嘘、偽り

 ――ジャンブルポール 最奥街インサイド 東部 武器販売店集合通りウェポンズマーケットアベニュー――


 街の中心部よりやや東側に位置するこの場所では、通りに並ぶどの店のショーウィンドウにも武器が陳列されていた。正にその名の通りの武器屋通りである。


 前に見た火具土かぐつちの商い通りのような祭りの中で物を売る騒々しさとは異なり、この場所では武器を売る店が日常の中に溶け込んでいるようだ。こうして誰もが日用品や家電を求めるような気軽さで武器を購入する姿を前に、私は軽いカルチャーショックを受けていた。


「そういうことで、今日の目的は買い物だ。さぁ雫、なにを買いに来たか分かるか?」

「いや、流石に分かりますよ……。武器、ですよね。でも武器って、私のこの剣じゃ駄目なんですか?」


 そう言った私の腰には、WEフォース時代から使い続けていた長剣セクエンスが鞘に収まっていた。


 規則上、本当ならばこの剣は退役の際に返却しなければいけないことになっているのだけれど、三年間この剣を使い続けて愛着を覚えていた私は、こっそりと持ち出して来てしまったのだった。


 ただし愛着があるとは言ったものの、私は訓練生時代から今日に至るまでこの長剣をまともに扱えたことが無い。そもそもそれ以前に、剣を構えただけでも転びそうになっているのが現状である。


 三ヵ月前の事件の折、蝙蝠型こうもりがたのアンヴァラスや異形化したブルーノを相手にして生き残れたのは本当にただの幸運で、今になって思い返してみれば、あのときはただ剣を振り回していたに過ぎなかったとさえ言える。


「お前だって分かってるいだろう。そのままじゃリベレーターは無理だって」

「…………」

「まぁ、そう言われたって納得できるもんじゃないよな。だが雫、例えそのまま長剣を扱い続けたとしても、それじゃあ一生リベレーターに求められる強さの水準には届かないだろうぜ」

「……バレルさん、もしかして私には、剣の才能が無いんでしょうか?」

「あぁ、長剣を扱うセンスはゼロ。アンヴァラスはおろか、虫だって殺せやしないな」

「ひ、酷い⁉」


 センスゼロ⁉ 虫も殺せない⁉ そこまで言いますか⁉


 確かに私は剣を構えるだけで転びそうにはなりますけど……。だけどバレルさん、以前私に『俺は案外、WEフォースでやるよりもリベレーターに向いていると思うけどな』とかって言っていたじゃないですか‼ だから今私はこうしてここにいるのに‼


 そもそもよく考えたら、確かに私は蝙蝠型のアンヴァラスに遅れを取りはしましたけれど、あれはあくまでも不意打ちされた上での結果ですし、それに、あの異形化いぎょうかしたブルーノと対峙したときだって、ハングオーバーさえ起こさなければ負けはしませんでしたけれど⁉


「………、………」

「お前は本当に分かりやすい顔をしているな。フッ、俺には遠慮しないでなんでも言って構わないんだぞ」

「今のはバレルが悪いですわ。言い方と、特に顔が」

「……おい、誰が人の顔を悪く言えって言ったよ?」

「なんでも言っても良いと言ったのはバレルではありませんか」

「お前はもっと遠慮してものを言えよな……ったく。だがとりあえず、雫の場合は口で言うよりも実践してやった方が早いか。なら、そうだな。雫、まずはその剣を片手で持ってみろよ」

「この剣を、片手で……ですか? だけどこれ、両手持ち用の剣なんですよ?」

「ただの実験ってやつさ。良いから、騙されたと思ってやってみなって」

「は、はぁ……」


 いぶかしみながらも、バレルさんに言われた通りに剣を右手に持つ。すると私の体は歯車がカクカクと回るようにぎこちなく、次第に剣を持った側へと傾いて――。


「うわ、うわ、うわっ、っとっとっとぉ――あ痛ぁ⁉」


 体の傾き続けた私は体制を立て直すことができず、そのまま近くの壁に頭をぶつけてしまった。


「……ここまで極端だとはな」

「えぇ……これはちょっと、本気で心配になるレベルですわ」

「痛ったぁ……。ちょ、ちょとぉ⁉ これが一体なんの実験だって言うんですか⁉ こんな物を片手で持ったら、誰だってこうなるに決まっているじゃないですか⁉」

「いや、普通そうはならねぇよ。転びそうなら途中で剣を手放すなり、足のスタンスを広げてみたりすりゃあ良かったじゃねぇか」

「そ、そんな無茶な⁉」

「ま、悪かったって。それじゃあ次の実験をやってみようか。今度は両手で剣を持ったらどうなるかを試してみようぜ。シャロ、お前の剣を貸してやれよ」

「どうぞ、雫」

「えぇ……? でもぉ……」

「大丈夫ですわ雫。今度は今のようにならないと、私が保証しますから」

「う、う~ん……。分かったよ……」


 私は言われた通りに片方の手に自分の剣を、もう片方の手にシャロの剣を持つ。すると。


「……あ、れ……?」


 今度は倒れることなく、私の体は中央で静止していた。けれど。


「一応、倒れはしないようだな」

「剣が重い分、重心は完全に雫の剣の方へ傾いていますけどね。とりあえず、何も持たないよりはマシのようですが。雫、その状態で剣を振ることはできますか?」

「…………ッ、……無、理……体……動か、せない……。でも、どうしてこんな……」

「左右の釣り合いを取らせたんだよ」

「釣り、合い……?」

「お前は片手で剣を扱おうとすると、途端に体の全ての動きがぎこちなくなってしまうんだよ。それはある種癖のようなものだとは思うが、それを頭で理解させる為に、剣のような重量物を不安定な体制で持たせたって訳さ」

「……ふぅ。でも、バレルさんは片手でって言いますけど、私は普段剣を構えるときにはちゃんと両手で持って扱っていますよ?」

「両手で扱うとは言っても、一本の剣に対して左右の手で均等に同じ力を剣に加えている訳じゃないだろう」

「えっ、そうじゃないんですか?」

「剣を振る、一言で言えば簡単だ。しかしその動作を細かく分析してみれば、片方の手は推進力を生み出すのに使い、それと同時にもう片方の手ではブレーキを掛けるのに使う。それが剣を振るうって行為なのさ」

「う、うーん……?」

「バレル、雫の頭がショート寸前ですわ」

「本当なら体幹やら脚、関節の説明までもっと細かい話になるんだが、それは雫には難しいかもしれないな。ま、ざっくりと単純に言うなら、雫が剣を扱うバランスが悪いってことだよ」

「……私、そんなに駄目だったんですね……だから、私は……」

「いいや、本題はここからだ。その前に聞いておくが、雫、お前には利き手が決まってないんじゃないか?」

「利き手が決まっていない、ですか?」

「普段観察していて気付いたことだが、雫、お前には歯ブラシやカップを持つ手に決まりが無いらしい。それには気付いていたか?」

「……いえ。だけどそれは、ただの偶然なのでは……」

「まぁ、そうだな。そのくらいならそういうこともあるだろう。だがナイフやフォークを持つ手まで決まっていないってのは、流石に常軌を逸している」

「えっと……それはその、私のマナーが悪かったとか……そういう?」

「いやそうじゃない。どっちの手でナイフとフォークを持とうが、どっちでも器用に扱うことができるってことだよ。ちなみに今朝の食事では左手にナイフ、右手にフォークを持っていたが、前に見たときはその逆だったからな」

「……でもそれって、別にそんなにおかしいことでもないんじゃ……」

「言っておくが雫、訓練もせずに無意識でそんなことをする奴なんて、そうそういるもんじゃないぞ」

「それに例え両利きの人間であったとしても、僅かに、しかし確実に左右に差が生じるもの。しかし雫の場合、完全なる左右対称の動作でカトラリーを扱うことができていましたわ」


 全く気付かなかった。そういえば、WEフォースに入隊したばかりの頃、両手に箸を持って食事をすることを先輩たちにからかわれて、それからはどちらかの手で箸を持つようにしたことがあったっけ。


 もしかして私が気付いていないだけで、実は今でも私には他の人とは違う変な癖なんかがあるのだろうか。


「となると、そのセンスを活かさない手はない。だから両手剣には拘らず、これから使う為の武器を選ぼうっていうのが今日のテーマって訳だ」

「……それってもしかして、双剣を使うって、そういうことですか?」

「なかなか鋭いな。幸い俺もシャロも双剣を扱う心得は持ち合わせている。それに一応、それを専門にしている奴にも心当たりがあるから、技術面は心配しなくても良いだろう」

「きっと何か思うところがあるかもしれませんが、大丈夫、雫ならすぐにハマりますわ」

「……そっか……うん、私、頑張るよ」

「そうと決まれば急ぐぞ。今日は武器だけじゃなくて、他にも色々と必要な物を用意しなくちゃならないからな」


 そう言うと、二人は先へ進み始め、私はそれに付いて行く。


 ……。…………。


 双剣、か。


 両の手に剣を持つ光景を想像した私の脳裏には、ある古い記憶が想起そうきされていた――。



 ***



 雨の音が鳴り響く広い日本家屋。そこは私の実家の母屋に隣接された木造りの道場で、幼い頃の私はそこで毎日父に剣の修行をつけられていた。


 正直に言うと、私は剣の修行が好きではなかった。修行は辛くて苦しかったし、どれだけ努力しても、天才と称される姉さんのようになれないことが分かっていたからだ。


 それになにより、私はある用途・・・・で使われる雨衣咲の技に嫌悪感を抱いていたから。


 ただ難儀なことに、幼い頃の私は強さに対する強い憧れもあって、修行を止めるに止められなかったというのも事実だった。それは今思えば、優秀な姉への羨望というか、ある種の嫉妬のようなものだったのかもしれないけれど。


 ある日稽古をしている最中のこと、私は足を滑らせて冷たい道場の床の上に倒れ込んでしまった。木剣ぼっけんを握る両の手のひらからも、何時間もすり足を続けた足の裏からも血が滲み、痛みと疲労で立ち上がることのできなくなった私はその場にうずくまって、泣いて、泣いて、泣きじゃくった。


 そうして暫く泣き続けた頃、私はなにかがおかしいと気付く。“どうして私はいつまでも放っておかれているのだろう”と、そう思ったのだった。


 父に優しい言葉を掛けてほしかった。仮にそうじゃなくても、例えば怒鳴られて、無理やりにでも立たされて、尚も稽古けいこの続行を強要されたのならば、もっと泣きわめいて、私は我儘わがままを言うことだってできたのに。


 苦痛よりも目の前の違和感に耐えられなくなった私は、顔を上げて父の方を見る。そのとき泣き腫らした私の目に映ったのは、人が持ち合わせている筈の熱を完全に欠落させたかのような冷たい目。そんな冷たい目で、父はただ黙って私を見下ろしていた。


 “泣いても無意味だ”。幼い私にそう理解させるのに、言葉は要らなかった。


 それ以降、私は一度だって稽古の最中に泣いたことはない。あんな思いは、もう二度としたくなかったから。


 多分、そのときからだったと思う。稽古の最中に感じる全てを無視するようになったのは。苦痛も、自らの無力さも、時折感じていた僅かな喜びでさえ。全部、全てを無視して、ただ目の前の稽古に打ち込んだ。何年もの間、自分を騙すようにして――。


 そんな日々を過ごし続け、数年が経過したある日のこと。いつものように道場へ向かうと、そこで待っていた父が、突如私に――。


『雫、今後一切、お前は両の手に剣を持つ必要は無い。お前には雨衣咲としての価値が無い。よってお前は雨衣咲の名を継ぐ必要が無くなった。速やかに家の為に道具となる準備をするが良い。時間をかけた程の成果こそ得られなかったが、お前にできる程度の結果を出して見せよ。そうでなくば、お前に生きている価値など見出せないのだから』


 そう、言った。


 そう言われた瞬間、何年もの間気付かないふりをしていた痛みと苦痛が一気にやってきたような気がして、何年もの間静止させていた心が爆発したように叫び続けた。


 その後のことは、あまり良く覚えていない。ただ覚えているのは、家を飛び出して、火具土へ逃げ込んで、転がり込むようにWEフォースへ入隊したということ。


 父は、私を追いかけては来なかった。だけどそれは当たり前のことだったのかもしれない。だって、父はあのとき私に言ったのだから。私には、雨衣咲としての価値が無いんだ、って。


 ずっと私を苦しめ続けていた雨衣咲の性。それから解放されて、ただの雫になったあのとき、どうしてか私は、なにかとても大切なものを失くしたような気がしたんだっけ――。

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