完全殺戮空間

「ウィンソープッ‼ 殺しなさいッ‼」

「ハッ、承知しました」


 激昂げきこうするパトリシアの命で、執事の男はもう片方の手にナイフを構える。刃の片側に凹凸の付いた形状のそれはソードブレイカー。中距離をレイピアで攻撃と牽制けんせいを行い、近距離ではソードブレイカーをという守備主体の戦術であるらしい。


 今の私のナイフを弾いた突きの太刀筋と言い、半ステルス状態の私を一瞬で捕捉する鋭敏さと言い、そこの女よりも数段厄介な相手と考えるべきだろう。


 執事の男に倣うように私ももう片方の手にナイフを持ち、身構える。しかし執事は私とパトリシアを遮るようにして立ち尽くすだけで、先に仕掛けて来る気配が無い。


 互いにけんの姿勢。向こうに動く気が無いならばカウンターは狙えない。遠距離から仕掛ける手が無いでは無いが、早々に手の内を見せるのは避けたいところ。なのだが――。


「なにをしているのですウィンソープ⁉ 私は殺せと命令したのですよ⁉」

「暫しお待ち下さい、お嬢様。万全を期する為でございます」


 先程から、なにかが頭に引っかかっている。この執事は見の姿勢を見せてはいるが、それはこちらの様子を探っているという風ではない。別のなにか。そう、例えば、これは、時間稼ぎ――。


 時間の経過が自らの不利を招くと判断した私は、プランを変更し、即座に攻撃プログラムを組み立てる。


 ――思考終了。


 初撃、右手のナイフを投擲とうてき。動作を読み取られぬよう最低限の動作で放たれたナイフは、執事の喉元へ向かって一直線に飛ぶ。しかし執事は即座にそれに反応し、レイピアを構えて迎撃の体制を取る。


 大した反応速度だ。が、投擲はフェイク。私の目的は他にある。


 私は地面を蹴り疾駆すると、宙を直進するナイフに追い付いてそれを掴み取り、二度、三度とフェイントを織り交ぜて執事に斬りかかった。虚を衝かれた執事はなんとか反応しようとするも、本命の一刀が執事の太腿の上を滑る。


 強い違和感。ナイフから手に伝わって来る感触は異様な程に硬質で、皮膚と肉を斬り裂いたものではなかった。


 咄嗟に数歩、距離を取る。すかさずたった今ナイフでなぞった執事のズボンの辺りに目をやると、そこには黒い光沢が顔を除かせていた。


「……ボディーアーマーか。服の下に着ていたにしては、目立たないな」

「HDWの新製品でございます。薄く、頑丈で、服の下にも忍ばせられる機能性を有しております」

「それは良い。そんな物が支給されるなら、お前たちの下で働くのも悪くはなかったかもしれない」

「それは残念でございます。ですが、私はお嬢様より貴女様を殺せと命じられましたので、それは叶いかねる望みでございましょう」

「お前に私が殺せるか? さっきから、全く動く様子が無いが」

「我々HDWのコンセプトは道のりを盤石とすること。貴女様は優秀でいらっしゃる、とても私一人の手には負えない。よって、今私にできる現状の最善策は――」

「――時間稼ぎご苦労でした‼ ウィンソープ‼」


 上空から、こちらへ向かって戦斧と槍の一撃が交差するように飛来する。武器を手にしていたのは、パトリシアの傍に控えていたメイドの二人。二対の長物は逃げ場を塞ぐように繰り出されるが、それを私は難なく躱し、標的を捉え損ねたメイドたちの得物は地面を揺るがす衝撃を伴って地面に突き刺さった。


「お嬢、様……その、お顔は……ッ‼ エルシー‼ 私はお嬢様の治療をします‼ 貴女はウィンソープと共に、その野良犬の相手をなさい‼」

「了解」

「勝手なことを言うんじゃありませんわ‼ 治療なんか今はどうだって良いの‼」

「で、ですが、お嬢様……」

「それに、その女を最後に殺して良いのは私だけですわ‼ そんなことも分からない愚図だというなら、あなたたちは邪魔だからどいていなさい‼」

僭越せんえつながらお嬢様、この少女が相手では我々が四人掛かりでも苦戦を強いられることと思います。ここはHDWの理念に則り、万全の術で手を打つべきかと」

「私に意見するつもりですか⁉ 立場を弁えなさいッ‼」

「お怒りはごもっともです。しかしこの場だけはどうか、私めの戯言にお耳を傾けていただけますれば」

「フーッ……‼ …………、フー……。なにか、策があるのでしょうね?」

「策と言う程のものではございませんが、単純明快に、数の力でこの場を収めるというのは如何でございましょう」


 執事の男がそう言うと、周囲から武器を持った男女の集団が現れた。この連中は、確かさっきの広場にいた――。


「この場で使うことが最善と判断し、お嬢様の集められた私兵をこの場にご用意させていただきました。全ては私の独断でございます。お叱りは後ほど如何様にでもお受けさせていただきますれば」

「……いえ、良いですわ。ですが、殺すことは許しません。その女には、私の顔を傷つけ侮辱したことを存分に後悔してもらわねばならないのですから」

「ハッ。皆様、お聞きの通りです。その女は殺さずに捕らえて下さい。報酬は応相談といたします」


 その言葉を皮切りに、周囲を取り囲んでいた者たちは私の方へ向かって一気に押し寄せて来る。


 ……九……十七と、目の前の四人か。


 正面切っての白刃戦は望むところではない。それも多人数を相手に、自分の身を晒した状態で戦うなど、今までの自分ならば確実に避けている状況だ。しかも勝ったところで、なんの利益も得られない。


 だがどうしてだろう、体の奥底から幾らでも力が沸いてくるようで、今だけは、こんなにも無意味で無価値で非合理的なことをしたって構わないと私は考えている。


 ならば、今回に限りその無意味さを享受きょうじゅしよう。何せそれが今は、一番気分が良いのだから。


 ‟完全殺戮空間パーフェクト・ルーム”。実行開始エクスキューション――。



 ***



 十七人の私兵を目の前にしたシャーロット・チョークスは、両手のナイフをホルダーに仕舞うと、おもむろにコートの下に着ているベストのボタンを外す。ベストの内側、そこには何本ものナイフがベルトに括りつけられていた。


 持ち手の部分が極端に細く作られているそれは、スローイングナイフという投擲に特化した種類のものだということが分かる。それを数十本、抜く手も見えない程の速さで引き抜くと、少女を中心として全方位にナイフが飛ぶ。


 超広範囲のナイフの投擲術に、先行していた私兵を中心として何人かが犠牲となった。が、正直警戒する程のこともないだろう。


 確かに一見派手には見えるが、これだけ大量のナイフを広範囲に投げているのだから、命中精度はかなり低い。事実、投擲され刺さったナイフは全体の内ほんの数パーセント程度で、その大半はあらぬ方向へと飛んで行き、壁に当たり、床へと落ちて行く。


 ……。…………。


 いや、おかしい。どうしてこの女は意味も無く、武器の大半を誰もいない所へ投げ散らかしている?


 確かに、これだけ大量のナイフを一度に投げたのなら、その大半が外れるのは当たり前と言えば当たり前のことかもしれない。しかし、あれだけ正確な投擲ができるこの女が、こんなにも雑で無駄なことをするだろうか。


 意味があるとするならば、目的は……目くらまし? いや、何の根拠も無い勝手な想像だけれど、この少女の印象にはどうにも当てはまらない気がする。他三人の従者たちもこの状況に違和感を覚えているようで、困惑の表情が読み取れる。


 なにか大変なことが起こるのではないかという予感。そしてその予感は、正に正鵠せいこくを射ていた――。


 最初の投擲から一、二秒が経過した頃、私の目と鼻の先を、一瞬、高速でナイフが掠めて行く。


 ハッとしてシャーロット・チョークスが立つ場所に視線を向けると、たった今までそこに居た筈の少女の姿が消えていた。いや、それよりも、少女の姿を確認する暇も無い程に、目の前を四方八方へ高速でナイフが宙を飛び交っている。


「な、なんですの⁉ これは⁉」

「あの少女はどこへ⁉」


 辺りには今も絶えずナイフが乱れ飛び、周囲の私兵たちを次々に襲撃して行く。十七人の私兵たちはあっという間にその数を半分に減らし、第二派、第三派を生き延びた者の体には既に何本ものナイフが突き立てられ、遠目からでも満身創痍なのが見て取れる。


 そんな中、こちらへ向かって飛来する四本のナイフの姿を視界に捉えた。ただおかしなことに、そのナイフの刃は前を向いておらず、柄尻の方を先端にして飛んで来ている。しかもその四本とも私たちから軌道が外れており、このままではただあらぬ場所へ当たるだけだろう。


 カィン、と金属音が鳴ること四度。予想通りにナイフは柄尻から壁や床に当たって跳ね返り、宙空でクルクルと回転して――。


「……――ッ⁉ 防御姿勢ッ‼」


 そう叫びながら防御の構えを取ろうとすると、周囲で跳ねていたナイフの一本が私の体目掛けて飛び掛かって来る。咄嗟に体が反応し、私はそれをなんとかハルバートの柄で受け流した。今の一撃を最後にナイフの嵐は止み、辺りには針のむしろにされた十七人の私兵たちが倒れ伏していた。


 被害状況確認。私兵……全滅。私、ウィンソープ、キーツは無傷。エルシーは――。


「……負傷……不甲斐、ない……」


 エルシーの左肩には、ボディーアーマーを貫通してナイフが突き刺さっていた。出血具合からして致命傷と言う程のことはないけれど、武器を使うには僅かなりとも支障が出るかもしれない。


「大した実力だ。今ので全員を仕留めるつもりだったのだが」


 生き残った私たち四人の目と鼻の先。今まで姿の見えなかったシャーロット・チョークスは、さも最初からそこに立っていたと言わんばかりに佇み、そう言った。


「……こんなこと、起こって良い筈がありませんわ……。貴女が今やって見せたことなんて、妄想を通り越して空想のような出来事ですもの……」

「その口ぶりだと、なにが起こったのか見えていたようだな」


 最初の全方位への投擲術。一見超広範囲への攻撃を目的としていたように思えたが、それは間違いだった。私兵たちに刺さるようにして投げられたナイフは、むしろただのおとり。この技の本質は、柄尻を前にして壁や床に投げられたナイフにこそあったのだ。


 丸みのあるナイフの柄尻が壁や床に当たって跳ね返り、宙空にて丁度掴みやすい位置でフリーになると、ステルス状態のシャーロット・チョークスはそこへ一瞬で移動してからそれらを掴み取り、再び対象か、或いは別の壁や床に向かって投擲していた。


 私たちは死角から次々とナイフの的にされて行く私兵や、宙を飛び交うナイフにばかり気を取られ、結局訳も分からぬまま、自分たちが標的になるその瞬間まで気が付くことができなかった――。

 

「――……、それで、合っていますわね?」

「正解だ。大人数をけしかけたんだから、こうなったのも自業自得と割り切るんだな」

「……ッ‼ あ、有り得ませんわッ‼ こんな芸当……現実的にできる筈がありませんもの‼」

「いや、実際にお前が自分の目で見た通りだ。目の前の現実が真実だ」

「クッ……。…………、ですが、私兵を全滅させたとして、今と同じ技はもう使えないでしょう? 今ので相当量ナイフを使ってしまったのですから。いえ、仮に出来たとして、タネの割れた手品では威力半減も良いところですものね」

「できない、とは言わないが、端から同じことをするつもりも無い。そもそも今なら、真正面から戦ってもお前たち四人に引けを取らないだけの自信がある」

「その話を聞いて安心いたしました」

「……なんだと?」

「……ウィンソープ?」

「今ともう一度同じことができるというならば、私のもう一つ手を打てなくなる恐れがありましたので、安心した、と申し上げたのです」

「言っている意味が分からないな。そこの執事は遠回しにものを言うようにしつけられているのか?」

「突然失礼いたしました。そしてお嬢様、お嬢様のお力になるべく勝手な行動していたことを、どうかお許し下さい」

「……ウィンソープ、なにを言っているの?」

「はいお嬢様、こういうことでございます」


 ウィンソープがパンパンと手を叩くと、周囲の物蔭から武器を持った、正にゴロツキと言った風体の者たちが現れた。しかもその数は、今日まで私が集めた私兵の倍以上。


「……これは、一体……」

「お嬢様の目的を達成する為、微力ながら秘密裏に揃えておりました。質はお嬢様の選ばれた者たちと比肩しても劣らぬ者を選別したつもりでございます。無用でございましたでしょうか?」

「……いえ、ウィンソープ……良く、やってくれました……。やはり私は、まだ貴方には敵わないようですわね」

「最上のお褒めの言葉、痛み入ります。それではこれより皆様には、お嬢様の指示に従っていただきます。さ、お嬢様」

「……シャーロット・チョークス、これだけのことをしでかして、最早タダで済むとは思っていませんわね? 総員‼ 数の暴力を持って蹂躙じゅうりんなさい‼ 成果を上げた者には相応の報酬と、私の後でそこの女を好きにする権利を与えますわ‼」


 集まったゴロツキたちは品の無い歓声を上げながらシャーロット・チョークスに向かって疾走する。


 本来こういうのは私の趣味ではないのだけれど、今だけはこの粗野で荒々しい者たちの品の無さが、私の奥底にあるなにかを激しく昂らせているようだった。

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