第6話 昨晩はお楽しみでしたね
目を覚ますと、部屋の窓から陽光が薄らと差し込んでいた。僅かに光が満ちている部屋の中を見回す。ここは僕の部屋だ。
鳥の声がする。ヒバリの囀りだ。春から夏に移り変わるこの時期、だんだんと蒸し暑さが増しているようにも思われる。そんな中、僕は未だに厚い布団を被って寝ていた。
寒がりだからというありきたりな理由だが、そろそろ衣替えの時期かもしれない。そんな事を思いながら布団から出ようとすると、何か柔らかい物に引っかかった。
「……っ、ん、んぅ、にぃさ……激し……ぁあ、んっ……にぃ……ぃさん」
微かに寝言が聞こえた。恐る恐る布団の中を覗くと、そこにはいつの間に侵入していたのか、弟であるアラタが腕を枕に寝こけていた。
全裸で。
僕は独り溜息を吐く。アラタはよく僕の布団に忍び込んでくる習性があるのだ。しかも全裸で。よく分からない習性だ。昔はちゃんと服も着ていたし、悪くても上裸で済んだのに。最近は下着まで身につけなくなったのだから、これはどうした事だろう。
そしてふと、いつもより視界に入る肌色が多いことに気づく。何かと布団の奥に目を凝らすと、僕の脚に抱きつくように、全裸のサキがスースーと静かな寝息を立てていた。
僕は先程より少し大きめの溜息を吐いた。
そうそう。時々サキも一緒にやって来るのだ。もう華も恥じらう年頃の乙女だというのに、いったい弟と一緒に何をしているのだろうかこの妹は。
昔から奔放な性格だったサキも、僕の布団に忍び込む習性を持ち合わせていた。例に漏れず全裸である。何故全裸なのか理解に苦しむ。
————-そう言えば、全裸になるのは抑圧されるストレスから解放されるための手段であるとどこかで聞いた事がある。
僕は改めて肌色多めの弟達を見回した。
ストレス、溜まってるのかなぁ。そりゃ歳が上がると色々考え事や悩み事も増えていくだろう。この全裸奇行はその表れなのかもしれない。今度どっか遊びに連れて行ってあげようかな。
そんな事を考えていると、布団の隙間から差し込んだ光が眩しかったのか、目を擦りながらアラタが目を覚ました。
視線が僅かに合う。まだ寝惚けているのか多少ブレ気味だ。
「……あれ、にぃさん。起きてたんだ。……良い朝だね、おはよう」
「うん、おはよう」
ふわぁと一つ欠伸をしながら、朝の挨拶を行うアラタ。
僕はその様子を見て、昨日遅かったのかなと色々邪推する。そういえば僕、昨夜の記憶が無いや。いつ寝たんだろう。
偶にこんな事があるんだよなぁ。そろそろ僕も病院に行った方が良いかもしれない。アラタ医師の診断では問題無いとのことだったけど、きっとこれには何か原因があるはずだ。
考え事をする僕をよそに、アラタは僕の顔を見て機嫌良さそうに笑みを浮かべている。
「……にぃさん、にぃさん。昨日はお楽しみでしたね。僕も沢山楽しみました。またしましょうね。今度は……二人きりで」
アラタは一体何を言っているのだろうか。記憶が無いのでうんうんそうだねと適当な相槌を打っておく。そうするとアラタは花を咲かせた様な笑みに変わった。君、ほんと可愛いね。よしよしと弟の頭を撫でる。これで僕を新薬の実験台にする癖さえ無くしてくれればなぁ。
くすぐったそうにするアラタ。僕の掌に頭を擦り付けて、とても嬉しそうだ。目がトロンと溶ろけている。もしかしたらまだ眠いのかもしれない。
横目で時計を確認する。時刻は朝の三時半だった。いつもならトレーニングを始める時間だけど、今日はいいかな。脚にサキがくっ付いてるせいで起きられないし。アラタも眠そうだし。僕も一緒に寝ようかな。
「アラタ、もう少し一緒に寝る?疲れてるでしょ」
「……っ!……はい、にぃさん。一緒に寝ましょう」
嬉しそうに返事をするアラタ。うむうむ、やはりアラタは癒しだな。ほんとに可愛い。兄としての威厳は無いが、とっても素直なアラタは僕に対して態度を変えたりしない。僕以外には過激だけど、基本とっても優しい。
アラタが身を擦り寄せながら、僕に抱きついて来る。ピトッ、と肌を重ねてご満悦そうである。
……そう言えば全裸だったな。まぁ良いか。兄弟だし。
「はぁ、にぃさん。素敵です」
悩ましげな溜息。ツツツ、と指先で僕の腹筋の辺りをなぞってくる。やめなさい。この弟はいったいどこでそんな仕草を覚えて来るのだろうか。はしたないです。
しかしこの兄に向かって素敵とは、アラタの目は節穴ではなかろうか。僕は弟妹に劣るダメ兄貴だと言うのに。
その時、ゾワリと鳥肌が立った。何のことはない。僕の脚元で目覚めたサキが、僕の脚を舐め出したからである。何故舐めるのかは分からない。
僕は布団をバッ!と勢い良く捲り上げる。そこには何食わぬ顔で僕の脚を舐め続けるサキがいた。ぺろぺろぺろぺろ。怖いよ、超怖い。絵面がもうホラー。
「……あ、起きた」
「……元々起きてたよサキ。脚を舐めるのは止めようか」
「……ぶー」
ぶー、じゃないです、ぶー、じゃ。よく見ると、その視線は僕の隣で身を寄せるアラタに注がれているように見えた。
何?サキも構って欲しかったの?それならそう言えば良かったのに。家庭内での僕にはどうせ人権などない。無能は結局従うしかないのだから。兄としては悲しい限りである。
僕はアラタを抱きしめているのとは逆の手で、空いてる僕の隣をポンポンと叩く。
サキの目が一瞬、光ったように見えた。
次の瞬間には目にも止まらぬスピードでやって来たサキが、僕の隣にすっぽりと体を丸くして収まっている。
「……ん、お兄ちゃん、おはよう」
「おはよう、サキ」
サキの身長はアラタと同じほどで随分小さい。年齢から換算すると、平均より一回りくらい下だ。そんなサイズであるから、大人しくしていると大変可愛らしく見える。サキが大人しくしている時なんてあまり無いのだが。
しかし、そんなサキにも常に大人しい部分はある。いや、慎ましいと言うべきか。ヒントは女にあって男にない物である。いや、サキは女だが持っていない———っあ痛っ?!
痛みを訴える左腕を見ると、サキが片手で握り力を込めている事が分かった。
「……お兄ちゃん、何考えてるの?また、おしおきされたい?」
僕はブンブンと首を振って必死に否定する。何故かは知らないが、サキもアラタと同じように化け物のような身体能力を誇っているのだ。その手にかかれば僕の腕は木の枝の如く容易く折られてしまうことだろう。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいアイス食べたいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい
「……お兄ちゃん、ワザとやってるでしょ。そんなに必死になってさぁ……凄くムラムラするじゃん」
!!
舌舐めずりをして、目つきを変えるサキ。それを見た僕は小動物の様に身を縮こまらせる。ますます興奮したような顔つきになるサキ。どうしろっちゅうねん。
「……こら、ねぇさんダメでしょ。にぃさんを怖がらせちゃ」
僕の腹筋に顔を埋めて深呼吸を繰り返しながらくぐもった声を上げるアラタ。そっちもそっちで何してんの。
……うん。いつも通りの朝だな。
£££
二重人格という言葉を知っているだろうか。二つの人格を一人で持ち、ミステリーなんかで言えば各人格の記憶をもう一方の人格は覚えていなかったりするアレである。
別に僕はミステリーのように乖離症を患った二重人格者ではない。そもそも適切な意味で二重人格者ではないだろうが、それでも人が変わったような行動をとることはある。
まぁ、人なんて時と場合と気分によって、言動なんてコロコロ変わるものである。僕に限った話でなく、そもそも一貫した行動を取り続ける人の方が人間味がないのではないだろうか。
僕の場合、それが家と他所とで大きく切り替わるだけで。
「三神くん!おはよう!」
「おはよう御座います、三神さん!」
「三神おはよう!良い天気だな!」
三神という苗字はこの歳になるまで、家族の他に聞いた事がない。だから小確率を切り捨てれば、今呼ばれている三神というのは少なくとも僕の血筋の者となるだろう。
しかし周囲を見ても僕の家族の姿は見えない。弟と妹は少し離れた別棟の校舎にいるし、まさか両親がこの場所にいるわけがなかった。
————随分と回りくどい事を言ったが、挨拶を受けているのは紛れもなく僕である。
キラキラした笑顔で、同じ制服を纏った生徒にひっきりなしに挨拶をされる。それはいつもの光景だった。
「皆んなおはよう。今日も頑張ろうね」
僕も笑顔と共に彼らに挨拶を返す。そして自分で自分に鳥肌が立つ。うわぁ似合わない。
何を隠そう、この僕は生徒会役員である。かなり良いとこの高校であるため、そこでの生徒会役員という立場は存外のこと影響力が強い。学校内の立場に加え、この場所では僕のダメオーラを一切封じ込んでいる事からか、校内では存外人気者である。
また凡人なりに努力をしている事からか、スペックは平均を下回る事なく、親譲りの容姿もあってなんとか化けの皮が剥がれずにいられているのだ。ようするに張子の虎である。全く心臓に悪い。いつ正体がバレるか分かったもんじゃない。
「三神さん、元気ですか?」
「うん、元気だよ。君も元気そうだね」
「三神!今度うちの部に助っ人来てくれよ!」
「うん、いいよ。後でスケジュールの確認しとくから、また話そうね」
「三神さん!私が校内で飼っていた犬のスヴェンくんを知りませんか?」
「うん、知らないね。あと校内でそんなの飼っちゃダメだよ」
僕が柄にもなくこんな事をしているのには理由がある。
それは両親がちょっとお金持ちで、政治的権力もちょろっと持っていた事。その圧力があり、親に見合う子になるようにとの名目の下、僕の校内での活躍を望まれたからである。また弟や妹のスペックが異常に高かった事による僕自身の焦りからでもあるのだが……まぁ、取り敢えず無理して見栄張ってんなぁとでも思ってくれればいい。どうせ僕はダメ兄貴だ。泣きたい。
そしてそんな僕であるから、とんでもないことに校内ではリアルが充実している野郎どもや陽の気を持つ者どものグループに分類されてしまうわけである。
僕は過去の恋愛経験から、あまり派手な行動は取らずに大人しく高校生活を送ろうとも思っていたのだ。しかし、大人しくしていてもそれ程変化としては大差なかった為、別にどっちでもいいやとこんな生活に足を踏み込んだのである。
結果失敗であったのは分かりきった事なのだが。
人付き合いが増えた。嘘をつく事が増えた。仕事が増えた。役割が増えた。責任が増えた。まぁ、色々増えてきりきり働いてると、アレ、これ間違えたかなと思う機会は日に日に増えていった。自ら墓穴を掘りに行くスタイル。
そんなこんなで、僕はちょっぴり後悔しながら、この限りなく黒に近い灰色の青春を謳歌しているのだった。
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