第4話 アオイと副島
ルカは、事務所の隅にある小さなキッチンの前に立った。紅茶の並ぶ棚のダージリンの缶に伸ばしかけた手が止まった。
アオイさんを癒すのにはダージリンの優しい香りと味わいが最適だ、といったんは思ったのだが、気が変わった。なんてったって、あの人はハンターだ。気つけ薬にガツンといっちゃおう・・・と思い直し、その隣に並んだアッサムの缶を手にとった。
ルカは手際よく紅茶を
アオイさんの前に差し出すと、彼女は黙って、小さくお辞儀をした。
昨日、副島さんとの見合いを終えた夜に、アオイさんから事務所に連絡が入った。見合いの結果なら、電話かメールですむ。だが、彼女は明日会って話を聞いてほしいとのことだった。連絡を受けたユイの雰囲気から、ルカもそれが吉報ではないことはすぐに分かった。しかも、直に会って話をしたいと言われたときの電話口の気配から、ただごとではないこともひしひしと伝わってきた。見合いの席で、何かがあったとしか思えない。
電話を切ったユイに、ルカが
「荒れ模様ですね」
と言うと、ユイは表情一つ変えずにルカに告げた。
「明日、あなたも同席するのよ。勉強になるから」
それだけ言うと、ユイは口をつぐんでしまった。
「勉強」―ユイが使ったその言葉に、ルカは苦しみを覚えた。勉強して、何かプラスになるならいいけれど、果たしてどうなのだろう・・・? ルカはユイに背を向けて、小さくため息をついた。
アオイさんはルカの淹れたアッサムティーを一口飲み、おいしい、とつぶやいた。それから、意を決したように口を開いた。
「挨拶の後、いよいよ自己アピールの場になって。ドキドキしながら、あの動画を副島さんにお見せしたんです。驚いていました。私から受けたイメージとのギャップがそうしたのでしょうけど、身を乗り出すようにして興味津々で見てくれたんです。説明をしながら、内心でいいぞ、この調子なら上手くいく・・・と思いました。ところが・・・」
アオイさんは言葉を切った。ユイは表情を変えずに次の言葉を待っていた。一方でルカは、フリーズしてしまったアオイさんの顔をまじまじと見つめ続けた。アオイさんは一点を見つめたまま、再び話し始めた。
「獲物のシカを中心にして記念撮影をした場面で、それまで相づちを打つばかりだった副島さんが突然喋りだしたんです。シカは基本、おとなしくて臆病で人間に襲い掛かったりしない。その点、イノシシは怖いよ、とかなんとか言いながら、ポケットからスマホを出して、写真を私に見せてくれたんです。すごく大きなイノシシの死骸の前に猟銃を持って片膝をついた格好で座っているおじさんの写真でした。
ボクの大学の同級生だ、と言うんです。年齢以上に老けて見える方でしたが、同級生という言葉にはびっくりでした。そのとき改めて彼の年齢を実感して複雑な気分になりました」
アオイさんはやっぱり副島さんの38歳という年齢にこだわっていたんだ・・・と、ルカは思ったのだが、話は年齢についてではなかった。
「その友人は山奥で一軒家のジビエ専門のレストランを開業されているそうです。仲が良くて何度も行っているが特にイノシシ鍋が絶品で病みつきになるよ、と副島さんは嬉しそうに話してました。
副島さんが話し始めた時は、私と同じように狩猟をする方が彼の友人にいるなんて奇遇だなぁ、私の話を広げてくださってるんだなぁ、と単純に思って話を聞いていたんですが、だんだんと何か変だな、という気持ちになっていったんです」
アオイさんの眉根にしわが寄った。そして再び話始めた。
「副島さんが、写真の大きなイノシシを狩った時の大変さについて語り出したんです。そのイノシシを狩ったのは友人であって、彼じゃないんです。あくまでも友人から聞いた話なんです。それなのに、さも自分が決死の覚悟で狩りに行き、その大きなイノシシを仕留めたかのように話して…。私にはもう何が何やらわけが分からなくなりました」
アオイさんの言葉からは、怒りなのか悲しみなのかわからない複雑な感情が感じられた。
短い沈黙の後、考え込むように額に手をおいていたユイが、
「アオイさんの見せた動画の何が彼の心に火を着けたんだと思います?」
と聞くと、アオイさんは頬を紅潮させながら即答した。
「シカ狩りなんて大したことない。それぐらいのことで僕には勝てないよ、ということでしょうか?」
ユイは片方の眉だけをピクリとあげながら
「さすがですね」
と言った。
すると、目を大きく見開いたアオイさんは彼女らしくない、怒気をはらんだ声で、こう言った。
「そんなマウントの取り方ってあります!? 自分が経験したわけでもないのに、危険なイノシシ狩りを自慢して、結果的に私のしたシカ狩りの価値を下げようとするなんて・・・信じられない!」
「負けず嫌いというか・・・。自分の話題で盛り上がらないと我慢がならない。たとえ、その場が見合いの席であったとしても。要するに自分のことが大好きな男性なのかもしれませんね。彼だけじゃなく、ハイスペックな男性には多いかもしれませんね」
ユイの言葉に激しさはなく、あくまでも淡々とした口調だった。そして、結婚相談所の所長として肝心なことを確かめるべく、アオイさんに聞いた。
「それで、副島さんとお見合いをして、どうでした? 率直な気持ちを聞かせてください」
そう問われても、アオイさんはすぐには答えられなかった。先ほどの口調が嘘だったように、ボソボソと喋り出したのは、暫くたってからだった。
「イノシシ狩りの話を終えてからも、副島さんがずっと喋っていました。いろいろお話は出たのですが、正直言って、あまり思い出せないんです。動画を見せた後の思いも寄らなかった彼の反応に気をとられてしまい、そのことばかりを考えて、彼からの問いかけには、うわの空で答えていました。
副島さんの反応は、たまたまだったのかもしれません。深く考えない方が、賢明なようにも思います。
でも・・・、もし、これからお付き合いするようになり、さらには結婚の話にまで進んだとき、同じようなことが繰り返されるのではないか? 私がどんなに話を聞いてもらいたくても、結局は自分の話へと持っていかれてしまうんじゃないか?いつも彼が主役で、その話に上手く合わせられる人ならば、誰でもいいんじゃないか」
そのとき、アオイさんの言葉がつまった。
「つまり・・・彼にとって大事なのは自分で、私は彼には愛してもらえないんじゃないか、と考えてしまい落ち込みました。私は意思のある一人の人間であって、人形じゃないんです」
「人形」という言葉が飛び出てきたとき、無意識にルカの目は、人形へと吸い寄せられた。
その瞬間、パキッ!という木の割れる音が、ルカの鼓膜を突いた。
(人形は何を伝えようとしているんだろう・・・?)
いくら考えてもルカには人形からのメッセージを理解することは出来なかった。
「お見合いを終えて帰宅してからも、そのことがどうしても頭を離れませんでした。考えすぎでしょうか? 収入や将来性、家柄は、結婚相手としては最高ですし、もちろんイケメンであることも捨てがたい魅力です。そんな副島さんとの出会いを無にするのは、もったいない気もします。
・・・でも、もし愛してもらえなかったら・・・。私のわがままなんでしょうか?」
ルカはいたたまれなさを覚えた。苦しんでいるアオイさんを助けてやってほしい、と思いユイに視線を送った。
アオイさんを正面から見すえながら、ユイは表情を崩そうとはしなかった。
「苦しいお見合いになっちゃったのね。・・・わかりました。私の方から彼にはお断りの連絡をします。多分、今日中に彼からも連絡があると思いますので、その時に事情を説明しておきます。後は私に任せておいて下さい」
その口調に、曖昧さはまるでなかった。ユイの言葉を聞いて、アオイさんのこわばった表情がゆるんだように見えたが、それでもまだ不安そうな様子がうかがえた。それを察知したユイはさらにこう続けた。
「お相手は副島さんで終わりではありません。今回の経験を踏まえてあなたにあった男性を、次こそご紹介したいと思っていますので、楽しみに待っていて下さいね」
そう告げるとアオイさんは精一杯の笑顔を見せて、
「はい、楽しみにしています。よろしくお願いします」
と言って、深々と頭を下げた。
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