Wounded beast & Employer
「――キーツ、エルシー、やりなさい」
シャーロット・チョークスを捉える私のハルバートを中心に、メイドの二人が突き出した戦斧と槍が交差する。確実に彼女を串刺したと思われた次の瞬間、三本の長物が交差するその中心から、標的である彼女の姿が消えていた。
慌てて周囲を見渡すと、すぐに彼女の姿が見つかった。それは私たちの立つ場所から僅か目と鼻の先。一歩でも踏み込めば、三人のどの得物でも届きそうな距離に立っていた。
しかしその姿は、明らかに
好機――。
今ならば確実に仕留められると判断し、一気に下肢へ力を込めた。しかし地面を蹴り、飛び出そうとしたそのとき、突如脳の奥底から特大の危険信号が発せられる。咄嗟に進行方向とは真逆に地面を踏み込み、気付けば私は目の前の少女から距離を取っていた。
顔を上げた先で、私と彼女の視線が交差すると、私は今の自分判断に間違いが無かったことを確信させられる。虚ろに見えていた視線はこちらの敵意に反応して鋭く尖り、遅れて私の喉元に深々とナイフが突き刺さるイメージが脳裏に再生されたのだった。慌てて喉元に手を触れると、指先に血が付着していないことに、私はホッと胸を撫でおろす。
満身創痍? 好機? 違う、何もかもが間違っている。目の前の幼く見える少女は、言うなれば手負いの獣。僅かでも気を緩めようものなら、殺されるのは私の方だ。頭に浮かんだ僅かな油断も慢心も、全て払拭しなければならない――。
「キーツ、エルシー、ヒットアンドアウェイで時間を掛けて、確実に仕留めますわ‼ ウィンソープ、貴方は私たちの隙をカバーなさい‼ そしてゴロツキの皆様、我々がこの少女を取りこぼすか、或いは姿が消えたと思ったなら、真っ先に自分が襲撃されると考えて常に警戒なさい‼ 何があっても、一瞬たりとも気を許してはなりませんわ‼」
「「了解
「見事な
「さぁ、いきますわよ……“
***
第一陣はパトリシア・ハンバートが切った。相も変わらず大味で直線的な攻撃。この程度ならば、躱すのに全く支障は無い。が――。
左右からメイドの二人が長物を駆使し、第一陣からタイミングを遅らせるようにして攻撃を繰り出して来る。それも私は難なく躱すが、この僅かな合間で、初撃を放ったあの女に、体制を立て直す時間を与えてしまった。
三人は、 一、二、三。二、三、一。三、一、二と、次々に攻撃のパターンとタイミングを変え、絶え間なく攻撃を繰り出し続ける。しかも向こうにはまだまだ余裕があるようで、レイジスで肉体を強化しながら尚も、速度を上げてゆく。
突きを躱し、払いを避ける。クソ、攻撃の密度が濃い。相手にしているのはたったの三人だというのに、これではまるで、標的を追尾し続ける
二、三、一。三、二、一。一、三――ここだ――。
観察の中で見つけた極僅かな隙。そこに付け込むように、私はナイフを突き出した。しかし見つけた筈のその隙は、
長期戦に持ち込まれるのは不利だ。激しい運動を余儀なくされ、今も出血が止まらないでいる。攻撃を躱している間に別の策をとも考えたが、血の足りていない頭では打開策など浮かぶ筈も無い。
目がかすむ。思考が途切れる。時間が経つにつれ、死が近付いて来るようだ。いや、だからなんだという話ではないか。元より私には、生に執着する理由など無いのだ。失って困る物など、私は何一つ持ち合わせてはいない。私にとって命など、別に失っても構わないものだ。そうやって自分の生に執着していなかったからこそ、私は他人の人生を奪うことに躊躇などしなかった。それが今日までの私の命を繋いできたのではないか。だから今ここで私が終わったとしても、
そんなことを考えていると、突如フッと全身の力が抜ける。膝を付を付き、体がゆっくりと前のめりに倒れる。あぁ、起き上がれない。出血の影響か、或いはレイジスの枯渇でか。いずれにしても、私の体はこれでもう限界のようだった。
「フーッ……ようやく、大人しくなりましたわね。先ほどのような闘気はもう完全に失せていますわ」
悪態も、この場をやり過ごす時間稼ぎの言葉も出て来ない。肺も足腰も焼け付いて、思考を巡らせるのも
「シャーロット・チョークス、貴女は今でも殺すのが惜しいと思う程に素晴らしい逸材でしたわ。ですが、それ以上に危険だったのが悪いのです。もうこれで終わりにしますが……そうですわね、最後の言葉くらいは聞いてさしあげてもよろしくてよ」
「……死にかけの、獲物を前に……ダラダラと……。アマチュア、め……。チャンスを逃す、前に……早く、終わらせろ……」
「後腐れを無くしてくれて、感謝しますわ。そしてさようなら、シャーロット・チョークス――」
振り上げられたハルバートが届くまでの時間が、やけに長く感じる。こんなとき、過去の記憶が脳内を駆け巡る現象を、確か走馬灯と言うのだったか。例に漏れず私の頭にも過去の記憶が再生されるが、思い起こされるのは下らない人間と、下らない仕事のことばかり。
あぁ、本当に無価値で、下らない人生だった――。
そんなことを考えながら、ゆっくりと目を瞑る。するとどうしてかあの男の顔が瞼の裏に浮かび、“最後にもう一度だけ、あの男に会いたかったな”。なんて、そんな自分らしからぬことを考えていた。
意識を手放そうとした、そのとき――空気を震わせる落雷のような轟音が全身を叩き、沈みかけていた意識が無理やり覚醒させられそうになる。轟音と同時に耳に届いたのは、何かが弾けるような金属音と、「ヅっ⁉」という短い苦悶の声。それに加えてどよめく周囲の空気に耐えられず、私はとうとう痺れを切らして目を開けずにはいられなかくなった。
かすむ視線の先、そこには相変わらず私を見下ろすように立つパトリシア・ハンバートの姿。しかし私に向かって振り下ろされようとしていたハルバートはその手から離れ、近くの地面に転がっていた。
「……ッ、だ、誰です⁉ 出て来なさいッ‼」
ゴロツキたちは、自分ではないというアピールをしながら辺りを見渡す。するとあるところで、全員の視線が一人の男の元へと集まった。手の中の歪な金属の塊。その先端から吐き出される硝煙。ただ一人だけ、一切の動揺を見せないその姿は、堂々と自らを犯人であると物語っているかのようだった。
「クソ、今度のはたった一発でぶっ壊れちまった。またガラクタを押し付けやがって……。この街には、まともな銃を売っている店も無いってのか」
そう言うと、男は元は銃だった物の
「ウィンソープ‼ 誰なのです、この男は⁉ 貴方が連れて来たのでしょう⁉」
「……いえ、このような男、私は雇った覚えがございません」
「ハァ……⁉ あ、貴方‼ 一体何者なのです⁉ 名を名乗りなさい‼」
「他人に名前を聞くときは、まず自分から名乗れと教わらなかったのか? そいつは育ちの程度が知れるってもんだぜ、お嬢様」
「な、なんですって⁉」
「まぁ良い、先に名乗ってやるよ。俺の名前はバレル・プランダー。そこに倒れているシャーロットの雇い主さ。名刺が無いことは許してくれ。俺たちはまだこの街に越して来たばかりで、事務所の名前も決めていないんだ」
「……お、前……何故……?」
「マネキンみたいに顔の変わらないやつだと思っていたが、最近ようやくお前の表情の違いが分かるようになってきてね。今朝のは特に顕著だったんで、相談に乗ってやろうと思ってついて来たんだが。女特有の悩みだったっていうなら、俺じゃ役不足だったかい?」
「……ハッ……口の減らない……それでいて、本当に馬鹿な、男だ……」
「茶番はそこまでになさいッ‼ バレル・プランダー、この女は私たちに対して許されざる行為を働いたのです‼ 私はそれを粛清しなければなりません‼ 貴方には関係の無いことですわ‼ 早急にここから立ち去りなさい‼」
「あー……、許されざる……なんだって? あんた大層な
「ガ、ガキの喧嘩……? 恥の上塗り、ですって……? ……ッ、無礼なッ‼」
「まぁなんだ、それでも許せないって言うなら、雇い主である俺の方から謝るよ。迷惑を掛けて悪かったな。そいつは家に帰ってからちゃんと叱っておく。それで今日のことは忘れてくれないかな?」
「忘れろですって⁉ ふざけないで‼ そんなことで許される筈が無いでしょう⁉ 貴方には、この状況が見えないのですか⁉ そこの女はメイドと私兵十七人を負傷させた挙句、あまつさえ、この私の顔に傷を付けたのですよ⁉ 到底謝って済むことではありませんわ‼」
「なるほど、確かにそいつは大変だ」
「分かったのなら早々に――」
「まぁ待てよ、お嬢様。そっちの言い分を聞く前に言っておきたいんだが――」
突如として、周囲の空気が灼熱を伴いながら怒張する。発生源たる男は、顔に激しい怒りの感情を
「お前たち、うちの従業員を傷付けておきながら、被害者ヅラして帰れると思うなよ」
***
「良いか、もう一度言うぞ。このまま黙って俺たちを家に帰せば、今日のことは全て忘れてこっちから退いてやる。そうするだけでこれ以上誰も傷付かずに済むんだ。だったらお嬢様、そっちの方が良いとは思わないか?」
忘れろ、ですって。これだけ私のことをコケにしておきながら、手打ちにしろと? 冗談ではない。
見たところ、この男の武器は背中に古びた長剣が一つあるだけ。銃は先ほどの不意打ちで壊れてしまったようだし、シャーロット・チョークスのように、大量の武器を隠し持っているようには思えない。こちらとの戦力比は四十二対一。どっちが有利かなんて、一考する余地すらない。
だというのに、なんなのだろう。この男、バレル・プランダーの醸し出す得体の知れなさは。なにか一つ選択を間違えただけで、全てが壊れてしてしまいそうなこの予感は。いや、これは恐らく、ただの予感なんかではない。何故なら私はほんの数分前に、常軌を逸する例外的な強さを目の当たりにしていたのだから。
この男もまた、件のシャーロット・チョークスと同類だとするならば、例え全勢力を用いたとしても、半数を失うくらいの覚悟をしなければならないのかもしれない。そしてこれ以上尚も戦力を失うというなら、それは今後の目標を達成するのに大きな妨げとなるだろう。それにこの三十八名のゴロツキたちは、元々ウィンソープの手によって集められた人材。そんな者たちを、無理に意地を張って失うことなんて――。
「差し出がましいことを申し上げるようですがお嬢様、今このとき意地を張れない者が、いずれHDWのトップになどなれる筈がございましょうか」
私の心の内を見透かすように、ウィンソープが言う。そこに悪意は無く、全ては私の為を思っての言葉なのだろう。しかしこの男の全てを悟っているかのような物言いが、時折どうにも酷く嫌になることがあるのだ。故に私は即座にその提案を聞き入れず、従順な従者に対して反論を試みる。
「……そうは言いますが、ウィンソープ、これは元を正せば、貴方の集めた人員ですわ。それを安易に使おうとするなど、上に立つ者の器として相応しくないのではありませんか?」
「元よりお嬢様の為に用意した者たちにありますれば、如何様に使われましょうとも、それはお嬢様の自由にございます」
「私の目算では、半数は取られると考えているのですが」
「先ほどのことを考えますと、妥当な判断でございましょう」
「大幅に目標が遅れることになりますわ」
「お嬢様のその目標も、早々に達成できるものではございません。長い目で見るのが宜しいかと存じます」
「…………」
「お嬢様、失うのは精々三十と八。一人で百や千もの価値がある者たちではございません。お嬢様さえ無事であるならば、幾らでも取り返しの付く数でございます」
「…………、良いですわ。ならば全員でその男を叩き潰しなさい‼ 功績を上げた方には追加で報酬をお支払いします‼ 早い者勝ちですわよ‼」
「「「「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ‼‼」」」
宣言と同時に、三十八人のゴロツキたちは報酬欲しさに我先にと男の元へと疾駆する。すると標的のバレル・プランダーは背中の剣に手を掛け、抜き放ち、ゆっくりとした動作でそれを振り被った。どうやら飛び道具のような類の物を持ち合わせてはいないらしい。ひとまず、この男がシャーロット・チョークスのような特異性を持ち合わせていないことには、安堵しても良いのだろうか。
例えどれだけ剣の腕が立とうとも、向こうはたかが一人。こちらも多少の犠牲は避けられないにしても、真正面から戦うのであれば、数で優るこちらが圧倒的に有利に決まっているのだから。
内心で勝利を確信して口元が緩みそうになると、突如この辺り一帯に、目を閉じずにはいられない程の爆風が吹き荒れる。どうにか薄目を開けて、周囲の状況を確かめようとすると、男の方へ真っ先に駆け出していたゴロツキたちは今の爆風で遥か後方へと吹き飛ばされ、後を追うようにしていた者たちもまた、その大半が地面に倒れ伏していた。
少しして風が止んだ頃、爆心地と思われる方へと視線を向ける。そこには剣を振り抜いたままの姿勢で佇むバレル・プランダーの姿があった。
「……今のは、一体……貴方、何を……」
「別に変わったことはしちゃいない。ただ剣を振り回しただけさ」
「ふ、ふざけないで‼ 剣を振り回しただけで……こんな、馬鹿なことを……」
「急かすようで悪いが、こっちにはお喋りしている時間は無い。だから今のが最後の警告ってやつだ。そっちがまだやるつもりだってんなら、この次は首と体が繋がっている保証はできないぜ」
駄目だ、この男と戦ってはいけない。シャーロット・チョークスは規格外の強さだったけれど、この男の異質さはそれ以上だ。早く、この男の気が変わる前に、撤退を――。
そう決断しようとしたそのとき、ビシッと、硬質な何かに亀裂が走るような音が鳴る。すると間を置かず、男の持つ剣の刀身が根元から折れて、ゆっくりと地面に落下し、カランカランと乾いた音が周囲に響き渡った。
目の前の光景を見た後に脳内で行われる葛藤。撤退と交戦とで幾度も揺れる思考の果て、ついに私は決断を下す。
「――今ですわ‼ その男にもう武器はありません‼ この機を逃さないで‼」
今の爆風で怯み怖気づいていたゴロツキたちは、男にもう武器が無いことを認識すると、躊躇いながらも再び標的へ向かって駆け出した。
***
「……こんなときに折れるなよ」
悪態を付きながら折れた剣の残骸を背中のホルダーに戻すと、徒手空拳の構えを取りながら、口うるさい師匠が散々言っていた言葉を思い出していた――。
『剣とは折れる物だ。常に折れたときのことを想定し、二つや三つ、他にも武器を携帯することを忘れるんじゃない。例えロストグラウンドや遺跡なんかの
確か、そんなことを言っていたのだったか。ただ俺がそれを今まで忘れていたのは、素手での戦闘訓練と称して、まさに文字通り散々拳を叩き込まれたからではなかったか。ったく、あの暴力女め。人にものを教えるなら、記憶が飛ぶまで殴るんじゃねぇよ。だが皮肉にも、忘れてしまいたくなくなるくらいには拳を喰らったお蔭で、こういう場合の対処方法は、しっかりと体が覚えている。
真っ先に攻撃を仕掛けて来たやつの攻撃を躱し、次々と拳を叩き込む。その間に手ごろな武器を奪い取って、尚も迫りくるゴロツキたちを往なし、あしらい、拳と蹴りを繰り出し続けた。
そうして何人もの相手をしている内、徐々に四方八方からの攻撃が俺の体を掠めるようになり、次第に傷の数と深さを増してゆく。
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