第八章


8:「イチャイチャってこれでいいのだろうか」


 なんというか、そいつは、とんでもなく白いヤツだった。

 第一印象も正しくその通りで、何か白いのが動いているなぁ、というものだったのだ。

 もう何年前になるか分からない、古い記憶である。夏休みに母方の祖母の家に行ったのだが、これがまた山の中の山というか、周りに何にもない場所であったのだ。隣家すら走って数分を要するようなその場所で、好奇心旺盛な幼い男児が行う暇つぶしは、もはや周辺を走り回って元気を発散する行為に、「冒険」という名前を付けて満足することしかなかったのであった。

 土地勘もない山の中ながら、公道はほぼ一本道なので、獣道に入らなければ迷うことも無いだろう。そういう理由で、手に負えない程の体力を持て余す男の子を送り出す両親の、なんと大らかな田舎気質か。幼い聖隆は存分に坂道を走り回り、汗だくになりながら急坂な山道を登りに上って、やがて小さな社へと辿り着くのであった。

『ぅおおーっ』

 道すがらに畑と立ち木と時々民家、という代わり映えしない景色に、流石の聖隆も飽き飽きしていた折に、見つけてしまった新たな風景である。数段の石段に簡素な鳥居、そして社へと続く短い参道は、今も地元民が手入れしているのか、それなりに綺麗にスペースを確保してくれていたのであった。

 ほあーっ、と口を大きく開けながら、キョロキョロと周囲を見回す聖隆であったが、残念ながら彼の好奇心を満たすような物珍しい品はそこにはなかった。しばらくは社の周りを中心にウロチョロしていた男児だが、早々に退屈を覚えて出口を振り返ることになる。

 そんな時だった。傍らの草むらに、なんだかスゴく目立つ色合いの、太陽光を反射してキラキラしているような物体を見つけた気がして、駆け出す足を急停止させたのは。

 頭の重い年代だけに、急制動で少しだけ重心を前に取られながらも、聖隆はすぐさま方向を転換した。目新しさに飢えた好奇心は、柔らか過ぎる脳みそと相俟って、脊髄反射という言葉を体現するような速度で興味の方向と身体の向きを合致させたのである。

『なんだなんだぁっ!』

 ようやく興味を引くものが表れて、聖隆のテンションはだだ上がりである。叫ぶような声を上げて、ダッシュで駆け寄って草叢を覗き見るのだ。

『ふぁっ!?』

 いきなり顔を出した聖隆――というよりも、彼が発する奇声じみた絶叫に驚いたのだろう、草陰に蹲るようにして頭を抱えていた少年は、怯えるような涙目で聖隆を振り返ると、身をさらに縮こませて震えていた。

 …………。

 それから数秒の時が流れた。

『誰だー!』

『ふぁあぁっ!?』

 目を合わせたまま固まることに飽きた聖隆が、指差しながら確認するも、その大声に再び、びくっとする。

 …………。

『誰だー!』

『ふぁあぁっ!?』

 という、同じやり取りを3回ほどこなした後、聖隆はその少年の肩をむんずと掴んで立たせるのだった。

『あうぅぅ……』

 ビクビクと背中を丸めて振るわせるのは、聖隆と同じ年頃の小さな少年であった。見覚えの無い――というよりも、今まで見たことも無い容貌の持ち主である。

 とにかく白い。夏の強い日差しに輝く髪の毛は、先ほど草叢で聖隆に存在を知らせた程の反射率だし、肌も透き通るような色合いである。オドオドとして怯えに涙を溜めた瞳は薄い紅に見えなくもないが、来ているTシャツと短パン、履いている靴も含めて全てが生っ白く、その未だ小刻みに震える態度も合わせて、華奢の極みの如き印象を与えていた。

 顔立ちは恐いくらいに綺麗に整っているが、とにかく全体的に弱々しく、なんとも情けない印象の少年である。

 が。

 田舎に来て、同年代どころか人気がほとんどない状態で、ヒマを持て余し続けた聖隆である。まして、時間間隔がやたらと長い幼年期、まだ2日しか経ってないとしても、ヒマ度がメーターを振り切った聖隆の人焦がれっぷりは尋常ではない。

 そういう訳で、彼はようやく見つけた面白そうな存在に、情け容赦なく肉薄するのだ。それはもう、満面にニヤニマニコニヤと、溢れんばかりの笑顔を乗せて。

『ひえっ!?』

 という悲鳴と共に後ずさる姿もなんのその、聖隆は遠慮会釈なしに少年の腕を掴むと、明るく元気にハキハキと、大口あけて自己紹介である。

『オレ、まさたか!』

 そして二言目は単純だ。

『遊ぼうぜ!』

 何故か胸を張って、偉そうに踏ん反り返りながら、聖隆は遊びに誘うのだ。

『…………あう』

 そんな聖隆に、戸惑いながら視線をウロウロさせていた少年はしかし、やがて意を決したように頷くと、オズオズと立ち上がって、スウッ、と大きく息を吸う。

『あの……よろしく、まさたか』

 愛くるしい、天使のような笑顔を浮かべる少年に、聖隆もニカリと笑い返し。

 彼らは田舎の山の中を、強烈な太陽の下へと繰り出したのである。

 それはもう、何年も昔の記憶――。


「…………あー」

 昔の夢を見るなんて、なんとも珍しいことだったので、目を覚ましてもしばらくは、呆然と天井を見つめていたのである。

 よいしょ、と身を起こしてみると、モゾモゾと布団が蠢いて、寝ぼけ眼のリューがニュッと顔を出してきた。

「起こしちゃったか? 悪かったなぁ」

「りゅー……」

「ああ、おはよ」

 すっかりお馴染みとなった朝の光景。なんだか妙に冴えてしまった頭で周囲を見回し、目覚まし時計に目を移すと、まだ鳴っていないアラームを、パシンと解除するのだ。

「やっぱ緊張してんのかねぇ……」

 そんな風に1人ごちて、聖隆はベットから出て立ち上がる。

 今日はいよいよ、初デートの日なのだ。



 待ち合わせは午前の10時ごろ。

 毎朝のように聖隆の家を訪れる胡花である。今回も一緒に家を出れば良いのではないかと思ったのだが、折角の機会なので、ここは一つ、待ち合わせなるものに挑戦してみることにしたのである。

 聖隆が駅前にやって来た時、胡花はすでに待ち合わせ場所の噴水にて待っていたのである。

 県庁もある、地域では最も大きな街の、中央駅の正面出口。そこから真っ直ぐ行けば大きなお寺もあることから、門前通りと呼ばれる道路の入り口に当たる駅のロータリー前の広場にある、小さな噴水。その縁に腰掛けていた胡花が、聖隆の姿を見つけるとニッコリと顔を綻ばせて、ふわりと立ち上がった。

 たったそれだけの所作ですら、絵になってしまう様な少女である。スッと伸びた背筋は、華やかな雰囲気の中にもしっかりとした芯を感じさせるし、何気ない立ち姿にも見て取れる品格は、幼少期から身に付けて来た家柄の良さが滲み出ているのだ。

 こうして落ち着いた位置から見直すと、改めて胡花が、美しい少女なのだと分かる。

 スラリと流れる長い黒髪を揺らす少女は、白のブラウスに水色の上着、同色のスカートと、清楚な雰囲気だが決して目立つ服装ではない。にも拘らず、その存在感は、田舎街の駅前にあって圧倒的と言って差し支えないものである。道行く人が思わず視線を吸い寄せられるその美貌を、注目されることをなんら気にすることなく受け入れる佇まいは、もはや風格ですらあるだろう。

 そんな胡花がニコニコしながら、ひらひらと小さく手を振ってくれるのだから、聖隆はやや鼻白んだ。聖隆とて普段は何かと目立つタイプの少年なのだが、この空間を支配したかのような胡花の、ある種の神々しさを前にしては、気後れしてしまうとしても仕方のない事であろう。

 という訳で若干ぎこちない笑みを浮かべながら、胡花の方へと寄って行く聖隆なのであった。

「お待たせー」

 ひらひらと手を振りながら、気の抜けた声で笑いかける聖隆。その軽薄な態度は、2人の様子を遠巻きに見ていた通行人たちが男女問わず、瞬間的な殺意を覚えるに値するものであったろう。

 そんな周囲の空気を気にすることなく、胡花は笑顔を引っ込めると、

「そうね、少し待ったわ」

 と言って、むぅっ、と頬を膨らませてしまうのだ。

「え、マジで。ごめん」

 ギョッ、として視線奥のモニュメントに据えつけられた時計を見やる聖隆に、胡花はすかさず柔和な笑みを取り戻し、

「うふふっ。冗談よ」

 なんてコロコロと笑って見せるのだから、聖隆は変な吐息を吐いてホッとするのである。

 同時に、周囲の緊張感がフワッとしたのは、カップルのノロケを見せられた通行人たちの何ともいえない気分を反映したものであろう。

 バカップルへの苛立ちである。

 ただ、それによって駅前の空気が平常運転へと戻ったところで、2人は何も気付かずに過ごすのであるが。

「リューちゃんも、おはよう。休みの日なのにゴメンなさいね」

 胡花が視線を提げて挨拶すると、聖隆のパンツの中で、もぞりと動く気配があった。りゅー、と小さく鳴き声を漏らしたが、例え聞こえなかったとしても、嬉しそうな気分だとは伝わるのである。

 そんな、ほんわぁ、とした雰囲気が醸し出されたところで、逢瀬の儀は終了と相成ったのであった。

「それじゃあ、行きましょうか」

「ああ、うん。ちょい待ち」

 胡花が顔を上げて進路に向き直ろうとすると、聖隆が少し恥ずかしそうに呼び止める。それで視線を戻した時に、彼は「んっ」と視線を逸らしながら右手を差し出したのだ。

「あっ……」

 一瞬、躊躇するように頬を染めた胡花は、それでも照れを隠さずに、ゆっくりと左手を重ねてくる。

「そうよねデートだものね」

「デートだもんな」

 そんな風に確認するように互いが呟いてみて、柔らかくて温かい感触に聖隆がドギマギしていると。

 胡花は噛み締めるように、ふわりと微笑を浮かべたのだった。


 そんな2人(+1匹)の背中を見守る2つの影。

「…………近い」

 剣呑な声音で睨みつける彩乃と、彼女の様子に気圧されている春一である。

「えー、と」

「近い、よね」

 じろり。

 迫力満点の眼光が春一を射抜く。

 流れ弾である。

「近い、ですね」

「手、つないでるよね」

「手、つないでますね」

「…………むぅぅ」

 春一の緊張感溢れるオウム返しにも、もはや確認程度の意味しか持っていないのであろう、彩乃はひたすら眉根を寄せて前を歩く2人を睨み据えるばかりである。

 30分ほど前に密かに合流した時から、彩乃の機嫌は低空飛行を続けていたが、こと聖隆と胡花の仲睦まじい様子を見せ付けられるに至って、その暗雲垂れ込めんばかりの空気感は最悪と言っていいほどに陰鬱だ。

 正直、すごく居心地が悪い。

(うぅ、こんな状況じゃなければなぁ)

 春一は、ちらっと難しい顔をしている彩乃を見やる。彼女は長袖の赤いTシャツに、デニムのホットパンツ、黒タイツ、スニーカーとボーイッシュながらとても似合う装いをしていた。とても可愛らしい。

 彩乃の私服なんて見るのは当然、初めてで、休みの日に女の子と出掛けるなんてのも初体験な春一としては、ドギマギしい初デート気分だったのだが、残念ながらそんなものは2秒で吹き飛んでしまったのだ。

 なんとも悲しい現状である。

 そんな嘆きを、梅雨時の希少な晴れ間を覗かせる上空へと投げていると、唐突に左手を柔らかい感触が覆ったのだ。

「何してんの、早く行くよ!」

 目付きを険しくしたままの彩乃が、春一の手を引いて聖隆たちの後を追おうと歩き出している。その、しっとり滑らかな、今まで感じたことのない触感に、春一は先程までの暗鬱気分など何処吹く風で、たちまち脳みそがお花畑の色へと変じてしまったのである。

「ご、ごめん、すぐ行くよ」

 しどろもどろに返答しながら、自分だけが頬を火照らせていることへの羞恥心を抱きつつも。

 たまにはこんな日曜日もいいのかな、なんて思ってしまう、単純構造の春一なのであった。



 田舎の娯楽は残念ながら少ないのである。

 なのでとりあえず映画館に入り、バリバリに血なまぐさいドンパチ激しいハリウッドのアクション映画を観て、その世界最強オヤジが無双して悪党を成敗するアメリカ万歳パターンのエンディングに拍手を送るというのも、聖隆にとっては満足のいくものであった。

 デートの選択としては失格この上ないチョイスである。が、胡花はニッコリ笑顔で、

「面白かったわね」

 と嘘偽りなく言ってのけるのだから、やはり世界最強オヤジのニーズと言うのは老若男女を問わないということなのだ。などと聖隆は納得した。

「やっぱり最強オヤジは最高だよな。愛の壁ドンが炸裂する度に、俺は感動しちゃうよ。そりゃ戦艦も要塞も、断崖だって沈黙しちゃうってもんよ」

 得意気に鼻息を荒くする聖隆。ムードという言葉は、彼の辞書には存在していない様子である。

 映画館を出ると、さてどうしようか、と聖隆が首を巡らせた。初めてのデートとはいえ、いや初デートだからこそ、そのノープランぶりは致命的であろう。だが、そんな聖隆の姿勢を気にすることなく、胡花は手にしたバスケットを掲げるのだ。

「お弁当つくってきたの。どこか座れるところに行きましょう」

 もはや女神の対応である。しかし聖隆は、その価値に気付くことなく、無邪気に笑ってお礼なんか言ってのけてしまうのだ。ある意味とても幸せな男である。

 そして2人は、映画館正面の出口を真っ直ぐに進んで、坂を少し登ったところにある、博物館裏の公園へと移動した。

 休日なだけにそこには、犬の散歩やら小さい子どもがいる家族やら、それなりに多くの人が活動していた。梅雨時ながら珍しく太陽光が差し込む日和の本日だけに、ポカポカ陽気な屋外が心地良いのだろう。

 軽く公園内を散歩しつつも、2人は少し奥まった隅のほうのベンチに腰掛け、お昼を食べることにした。

「あっ」

 座る直前になって、聖隆は木組みのベンチを見詰めて考えた。よくマンガとかで、ハンカチを敷いて女の子を座らせたりするシーンがあるが、あれは今やった方がいいのだろうか。そんなことに気付いたのだ。

 ベンチを前に行動を停止した聖隆を見て、胡花がどうしたのかと首を傾げる。数瞬ほど思案した後、聖隆は肩提げのバックからスポーツタオルを取り出すと、ベンチを軽く拭いてから、これでどうかな、というように胡花を振り返った。

「ふふふっ、ありがとう。気が付くのね」

「あんまり意味ないかもだけど、気分だけでも、な」

 気休め程度だが、やらないよりはマシと判断したのだが、なんだか胡花が予想以上に可笑しそうに笑うので、それで良かったかなぁ、と聖隆も思うことにしたのだ。

「お腹すいてる?」

 胡花が腰掛けながら問うてくる。その手には水筒があって、冷えた緑茶が紙コップにゆっくりと注がれていた。

「んんー……」

 お茶を受け取りながら考えると、暖かい日差しが降り注いできて、公園内を優しく照らしてくれている。空の雲はゆったりと流れ、なんとも心地良い気分にさせてくれるのだ。

「ちょっと眠いかな」

 ポツリ、と呟いていた。

「それじゃあ、先に少しだけお昼寝しましょうか」

 胡花はにっこり微笑むと、はいどうぞ、と言って膝を空けてくれるのだ。

「お邪魔します」

 聖隆は、よいしょと仰向けに寝そべると、その頭を胡花の太腿へと横たえた。ふわりと柔らかな香りが漂い、ふにふにとした感触が心地良い。

 そっと瞼を閉じると、その上に柔らかくて温かい何かが覆い被さった。

「眩しくない?」

 胡花の手のひらだ。もう一方の手は優しく頭を撫でていて、聖隆はまるで赤子のような安心感の中で、意識が蕩けてゆくのを実感する。

 ありがと、と呟いて、聖隆はまどろみの中へと身を委ねた。

 それからどれくらい経っただろうか。

「リューッ!」

 ゴッ!

「あぶあっ!」

 いきなり下顎に衝撃があって、ギョッとして聖隆は飛び起きたのだ。なんだなんだと目を白黒させていると、その眼前には、見るからに不機嫌そうなドラゴン生命体の顔面がドアップで迫ってきたのである。

 なになにどうした、と冷や汗を流していると、クスクスと口元に手を当てて笑う胡花の声。

「リューちゃんがお腹すいたって怒ってるの。お弁当にしましょう?」

「あ、ああ、そうか。悪い悪い」

 まだちょっとビックリ顔を引きずったまま、聖隆がコクコクと頷くと、途端にリューは上機嫌になって、リューリューと鳴く。

 そんな彼らの様子にニコニコしながら、胡花がお弁当を用意してくれるのだ。


「ぐぬぬぬぬ……」

 聖隆たちの座るベンチに程近い茂みに身を潜めながら、彩乃が難しい顔で唸り声を上げている。

 彩乃の隣でベンチの2人を見詰める(見張る?)春一も、驚くやら呆れるやら、なんとも判別の難しい気分を顔に出しているのであった。

「なんか……すげースムーズに膝枕までいったな」

 普通はもっと、こう恥らったり照れたりと、甘酸っぱい感じの空気になるものだと思うのだが、そんな順序は素っ飛ばしてイチャイチャしている聖隆に、軽い畏怖すら覚えているのである。

 なんかもう、何年も付き合って、すでに同棲とかまで済ませてます、というような空気感を漂わせているのだから、初々しさの欠片もないカップルである。

「だーっ! もう、なんであんな簡単に、信頼しあってます、みたいな感じで密着できるのよっ。まだ会話するようになってから、2ヶ月くらいしか経ってないはずじゃない。それとも普通の高校生って、あれぐらい当たり前な感じなわけ?」

 眉間に皺を寄せた彩乃が、苛立ちを隠そうともせずに、春一を振り返った。その睨みつけるが如く鋭い視線に射竦められ、春一の頬を冷や汗が伝う。

「いやいや、普通も高校生はもっと、こうドギマギしたり微妙な空気になったり、不器用な感じになると思うよ?」

 とか言いつつも、自分も男女交際などはしたことないので、あくまで推測でしかないのだが。ただ一般的な感覚でいうならば、あれだけ自然な触れ合いを可能にするのは、気恥ずかしさを克服するくらいの逢瀬を重ねねばムリなのではないかと、そう考えるわけである。

「じゃあ、初デートのはずのあの2人が、なんで羞恥心なく屋外で、ひ、ひざまくら、とか、しちゃってんのよ!」

 どこから見ても特別な空間を作っちゃってるベンチの2人を指差しながら、ちょっと赤くなった彩乃が捲くし立てる。見ている方が恥ずかしくなる光景なのは、春一としても賛同できるものではある。

「いやまぁ、一般的な感性を持つ高校生なら、俺の言ったことは当て嵌まると思うんだけど……」

 春一が歯切れ悪く言い訳する。なんともマイペースな聖隆と胡花を前に、一般常識を語らうことの虚しさは、片割れの幼なじみである彩乃にも理解できることのはずだと思うのだが。

「だ、だだ、だ、だからっていきなり、初めてのデートでそんな、ひざで、マクラなんて……」

 彩乃はさらに顔を真っ赤に染めながら、両手で頬を包むようにしながらブツブツと呟いている。

(膝枕になんか、思い入れとかあるのかな)

 たしかに傍から見れば恥ずかしい光景ではあるが、別段いやらしい行為と言うわけでもないし、そこまでショックを受けるのも大袈裟に見えるのだ。一体、膝枕のなにがそんなに、彩乃の心を乱すのだろうか。ひざまくら恐るべし。

(まぁたしかに、ちょっと、いやかなり、羨ましいけど……)

 春一はベンチで心地良さそうに寝そべる聖隆を見て、次いで未だに真っ赤な顔でブツブツと取り乱している彩乃に目を向ける。そして反射的に、その視線が、ホットパンツから覗く魅力的なフトモモに向いてしまったのは、思春期男子として至極当然な反応だったのである。鼻の下が伸びるのも、もちろん当然なのだ。

「…………うそつき」

 いつの間にか自失から戻っていた彩乃が、半眼で睨みながら剣呑な声をかけてくる。その言葉に、いやらしい顔でふとももを凝視していたのが気付かれたのかとハッとして、春一は特段にうろたえてしまったのである。

「な、な、なにが?」

 しどろもどろになりながら、それでもシラをきろうと慌てて表情を取り繕う春一の、なんと愚かで浅ましい所作であろうか。しかしそれが男子の本能なのだ。

「だってアンタ、言ったじゃない。辰野のマタはデートもしたことない、清廉潔白な腰抜け野郎だって。なのに何よ、いきなりひざまくらさせるとか、どう考えても手馴れたスケコマシの手管じゃない」

 ジトリと眼光を据えながら、怨み言のように早口で捲くし立てる。

(なんだそっちか)

 春一は内心、大きく安堵の息をつきながら、表向きは困ったように眉根を下げてみせる。その様は中々にムッツリ策士なのであった。

「いやいや、たしかにあれを見ると自信なくすけど、マタは女の子に慣れてなんかいないはずだよ。小学校から一緒だったけど、部活を休んだことはないし、休みの日も基本的に、俺と一緒だったし」

「じゃあ、なんであんな、手馴れた感じなのよ!」

「それはまぁ、確かに分かんないところだけど……」

 うーん、と唸りながらも、春一は苦笑を漏らす。

「でもまぁ、噂どおりのスケコマシだったら、そもそも公園には来てないんじゃない?」

「はあっ? どういう意味よっ」

「だって、そこのラブホは素通りしたし?」

 アハハと笑って、肩を竦めた。

 彩乃は虚を付かれたように呆然となる。

 先程の映画館の出入り口の向かいには、駐車場を挟んで一軒のラブホテルが鎮座しているのである。子供向けのアニメ映画なんかも上映している大型の映画館に、情操教育に悪そうなホテルが丸見えで建っているのだから、まぁ異常な光景なのではあるが、昔からそこにあるので地元民にはすでに馴染みの風景であった。もはや、そこがご休憩施設だと意識しなければ、風景の一部として明確に認識されないレベルの建物なのだ。

 事実、この公園に来る際に登った坂の入り口に、これ見よがしにホテルの駐車場入り口があり、お値段等を記された看板なんかも立っているのだが、聖隆は一瞥もくれずにここまで来ているのだ。一説には映画館でムーディーな映画を観て、気分を盛り上げてから目の前のホテルに女子を連れ込むのが、節操のない輩の常套手段と聞いたことがあるだけに、その素振りも見せなかった聖隆の潔白を示す一助になるのではないか。

「な、なな、らぶ、な……」

 再び顔を真っ赤に染めた彩乃が、ぷるぷると怒りに震えながら拳を握っている。あれ、これヤバイ様子? と、今さらながらに自分の失言に気を回すのであった。

 どうやらデリカシーを置いてきたらしい。

 彩乃はグワッと勢いよく立ち上がると、春一に覆いかぶさるように顔を寄せて、

「そ、そんな極端なの、その……違うじゃんかーっ!」

 思うさま怒りをぶちまけるように、勢い込んで叫ぶのだ。

 それを見て春一は、しまったなぁ、と苦笑う。まぁまぁ落ち着いて、と宥めようとするも、怒り心頭に発した彩乃は止まらない。湯気が出そうなほど赤い顔をしたまま、呂律も回らぬ支離滅裂としたことを口走っている。

 トントン、と彩乃の肩を誰かが叩いたのは、そんな時だ。

「なにっ! いま忙しいっ!」

 視線は春一に固定したまま、誰何もせずに彩乃が怒鳴る。それでもトントンと肩を叩かれるので、眉間に皺を寄せたまま、文句の形で口を開いて、グルンと勢いよく振り向いた。

 そして、視界いっぱいに広がるドラゴン生命体の顔面に、飛び上がるほど身体をビクンと震わせたのだ。

「ぅぴゃ―――――――っ!?」

 という絶叫と共に腰を抜かした彩乃の身体を、春一は急いで受け止めた。

「リュー……」

 リューが申し訳なさそうな声を上げる後ろで、胡花がニコニコ笑顔で小さく手を振っているのだ。

「いい雰囲気なところゴメンなさいね。これからお弁当食べるんだけど、一緒にどうかな、て」

「サンドイッチらしいぞー」

 聖隆がなんとも気の抜けた笑顔でのほほんと付け足すのを、春一は呆れた笑顔で見詰めるのだ。この2人と1匹は、なんとも和やかな空気感で、こちらを巻き込んできたのである。

「ああ、うん、ありがと」

 と答えつつ、春一は未だに呆然と自失している彩乃の背中をポンポンと2度叩く。それで、ハッと我に帰った彩乃は、慌てて身体を起こしながら、

「い、いい雰囲気なんかじゃないわよ!」

 と叫んだ。

 そんなことにはお構いなく、胡花はうふふと笑みながらテキパキ準備を始めたのだ。シートを広げると、バスケットを開けて紙皿と割り箸を配り、サンドイッチの他にタッパーに入ったから揚げやらポテトサラダやらを振舞うのだ。

 何ともマイペースな胡花の様子に、彩乃は毒気を抜かれたように深々と溜め息をつくと、改めてシートに座り直した。その顔には若干の諦観が表れている。

 春一も礼を言ってご相伴に与ることにした。タマゴサンドをいただきながら、和気藹々と食事を楽しむ聖隆たちを見て、ふと疑問に思ったことをポツリと呟く。

「あーん、とかするのかと思ったけど、普通に食べるんだな」

 そう口にした瞬間、ボッ、と音がしたかと思うくらい、聖隆と胡花が顔を上気させたのだ。

「な、ななな、なに言ってんだっ」

「そん、そんなこと、恥ずかしくてできないっ」

 それはもう挙動不審なくらいの狼狽ぶりで、視線をあちこちに飛ばしたり、落ち着きなく上体を揺らしたりと、呆気に取られるくらいの恥じ入りようであった。関係ないはずのリューまでが、オロオロと首を右往左往させている。

 彼らの異常な慌てように、彩乃がポカンと口を開けていた。春一も同じ気持ちだ。

(膝枕は躊躇なくできるのに……)

 普段からマイペースな親友らの謎の羞恥基準に、これからも付き合いを続けられるだろうかと、価値観のズレを心配したりしなかったり。

 ただまぁ、こんな程度のことは今までも数え切れないほどあるだけに、まぁ大丈夫だろうと思い直すのも早いのである。

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