9 Trajectory leading up to here.

初めての家出

 ――五年前 ジャンブルポール 最奥街 ストーンヒル予定地――


 拠点を決める際、確かに私は、住む場所などどこでも良いとは言った。身柄を隠さねばならない理由があるのだから、贅沢を言える立場では無いことも理解はしている。だがしかし、この街を選んだのは流石にミスマッチだったのではないかと、目の前のこの男、バレル・プランダーに抗議しても良いのではないかと私は考え始めていた。


 この街にやって来てからというもの、どこを歩いても銃声に硝煙しょうえん、抗争と闘争を目にしない日は無い。ジャンブルポールのデブリストリート。ここは正に、血を血で洗うという言葉がお似合いの街だ。


『ここなら黙っていたって仕事の方からやって来るさ。何せ、この街ではどこを向いたって荒事で溢れかえっているんだから。な、俺たちには持って来いの場所ってやつだろう』


 確かに。と、そう言われた際には私も納得はした。だが私たちがこの街にやって来てから既に二週間は経過しているというのに、この男は連日街の調査をして来ると言って出かけはするものの、今日まで一向に仕事を持ってくる様子が無かった。しかもこの男、街に着くなり、拠点を見つけた、なんて言い出したかと思えば、有り金の殆どを叩いてこんなボロ屋を購入する始末。食事をするにも、暖を取るのだって金が掛かるのに。このままでは、いずれ廃墟同然なこのボロ屋で凍死してしまうことになるだろう。


 あぁ、まるで意味が分からない。今まで幾つも死線を掻い潜り、今日までなんとか生き永らえてきたというのに。最後がそんな終わり方では、あんまりではないか。


「……それで、いい加減仕事の一つも見つけたのだろうな?」

「選びさえしなけりゃ、仕事なんてどこにでも転がってはいるんだがな。ただどうにも、ここで仕事の話を持ち掛けてくる大概のやつらは碌でもない連中ばかりでね。なんだか仕事を受けようって気にはならねぇんだよなぁ」

「仕事があるならさっさと決めてしまえ。今の私たちが、選り好みをしていられる立場か? この街でならすぐに仕事が見つかると言ったから、私はお前なんかに着いてきたんだぞ」

「そう焦るなよ。どうせ仕事のパートナーを選ぶなら、気が合って長く良い関係でいられるやつを選んだ方が良いに決まっているだろ?」

「雇い主を選ぶなんて二流のすることだ。必要ならばどの勢力にも組みして、最後に一番金払いの良い組織の下に付くという形が最も効率的である筈。長い付き合いなど不要だ」

「そんなやり方をしてちゃ、終いには昨日ま味方だったやつに後ろから撃たれるのがオチだね。蝙蝠こうもり野郎は御免だぞ、俺は」

「いざとなったら武力に訴えれば良い。私たちを敵に回した方が危険なのだと、街の住人全員にそう思わせてしまえば、最終的に敵は全て消える」

「……なぁシャーロット、その物騒なモノの考え方はどうにかならないのか? それに喋り方もだよ。そんなんじゃ、折角の可愛い顔が台無しだぞ」

「そんなものは必要無い。それに、悪人面のお前に言われる筋合いは無い」

「ハハッ! そうだよ、その調子だよ! なんだ、ちゃんとジョークを言えるようになったんじゃないか!」

「ジョークを言ったつもりは無い。お前は一度自分がどういう顔をしているのか、しっかり認識すべきだ」

「……こいつ、ヘヴィーなこと言いやがって……」

「……Dumnクソッ……。おい、いい加減に行動を起こせ。こんな場所で何もしなければ、黙っていてもいずれ流れ弾に当たって死ぬ。そうでなければ飢え死にだ。これ以上ダラダラとなんの進展もさせないつもりなら、私はすぐにでもここを出て行くからな」

「まぁ待てよ。今日“ロブ・ロシェット”という男に会って来た。そいつはこの街をマシにしようと活動している変わり者らしい。まだ決めた訳じゃないが、そいつとならまともな仕事ができるんじゃないかって、そう考えていたところだったのさ」

「……正気か? 争いが私たちの食い扶持ぶちになると言ったのに、マシにするだと? しかもこんな街を? お前がそいつと組んで何をするつもりかは知らないが、仕事の内容が私の意にそぐわなかった場合、この私に寝首を掻かれることになるのを覚悟しておくのだな」

「誰も最初から争いごとに加担するとは言ってなかっただろう? それにシャーロット、男の寝室に入るときのマナーを知っているか? シャワーを浴びて、煽情的せんじょうてきな下着を付けてくること。俺としては黒いレースのやつが好ましいが、お子様パンツがお似合いのお前じゃ、フッ……どう頑張ったってジョークにしか見えないね。それにそんな細くて小せぇ体じゃあな。ま、結論を言えば、お前じゃ役不足だ。あと五年は経ってから出直すんだな」

「…………、決めた、お前は今ここで殺してやる。首を差し出せ」

「あっ、おい、バカ野郎‼ こんなボロ屋で暴れるな‼ 壁に穴が開くだろうが‼」



 ***



 アテも無く、拠点にしていたボロ屋を飛び出した。ここは、どこだ? いや、それよりも、なんだか胸の辺りがキリキリして、頭の奥底で熱を帯びた何かが渦を巻いているような感じだ。あの男に関わっていると、時折こうして何故だか無性に冷静ではいられなくなる。この感覚は、人間の一体どんな状態に該当するのだろう。今までに感じたことの無い胸の奥底から沸き出して来る何かが、直接私の身体に干渉してくるようなこの感覚は。


 私には、これの正体を理解することができなかった。自分のことならば、血液の流れやホルモンの分泌ですら知覚することのできるこの私が、だ。それが理解できないからか、或いは他の理由があるからなのか、とにかくそれが、私はどうしても――。


「……ッ、あぁッ、むしゃくしゃする……」


 声に出してみると、何やら腑に落ちたような気がする。なるほど、私は苛立っていたのか。動悸どうきに発汗、眼窩がんかの奥がジンジンとして、刺された訳でも無いのに、このどこかが痛むような感覚。これを苛立ちと言うならば妥当な診断であるような気がしてきた。


 ………………?


 いや待て。苛立つ? この私が、苛立っている? 別に仕事に失敗した訳でもないのに? そもそもそれは、私が行動する上で不要なものだと判断し、かつて切り捨てた筈のものではなかったか。どうして今更になってそんなものを抱くのか、分からない。理解できない。


 そうして再び理解不能な感覚の連鎖に陥ろうとしていた、そのとき――。


「あら貴女、ちょっと宜しいかしら? そこのショートカットの、可愛らしい顔の貴女のことですわ」


 咄嗟に臨戦態勢を取る。今の呼びかけが私に対してものだということが理解できたのは、まるで私の耳元で、私にだけ聞こえるようにされたからだ。有り得ない。今の私を見つけることができる者がいるなんて。ここへ来るまでに、三十八人のジニアンが私の横を通り過ぎたが、誰一人としてステルス状態の私の存在に気付けた者はいなかった。だというのに、この女は一体……。


「見事なステルスですわ。並のジニアンであるなら、気配すら感じ取ることはできなかったでしょう。良いですわ。貴女、私のモノになりなさい」

「…………はっ?」

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