It's a Demon

「…………バレル?」

『どうしたよ、そんな顔をして。それに珍しいこともあるもんだな。いつもはお前とか、おいとかって俺を呼ぶのに、バレルだなんて。お前まさか、酔ってるんじゃないのか?』


 そんな冗談交じりの返答は返ってこなかった。いつものふざけた態度も、人の神経を逆撫でるようなあの凶悪なにやけ面も失われている。あれだけの出血量で、あれだけ深い創傷そうしょうだ。遠目からでも分かる――。


 バレル・プランダーは、死んだ。


「……ッ、…………?」


 なんだ、なんだこれは。私にとって人が死ぬなどいつも通りのこと。ならば思うことなんてなにも無い筈だ。だというのに、今私が感じているこれは一体なんだ?


 客観的にこの未知のなにかに言葉を当てはめるなら、恐らく喪失感という言葉に該当するんじゃないだろうかと思う。とは言え初めてのことなので、間違っている可能性は大いにあるが。


 それにしても……嫌だな、この感じは。どうしてこんな風になるのか。酷く不愉快な気分だから、さっさと切り替えてしまおう。


 そう考えて、私は脳内のスイッチを切り替えようと試みる。


 誰かと行動を共にしようとも――所詮は一時的なものに過ぎない。今回は少し長く行動を共にした人間との間柄が――片方の死という形で終わりを遂げただけのこと。失ったならば――別のもので代用すれば良い。今までだって—―そうしてきた筈だ。だからこの男が死んだとして—―私にとって何ら問題にはならない。


 だから大丈夫。私は、大丈夫――。


 短時間で何百回、何千回とそう自分に言い聞かせる。


 が、駄目だった。自らにどれだけ機械的な思考を徹底させようとも、目の前の現実が、バレルが死んだという事実が、私をいつも通りにしてはくれなかった。


 すると当然、出血とハングオーバーにギリギリのところで抗っていた体が、とうとう重力に屈する。そうして体を前に投げ出すと、冷たい地面が私の思考から熱を奪い、次第になにも考えられなくなった。なにもかもが薄れて行く。もう呼吸をするのも億劫おっくうだ。


 そうして私は、生きたまま自分の全てを停止させた。



 ***



 バレル・プランダーの死を確認した後、シャーロット・チョークスの方へ視線を向ける。どうやら彼女の方も限界だったらしい。微かな生気は感じられるものの、見るからに起き上がれるような状態ではなさそうだ。


 そんな彼女を見た私はなにを思ったのか、突如自分でも思いも寄らぬことを言いだした。


「彼女は、シャーロット・チョークスだけは連れて帰りますわ」

「なにをおっしゃるのですかお嬢様⁉ いけません‼ 危険でございます‼」


 キーツの言う通りだ。この少女は危険だし、それになによりも反抗的で、とても従えられるように人間じゃない。だから私は決別することを決め、何度も殺そうとした筈だった。けれど――。


「大丈夫、もう闘気なんて欠片も残っていませんわ。心配があるとすれば、このまま廃人に成り下がらないかということだけです」

「し、しかし……」

「三日かけて雇った五十五名が全滅。貴女もエルシーもウィンソープも手傷を負い、私に至っては……この有り様ですわ。こんな状態でなに一つ成果を得られないなんて、そんなことは絶対にあってはなりません。シャーロット・チョークスはハンバート家の、いえ、私の名に懸けて持ち帰ることを決めたのです。キーツ、それでもまだ、貴女は異を唱えるのですか?」

「…………、……いいえ、お嬢様の仰せのままに」

「ではキーツ、エルシー、悪いですが貴女たちはウィンソープをお願い。私は、彼女のことを」

「あの、お嬢様。倒れている他の者たちはどうなさいますか?」

「放っておきなさい。連れ帰ったところで、どうせ大した戦力にはなりませんわ」


 恐る恐る、シャーロット・チョークスの元へと歩み寄る。闘気は残っていない。それに間違いは無い。だとしても、この少女から一瞬でも気を許すと命取りになることを、改めて自らに言い聞かせる。


 そうやってまるで爆弾でも扱うように警戒しながら少女の体に触れると、一切の抵抗も無く抱え上げることができた。なんて軽い体なのだろう。驚く程に軽いその体からは、あれだけの猛威を振るった者とはとても思えなかった。


 フゥと、安堵の息を漏らしてきびすを返す。すると一瞬、視界の端に異様ななにかが映ったような気がして、違和感を覚えた方へ即座に視線を戻した。視線を戻した先、そこには、たった今死亡を確認した筈のバレル・プランダーが、まるで見えない糸に引っ張られるようにして、今にも立ち上がろうとしている姿があった。


 呆気に取られて無意識にした一つの瞬き。そうして次に目を開けたとき、私の目の前にバレル・プランダーが立っていた。


 振り上げられた腕。その手の中には、折れて背中のホルダーに仕舞ってあった剣の残骸が握られていて――。


「ヅアッ⁉」


 次の瞬きをするよりも先に剣が振り下ろされると、僅か数センチにも満たない刀身が深々と私の肩口に食い込む。


 激痛に耐えかねて、私は抱えていたシャーロット・チョークスを放してしまう。しかし彼女が地面に落ちることは無かった。痛みで硬く目を瞑った一瞬の隙に、男のもう片方の腕に奪い返されていのだ。


「き、貴様‼ お嬢様によくもッ‼」

「殺す‼」


 目の前の光景を見て逆上したキーツとエルシーは、左右から得物の槍と戦斧を繰り出す。しかし、エルシーの戦斧は柄も刃も一瞬でバラバラに切り刻まれ、キーツの槍は男の口で受け止められてしまう。


「は、離しなさ――」


 言い終わるよりも先に、キーツの体は槍を咥えた男に首の力だけで持ち上げられると、そのまま勢い良く地面に叩きつけられる。


「ガッ⁉」

「キー――」


 キーツの元へ駆け寄ろうとしたエルシーは、見えない衝撃波のようなものをその身に受け、気付いたときには遥か遠くの壁に、クレーターが出来る程の勢いで激突していた。


 目まぐるしく起こる信じ難い光景を目の前に、このときの私は完全に頭が混乱していて、肩に刺さる剣のことも、その痛みでさえも忘れてしまっていた。


 すると男は剣の柄に添える手を逆手に持ち替えて、まるで痛みを思い出させるかのように、私の肩口に剣の刃を押し付ける。


「あッ……⁉ ヅ、ぁぁぁぁぁぁ⁉」


 次第に激痛と圧力に耐えられなくなり、とうとう私は身を屈めるようにして地面に両膝を付かされてしまった。しかしその痛みが、与えられた屈辱が、静止しかけていた感情に火を付け、怒りを思い出させる。


 反撃を試みようと咄嗟に近くに落ちていた斧槍を掴み取ると、私はキッと男の方を睨みつけた――。


 それを私は、酷く後悔する。それは、とんでもない間違いだった。


「ヒッ……」


 睨みつけた視線の先、男の目と口があるべきその場所には、虚空が開いていた。深く開かれたくぼみは濃い闇を携え、ただ無感情に私を見下ろしている。


 肩の剣は尚もズブズブと音を立てて深々と突き刺さり、そこから勢い良く血が噴き出す。だというのに、私は今度こそ完全に痛みを忘れていた。幸か不幸か、きっと恐怖が麻酔の役割を果たしていたのだろう。


 もう誰も助けには来てくれない。いや、助けに来たところで、こんな怪物が相手ではもうどうにもならない。あぁ、駄目だ。このままでは肩から体を真っ二つに斬り裂かれて、きっと私はむごたらしく殺されてしま――。


「……バ……レル……」


 腕の中のシャーロット・チョークスがそう声を漏らすと、突如肩に掛かっていた圧力が弱まった。するとバレル・プランダーは前のめりに崩れ落ち、少女を抱えるようにしたまま地面に倒れ込む。


「――――ッ⁉」


 私は座ったまま慌てて距離を取る。しかし、倒れる二人はピクリとも動く様子は無い。それから少しした後、恐怖に震え、レイジスの枯れた気怠い体を持ち上げると、意を決して再び斧槍を掴み取った。


 チャンスは今しかない。


 今このときにも男が再び立ち上がるかもしれないという恐怖に打ち震えながら、一歩、また一歩と、私は足音を立てないようにして二人に近付いた。そうして確実に止めを刺せる距離にまで辿り着くと、震える腕で重たい斧槍を振り上げて、今度こそ躊躇無く決着を付けようとする。


 しかし斧槍を振り下ろそうとした瞬間、パァンという乾いた発砲音が響く。それと共に――。


「すまないが、そこまでにしてもらえるかな」


 そう声を掛けられた。

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