Why me……

 マズい、一気に形成が傾いた。


 残りの武装はスローイングナイフが十二本とダガーナイフが二本だけ。相手は追加された戦力三十八に加えて、厄介なのが目の前に四つ。それもほぼ無傷な状態で残っている。


 浅はかだった。変に体の調子が良かった為か、却って周囲への警戒を疎かにしてしまっていた。


 この状況を打開する為に考えられる手段は概ね二つ。一つは敵の頭を潰すこと。


 周囲の連中はパトリシア・ハンバートに金で雇われただけの傭兵だ。ならばその資金源さえ潰してしまえば、連中が私を狙う理由は大幅にブレることとなる。


 しかし残りの手持ちの武器で、しかもこれだけの人数に狙われながらの状態であの女一人だけを仕留めるというのはあまりにも難易度が高い。最低でも周囲の傭兵たちさえいなければ、物陰に隠れながらステルス状態を駆使し、投擲による遠距離攻撃での不意打ちで時間を掛けて確実に仕留められたのだろうが。よってこの選択肢は除外される。


 ならばもう一つの選択肢は逃走。


 不可能ではない。戦力の薄い場所を突き全力で駆け抜け、即座に人ごみに紛れてステルスを駆使すれば、ほぼ確実に捕捉されることなどなく逃げ切れるだろう。このプランの成功率は非常に高いと言える。


 しかしこのプランには同時に大きな懸念を内包している。それは私が逃げおおせた後、連中が街中で暴れないという保証が無いということだ。


 主のパトリシア・ハンバートは、この街で自らの誘いを断った者をことごとく再起不能にしているらしい。ここまで部下を引き連れて私を追いかけてきことからも、あの女の執念深さは相当なものだろう。もしも私にまんまと逃げられてしまったなら、人海戦術を駆使して街中をしらみつぶしにすることだって考えられる。


 いや、だからなんだと言うのだ。誰に迷惑が掛かろうとも、私の知ったことではない。それに追いかけられるのが面倒になったならば、私だけでさっさとこの街を出れば良いだけのことだ。そう私一人で……――。


 どうしてか、あの男の顔が浮かぶ。


 どうしてだ、何故今あの男のことを考える。今この状況に、あの男は一切関係無い筈じゃないか。集中しろ。闘争か、逃走かだ。いや、私ならば生存確率の高い方を選ぶ。考えるまでも無い。


 逃走一択――。


 想定開始。逃走までの経路と動作をシミュレート。工程をプログラミングして最適化。最適解及び、不測の事態が生じた際の対応策構築。全行程構築完了。


 実行開始――。

 

 そう、私はまずなによりも、生き残る為に逃走を選択する。する筈だった。しかし、だと言うのに、結局私の取った行動は、私自身全く予想していないものとなってしまった。


 私はベルトに残っていたスローイングナイフを全て引き抜くと、最も突破するのが困難だと思われている方向、つまり、パトリシアとその従者の立つ場所に向かって全てのナイフを投擲する。


 なんで、どうして私はこんな愚かな行動を取った?


 当初の予定では、逃走方向とは別の場所にナイフを投擲し、場が混乱している最中に最も敵の配置の薄い所を狙って最低限の動作で突破するという計画だった筈だったではないか。これでは予備に構築した第二、第三の逃走プランを選択することすらできはしない。


 ならば目の前の四人を打倒してこの場を切り抜けるか? いや、こんなにも直線的なだけのナイフの投擲では、パトリシア・ハンバートを含む四人の打倒など、いくらなんでも無理が――。



 ***



 私は目の前の現状に困惑を禁じえなかった。


 目前から迫るのは投擲された十二本のナイフ。これは、一体どういうことなのか。あれだけ異質な攻撃を精密に繰り出せるシャーロット・チョークスがやったにしては、あまりにも単純で大雑把が過ぎる。


 一瞬、逃走する為に撒いた目くらましとも考えたが、恐らくそれは無いだろう。何故なら今の彼女はまさに無防備そのものだし、なんならその表情は自分の取った行動に自ら困惑しているようにさえ見える。


 だとするならば、或いは……本気でこの私を打倒するつもりだったとでも? こんな単純極まりない直線的な攻撃で?


 普段の私ならば見下されたと解釈して、確実に激怒していたことだろう。しかし、この単純極まりない行動を取ったのがあのシャーロット・チョークスだったというのだから、まずどうしても疑念を抱かずにはいられない。無防備そのものに見える今の状態も、その困惑の表情も、全てが私をおとしめる為につくろった罠なのではないかと。


 ならば私はどうするか。いや、攻撃する以外の選択肢は無い。


 このときの私は目の前の状況を罠だと判断できるだけの冷静さは欠いていたし、そもそも普段からして、好機と感じたなら例え罠であっても攻勢に出る程度に私は直情的だ。少なくとも今、目の前の状況は好機以外の何物にも見えない。


 私が選択したのは直線的かつ最短で放てる突撃体制チャージアタック。瞬時に練り上げたレイジスを全身に循環させて肉体を強化し、低い姿勢からハルバートを構え、地面を蹴って直進する。


 その際前方から飛来するナイフは、前進方向に発生させたレイジスの衝撃波によってその全てを弾き飛ばした。そのまま突撃の勢いは止まらず、斧槍先端のスパイクが今度こそ標的を捉えて貫いた。



 ***



 ザクリと肉を刺し貫く鈍い音。それから一瞬の静寂の後、パタパタと液体が地面を叩く音が周囲に反響する。


 鈍くも鋭い激痛。突き出されたハルバートの先端は、私の左脇腹を抉るように掠めていた。斬り裂かれたボディーアーマーの内側から勢いよく血が溢れている。恐らく太い血管が傷付いたのだろう。


「……憎たらしい程の反応速度ですわね。貴女は今確実に、完全に無防備な状態だった筈。だというのに、尚も止めを刺し損ねるとは」


 そう、私は致命的なダメージを負ったものの、致命的な状況だけはどうにか回避した。スパイクが体を抉る直前、半ば無意識的にこの女との距離を詰めた上で鉤の部分にダガーナイフを宛がい、薙ぎ払い等の二次的な攻撃を防いでいたのだ。


「それに解せませんわ。貴女、どうして逃げなかったのです? あんなお粗末な攻撃で私を倒せるなんて考える程、貴女は愚かではないと思っていたのだけれど」

「……さぁ……私にも、分からない……。ただ、どうしてか……今回だけは逃げたくない、と……そう、思っただけ……だ……」

「……ふぅん、そう。…………、ねぇ、シャーロット・チョークス、今一度言いますが、貴女、私のモノになりなさいな。今回のことを謝罪し、今後私に絶対の服従を誓うならば、私が与えられる最高の待遇で貴女を迎え入れてあげますわ」

「……どういう、心境の変化、だ……。私を殺す……のでは、なかったのか……?」

「貴女の戦力が百の雑兵よりも上だからですわ。それに認めましょう、今は私よりも貴女の方が強いと。貴女の戦力は、今後私の目標を達成するのに必要不可欠だと確信したのです」

「……大層な、評価をされた……ものだ……」

「これは特例。貴女がこれ程優秀な人材でなければ、絶対にあり得ない例外の待遇ですわ。ですが、これが最後のチャンスです。もしも断ったのなら、次こそ命はありませんわ。さぁ、すぐに返事をなさい」


 ここが潮時だろう。こんな状態でこれだけの人数をたった二本のナイフで相手にするなんて、あまりにも心もとない。


 脳裏を過る誰かの顔。これは、一体誰の顔だったか――。


 そもそも私は、どうしてこの女の手を払いのけたのだったか。気に入らない雇い主の下で汚い仕事をするなんて、そんなの私にとってはいつものことだった筈じゃないか。


 誰だ。暗い闇の底に沈んだ私の腕を掴んで、無理やり引っ張り上げようとするこの男は――。


 この女は私を好待遇で迎え入れると言っているのだ。なにを拒むことがあろうか。少なくとも現状この女に付き従えさえすれば、命と待遇が保証される。


 金じゃなくて、待遇じゃなくて、そうだ、私はなにか他の、別のなにかを欲していたような――。


 駄目だ、出血が酷い。思考能力が低下してきた。今はとにかくこの女に従属の意志を見せて、治療を受けなければ。なにもかもが、手遅れになる前に。


「――嫌だ。私は、お前の下に……付かない……」

「……そう。キーツ、エルシー、やりなさい」


 後方から迫る二人のメイドの気配。あぁ、もう。どうやら私はとっくに手遅れだったらしい。

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