第四章


4:「翼も生えてるマタ」


 近隣の学校というのは、なんだかんだでライバル意識を燃やしやすい物である。

 特に、聖隆たち八健高校の周辺には、二つの高校が存在するのだ。

 一つは、市こそ違えど地理的にすぐそこである、市立洋星高校(ようじょうこうこう)。吹奏楽部が全国を目指す強豪ながら、その他は軒並み平凡という、至極一般的な公立校なので、八健高校の生徒はシンパシーを感じていたりするのだが。それでも運動部の試合では火花を散らす、良きライバル的な位置づけの学校だ。

 しかし、もう一方には、そんな和やかな空気は存在しない。市内の反対側に位置する泰波学園高校(たいなみがくえんこうこう)は、有名大学への進学率がとても高い、私立の名門である。文武両道の観点から部活動にも力を入れており、各クラブが全国を狙えるようなレベルの高さを誇っているのだ。それ故に、特待生制度を活用して有望選手を集める手法は、「金で実績を買っている」と周囲から激しく嫉まれる学校である。

 もちろん、八健高校も嫉妬を滾らすその他の一つであり、しかも距離が最も近いとあって、互いの敵対関係は言わずもがな。その、真に熱いライバル心は、現役・OB問わず頭を付き合わせる、正しくダービーと呼べる感情を存在させる。

 その関係はむろん、聖隆たちサッカー部も共有しているところである。サッカー部に関しては、この近くにJリーグの1部に在籍する中堅クラブがあることで、有望選手はそちらのユースに流れていくことから、3つの学校はレベルが拮抗していると言われるのだ。なので学校側は、唯一と言って良いほど対抗できる競技に大きな期待を掛けており、直接対決に関しては普段の無関心っぷりから一転して手の平を返されることになるのである。

 という訳で、如何な「対抗戦」と言う名の練習試合であっても、八健のホームグラウンドで行われる本日は、いつもよりちょっと盛況な応援席が完成するのである。

 教職員の有志に生徒会、幾人かのOBと保護者の数人、やっかみ半分の在学生と、そして応援団の男くさい学ラン姿に、チアリーディング部の華やかな声援が加わった校庭の傾斜。むろん、そこに泰波側の応援席も加わって、もはや練習試合の弛緩した空気など出せない出場選手たちの、なんとも可哀相なことである。

 そんな、過剰なプレッシャーと共に笛が吹かれた恒例の対抗戦は、ちょっと一方的な状態になっているのであった。



 今日の聖隆はキレキレである。

 相手方のキックオフで吹かれた試合開始の笛を、4-3-3の左ウイングで聞いたとき、下げられたボールを追って敵陣内へと走りこむのは、赤と白の縦縞ユニフォームを纏ったスリートップの一角である。そのチェックは簡単に外されてしまうのだが、中盤で味方が奪って展開されたボールが、左に張った聖隆へと渡った時、正対するのが右サイドバック一人だったのはラッキーであった。遅れて走り寄ってくるボランチを待とうと、距離を保って中のコースを切る相手の判断は間違いではなかったが、これだけフリーなら聖隆は縦に行くのだ。

 こうして、瞬発力で一気にサイドの深くを抉ると、付いて来ようと身体を寄せた相手に、若干の減速で体を入れ替え、易々とセンタリングを供給する。これがちょっと精度を欠いて、センターフォワードに届く前にクリアされてしまうのだが、そのプレー1つで聖隆は調子の良さを再確認した。

 それからは、泰波の右サイドにとって地獄のような時間であったろう。

 八健の戦術は単純で、それは左サイドの聖隆ありきなのだ。ドリブル技術と突破力なら近隣随一の背番号11は、ボールを持ったら超高校級であり、故に彼を活かす事が大前提。左に張ったり中に絞ったり、場合によっては引いてパスを求める聖隆に、分かっちゃいるけど止められない守備側は忸怩たる思いで受け止めねばならない。そして今日の聖隆は、『右利きのギャレス・ベイル』と例えられる推進力を、存分に発揮しているのである。

 まずは前半10分。最終ラインで攻撃を跳ね返した味方が、縦に早いボールを入れる。それを下がったフォワードが受け返し、全体が上がったところで、左の聖隆へと渡ったのである。それが泰波側にとって致命的だったのは、先程と同じミスを繰り返してしまった、ということだろう。中央に引き寄せられたボランチは、本来なら戦術上、聖隆へのカバーリングに備えていなければならなかったのである。カウンターということで、サイドアタッカーが間に合っていなかった状況で、聖隆は右サイドバックと再び1対1の状況となったのである。

 だから、ほぼフリーでボールを受けて、前を向いた聖隆にとって、目前には十分なスペースが空いていたのだ。対面のサイドバックが、正対した時にスゴく嫌そうな顔を浮かべたのは、聖隆が翼を広げることを存分に知っているからだろう。

 クッ、と構えて、上半身を少し前傾させると、よーいドンとでも言うように走り出す。踏み切りからスピードに乗ったところは、まるで彼の背中に翼が生えたかのような錯覚すら抱かせる、らしい。加速してからスラリと背筋を伸ばし、視野を確保しながら直進する様は「滑空」と呼ばれ、この時点で喰らいつくディフェンダーは、かなり少ない。そして今回の右バックは走力自慢で、センタリングを切れる数少ない相手ではあった。

 だが、聖隆の真髄はその後だ。細かいタッチでスピードを落とさずに縦を進むと、次の瞬間には重心を反らして右のアウトサイドでボールに触れ、瞬時に鋭く切り返す。この「急旋回」のタイミングが掴みづらい事が、聖隆をさらに嫌なアタッカーにさせているのである。

 切り返しでペナルティーへと舵を切ると、全速力で先行していたマーカーが、苦し紛れに後ろ足を伸ばしてくる。それを簡単に避けて完全に躱すと、カバーのセンターバックが、グッと腰を落として待ち構えていた。聖隆は彼に近づきながら跨ぎフェイントを一つ、それで寄った重心を見極めながら、右のアウトでボールを触り、彼の横を擦り抜けていく。

 それでも、体を入れ替えたディフェンダーが肩を寄せてブロックに来るが、すでにエリア内の状況では強いタックルは不可能で、むしろ聖隆が身体を押し返すことで、完全に振り切ってコースを空ける。チラと前を見て、味方のフォワードが開く動きでファーへと走るのが見えて、聖隆は選択肢を決めた。

 結論はシュート。小さく早い振り足でインサイドにミートさせ、転がるボールが一直線に、ファーサイドのゴールネットを勢い良く揺らしていた。止めにくい角度にキーパーの反応も遅れ、泰波ディフェンス陣は一斉に、肩を落とすのである。

 このシーンに象徴されるように、聖隆のドリブル突破と鋭利なカットインは、泰波の守備を完全に混乱させていた。先制して更に勢いに乗る八健は、その後も左サイドを中心に攻め立てると、5分後には同じような状態から崩し、シュートを警戒したところで足元のクロスを、ファーから飛び込んできた逆ウイングが決めて追加点。

 そしてトドメは前半32分、聖隆が下がってボールを受けると、一旦はミッドフィルダーに預けて、リターンを貰ったところでまたドリブルを仕掛ける。その時点で3人が彼を見ていたが、細かいタッチで引き付けつつ深いところへと徐々に侵入して行けたのは、相手が容易に飛び込めない聖隆の怖さのお陰だろう。そうして相手のバイタルエリアが空いてきたことを意識しつつ、周囲の意識を集中させたところで、彼はボールを下げた。同時に中へ走ると、左サイドバックの春一が、ダイレクトで左足のクロスを入れる。その長いセンタリングが、大きく弧を描きながらペナルティーエリアに届くと、センターフォワードがやや苦しい体勢ながらも頭を振って、叩き付けたヘディングがゴールマウスの左隅に決まって、決定的な3点目を入れたのである。

 前半だけで大量リードを奪ったことに、ホームの八健スタンドは大盛り上がりで、土のグラウンドに大声援がこだまする。そんな歓声を聞きながら、八健イレブンは上機嫌で、ハーフタイムのベンチへと下がっていったのだ。



 早乙女 桃史は泰波学園高校のサッカー部である。その、180センチ近い恵まれた体躯を持って、有望な人材として認められているのだ。

 しかし彼はまだ1年生、衣替え直後の6月に、いきなり新入生がレギュラーに入れるほど、この学校は甘くない。それに実力もまだまだ追いついていない桃史は、この日の試合も、他の新入生や補欠選手と同様に、ベンチ外で応援席から声を出すことに専念しているのであった。

 そんな桃史が異変に気付いたのは、前半の立ち上がりで、自軍が劣勢な気配を見せつつも、まだまだボールが落ち着かない頃である。ピンボールのように跳ね回る情勢の中で、いきなりスタンドに立つ人々がどよめき始めたからだ。

「なんだ?」

 と振り向いたのは自分だけではない。最初は八健側から始まったざわめきも、すぐに泰波の少ない応援席に伝播する。前列にいる自分の方に、背後から迫る呻きにも似たどよめきに、隣の友人も「どしたんだ?」と覗き込んでいた。

 「うおお……」、「か、カワイイ……!」、「なんだあの2人は……」、「洋星の双子よりカワイイかも……」、「おっぱいでっかい……」という呟きが泰波側に広がった時、桃史は嫌な予感に顔を強張らせたが、その感想を聞いた友人や先輩が立ち上がって身を乗り出して、そしてホゥと息を吐いた時には、予感が確信に変わったのだ。

 ひょいっ、と姿を現した2人の少女に、八健側の(主に男子の)歓声に泰波のそれも加勢する。「うおおーっ、カワイイー!」という試合そっちのけの熱狂に、当の胡花と彩乃は、慣れたように苦笑気味で手を振っていた。

(や、やっぱり……)

 と頭を抱えた桃史の横で、友人の大中が興奮気味に桃史を小突き、「なぁ、あれって、オマエの姉ちゃんだよな! 来てたんだな!」なんて余計なコメントをくれるのだ。

 そんな大中のセリフを聞きつけて、周囲の同級生や先輩が桃史を振り返ったので、彼は本当に天を仰いだのである。ジーザス。

(ど、どうしよう、マジで……)

 周囲の視線のギラギラ感に気圧されて、もしかしたら殺されるんじゃないだろうか、という気分になった桃史。焦って思わず、目立つ姉の方を振り向くと、その視線が当人とバッチリ合致するのである。

「あ、モモくん、居たいた。おーいっ」

 その声は、なんとも調子の狂う響きを持って届いたのだが、こちらに手を振る空気を読めない姉の存在は、ありがたいやら迷惑やら。引き攣った笑いと共に思わず手を振り返すと、上機嫌そうに胡花がこちらへと寄ってくる。

「やっほー。モモくんはやっぱり出られないのかな?」

 なんて質問をしてくる姉には、ちょっと弟心が傷ついてしまうのであるが。

「久しぶり、モモちゃん。わぁ、また背、おっきくなった?」

 姉の隣で苦笑を浮かべる小柄な先輩の姿に、桃史は姉への文句も飲み込んで、ドギマギとしてしまうのだ。

「あ、彩さん、久しぶり。その、ちょっとだけ、成長した、かな?」

 あはは、と笑うと、彩乃は「そうなんだ」と頷いてくれる。近くまで寄った彼女の姿は、相も変わらず、眩しいまでの輝きを放っているかのようであった。

「ぐっすん、モモくんがお姉ちゃんを無視する。悲しいなぁ」

 なんて言ってる胡花を再び無視する桃史は、家族に冷たい思春期な男の子なのだから、仕方が無いのだ。

 ただそれでも、自分の背後で息巻いて、我も我もと話かけようと目を血走らせる男衆たちを抑えようと必死なのは、やはり肉親だからこそであろうか。

(おい桃史、せっかくだからちゃんと紹介しろよ)(いや俺だ、先輩なんだから世話してやってる俺を紹介するんだ)(お、オネーさん達、弟の親友ですよー)(おっぱいおっぱいおっぱい……)

 不穏当な発言のオンパレードな部活仲間たちを、精一杯に腕を伸ばして制する桃史の、なんとイジラシイことか。

 しかし当の胡花たちは、健気な弟の様子に気付く様子もなく、隣の場所に腰を落ち着けてしまうのだ。

(く、空気読めよアネキーっ!)

 と引き攣った表情を浮かべる桃史だが、その理由が「せめてオレの隣に彩さんを座らせるくらいの機転を利かせるべきだっ」という個人的な感想な辺りは、思春期な脳みその成せる思考であろうか。

「まだ始まったばっかみたいだねー」

「うん、よかったよかった。みんなガンバレーっ」

 そんな暢気な会話を交わす美少女2人が近くに座る現状に、桃史の背後は凄まじいボルテージになっているのではあるが。応援席の補欠組はいまや、その機能を完全に停止している状態なのである。ダメダメである。

「お、オネーさんっ。オネーさんたちはもしかして、ウチの学校を応援してくれるんですか?」

 ぷはっ、と人山から顔を突き出した大中が、胡花に向ってそんな質問を繰り出した。それに、「あら、アナタはモモくんのお友達ね、お久しぶり」なんてにこやかに挨拶した姉は、茶目っ気の含んだ笑顔で口を開く。

「ううん、残念ながら、私たちは八健の生徒だもの。ホームの試合なんだし、自分の学校を応援しなきゃダメでしょう?」

 そんな返答と、ちょっと古めかしいウィンクを飛ばす胡花に、その場にいた男子たちはホニャーと骨抜きだ。

「……ここ、泰波の応援席なんだけど」

 唯一、姉の魅了術にかからない弟だけは、そんなツッコミを入れてしまうのではあるが。でも身の危険を感じるので、それは小声で呟くだけである。(彩さんも離れちゃう可能性あるしね)

「っていうか、なんかアネキ、テンション高くないですか?」

 思わず、奥に座る彩乃の方に尋ねてしまうと、「やっぱ気付いた?」なんて苦笑が帰ってくる。そんな苦笑もキュートである。

「はい。なんか、いつもより、外で出す本性が多いような……」

「そうなんだよねぇ、完全に浮かれちゃってるからさ」

 ヒソヒソ話をするように顔を近づける二人。でも、真ん中に当の胡花を挟んでるので、あまり近くにいけないのが残念である。

(浮かれてるって、どうして?)

(ん~……。分かってると思うけど、ウチのサッカー部に、胡花の目当てがいるのよ)

「うぇっ!?」

 思わず頓狂な声を上げてしまった。それに疑問の視線で振り返った胡花を、アハハハハッ、と頭を掻いて誤魔化しつつ。

(だ、誰、なの?)

 コソコソと話を続ける桃史はすでに、慣れない敬語を忘れるほど当惑しているのだ。その様子に、分かってなかったか、と悪びれた顔をした彩乃だが、

「まぁ、その、ね。見てれば分かるよ、きっと」

 と言葉を濁してしまう。

 桃史はそれに小さく頷きつつ、冷や汗を背中に感じながら、ピッチの方へと瞳を向けるのだ。

 そして、桃史以外の泰波応援席が全く応援していないという、熱意の無さが通じてしまったのか、泰波側は次々とチャンスを作られ、瞬く間に先制点を奪われてしまったのだ。

「きゃあ――――――っ!」

 ワッ、と八健スタンドが沸くと同時に、横の姉が、今まで聞いたこともないような黄色い声を挙げた。それにギョッ、と横を向くと、きゃいきゃい言いながら彩乃の手を握って跳ねている胡花の姿。ぴょんぴょんと器用にお尻を浮かして、微妙な表情の彩乃と共に大きなバストを弾ませる姿に、背後のご同輩が鼻の下を伸ばしている気配を感じつつ。しかし実の弟は複雑だ。

「うぉい、お前らー! いい加減、応援せんかー!」

 静かなスタンドに痺れを切らした監督が、こっちを睨んで怒鳴り散らすと、「はいぃっ」と反射的に全員が前を向く。しかし肝心の監督が、いつのまにかスタンドに居る美少女2人に目を奪われていたのは、発見してしまった桃史だけの秘密にしておこう。

 それから、再開する泰波スタンドの応援と、それでもチラチラと向けられる姉たちへの視線(それも会場中から集まっている)の中で、試合は更に八健ペースで進んでいくのである。

 先のゴールから5分後、またもや左を崩された泰波がクロスを振られ、ボールウォッチャーになったところをファーで決められたその時、姉がまたもや興奮して、こう言った。

「マタくーんっ!」

「っ!」

 キャアキャアと騒ぐセリフの中に、明らかな固有名詞を見つけた桃史が、自軍の失点すらも忘れて視線を胡花に向けてしまう。すると姉は、立ち上がってピョンピョンと跳ねながら、特定の男子に手を振っていたのだ。その視線の先には、得点者ではなく、アシストした八健の大エースの姿。

「ま、マタって……た、辰野の、“マタ”!?」

 驚いて叫んでしまうのも当然で、それを聞いた胡花と彩乃が、ちょっとキョトンと桃史を見てくる。

「なぁに、モモくん、マタくんを知ってるの?」

 座り直した姉が尋ねてくるのは、ちょっと白々しい気がする。なんせ相手は有名人だ。

「そりゃ、ここらじゃ皆、知ってるだろう。特にサッカー関係者にとっちゃ、辰野 聖隆は“もったいない3大セント”だし……」

「もったいない……3大¢?」

 1ドルの100分の1の単位? とボケる姉に苦笑いを浮かべる桃史は、良く出来た弟だと自分でも思う。

「セント、聖だよ。3人全員が同学年で、しかも名前に“聖”の字を持ってるから、そう呼ばれてるんだ」

「なんか気になるネーミングね。それって、どんなの?」

 彩乃が、ニュッ、と胡花の陰から首を伸ばして来たので、桃史はちょっとどもりながらも、うんっ、と咳払いを一つ。

「えーっと、“もったいない”っていうのはね、その3人がサッカーに関してもの凄い才能を持ってるんだけど、ちょっと問題があって、地域選抜から漏れてるから、そう言われてるんだよね」

「へぇー、問題って?」

「いやまぁ、そりゃ、それぞれ違うけど……やっぱ、性格的、な?」

 やや誤魔化しながら喋る桃史に、あー、と納得顔の2人。ちょっと失礼な気がしないでもない。

 自分のチームが完全な劣勢に立たされている中で、応援そっちのけで私語ってる桃史がお咎めなしなのは、実はスタンドの面々も応援に気もそぞろで、彼らの話に耳をそばだてているからなのだ。薄情である。

「ねね、それって、3人もいるんだよね? 他もあんな感じなの?」

 彩乃が言う「あんな感じ」は、まぁ、ちょっと棘を含んでいる気がするが。桃史はそれに苦笑を浮かべて、せっかくだし説明しよう、と覚悟を決めるのである。

「あはは。それぞれに特徴は違うよ。3人のうちの一人は、あそこにいる八健の『辰野 聖隆』。見ての通り、プレーがワガママ過ぎて、ボールを持ったら単独突破一直線だから、チームプレーを大事にする選抜チームの監督から毛嫌いされてね。一回だけ召集されて、後は無視状態なんだけど……やっぱあの人のドリブルはスゴイよ。ボールを持ったら容易に間合いを詰められないし、トップスピードでも正確にコントロールできるから、ほとんど止められないんだ。ここら辺ではナンバーワンのドリブラーだろうね」

 桃史がそう誉めると、「そうなんだぁー」と姉が、まるで自分のことのようにホニャホニャとした表情になったので、やっぱりそうなんだなぁと諦めの心境になってしまう。せめて在学中にご懐妊とか、そういう問題だけは避けて欲しいと、そんな風に望むしかない状況である。

 胡花の様子に、彩乃が若干、顔を顰めながらも、「はいはい、次は」と先を急かしてくれる。それは桃史にとってはありがたい。

「二人目は洋星高校の『槙野 聖一』。運動量が少なく守備に貢献しないことから、ハードワークを重視する選抜で居場所を失くしたって言われてる。でも、そのパスとゲームメイク、特に相手のスペースを突く能力に秀でてるんだ。ファーストタッチで相手の取れないところにボールを置く、その高いキープ力は、ここいらでもナンバーワンのテクニックが有ればこそだよ」

 そう説明する桃史に、へぇー、と返事を返す二人。ただ、姉のテンションが明らかに変わっていることに、なんだか微妙な気持ちになるのは、せっかく説明している苦労があるからだろう。あと肉親だから。

「洋星って、隣の高校? あそこって、そんなスゴイ人がいたんだね」

 むしろ彩乃の方が積極的に聞いてきてくれるので、それに関してはむしろちょっと嬉しい桃史。彼も薄情である。

「うん、まぁね。でも洋星は、攻撃面で他に突出したタレントがいるわけじゃないし、槙野さんもポジション的に、『ゲームを決められる人』じゃあないから、そんなに目立たないんだけどね」

 リズムを作り組み立てを担う、後方のゲームメイカーの存在は、確かにチームのクオリティーに大きな影響を与える。だが、聖隆のような単独で違いを作り出してしまう様なインパクトに欠けるのは、その存在があくまで『縁の下の力持ち』的な役割だからだ。

「洋星は監督が優れていて、緻密な戦術と連動した攻撃は確かに厄介なんだけど、課題の決定力不足から県8強の壁を越えられないチームなんだ」

 桃史がそう付け加えると、ほおほお、と2人の年上は神妙な頷きを返してくれる。さて次を、と桃史が口を開きかけるが、その前に、姉が先に言葉を挟んできた。

「でも確か、ウチのサッカー部も、ベスト8とかで負けちゃうわよね。それって、なんで?」

 うっ、と詰まる。興味が薄れてるくせに、こう言うところは鋭いのだ、この姉は。

「そりゃまぁ、八健の事情なんかあんま知らないけど、やっぱ辰野のマタさんが特殊すぎるんじゃない?」

「どういうこと」

 曖昧に首を振るも、胡花はピシャリと言葉を返してくる。それは姉の威厳である。

 桃史はちょっと観念しつつ、再び口を開くのだ。

「1人の力がずば抜けてるから、ある種の依存症っていうか、あの人の調子次第になっちゃってるじゃん。攻撃が単調だから、左を押さえられたら、威力半減だもん。ワンマンチームは、ある程度の実力が拮抗してくると、通じなくなって来るんだ」

「……ふーん」

 胡花はちょっとだけ、不機嫌そうに頬を膨らませた。だから桃史は、スねたよこの人、と溜め息である。

(悪口って訳じゃないっての)

 そんな言葉は思っただけで、実際に口に出しても仕方ないのだ。

「あ~……。モモちゃん、続き、教えて?」

 微妙な空気を感じ取ったのだろう、彩乃が小さく苦笑を漏らしつつ、そう言ってくれた。それで、彩乃の上目遣いが余りにも可愛すぎて、桃史の心拍数が跳ね上がったのは、秘密だ。

「う、うん。あー、えー、えっと。……そうそう、最後の3人目、ね。ハハハッ」

 頭を掻き掻き、小さく深呼吸をして、桃史は向き直る。

「3人目はね、まぁ、ウチこと泰波の先輩なんだけど、ね」

『……えっ?』

 彩乃と胡花、両方が同じような間で同じような顔をしたので、桃史はちょっと噴き出した。

「……いやでも」

「……そんなスゴそうな人、いないみたいだけれど」

 とグラウンドに視線を向ける2人につられるように、桃史も試合の先輩たちへと顔を向ける。そこには、いつのまにやら3点目を決められて、焦った表情で幾ばくもない前半を戦うレギュラー陣の姿が。

 やべ、見てなかった。と思いつつ。

「……うん。いやまぁ、うん。このピッチには、居ないんだよね」

 言い難いことだが、桃史は切り出した。

「居ないって、なんで?」

「いや、うん。その、『麻宮 聖伍』先輩は、何ていうか、マイペース過ぎて、それが問題なんだけど……」

 そこまで言ったところで、背後から騒がしい大声が聞こえてきたのだ。

「あーっ! もう、前半も終わっちゃうじゃない! あんたねぇ、何を考えてんの!」

「あぎゃーっ、イタイ、痛いです、堪忍してぇーっ」

 その、泰波スタンドの声援どころか、お祭り騒ぎな八健応援席すらも上回る騒々しいケンカ声に、思わず皆が振り返る。するとそこには、短髪の少女に耳を引っ張られて顔を歪める、なんとも情けない大柄な少年が悲鳴を上げているではないか。

「ほら、もう! 聖実さんに嘘まで付いて、なにやってんのよアンタは!」

「アウチッ。だってさ、混む時間だったし、やっぱ手伝うべきだって思ってさ」

「セーゴ1人が居なくても、アタシが居たんだから、何てことないの! いいから早く謝んなさい」

「へ、へへー。好美さまの仰せのままにー」

 腰に両手をあてがった少女に向けて、平伏するように頭を垂れた少年が、どやされながら階段を下ってくる。襟足の長めな髪の毛、切れ長な二重の瞳、細面。一見して優男然とした顔立ちながら、スラリとした長身は桃史に劣らず、泰波サッカー部のジャージが包む身体は筋肉質だ。

 そんな、ハッキリ言ってイケメンな少年が、苦笑を浮かべながらも桃史の方に近づいて来て、そしてニッコリと笑顔を浮かべたのである。

「おーっす、早乙女ー。そちらのお嬢さん方は知り合いか?」

「う、へっ?」

 呆気に取られていた桃史が、視線を辿って隣を見ると、同じように呆気とした胡花&彩乃の姿。

 反射的に頷きつつ、なんとか言葉を搾り出した。

「は、はい。こっちは姉貴の胡花で、奥が友達の彩乃さん、です」

「なるほど。早乙女の先輩で、麻宮です。よろしく」

 ニコッ、と微笑んで挨拶なんかしてくる麻宮先輩に、気圧されたような2人が「はぁ、どうも……」なんて返事していると、先輩はにこやかに握手を求めながら、会話を続けようとして――。

「セーゴ、早く行け!」

「麻宮、とっとと来い!」

 上の少女、グラウンドの監督から同時に叱責が飛んで、麻宮先輩は飛び上がるのである。

「は、はーいっ、ただいま!」

 叫んで返事、そして胡花と彩乃には「ごめんね」とちゃっかりウインクなんか投げた後で、ベンチへと駆け下りていくのである。

「麻宮 聖伍(まみや せいご)、遅刻しましたーっ!」

 ビッ、と直立不動で敬礼なんかしながら、なんら臆することなく言葉を吐き出すこの先輩は、ある意味でもの凄いと思う。

 監督も額の青筋をピクつかせながら、それでも慣れたような溜め息で諦観を悟り、アップを命じるのだ。

 そんな光景を目にしながら、呆然とした空気を破って、彩乃が一言。

「ねぇ、もしかして、アレ?」

 指差した先は当然、ランニングを開始した麻宮先輩である。

「うん、アレがその、最後の1人」

 なるほどね、という言葉は果たして、どちらが言ったのであろうか。

 そんな疑問は、背中に感じた溜め息の気配と、麻宮先輩をドヤしていた先輩の少女が吐き出した「さっきはゴメンね」という言葉で、吹き飛んでしまったのだ。

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