残酷な仕打ち
あの後、父が血相を変えて私たちの所へ飛んできたのを覚えている。どうやらその日は日本のVSOPにとって、大事な何かを決める為の会合があったのだそうだ。だけど会長である仙楽おじさんが途中でいなくなってしまい会合は中断され、集まった人たちは総出でおじさんのことを探していたのだとか。
ちなみに後になって分かったことだけれど、仙楽おじさんはVSOPの会長でありながら、協会内部にはおじさんのことを良く思っていない人が結構な人数いるらしい。特に日本の支部とは過去に何かがあったらしく、今でも大きな
「雨衣咲、お前ぇ、会長と知り合いなのか?」
「えぇその、昔、ちょっと……。あっ、ご、ごめんなさい‼ 会長に向かっておじさんだなんて、立場を弁えていませんでした‼」
「いいじゃん、そんなの。今は儂とお主らしかおらんのだし」
「い、いえ、でも……」
「なんだよ、冷たいのぅ。昔は一緒に茶を飲みながら、気に入らん大人たちの
何も変わっていない。この人はあのときのまま、優しくて、私を一人の私として見てくれる仙楽おじさんだった。
「……はい、会――いえ、仙楽おじさん」
「いや~おじさん呼びのままで良かった。あれから随分経ったじゃん? おじさんじゃなくて、爺さん呼ばわりされたらどうしようかと思ったんだよね」
そう言われてみれば、この人、見た目が昔から全く変わっていないような。あれから十四年も経っているのだから、もう少し老けていてもおかしくはないと思うのだけれど。
「さて、茶飲み話もこの辺にしておこうかのぅ。それで聞いたところによると雫ちゃん、お主、ペーパーテストでは散々な結果だったらしいな?」
「……はい。その、すみませんでした……。こんな、不甲斐ないことになってしまって……」
「カーッカッカ! 良い良い! どうせ座学なぞいずれ実戦の場で学ぶことになるのだ。テストの赤点大いに結構!」
「お言葉ですが会長、座学だって生き残る為に必要な知識なんだ。それに試験官長として言わせてもらいますが、全科目赤点っていうのは流石に見過ごせませんよ」
「バリーよ、お主がリベレーターの資格を取りに来たのは、もう三十年も前のことだったかのぅ? 当時儂と会ったときのこと、お主はちゃんと覚えているか?」
「いや……えぇまぁ、はい……。そりゃあ勿論、忘れちゃいませんがね……」
「あのときのお主ときたら、今の雫ちゃんと同じように赤点の山をこさえおって、試験に落ちてしまうだの、不甲斐ないだのと、大の男が半泣きで大慌てしておったのを儂は忘れとりゃあせんぞ」
「か、会長‼ その話は……」
「ククク、いやはや時が経つのは早いものよのぅ。なぁバリーちゃんよ、今ではお主が後任を育てる立場とは、なかなかに
そう言って、おじさんはカンラカンラと笑って見せる。あぁ、なんとなくこの人が敵を作りやすいという理由が、今ちょっと分かってしまったような気がする。
「ちょっと待って下さいよ会長、俺があのとき赤点だったのは五科目中の三科目だけだ‼ 全科目って訳じゃあ……」
「その合格した二科目も赤点すれすれだったと記憶しておる。威張るでないわい」
「う、ぐ……」
「あ、あの、おじさん、もうその辺で……」
「だがのぅ、あのとき既に儂には分かっておったわ。この男はペーパーテストで測れる器では無いとな。実際こうして立派に成長し、幾多もの功績を上げ、今では立派な試験官じゃ。そして雫ちゃん、お主にもまたテストでは測れぬ大きな力があると、儂は確信しておるぞ」
「……ですが、私は、もう……」
「まぁ待て待て。のぅバリー試験官長、当試験に関して儂は部外者で、今回のことは全てお主に一任しておる。よってお主が否と言えば否となることに、一切の不服は無い。しかしどうじゃ、この目の前の若者を、ここで落としてしまうのは実に惜しいと思わんか?」
「えぇ、惜しいですね。ここ数年で俺が見た中で、雨衣咲は断トツですよ。やはり、一度修羅場をくぐったやつってぇのは物が違う」
「で、あろう? ねぇ、合格にしてやっても良いとは思わない? 才能ある若者を腐らせておくのは勿体ないと、本当はそう思ってるんじゃない?」
「いやしかし、他の受験生の手前、ただ合格という訳にも……」
「ふむぅ、意地悪だのぅ……。それならば、儂から一つ
「と、言いますと?」
「この子はつい最近ジニアンであることが分かってな。そこでじゃ、この子がジニアンとして如何ほど成長したかで、試験の合否を判定する追試験を行う、というのはどうかのぅ?」
「なるほど……。ですが、俺は今回の試験が終了した後すぐに別の仕事が入っていますんで、引き続き監督役をやる訳にはいきませんが」
「安心せよ、これ以上お主の手を
「……準備の良いことで。まぁ会長が選んだ人材なら、俺に不服はありませんがね」
「流石はバリーちゃん、話しが分かるのぅ。そういう訳で雫ちゃんや、もう一手間分試験が長引くことになってしまったが、それで良いかの? 嫌だと言うならば、次の試験は三か月後になってしまうが」
「う、受けます‼ その追試、受けさせてください‼」
「うむ! 良い良い! 若い内に欲する物は苦労してこそ得るものよ! 筆記試験で終わっておけば良かったと思うような過酷な道のりになるであろうが、頑張るのだぞ!」
「過酷、なんですか……?」
「そりゃあそうだろうとも。過酷でなければ試験の意味が無い。そもそもリベレーターとは、過酷な環境で働くものだからのぅ。まぁ内容については、担当の試験官にでも聞くが良いわ」
「……ちなみに、次の試験官というのは、どんな人なんですか?」
「誰だと思う? 儂の昔からの酒飲み友達なんだがのぅ。ま、それは会ってからのお楽しみってやつじゃよ♡」
***
そう言われた私は、指定された部屋の前まで来ていた。あぁ、私は一体どうなってしまうのか。バリーさんは凄く厳しい人だったけれど、仙楽おじさんのあの様子から察するに、今度はもっと厳しい人が来ることを覚悟していた方が良いのだろうか。
それに、この追試がどれくらい長引くのかも気になるところ。バレルさんの事務所を出てから既に一ヵ月が経っているのだから、これ以上帰らないでいると心配させてしまうかもしれない。そもそも今の私のこの状況を、二人にはどう説明したら良いのだろう。素直にそのまま話すなら、「ペーパーテストで全科目赤点だったので、追試を受けることになってしまいました⭐︎」なんて、そう言わなくちゃいけないのだろうけど。
あぁ嫌だ、嫌だなぁ。そんなの、二人に私の頭が悪いって言うようなものじゃないか。恥ずかしくて言える筈がない。だけどこうなってしまったからには、二人にはちゃんと説明をしなくちゃいけない訳で……。
………………。
駄目だ、うじうじ考えていたって仕方がない。二人への説明はこの先で待っているであろう試験官に会って、期間と追試の内容を聞いてからでも遅くはない筈。第一、ただの追試で今回の試験と同じだけの時間を要するとは思えない。そうだ、もしも二、三日くらいの短期間で解放されて、その後何食わぬ顔で二人の元まで帰ることができたなら、二人には余計なことを話さずに済むじゃないか。それに、今回追試の機会をくれたのはあの優しい仙楽おじさんなのだから、口ではああ言ってはいたけれど、実際には私を合格させるよう取り計らってくれているのかもしれないし。
そうやって上向き始めた私の思考の勢いは留まることを知らず、どんどん自分にとって都合の良いことばかりを考え始めた。最早この扉の先にいる人物が、まるで自分の味方であるかのように思い込んだ私は、ノックもせずにウキウキ気分でドアノブを捻る。すると、そこには――。
「よ、よう雫! あー……、その、元気そうじゃないか!」
「あ、えっと……久しぶり、です、ね……?」
扉を開けると、そこには私の雇い主(仮)であるバレルさんと、同僚(予定)のシャロがいた。
…………、…………⁉
ど、どうしてこの二人が⁉ どうしてこの場所へ⁉ 何故に⁉ なんでここに⁉ だって、二人はジャンブルポールの事務所にいる筈で、ここはDクラスリベレーターの試験会場で、二人がいる訳が無い筈で、いや、そんなことよりも、もしかして、この二人にはもう、私のペーパーテストが全科目赤点だったことを知られているんじゃ ――。
そうして何もかもを諦め絶望しかけた次の瞬間、私の中で、何かの点と点が線で繋がる。すると私の頭はここまでの映像と言葉を結び付け、ある一つの回答を導き出した。
なるほど、そういうことだったのか。まずこの二人がこの場所にいる理由。それはこの二人が追試の試験官であることに他ならない。そしてこれから行われる試験とは、追試とは名ばかりの、つまるところただのパフォーマンスであるということ。何故ならあの口ぶりから察するに、この二人を呼んだのは仙楽おじさんで、この二人が試験官であるならば、私のことを落とすなんてことは考えられないからである。
そしてもう一つの
良かった。これで私の
「まぁ、なんだ。筆記試験は散々だったかもしれないが、そういうのはこれから仕事で覚えていけば良いのさ。だからその、気にするなよ、な?」
「ねぇ雫……嘘、ですよね……? そんな、あんな筆記試験で不合格になるなんて、そんなの、嘘に決まっていますわ……」
「シャロ、もう良いじゃねぇか。それは終わった話ってことで」
「だって……あのクレアの部下でさえ難なく合格する試験を……そんなまさか、全科目赤点、だなんて――」
「おい、シャロ‼」
「……あっ」
ガラガラと、私の中の何かが崩れるような音が聞こえた。そして仙楽おじさんの言っていた言葉が、頭の中で何度も反響する――。
『記試験で終わっておけば良かったと思うような過酷な試練にはなるだろうが、頑張るのだぞ!』
えっ、それって、こういうこと? 全科目赤点だったという事実を二人に知られた上で、
頭の中で、一つのある映像が再生される。それはあの屈強そうなクレアさんの部下たちが椅子に腰かけて、鉛筆を手に机へ向かい、ペーパーテストを受けているというミスマッチな光景。それで、私は? そんな彼らの受かるテストを、全科目赤点?
………………。
そんな現実、受け入れられる訳がないでしょう⁉ なんで、なんでおじさんはそのことを二人に話したの⁉ この二人を呼んだ理由はなんなの⁉ そんなことを知られるくらいなら、再試験なんてこっちから願い下げだったのにぃ‼
んぁぁぁぁぁぁぁぁッ‼
***
これが、今日に至るまでの
だけど苦しかった修行は終わり、これで私も晴れてリベレーターの仲間入りだ。もう辛い過去のことは忘れて、これからはリベレーターとして頑張ろう!
なんて、そんな呑気なことを考えていた私は、まだ知らなかったのだった。今日までの過酷で耐え難いと思っていた日々は、これから起こる物語の、ただの序章でしかなかったということを。
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