類、友を呼ぶ

「んぅうぅ~……ぅんぅぅ~……」

「雫、大丈夫ですか?」

「ん~……大丈、ぶ……。今朝よりは大分良くなってきた、かも……」

「キャパオーバーのレイジスを瞬間的にあれだけ練り上げたんだ。そいつはその代償ってやつさ」


 空の上、僅かな揺れさえも感じさせず優雅に飛ぶ飛行機の中、私はまるで荒波の上を小舟で泳ぐ漂流者のような心境で席に座っていた。別に飛行機で酔った訳ではない。昨日ストーンヒルの屋上でバレルさんとの模擬戦の折、体内のレイジスを完全に枯渇させてしまったのが原因だ。


 森の中で訓練している際、幾度もレイジスを枯渇させたことがあったけれど、今回の症状は今までとは一線を画すような気持の悪さだった。


「んぅぅ~ん……今回のは特に酷くて……。これって、どれくらいで治まるものなんですか……?」

「あれから一日以上経過している、目的地に着く頃にはもう少しマシになっているだろう。今は体内のレイジスサーキットが対応して、より強固なサーキットを形成している最中だ。キツイだろうが、もう少しの辛抱だよ」

「はぃぃ……分かりました……」

「ですが雫、今回のようなやり方は今後控えた方が良いですわ。体のキャパシティを過度に越えるようなレイジスを練り上げ続けていては、いずれ自分で練り上げたレイジスで骨や筋肉、それに神経やレイジスサーキットでさえも焼き切ってしまいかねませんから」

「焼き切れるって……それって、つまり……」

「最悪死にますわ」

「そ、そんな⁉」

「まぁ、お前はまだジニアンとして覚醒したばかりなんだ。未発達のレイジスサーキットでそうそうそんなことは起こり得ないだろうが。ただシャロの言った通り、今後は気を付けるんだな」

「そう、なんですね……はい、気を付けます……」

「今回の試験では昨日の模擬戦ほどハードになる予定は無い。気楽にやれば良いさ」

「……あの、その試験の内容っていうのを、結局私は知らないでここまで来てしまった訳ですが……」

「あぁ、そうだな。もう教えてやっても良いだろう。ところで雫、イルミナスって街について知っていることはあるか?」

「い、いえ、なにも知らないです」

「イルミナスは世界三大アリーナ都市だ。街の中心にある千二百メートルもの高さを誇るタワーの中には四つの階級から成るアリーナコロシアムがあって、日夜闘技者たちがファイトマネーと名声欲しさで戦いに明け暮れている。そこが今回の目的地で、お前の試験会場って訳さ」


 アリーナコロシアム? それが一体、私の試験と一体なんの関係が? 


 いや待って、先日バレルさんが、そう確かネイトさんのお店で、次の試験はお金を稼げて修行にもなるとかなんとか言っていたような。


 修行――闘技者。お金が稼げる――ファイトマネー。アリーナコロシアム――試験。


 ……、…………ッ⁉


 まさか修行にもなってお金が稼げるって、アリーナコロシアムで戦うってこと⁉ 観客を前にして、日夜戦いに明け暮れる闘技者たちと、この私が⁉ 


「そんな⁉ む、無理ですよ無理‼ だって私、人に見せられるような顔じゃないですし‼」

「……一番に心配するところがそこなのか?」

「フッ、クク……か、顔って……クッ、か、可愛いですわ」

「それに相手はジニアンなんですよね⁉ そ、そんなの、私なんかが勝てる訳が無いじゃないですか⁉」

「そりゃあ、そうだろうな」

「えぇ⁉ 否定しないんですか⁉」

「どんな奴だって勝つ為にあの場所に集まって来るんだ。それを最初から負けるつもりでいるような奴が勝てる程、アリーナコロシアムって場所は甘くはない」

「うっ……そ、れは……」

「ただな雫、お前には並の闘技者じゃ到底持ちえない、デカいアドバンテージを持っているんだぞ」

「えっ、アドバンテージって、それは一体……」

「アンヴァラスにブルーノ、そして俺。お前はこの短い間に三度も死線を潜り抜けて来たじゃないか。それに比べたら、ルールの中でしか戦ったことのないような闘技者相手なんてどうってことはないさ」

「……でも私、対人戦の経験なんて殆ど無いですし……。それに私の技じゃ、相手に取り返しの付かない怪我だって……」

「雫、それは考え方というものですわ」

「考え方って?」

「イルミナスのアリーナではある特殊な道具によって命が保証されますし、レフェリーがいてルールも設定されているのだから路上で戦うよりも互いに安心。しかも勝てばファイトマネーで懐が潤う。どうです、その辺のゴロツキを相手にするよりも、ずっとメリットがあるでしょう?」

「う、う~ん……う~ん……? そう、かなぁ……?」

「それに雫は美人ですから、すぐにアリーナの人気者になれますわ」

「えっ……そ、そう? …………、そ、それじゃあ……頑張ってみよう、かな?」

「フッ、チョロいですわ」

「えっ、今シャロ、チョロいって言わなかった?」

「いいえ。(チョロ)可愛いと言いましたが」

「あっ、そうなんだね。えへへ……シャロにそう言われると、なんだか嬉しくなっちゃうよね〜」

「……お前、雫の扱いが巧くなったな」

「女の子同士ですから、気持ち良くなれるポイントはちゃんと抑えていますわ」

「そいつは是非後学の為にご享受願いたいね」

「なら貴方は男同士で気持ち良くなれるよう、ジルと宜しくすれば良いのではありませんか?」

「……止めろ、俺にそんな趣味は無ぇよ……。想像しただけで気分が悪くなる……」

「そのジルさんって時々話に聞きますけど、一体誰なんですか?」

「あぁ、うちの従業員さ。ストーンヒルにはあと二人従業員がいるんだが、お前を雇った辺りから出かけたまま帰ってきやしないんだよ。もう三ヵ月にもなるが、一体どこでなにをやっているんだか」

「細身で長身な無口の男がジルで、ゴツくてガタイが良いのがエラですわ」

「へぇ~。二人はどんな人なんですか?」

「そうだな。まずエラだが、俺とシャロがこの街に来て間もない頃、マフィア同士の抗争でジャンポールの街は今とは比較にならないくらいに荒れていたんだ。どこへ行っても抗争が絶えなかったが、そのときに出会ったのがエラなのさ」


 今とは比較にならないくらい荒れていた? 抗争?


 いやいやいや。そんなことがあるものですか。だって、少し道を歩けば誰かが殴り合いの喧嘩をしていて、もっと悪ければ銃弾が飛んでくることだって珍しくは無いあの街で、今以上に悪い時代があったなんて、いくらなんでもそれは話を盛りすぎなのではありませんか?


 ……。…………。


 いや、この話を掘り返すのは止めよう。酷い胸焼けにも似たハングオーバーの症状を抱える今の私に、その先の話はあまりにもディープすぎる。


「あー……、んあー……そんな大変な時期に出会ったということは……つまりは戦友って感じなんですか?」

「いや、当時は敵同士だったよ。どこかの組織が俺たちを雇うと、敵対組織はエラを雇うのが常だった。そうなると嫌でも敵同士さ」

「あぁ! それってつまり、争いの中で芽生えた友情というものですね! 素敵ですよね、そういうの!」

「そんな綺麗な話ではありませんわ。我々が衝突する際、巻き添えを食ってどちらかの組織が壊滅。生き残った方の組織も崩壊寸前になるのが常でした。あの当時は毎日が血を血で洗うような日々の繰り返しでしたね」

「それにエラは度を越した戦闘狂でな。引き際を知らない奴で、あいつと戦うのには本当、酷く苦労させられたよ」

「引き際を知らない? バレル、それは貴方が言えた義理ではありませんわ」

「そんな昔のことは忘れたね」

「……あの、そんな人と、どうして一緒に働くことに……?」

「抗争が激化した頃、気付けば俺たちは幾つもの組織から恨みを買っていてな。その内身に覚えの無い連中からも狙われるようになるな始末で、そんな連中を片っ端から相手にしていると、いつの間にか俺たちとエラが共通の敵を相手にしていたってことが分かったのさ。そういう成り行きもあって、今ではうちで働いているって訳だ」

「今でも事務所に殴り込みをかけて来る輩のいくつかはそのときの名残ですわ。まぁ、それとは別件でということも少なくはありませんが」


 なるほど。ストーンヒルに身を置くようになってからというもの、どうしてほぼ毎日のように事務所が襲撃されて、どうしてそれをこの二人は当たり前のように対処しているのだろうと疑問に思っていたけれど、まさかそんな理由があったなんて。


 それにしても、血を血で洗う日々だとか、度を越した戦闘狂とは……。二人の言葉からエラさんの人物像を想像しようとすると、どうしても残忍で凶悪な怪物をイメージせざるを得ない。頭の中で構築される架空の怪物のイメージを、私は頭を振って払拭しようとする。


 あぁ駄目だ。なんだかまた胃の辺りがキリキリとしてきた。どうにかして話の方向性を変えなくちゃ。


「えっと……そのー……、そ、そう! もう一人の従業員のジルさん! その人はどんな人なんですか⁉」


 そうして私は半ば強引に話題を変えようと試みる。だけど冷静になって考えてみれば、そのジルさんがまともである保証はあるのだろうか。だってこの二人、元は殺し合っていたというエラさんを何事も無かったかのように受け入れている訳で、だとするならば、そのジルさんだって……。


「ジルは元々旅人でな。ある日ジャンポールの街に立ち寄って以降、うちの事務所で働いているのさ」


 よ、良かった。一体どんな話を聞かされるのだろうと身構えていたけれど、どうやらジルさんは普通の人であるらしい。


「ほっ……」

「ん、どうした?」

「あぁいえ! 普通でなによりというか……そ、それより、旅人だなんて素敵ですよね!」

「こんな何処を歩いたって地獄のような世の中を、剣一本だけを持って壁や柱の外を徒歩で歩き回るような奴だぞ? なにが素敵なもんか。馬鹿を通り越した狂人だよ、あいつは」

「…………、剣一本で、徒歩で、旅人……? いや、冗談、ですよね……?」

「旅は旅でも武者修行というものですね。挙句、居着いたのがあの掃きだめのような街なのですから、物好きを通り越して度の過ぎる酔狂というものですわ」


 『そんな街に事務所を構えて、毎日のように誰かしらから命を狙われるような二人が、他人をどうこう言うことはできないのでは?』と、喉元まで出かかった言葉を、私は胸の奥深くへとしまい込んだ。


「……その、ジルさんは、どうしてそんな危険な旅を?」

「あいつは多くを語らないから、俺たちも詳しくは知らないんだ。分かっていることと言えば、剣の腕を磨いているってことだけさ。その為に一人で荒野をうろついてはアンヴァラスを相手取り、どこかの街に立ち寄っては人間相手に剣を振るっていたらしい」

「剣の修行で旅を……。でも、そんなジルさんはどうしてジャンポールで、しかもストーンヒルに身を寄せることになったんですか?」

「俺の命を狙うのに都合が良いからだよ」

「あー、命をね……。…………、え、えっ? あの、それはまたなにかの冗談とか、例え話、ですよね?」

「いいや、そのままの意味さ」

「……もしかしてバレルさんはなにか、ジルさんの気に障るようなことをしたんですか?」

「おいおい、今の話を聞いても真っ先に俺を疑うのかよ?」

「いや、あの……すみません……」

「それはバレルの自業自得というものですわ」

「……なんだよ、ったく」

「数年前、ジャンポールに斬り裂き魔が出没するという事件がありました。私たちの事務所にも正体を突き止めて、斬り裂き魔を捕縛するようにとの依頼が来たのですが」

「まさか、その正体が……ジルさん?」

「その通り。だが俺たちが奴の正体に気付いたときには既に大事になっていてな。ジルの首には結構な金額の懸賞金がかけられていたんだ」

「賞金首⁉ ど、どうしてそんな人が、今もストーンヒルで働いているんですか⁉」

「いやなに、VSOPに掛け合って手配書を取り下げさせたんだよ」

「……手配書って、そんなに簡単に取り下げられるものではないですよね?」

「あぁ、簡単じゃあなかった。だが知っての通り、俺は会長の仙楽とは顔なじみでね。俺たちがジルの奴を監視役をやるって条件付きで手配書を取り下げたのさ」


 確かに、仙楽おじさんなら二つ返事で了承してしまいそうだ。でもなんだか聞いてはいけないことを聞いてしまった気がするのは何故だろう。


 そもそも監視役をやるって言っておきながら、当たり前のように野放しにしているのはどうなのだろうか。


「まぁジルの場合、売られた喧嘩を片っ端から買っていた結果事が大きくなっちまったようだし、そもそも被害届を出したのも別の賞金首か脛に傷のあるような奴ばかりだったからな。表立って文句を言うような奴は少なかったよ」

「言えなかった、という方が正しいですわ。そんなことを声高に言うなんて、自分の格を落として回るようなものですから」

「そうやって半端な悪党共が、今でも仲間を集めて復讐に来るって訳さ。自分のことを棚に上げて被害者ヅラするなんて、情けない話だと思うだろ?」

「いや、それに関しては私にはなんとも言えませんが……。でも、話を聞く限り悪い人ではなさそうですね。誤解しちゃったみたいで申し訳ないです」

「確かに悪人じゃあないが、怖い奴だよ、あいつは。なにせ俺もシャロも、ジルと初めて相対したときには殺されかけたんだからな」

「……殺、され……」

「最初は俺とシャロの二人掛りで真正面から相手をしようとしたんだが、すぐに思い知らされたね。こいつを生きたまま捕まえるなんて、絶対に不可能だって」

「正直に言って、剣の腕では逆立ちしたって勝ち目がありませんわ」

「……それ、一体どうやって決着が付いたんですか?」

「色々とずるい手を使ってどうにかしたのさ。ただそのときのことを恨んでいるんだろうな。今でも時々あいつには鋭い目で睨まれるんだ。それこそ、隙があったら殺されそうな勢いでな」

「命を狙われるって、そういう……。あぁ……ジルさんが帰ってくる日が怖いです……」

「安心しろ、あいつだって誰かれ構わず剣を振り回している訳じゃない。それこそ通行人にまで剣を向けていたら、協会から恩赦おんしゃなんて出やしなかっただろうしな」

「一言で言うなら、エラもジルも方向性の異なる戦闘狂ですわ。それに凶悪な顔のこの男が所長なのですから、現状うちの事務所でまともなのは私だけということになりますね」

「おいシャロ、鏡って物を知っているか? 自分の姿を映す便利な道具だ。今度見せてやるから、一度穴が開く程眺めてみるんだな」

「それは実に便利な道具ですね。きっと美人が映ることでしょう」


 二人の会話で複雑な心境に浸っていると、次第に私の視界を光のラインがチラチラと掠める。ふと光の方に視線を向けると、暗闇の広がる窓の遥か向こうに幾つもの光の柱が四方八方に立ち昇り揺らめいているのが見えた。それは今までに見たことが無い程に煌びやかで、昼間よりも明るいと錯覚するほどの眩い光の集合体だった。


「うわっ、うわぁ……綺麗……。なんですか、この光は……」

「あれがイルミナスだ。あの光が見えたなら、到着までもう間もなくってところだろう」

「えっ⁉ あの灯り全てが街の光なんですか⁉」

「あぁ。その明るさから、イルミナスは夜の来ない街と呼ばれている」

「す、凄い! こんな街があって、ここが試験会場なんて凄いで、す……。……あの、バレルさん?」

「どうした、俺の顔になにか付いているか?」

「いや、付いているもなにも……」


 ほんの一瞬目を離したその隙に、バレルさんの顔は明らかに豹変ひょうへんしていた。サングラスにつばの広い帽子。それに加えて付け鼻に口ひげ。その様子は一見しただけではバレルさんと見抜けない様相をしていた。


「あの、その顔、どうしたんですか?」

「ただの気分転換さ。折角こんな場所まで来たんだ、たまにはファッションでも楽しもうかと思ってね」

「あっ、そうなんですね……。ど、どうしよう⁉ 私、普段着とボディーアーマーしか持ってきていないのに⁉」


 帽子からスーツまで濃赤色ガーネットを基調としたシックなデザインの恰好で決まっているバレルさん。それとは対照的に、フォーマルで落ち着いてはいるものの、所々に意匠を凝らした黒の男装で身を固め、髪型をソフトオールバックに纏めているシャロ。対して私はというと、ジーンズとトレーナにミリタリージャケットという見事なまでに地味な出で立ち……。


 今まで体調が悪くてそれどころではなかったけれど、こうしてみるといつも以上に私だけが浮いていることを自覚させられてしまう。


「どうせ今日はすぐにホテルへ行くんだ。気にすることはないだろう」

「で、でも……でもぉ……」

「はぁ、分っていませんね。これだから貴方は異性にモテないのですわ」

「……なんだよ、その言い草は」

「気の利かない男だと言ったのですわ。女の子はいつだってお洒落でいたいものですわ。そうでしょう、雫」


 そう言ってシャロが手を上げると、近くの客室乗務員が私たちの席の方へ足早にやって来る。


「お客様、なにか御用でしょうか?」

「すみませんが、この機に機内電話はありますか?」

「はい、ございます。どこへお繋ぎしましょうか?」

「では、これから言うブティックへ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る