10 Select and……

Multiplied by ‟Zero”


 ――三日後 ジャンブルポール 中央街西部 飲食店通り――


 簡素なテーブルの上に敷かれた純白のテーブルクロス。その上に置かれたお気に入りの高級ティーカップが、誰の手に触れられることもなくグシャリと音を立てて砕け散った。


 同じ目に遭ったティーカップは今日だけで三個目。その度即座に執事のウィンソープが新しいテーブルクロスとカップを用意し、飲まれることの無いお茶を注ぎ直す。


「…………、……遅い。この私をここまで待たせるなんて……。不敬を通り越して極刑に値しますわ……」


 三日前にあの少女と交わした約束の時間から、既に一時間以上が経過していた。最初の内は苛つきながらもHDWの社長令嬢としての威厳を保つ為、従者たちに寛大な姿勢を見せていたのだが、私の我慢のキャパシティーは既に遥か限界を超えていた。


「お嬢様、あの少女は諦めてもよろしいのではありませんか? もう既に十七人の私兵がお嬢様の配下として加わった訳ですし……」

「……そうですわね、キーツ……。…………ッ、そうッ‼ 十七人‼ たったの十七人ですのよ⁉ 当初の目標であった二十人から三人も足りませんわ‼ HDWの名前を出した上、三日も時間を要してたったの十七人‼ こんなこと、あって良い筈が無いでしょう⁉」


 怒りで溢れ出したレイジスを収めることができず、用意されたばかりのティーカップは再び砕け散り、液体がテーブルの上に広がって行く。


「存じております……。しかしそれは、この街の住民たちが身に余る栄誉を理解できない下衆な不届きものであったというだけのこと。不足分は現地で補充するということにしてはいかがでしょうか?」

「…………ッ、……それでも、あの少女だけはなにがなんでも持って帰りますわ。でなければ……」


 後ろの席に控えているのは十七人の男女。その誰もが好戦的で自信に満ち溢れた表情をしている。今日までに私がスカウトして集めた者たちだ。


 私の目標は、世界統一アリーナチャンピオン決定戦“Master’sマスターズ”での優勝。それを達成すべく、私はアクセルギアメーカーの社長令嬢という立場を存分に活かしつつ、それに奢ることなく今日まで努力を積み重ねて来た。幸いにもジニアンとして突出した才覚にも恵まれていたらしい。


 だけど、それだけではまだ足りない。ハンバート家家訓、それは道のりを盤石とすること。恐らく今の私でもマスターズへ挑戦すること自体はそう難しいことではないかもしれない。が、優勝するともなれば話は変わる。


 魔境とも言われるアリーナ上位に巣食う者たちを追い落とし、圧倒的な勝者となる為に必要なもの、それは私以外の戦力だ。今回この街で私兵を集めていたのは、言わばアリーナ統一チャンピオンへの道のりを盤石にするための試金石。そのつもりだったのだが――。


 改めてスカウトした十七人の顔を見渡してみる。どれもこれも悪くはない。それでもとうとう、最後まであの少女を超えるような人材は手に入らなかった。あの少女の顔が脳裏を掠める度、妥協や譲歩という言葉がチラついて仕方がない。


 故にイラつく。一番欲しいものが手に入らず、二番手、三番手以下の代用品で妥協させられているようなこの状に。


「……チッ。あぁもう‼ 我慢なんてできませんわ‼ キーツ、エルシー、ウィンソープ‼ 街へ繰り出してしらみつぶしにしますわよ‼ 必ずあの少女を見つけて連れ帰るのです‼」

「お、お待ちくださいお嬢様。なにも、そこまで……」

「うるさいですわ‼ 言ったでしょう、あの少女だけは絶対に――」


 不意のこと、ほんの一瞬、視線の先、私の視界にあの少女の姿が映る。しかし少女はなにも言わず、スッとまばらな人の中へと姿を消した。


「み、見つけました……あの少女ですわ‼ 行きますわよ‼」

「お、お嬢様⁉」


 メイドのエルシーに持たせていた愛用のハルバートを手に取ると、少女を追って私は一気に駆けだした。後方ではメイドのキーツがなにかを叫んでいるようだが、そんなことは気にも留めていられない。


 決して多いとは言えない人を掻き分けて、少女の立っていた場所まで辿り着く。しかし、そこにあの少女の姿は無かった。周囲を見渡してみても、覇気の無い顔の住民たちが私に訝しむような表情向けているだけ。


 見間違い? 幻覚でも見ていた?


 ため息を一つ吐いて頭を落ち着かせようとしたそのとき、再び視線の先、人ごみの先にあの少女の姿を見つける。


 見間違いではない‼


 今度こそ確信を得ると、力いっぱい少女の方へと疾駆しっくする。


 が、まるで追いつけない。近づいたかと思えば姿が消え、手が届くと思えば遥か遠くにいる。それはまるで、幻でも追いかけさせられているかのように。


 そうして暫く焦らされるように追いかけっこを続けていると、私の中のなにかが限界を迎える。常時微弱に流れているレイジスの通り道へ、体の中心部にある蓋を開いて一気にレイジスを流し込む。


 爆発的に循環させたレイジスで肉体が強化されると、筋肉が怒張し、伸縮性のあるボディーアーマーが張り詰め、羽織っていたカシミヤのコートで体が圧迫されるような不快な感覚を覚えた。


「邪魔ッ、ですわ‼」

 

 脱ぐ暇も惜しんでコートを引き千切って捨てると、足の裏、そして大腿に意識を集中し、一気に地面を蹴る。


 生み出した膂力は一気に体を前方へと運び、数歩の後、建物の壁に飛び移った。重力によって壁から下へ引っ張られるよりも早く足首を反転させ、再び少女の方へと一気に跳躍する。


「待っていなさい‼ 貴女は私のモノですわ‼」



 ***



 気が付くと、全く知らない場所に立っていた。辺りには一切人の気配が無い。息を整えつつ上を見上げると、そこには曇天どんてんが広がっている。空が見えるということは、ここはジャンブルポールの中で最も外に位置する危険地帯、アウトサイドと呼ばれる場所であるに違いない。


 ここまで私は全力で駆けて来た。ともすれば、私は求めるあまり、在りもしない少女の幻を追いかけて来たということになるのだろう。私の全力で追い付けないことなど有り得ないのだから。


「はっ……はっ……はっ、ふぅ……。バカバカしい……」


 自己嫌悪を振り払うように悪態を付き、踵を返して来た道を戻ろうとした、そのとき――。


『全くだ。街中で、それも比較的平和なミッドサイドで暴れる奴があるか』


 どこからか聞こえるあの少女の声。しかし、どこを見渡しても少女の姿は見当たらない。


「――ッ‼ 貴女ですわね⁉ 出て来なさい‼ 鬼ごっこもかくれんぼも、もうお終いですわ‼」

「隠れるもなにも、最初から私はここにいるが」


 その言葉は、まさに目の前から掛けられた。驚いて数歩距離を取ると、今まで私が立っていた場所からほんの一歩も離れていないその場所に、あの少女の姿があった。


 レイジスによるステルス? いや、それにしては異質すぎる。誰もいなかった筈の場所から突如現れるかのように見えた今のそれは、気配を消すだなんて生易しいものではない。完全に存在を消していたとしか思えないような芸当だ。


 しかも少女の姿は今確かにこの目で捉え、私のレイジスサーチの範囲内に収まっているというのに、尚もその存在を曖昧にしか知覚できないでいる。


「……貴女、今……なにをしたというの?」

「なにって、この前と同じことだ。三日前にも見ただろう?」

「ざ、戯言ですわ‼ 三日間と同じですって⁉ それがレイズステルスだというなら、完成度がまるで別物ではありませんか⁉」

「そうかもしれない。あのときは少し、調子が悪かった。だが、これが私本来のステルスだ」

「……そんな、まさか……嘘、でしょう……?」

「疑り深い女だ。それなら、信じられるように証拠を見せてやろう」


 そう言って少女はコートのポケットに手を入れると、四つの小さななにかを取り出して私に見せる。少し考えた後、それが何であるかを認識すると、私は再び驚愕させられることとなる。それは、先ほど私がレイジスで砕いてしまったカップの持ち手の部分だった。


「コペンハーゲンのカップを四つも駄目にして。しかもこんなに良い茶葉を飲まずに捨てるとは、なんて勿体ないことを」

「……貴女……一体、いつから……?」

「約束の時間からずっと目の前に座っていた。これでもまだ信じられないか?」


 このとき、私はこの少女に対する認識を完全に改めた。アリーナコロシアムのリングという人の目の集まる空間で、ステルスという技術に大した使い道は無い。ただ、そういう技術を使える私兵を一人くらい抱えていても良いだろう。そんなズレた考え方でしか、私はこの少女のことを見ていなかった。


 侮っていた。そして認めよう。目の前の年端もいかないこの少女は、私の計画に必要不可欠な人材であることを。


「……素晴らしい……ますます、貴女が欲しくなりましたわ……。そう言えば、まだ貴女の名前を聞いていませんでしたわね。貴女、お名前は?」

「チョークス。シャーロット・チョークスだ」

「チョークス? 変わった名前ですね。まぁ、そんなことは些細なこと。それではシャーロット・チョークス、改めて言いますわ。貴女、私のモノになりなさい。いえ、答えを聞くまでもありませんわね。その為に貴女もここへやって来たのでしょう?」

「断る為にこの場所へ来た、そうは考えなかったのか?」

「まさか、そんな筈はありませんわ。報酬も待遇も保証されているというのに、断る理由なんて一つもありませんもの。そもそも私の誘いを断る、だなんて……そんなことをこの私が許すとお思いだったのですか?」

「この三日間、街で金持ちのお嬢様とその従者を名乗る者に、再起不能の大怪我させられたという噂が後を絶たないらしい。どの者も一様に、誘いを断ったら襲い掛かられたと証言しているようだが、どうやら犯人は――」

「そんなのは些末さまつなことでしょう? どうせ争いの絶えない街ですもの、何人再起不能になろうが何の影響もありませんわ」

「…………。そう言えば私のスカウト料のことだが、三日前、確か今私が貰っている報酬の倍を支払うと、そう言っていたな?」

「あぁなるほど、報酬の額が不満だったのですね。分かっています、今の貴女にならば三倍……いえ、五倍の報酬をお支払いしたって惜しくはありませんわ。貴女にはそれだけの価値があると見受けました!」

「ハハッ、お前は馬鹿でどうしようもなくマヌケな女だ。私がどれだけの報酬で雇われているかも知らないで」


 私は咄嗟に体制を低く構え、瞬時に地面を蹴ると、ハルバート先端のスパイクを少女に向かって突き出した。


 ‟馬鹿でマヌケな女”。それが引き金だった。今までの私の人生でそんなことを言われたことは無いし、謂われも無い。


 会社の利益の為、目標達成の為、確かに目の前の少女は必要不可欠だ。しかしそれ以上に、私にそんな暴言を吐いておきながら許しておくなど、私のプライドが許さない――。


 圧縮され、怒りに満たされた思考を置き去りに、突き出された鋭い斧槍ふそうの先端は確実に目の前の少女を捉え、奥の壁にはりつけにした。


 地響きの後に巻き起こる粉塵。私の頭には二つの後悔の念が浮かび、ギリリと奥歯が音を立てる。


 後悔の念の内の一つは、貴重な戦力を失ってしまったこと。今まで何人ものジニアンを見てきたが、この少女は自分に匹敵する程の力を秘めていた筈。それを自らの手中に収められなかったのは大きな損失で、非常に悔やまれる。


 そしてもう一つは、少女を即死させてしまったということ。怒りに任せて放った渾身の一撃。今のを受けてはまず絶命を避けられないだろう。もっと時間を掛け、もっと惨たらしく殺してやりたかった。


「性格の悪い女だ。なにを考えているか、顔に出ているぞ」


 不意に横から声を掛けられる。反射的に声の方を向くと、そこにはたった今ハルバートで磔にした筈の少女の姿。手にはナイフ。その刃が、瞬きの間も与えられず顔の方へと伸びてくると――。


 ギィンと、激しく甲高い金属音が耳に届く。


「ご無事ですか、お嬢様。お怪我は?」


 硬く瞑った目を開けると、そこには執事のウィンソープが立っていて、レイピアでシャーロット・チョークスのナイフを弾いていた。


「い、いえ……無い、ですわ……。……あ――」


 右の頬を、ヌルリと粘性のある液体が伝うのを感じる。そこに手をやると、ベッタリと血が付着していた。それから少し遅れて頬に鋭い痛みが走る。


 …………? 斬られた? この私の、顔を?


「…………ッ‼ お前ぇぇぇぇッ‼‼」


 許さない……許さない、許さないッ‼ 絶対に許してなるものか‼


 怒りに身を任せて体内のレイジスを一気に練り上げ、再び臨戦態勢を取る。


「お、お前ッ‼ 私のことを馬鹿でマヌケな女と言いましたわね⁉ だったら貴女はどうなのです⁉ 破格の待遇をふいにして‼ 私のモノになっていたなら、何倍もの報酬が約束されていたというのに‼ もう良いです‼ もう終わりですわ‼ お前だけは散々苦しませてから殺してやりますから‼」

「そのことだが、私が今現在与えられている報酬はゼロ。よってお前が報酬を百倍用意すると言っても結局はゼロになる。マヌケな女と言ったのはそういう理由だった。説明が足りていなかったことには謝罪する」

「……はっ? ゼ、ゼロ……? 報酬が、支払われていない……? …………ッ⁉ マ、マヌケなのは貴女の方でしょう⁉ だったら幾らでも欲しい金額を言えば良かったのではありませんか⁉」

「正直に言えば金にはあまり興味が無い。それに、お前に私の望むものが用意できるとも思えなかった。だから改めて言うが、私はお前のモノにはならない」

「…………ッ⁉ ウィンソープッ‼ 殺しなさいッ‼」

「ハッ、承知しました」

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