよ?」

 言葉にも嫌悪感が丸出しである。だが、胡花としてはむしろ、十二分にオブラートで包んだつもりであった。

「ははは。実は胡花さんに、話したいことがあってね。――おっと、その前に、隣のお嬢さんを紹介してもらってもいいかな?」

 大貴が彩乃に目を転じると、ニコリとキザに笑いかける。彩乃は不信感マックスの表情を継続していた。

 胡花としては、この男に大事な親友を紹介なんてしたくなかったのだが、先に仕掛けられては断ることなどできない。心の中で嘆息すると、仕方なく体を傾げた。

「私の友人の彩乃ちゃんです。彩乃ちゃん、こちらは遠縁の吉羽 大貴さん」

「…………どうも」

 彩乃が小さく会釈するが、その胡乱な者を見る眼つきは変わっていない。

 だが大貴は、そんな事を気にすることなく、ひとしきり彩乃と胡花を褒め称え、最後にはウインクまで送ってくる。カワイイとか綺麗だとか、容姿のことしか言葉が出てこないので、余計に軽薄さを披瀝しただけなので、もちろん好感度は上がらない。

「それで吉羽さん、お話ってなにかしら?」

 この男に時間を割いている事実にうんざりしながら、胡花が問いかける。

「ああ、そうでしたね。ここでは何ですから、少し離れませんか?」

 そう言って大貴が、左手側を示す。住宅街の小さな公園の角で、奥は住宅になっているので、人が通りかかる心配は少ない。

 嫌な予感を覚えつつも、胡花は他に選択肢がないと見て、頷かざるを得なかった。大貴が先導するように歩き出したので、彩乃に顔を寄せて囁く。

「何かあるかもしれないし、アヤちゃんは離れてて」

「イヤよ」

 彩乃は憮然とした表情で拒否する。

「アイツが胡花に何かしようとしたら、即座に投げ飛ばしてやる。そのためにも一緒に行くからね」

「……もうっ」

 溜め息混じりに息をついたが、その実、胡花は苦笑を浮かべるだけである。何とも頼もしい親友に、心強さを感じていた。

「前に会った時にお話したこと、憶えてますか?」

 反対側の道角に着いてから、もったいぶるように、大貴が問うてくる。

「いいえ」

 肩越しに疑問をぶつけてくるような気取った態度に、胡花は軽く眉を顰めながら、にべもなく返事をした。だが、それを意に介した風もなく、大貴は向き直って微笑を浮かべる。

「ボクはここ最近、とある生き物を探していましてね。とても珍しい生物です」

 大貴は腕を広げ、得意気に言い放つ。

「いきものぉ?」

 思わずと言うように、彩乃が顔を顰めて呟いていた。

「ええ」

 鷹揚に頷いて、大貴は再び笑みを浮かべた。

 それは、勝利の笑みだ。彼は自信を漲らせ、目の前に居る自分を追い詰めたと確信しているのだ、そう胡花は理解する。

「竜です」

 やはり、と思う。隣の彩乃が、ハッ、と顔を強張らせた気配を察し、胡花も背中に冷たい汗が浮かんだことを自覚した。

「あらまぁ、うふふ。面白いことを仰るのね」

 自然に笑い声を出せたことに、胡花はとても安心したのだ。それは、彼が早乙女邸に姿を見せて語ってみせた時から、この事態を想定していたからである。

 しかし、そんな胡花の演技も、もはや通用する段階ではないのだ。

「胡花さん、ボクは貴方の友人が、竜の居場所と関係しているのを知っているんですよ。残念ながら誤魔化せませんね」

 大貴が得意気に鼻を鳴らせる様子を見て、胡花も表情をスッと消した。

「貴方が何をしようとしているのか知りませんが、私の友人に危害を加えようと言うのなら、絶対に許しません」

 低く。冷たい声で、言い放つ。しかし大貴は余裕の構えを解かなかった。

「ふふっ。胡花さん、私は貴方に、是非とも協力してもらいたいと思っているんですよ」

 大貴の言葉に疑問を抱く前に、胡花の背後に気配が現れる。振り返るよりも先に、顔に布が押し当てられて、胡花は反射的に身を捩った。大柄で筋骨隆々とした男だ。隣では彩乃が、同じように男に抱えられて、すでにグッタリと弛緩している。胡花もすぐに、自分の体から力が抜けていくのを感じた。

 意識が遠のく直前に、大貴の後ろに白いバンが停まり、後部ドアが開け放たれるのが見えた。そこから更に男達が下りてきて、自分を抱え上げようとしているのは理解したが、それ以上はどうすることもできない。

 ただただ、大貴の顔に張り付く会心の笑みが腹立たしく、こんな下らない罠に彩乃も巻き込んでしまったことが、悔しくて仕様がなかった。



 聖隆と春一も、まだ日の高いこの時間に、一緒に下校と相成った。普段とは違う放課後の空気感に、ウキウキワクワクの聖隆だが、そんな彼を横目に見ている春一の表情は複雑であった。

 なんと言っても、テスト前週の放課後である。胡花たち優等生とは違い、彼らの置かれている状況には残念ながら余裕などない。

 いや、正確には、成績的に中庸な春一に関しては、余程のことがない限り問題はなかろう。しかしながら聖隆くんは、その見た目や性格を反映した通り、頭の出来が大変に悪い。勉学など語るべくもない。

 先程も廊下で、サッカー部の監督をしている国語教諭に、そこはかとなく注意されていたのである。

 勉強してるか? テストは大丈夫か? と。

 八健高校も公立校のご他聞に漏れず、テストで赤点を取ったものは補習&追試のダブルパンチである。当然、放課後を使うことになるし、なんなら休みの日を潰すことだってある。これから夏のインターハイ予選が始まる中で、練習や試合において主力が抜けることは、なんとも大きな痛手となるのだから、心配だって一入なのだ。特に聖隆は、入学からこれまでの考査において、最低でも一教科は補習をくらってきた赤点キング。大事な時期に必ず離脱するエースなぞ、監督にしてみればぶん殴りたいくらいだろう。

 だから監督は、春一に向ってアイコンタクトで、頼んだぞ、と一所懸命に訴えてきていた。しかしながら春一としても、そんな無茶振りをされても迷惑なので、必死に視線を合わせまいとキョロキョロしていたものである。これで今回も補習通いなどなってしまえば、下手したら春一の責任にされかねない。

 そんな親友の苦悩などどこ吹く風と、能天気な浮かれバカっぷりを晒す聖隆と肩を並べているのだから、その暗澹たる気持ちも押して知るべしである。

 でもなぁ。言ってもどうせ、聞かないしなぁ。

 ていうか教えても理解してくれないのだから、春一の表情は曇るばかりであった。

 そんな、ルンルン気分とドンヨリ気分の2人が歩いていると、住宅街の中の公園で2人の女子が、わたわたと慌てふためいているのが見えた。

 クラスメイトの、大井さんと芳野さんである。

 一見して地味なメガネの子と茶髪ギャルの正反対な組み合わせだが、2人は昔からの幼なじみとのことで、大変に仲がよいことで知られている。しょっちゅう2人でコソコソと周囲を観察しながら、専門用語たっぷりの会話が繰り広げられ、遠巻きに「宇宙との交信」が行われている所を目撃されている。

「なんだ?」

「さぁ……」

 聖隆たちが首を傾げていると、2人がこちらに気付いて、大急ぎで走り寄って来た。目を見開いて口をパクパクさせながら、

「たいへんたいへん!」

「ちょ、ほんと、どうすればいいのか、わかんない!」

 と一目で動転しているのが分かる様子で目前まで転がり込んできた。まるでタックルでも仕掛けてくるような勢いである。

「い、いま、2人が、車で、白いワゴンで!」

「なんかチャらい人が声かけてて、いきなり外国人っぽい人たちが!」

 あわあわわたわたしていて要領を得ない2人を落ち着かせつつ、改めて何があったのかを聞いてみる。すると、多少は冷静になったのか、大井さんが芳野さんにケータイを出すよう呼びかけた。

「あ、ああ、うん!」

 芳野さんがぎこちない様子でスマホの画面を見せると、そこにはグッタリとした少女が、屈強な男達によって白いワゴン車に乗せられている写真が写っている。

 胡花と彩乃だった。

「っ!」

 瞬時、聖隆と春一が表情を強張らせた。

「たまたま公園で喋ってたら、チャらい男が早乙女さんたちに話しかけるのが見えて……。死角になるような場所で観察してたんだけど」

「なんか険悪な空気だったし、様子を見てようって話してたんだけど」

 落ち着きを取り戻した大井さんが説明し、まだまだ冷静さを欠いている芳野さんが付け足してくれる。それによると、いきなりフードや帽子で顔を見せにくくした、白人風の男たちが胡花たちを囲み、白いワゴンが表れるタイミングで薬品を染みこませたと思われる布を口元に当てて気絶させ、連れ去ったというのだ。

 一連の出来事がとても短い時間で起こったので、唖然としている間に車は走り去ってしまったらしい。綿密な計画性を感じさせる犯行だった。

 芳野さんが反射的にシャッターを押していたので、たまたま写真が撮れていたらしいが、下手をしたらシャッター音で犯人に見付かる可能性があっただけに、彼女たちも危険を冒していたといえる。

「ほんのさっきのことだったんだけど、まさかこんな事がホントに起こるとは思ってなかったから気が動転しちゃって……。どうしようって慌ててたら、貴方たちが来たの」

 大井さんが、メガネの奥から縋るような視線を向けてくる。どうすれば良いのかと問うている表情だが、春一も事態の衝撃度が大きすぎて思考が空転しており、どうすれば良いのかなんて浮かばなかった。

 しかし、聖隆は戸惑うことなく顔を上げると、決然とした表情で芳野さんに顔を寄せる。

「その写真、送ってもらって良い?」

「え? う、うん」

 その場でIDを交換すると、胡花たちの誘拐現場の写真を送ってもらう。

「車のナンバーとか分からないかな?」

 写真ではナンバープレートが見切れているのだ。それを聞いて大井さんが、「わたし、メモってるよ」とスケッチブックを見せてくれた。聖隆はそのメモを写真に取ると、すぐに誰かに二つの画像を送信したようだ。

「2人はすぐに警察に連絡してくれないかな。できればここに警察官を呼んで、事情を説明して欲しい」

 聖隆には、何をすればいいのかが見えているようだった。それは、直感力に優れて行動力のある彼らしい、迷いのない指示である。

「う、うん」

「分かった」

 大井さんと芳野さんが頷くのを見て、聖隆は「頼んだよ」と言い置いて春一を促す。まだ呆然としていた春一も、ハッとして慌てて聖隆を追いかけた。

 正直、こんな事態に取り乱すことなく行動している聖隆の姿に、春一は驚きを隠せない。感嘆しながらも、親友の頼もしい一面に、呆気に取られているような状態である。

 大井さんと芳野さんの2人も、聖隆の毅然とした態度に、落ち着きを取り戻した様子だったのだ。

「……どうするんだ?」

 春一が問うと、聖隆は睨むような眼つきで凝視していたスマホの画面を見せてくる。そこにはある知り合いのアドレスが出ていた。

「こいつに頼んでみようと思う。もしかしたら対応策を教えてくれるかもしれない」

 彼の言葉には隠しきれない怒りが滲んでいる。それを聞いて、ようやく春一も感情が追いついてきた。もしかしたら聖隆は、先に怒りを覚えたから、自失せずにやるべきことを考えられたのかもしれない。

「そうだな。得体の知れないアイツだからこそ、何か知ってるかもしれないもんな」

 春一が頷くと、聖隆は大股で歩きながら、電話を耳元に当てて通話を開始する。彼らの空気が怒りの熱気に燃え上がると、それに当てられたリューが、聖隆の中からグルルと唸り声を発していた。



 胡花は意識を取り戻したが、その思考は未だ靄がかかったようで、頭はズキズキと痛んで視界も淀んだようにハッキリしない。

 だがそれでも、彼女は自分に何が起こったかを憶えていたし、その失態に激しい悔悟を抱いているのである。

 粗末な椅子に座らされて、後ろ手に縛られているのが分かる。薬の影響がまだ残っているのか、手足を始め体を動かすのが非常に億劫で、重い。息苦しさを感じて口を動かそうとするが、粘着力の高いテープが張られていて、声を出すことすら叶わなかった。

 首を横に向けると、彩乃が自分と同じ格好で、ぐったりと目を閉じているのが見える。苦しそうに顔を顰めてはいるが、呼吸は安定しており、特に異変はなさそうだった。それだけが唯一、現状で安心できる事である。

 少しずつ頭の調子が冴えてきたので、胡花はゆっくりと首を巡らせて状況を確認する。自分達がいるのは四畳ほどの小さな部屋。自分達は奥の壁際に座らされている。左手側の窓には遮光性の高いカーテンが引かれているが、隙間から漏れる光が薄く室内を照らし、辛うじて様子が確認できるほどの明かりをもたらしてくれた。出入り口と思われるドアは右奥に一つ。床は粗末な絨毯敷きだ。

 窓から明かりが漏れるということは、日が昇っているということだ。どれくらい意識を失っていたのか分からないが、そこまで強烈な薬を易々と手に入れることなどできないはずだし、もしかしたらそれほど時間が立っていないのだろうか。

 そんなことを考えていたところで、彩乃が目を覚ましたらしく、ガタガタと椅子が動いた。急ぎそちらに目を向けると、パニックになったようにキョロキョロと頭を振っていた彩乃が、胡花と視線を合わせて硬直する。口を塞がれているので声をかけることはできないが、ジッと見詰め続けていると、揺れていた瞳が次第に落ち着きを取り戻していくのが分かった。彩乃は大きく息をついて気分を落ち着けると、くぐもった声でコミュニケーションをとろうとして、しばらくモゴモゴと口を動かそうと試みて、しかし諦めて再び視線を合わせてくる。

 大丈夫? と視線で問いかけると、こくりと頷きが帰ってきた。身体に異常などはないようだ。胡花も頷き返し、自分も大丈夫だと伝えた。それから簡単に、視線でいくつかの確認問答をしていたが、室外から数人の足音が近づいてきた。2人は瞬時に緊張し、睨みつけるようにドアを見詰める。

「やあやあ、目を覚ましたんだね、胡花さん」

 わざとらしく笑みを浮かべながら、吉羽 大貴が室内に入ってくる。その後ろから、屈強な体格の男たちが複数人、続いてきた。全員が異国人である。

 胡花が侮蔑の視線で睨みつけるのも気にせず、大貴はしばらく優越感に浸るように少女を見下ろし続けてきた。その背後で男達も、分かり易い忍び笑いを交わしながら、下卑た視線を緊縛された2人に向ける。

 彼らはたっぷりと時間をかけて胡花と彩乃を目線で汚し、それからゆっくりとした動作で胡花の轡に手をかける。反射的に首を逸らすも、大貴は気にせず口の戒めを解く。

 一瞬、噛み付いてやろうかと思ったが、それが何の意味も成さないことは理解している。だから背筋を伸ばし、唇をキュッと結んで、双眸を鋭く光らせた。その姿勢に男たちが感心したような声を漏らし、彩乃は自分の戒めが解かれないことに不満の呻きを叫ぶ。

「へぇ。展覧会の時は柔和な女性だと思ってたけど、意外と気が強いところがあるんだね」

「そんなことは良いから、何故こんなことをしたのか、教えなさい」

 ハッキリと強い口調で、叩きつけるように言葉を出す。

 大貴は軽く肩を竦めると、もったいぶった間を置いてから再び口を開いた。

「さっきも言ったでしょう。竜ですよ」

「何をいってるのか分からないわ。貴方たちの空想になんて付き合ってられないのよ」

「これもさっき言ったでしょう、君の友人の男の子がドラゴンを肉体に宿しているのは確認している。こっちにはそいつを探知する能力があるんだ」

 決定的な証拠を突き付けるような言葉に、大貴の瞳に興奮が宿り、本性が露出していくのが分かった。

「……何を」

「根拠も無いのに、て? 根拠ならあるさ。その竜を呼び出したのはオレたちだからな」

 やはり、という気持ちだろう。彼らはリューを召喚し、恐らく何らかの不手際から取り逃したのだ。彼らがリューを使って何をしようとしているのかは分からないが、おおよそロクでもないのは見当がつくし、胡花にとっても大事な友人である不思議生物をみすみす利用させるようなことはしたくない。

「吉羽 大貴、貴方は先程から何を言っているの。私には意味が分からないわ」

 知らぬ存ぜぬを通して情報源としての価値を無くし、時間を稼ぎつつ相手の情報を引き出し、あわよくば解放まで持っていく。これしかないと決め、胡花は本当に意味が分からない、という表情で大貴を睨みつけることにした。

 しかし少女の目算は、どうしようもなく甘く、また善意的であったと言えるだろう。

「知らないならそれでも良いよ。君には……君達には色々と役に立ってもらう予定だからね」

 クッ、と含み笑いを漏らしながら、大貴は寄せていた顔を離して背筋を伸ばし、背後を振り返る。異邦人の中の1人がバックを開けて中身を取り出し、何かのケースを差し出してくる。

 その細長いケースを、見せ付けるようにゆっくりと開き、取り出して見せた時、胡花は背筋がゾッと粟立つのを感じた。

 小さな注射器と、薬液の入った小瓶。この状況でそんなものを取り出してくる理由など、マトモなことではないだろう。

「それは……」

「とても自分の気持ちに素直になれる薬ですよ」

 含み笑いを殺しながら、嫌味ったらしく敬語に戻り、大貴はその無色透明な薬液をかざした。

「この種の薬は色々と取り扱っていますが、その中でも特に気持ちよくなれるモノを選びましたよ。胡花さんのような自制心の強い女性でも、一発で発狂したくなるような、頭をグチャグチャにしてくれる代物です。こいつをキメてから男をぶち込んでやると、どんな女でも白目を剥きながらヒーヒーよがるんですよ」

 そう語る大貴の瞳は嗜虐心の興奮に暗く輝いていた。彼の言葉の意味を理解した彩乃が、くぐもった叫び声を上げ、激しく身体を揺らすガタガタという音が響く。

「貴女たちのためにこの薬をたっぷりと用意しましたから、三日三晩、俺たちで休まず犯し続けてあげますよ。そうすればその反抗的な表情も、ご褒美を待ちわびる飼い慣らされたメス犬のように、蕩けて物欲しげなものに変わるでしょうね」

 大貴の演説のような口上に、背後の男達が笑いながら何事か囁き合っている。待ちきれない、その下卑た欲望を隠そうともしない雰囲気から、彼らが日本語を完璧に理解しているのであろうことを察した。

「そんな事をして、ただで済むと思っているの? これは誘拐よ。日本の警察の優秀さは、貴方達のような人なら、十分に分かっていることでしょう」

 それは大貴というよりも、恐らく非合法な仕事を生業としているであろう異邦人達に向けた、実感を呼び起こそうとする警告であった。他国に比べて犯罪発生件数が少ないからこそ、事件解決に対する執念と精度の高い日本警察の実力を、彼らこそ身に染みていると考えたのである。

 しかし帰ってきた反応は、呆れたような冷笑だけ。

「三日くらい家出する事は、思春期の女の子なら別段、珍しくもないですからね。その間、僕らと楽しく遊んでいただけなのですから、全く犯罪ではありませんよ。そして貴方たちは家に帰ってから、僕らに快く協力してくれるようになるわけです」

 にこやかに――むしろ人懐っこいくらいの笑顔を浮かべる大貴を見て、胡花はついぞ、全身から血の気が引くのを実感した。鉛の玉を飲み込んだかのようにお腹が重くなるような恐怖は、いま話したことを躊躇なく実行できるのであろうこの男の、もはや同じ人間とは思えないような人格性を理解したからだ。

 この人たちとはどうやっても分かり合えないのだろう、という隔絶感を了解したからこそ、絶句し、ただ身震いすることしかできなくなってしまったのだ。

 そんな胡花の様子を見て、勝利を確信した大貴が愉悦に顔を歪め、手に持った注射器を構えなおす。男たちがヒュウッ、と口笛を鳴らし、ようやくかと歓喜に身を乗り出すのを、胡花はノロノロと視界に納めるだけで……。

 次の瞬間、ビル全体が揺れるかのような衝撃と爆音が、入り口の奥から響いてきた。

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