少女雫と、仙楽おじさん

――十四年前 日本 雨地あまつち 某所――


 諸事情あって、常日頃から父に親戚の集まりへ連れられていた私は、どこへ出掛けて行こうとも居心地の悪さを意識しない日は無かった。


 私の三つ年上の姉、“雨衣咲響ういさきひびき”は、幼い頃から神童しんどうと称される剣の天才だった。周囲の大人たちは、そんな天才の姉と凡庸ぼんような私を常に比較して、口を開けば『雫ちゃんもお姉さんのように――』『雫ちゃんも響さんを見習って――』『お姉さんはあんなに頑張っているのだから――』なんて、毎回同じようなことを口々に言うのだ。


 どこへ行っても姉さん、姉さん、姉さん。私には、それがたまらなく苦痛だった。別に姉さんのことが嫌いだった訳じゃない。むしろ、当時から姉妹仲は良かったと私は思っている。少なくとも私は姉さんのことが好きだったし、姉さんも別に、私のことを嫌っている風では無かった、と思う。


 ただ私を苦しめていたのは、子供ならではの承認欲求が満たされないストレスに加え、私では絶対に姉さんのようにはなれないという、絶対に覆りようのない劣等感を感じていたからだ。しかも周囲の大人たちは、私には姉さんのような才能が無いことを分かっているにも関わらず、そういうことを社交辞令で言っているのを子供心ながらに理解できていたものだから、私は姉さんと一緒にそんな集まりに連れて行かれることが、たまらなく嫌で嫌で仕方がなかった。


 そんなある日のこと。その日はいつもよりも多く親戚が集まっていて、とうとう私は、そんないつもの空気に耐えられなくなってしまい、部屋を抜け出して庭をブラブラと歩いていたのだった。すると――。


「いよぅ、そこの可愛いお嬢ちゃん。もしかして暇してない? 暇なら儂と一緒にお喋りでもしようぜ」


 なんて、そんな風に私に声をかけてきたのは、庭に置かれた大きな岩の上に寝転んで手招きしている、見るからに怪しいお爺さんだった。そのときの私は、この胡散臭い大人を前に警戒心を全開にしていたのを覚えている。


 普段から周囲の大人はと言えば、私のことを雨衣咲家の次女として他人行儀に扱っていたし、私もまた、そんな大人に対して表面上は慇懃いんぎんな態度をとっていた。だけどこの人は、他の大人たちとは明らかに何かが違っている。幼かった私は、きっとこの人は人攫ひとさらいに違いないとか、確かそんなことを考えていたのではなかっただろうか。とは言え、ちょっと変わった親戚の誰かである可能性を否定できなかった私は、警戒心を働かせながらも、できるだけ失礼の無いよう会話することを試みた。


「あ、あの……おじさん、誰、ですか……?」

「おぉ、儂? 儂は仙楽と言う。名前を呼ぶときは仙楽おじさんで良いぞ」

「仙楽、さん……? あの、私は――」

「知っとるよ。雨衣咲の雫ちゃんであろう? いや話には聞いておったが、実物はずっと美人だのぅ。おじさん、年甲斐としがいも無くテンション上がっちゃった」

「えっ、美人って……私が、ですか……?」

「そうそう。なぁなぁ、どうせ退屈しとったんじゃろ? だったらおじさんと一緒にお喋りしようぜ」

「……あの、でも私……父から知らない人に話しかけてはいけないと、言われているので……」

「えぇ〜? 駄目~? ほら、その辺からさらってきた茶菓子があるんだがのぅ」

「お、菓子……? いや、で、でも……」

「あー、おじさん今、美人の娘っ子と一緒にお茶したい気分だな~。もしも雫ちゃんがお茶に付き合ってくれたら、おじさん超すっげぇ嬉しいんだけどな~」

「……そ、そうなんですか? へ、えへへへへ……じゃあその、ちょっとだけ……」


 こうして私は、あっという間に懐柔かいじゅうされてしまったのだった。今になって思い返してみると、幼い頃の私はどれだけチョロい子供だったのだろう。でも、それも仕方のないことだったのかもしれない。何故ならこの人は、私のことを雨衣咲家の次女ではなく、ただの雫として扱ってくれた、初めての人だったのだから。

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