第17話 部外者に負ける弟くん
【アラタ視点】
兄さんが知らないはずのこの場所に、何故か突然現れた。それも、阿須麻里を処そうとしたその時に。
これは明らかに、作為の産物だ。
「兄さんに何をした」
「素直に答えると思うかい?少しは自分で考えてご覧。そこそこ頭が良いんだろう?」
明らかな挑発だと分かっていても、このタイミングでの煽りは調子を狂わせられる。それでも、怒りに任せて彼女を潰すことだけはしない。
兄さんがこの場所に来た以上、そして阿須麻里を探している以上、その手掛かりとなるものを握っているはずだ。現にこの場所に兄さんは現れた。
つまり、隠したとしても事後の死体を兄さんに見つけられてしまう可能性があると言うことだ。
恐らく、阿須麻里自身に発信機となるモノが仕込まれているのだろう。
『うわっ……何これ、変な道具がいっぱいある』
兄さんの声は、段々と近づいてくる。
これは、早々に手を打たなければならない。
僕は6体の怪物のうち、一体に指示を出した。
「B-12。この部屋一帯の電気信号をカットしろ……培養槽だけは予備電源に切り替わるように、絶縁状態は避けろ」
暗闇からこくりと頷いたB-12の頭部が裂け、電波塔のようにそりたった形の湿り気のある物体が出現する。そして、そこから緑色の反抗波がゆっくりと空中を浸透していく。
あくまで目に見える波は見せかけのものだが、これは分かりやすく効果の発動を示したものだ。これによって電子機器類を使用する事は困難となり、軍用のオーバースペックでも利用していない限りは、この空間ではただの鉄屑と化す。
僕は兄さんの足音に耳を澄ませる。
『いたっ?……何これ、保管ポッド?ホルマリンっぽいけど……アラタ、また妙なもの作ってるのかな』
まだ、兄さんの足音は近づいてくる!!
「無駄だよ、何をしようがね。君は絶対に、私の策を見破れない。特に君のような驕った人間はね」
「……いちいち煩い。直ぐに殺すから黙ってろ」
「怖いなぁ。お兄さんにも、普段からそんな口を利くのかい?」
僕は阿須麻里に視線を向ける。
「———黙ってろ」
「……おおこわ。なんて弟だよ、全く。アキラくんはどうしてこんな化け物に気づかないんだか」
どうする?!どうする?!どうする?!
内心では余裕がない。色々と知られてしまった限り、阿須麻里を生かしておく事は出来ない。かと言って、一息に殺してしまうには今の状況は不味い。
兄さんをやり過ごして、入れ替わるように部屋を出て行く手も考えたけど、途中で発見される危険もあるし、何よりここを出たところで兄さんが追ってきたらイタチごっこだ。
兄さん永久保管計画を今発動するか?いや、それはまだ時期尚早だ。今の兄さんも魅力的だけど、まだその成長を見ていたい。熟す直前までは温存していたい。
「焦っているねぇ、アラタくん。そんなに自分の本性がバレるのが恐ろしいかい?」
いつまでも余裕綽々な態度をとる彼女が気に食わない。
「君のお兄さんは、今の君を受け入れないほど、寛容でないはずがないと思うんだが」
「……兄さんの事は、僕が一番分かってる。初めての●●を見たのは僕だし、初めての●●●をしたのも僕だ。初めての●●●で、初めての●●●●だし、●●●●と●●●●を●●●●して●●●したのも、僕が初めてだ。だから、兄さんにとって、僕以上の理解者はいないよ」
「……ちょっと、自分の言葉に不安が湧いてきたな。生まれて初めて前言撤回を利用するかもしれない」
兄さんにだけは、嫌われたくない。
不安からくる臆病な気持ちでも、確信を持てない以上、僕は今の僕のまま兄さんに接する。
他人に何を言われようが兄さんを理解しているのは、やっぱり僕だけなのだから。
「ちょっと、私から提案があるんだけどさ」
「煩い、静かにしてろ。何度も言わせるなよ」
「しかし、このままだと君、打つ手がないだろ?お互いに有益な取引をしようじゃないか。そうしたら君もこの窮地から抜け出せるし、私も自分の命というかけがえの無いものを救える。Win-Winだろ?」
「自分から提案しておいて、Win-Winとか言う奴を信用出来ない。先に条件を話せ」
「勿論だとも」
阿須麻里はニヤリと笑って、不敵な態度で話し出す。
「私を解放してくれれば、君の事はお兄さんに黙っていよう。単純だろう?」
「契約の履行はどうやって確認するつもりだ?取引になっていない」
「君の手持ちのコイツらがいるじゃないか。なんともイヤらしい手つきをしているな」
「……お前が約束を守る道理がどこにある」
「それはお互い様だろう?むしろ、私は武力を持たない以上、君に断然有利なはずだ」
その通りだ。阿須麻里の言葉が本当であるなら、この取引は僕にとって利益となるものに違いない。
しかし、この女は油断できない。
「阿須麻里。主導権は僕が握っている。こちらの条件を追加で一つ飲んでもらおう」
「なんだい?私の処女はあげられないよ?」
茶目っけたっぷりにそんな事を言われる。僕は死んだ目で彼女を見つめた。
「そんなクズゴミ要らないよ「乙女に対してなんだその態度はっ!!」……うるさい。条件は、僕の怪物を一体、君に侍らせる事だ。監視役として君の行動を逐一報告させてもらう」
「私の研究に口を出さないと言うのなら、それでもいいがね。あと、暴力もやめて欲しいな」
「善処するよ」
「それはこの世で最も信用ならない言葉だなぁ……」
「お互いに信用なんてもの、存在するわけないだろ。今はただ、理性を持って行動すべきだと思うけどね」
僕は内心の焦りを悟らせないように彼女に告げる。
暗闇の中、視界不明瞭であるから兄さんの足取りは遅々としたものだが、それでも確実にこちらに近づいて来ている。
もってあと数分だろう。
阿須麻里の、脳を見透かすような目を見返す。あくまで、物理的な主導権は僕が握っている。暴力こそ、やはり権利を得る上でなにものにも変え難いものなのだ。
「……まぁ、良いだろう。譲歩してあげるよ」
阿須麻里が頷いたのを見て、僕は胸を撫で下ろす。その際吐いた小さなため息を、彼女に知られまいと極めて自然を装う。
彼女の目は、あいも変わらず僕を捉えていた。
兄さんの足音が、よりハッキリと聞こえてくるようになった。なにやら歩調が上がっているが、急いでいるのだろうか。
「……そろそろ来るみたいだね。良い加減、このゴツい手を外してくれないか。乙女の柔肌をなんだと思っているんだい?」
その言葉に従うのは癪だが、僕は素直に彼女を解放してやった。何より、怪物が彼女を取り押さえている場面だけは兄さんに見せてはいけない。
やがて、兄さんの姿が現れる。
「あれ、ここだけ明るい……遠くから見ても分からなかったのに」
「兄さんっ!!」
「うわっ……アラタ?どうしてここに居るの?」
僕は間髪入れずに兄さんに擦り寄った。急いで来たせいだろうか。その頬は上下していて、少し荒い息を吐いている。眠たげな目の端は若干垂れており、その瞳は微かに濡れているように見えた。
「ひゃっ?!ちょっと、アラタ、あんまり触らないで……今、僕ヘンなんだ」
抱きついてみると、その肌は熱を持って僕を迎えてくれる。いつも以上に、僕に反応してくれてる。
兄さんが今日もエロい。
素晴らしい。
「アラタ、ここに麻里部長来なかった?部長を探してるんだけど……」
「そんな人、どうでも良いじゃないですか。兄さんは、僕だけ見てれば良いんです」
「いやぁ、そういう訳にもいかないんだ。ここら辺から、麻里部長の匂いがするんだけど……」
匂い?
まさかそんな些細な手掛かりで、この場所を突き当てたとでも言うのだろうか。
いやそれより、兄さんはどうしてそんな事が出来るんだ。
「……兄さんもしかして、あの女に変なことされた?何されたの?ねぇ、教えて?」
「いや、何って言われても……」
兄さんは若干しどろもどろになりながらも、その目は周囲をキョロキョロと探すような動作をしている。明らかに、夢中と言った様子だった。
心の中で、イヤな予感が最大限の警報を鳴らす。
「———おや、アキラくん。こんな所で会うなんて奇遇だね」
「部長————!!」
何をされたのか分からなかった。
僕は兄さんにそっと押し除けられ、熱を失った。
代わりに僕は冷ややかな空気を抱きしめ、そして兄さんは、あの女を抱きしめていた。
「は—————?」
虚無感と殺意が湧き上がった。
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